昨日はとあるお方と長年のお約束であった念願かなって、
地元で一杯やりました。
ヴァイオリニスト同士でないと共感できないこと、
ヴァイオリニスト同士でもなかなか共感し合えないこと、
を、
美味しい酒とともに次々と膝をうって共感するのはなんとも幸せな時間でした。
幸せ過ぎて話が尽きず、酒も尽きず、酔いを知らず。
このところ、気が鬱々して、何もやる気力がおきない日が続いています。
理由はわかってる、エジプトであったことが、
自分の中で長く尾を引いてそろそろとぐろまでまきそうになっている。
でもそう思いたくないので、春愁ということにしている。
その春愁も、もう少しで晴れる、いや自力で晴らす、気持ちの萌芽が、
頂けた時間でした。
事実、力強い言葉の数々に、目の前の色鮮やかさが増すような思いを何度もした夜でした。
そして今日。
そのエジプトで出会った人からのご縁で、
星を読み解いていただきました。
昨日の酒、そして今日の星、
昨年末のエジプトでのことを越えて、もっと大きな過去と対峙する時間でした。
その符牒のような流れ。
昨夜の飲みでたまたま話に出て共通の知り合いだったとわかった、さる歌い手の方。
私は一度だけ朝まで、いや昼までか、飲み明かしたという一期一会の方だったのですが、
飲み明かした最後にたどり着いた井の頭公園の弁財天。
そこにもそれ以来、行ったことはありませんでした。
話に出たことで、その珍妙な飲みの一夜と朝と昼の思い出とともに、弁財天や茶屋のあたりで、酔っぱらい数名がだらだらと過ごした情景を、数年ぶりに鮮やかに思い起こしたのですが。
今日、お会いした星読みの方が、終わり際に不意に弁財天に行きましょう、とおっしゃられ、
向かったのはそこでした。
前夜その兆しのように、すっかり忘れていたのに何年ぶりかに思い出した記憶、そして翌日の今日に実際に尋ねる流れになるというのは、
なんとも不思議な思いがしたことです。
星読みの方は、私の胸のあたりに「水のブロックがあるようなので、それをとりはずす…」というようなことをつぶやいておられたような気がしますが、
なんと行ってみると、井の頭公園の池という池の水がすべてなくなってるではないですか。
水のブロックを外すどころか、水が全部なくなって、池の底までさらわれ、
さらに弁財天は閉まっておりましたが、なんとまさにその弁財天周辺の石垣の補強工事の真っ最中。
私の心のブロックなど、一目見たら吹き飛んでしまうこと確実というような、かなりセンセーショナルな風景であり事象でした。
してみると、一度きり飲んだあの歌い手の方は、その後向こうに行かれてから、
弁財天さまとご昵懇なのかもしれません。
今調べてみると、まさに今が弁天池のかいぼりの真っ最中。
私の心の垣根も、かいぼりして補強工事真っ最中なのでしょう。
三月中旬には、その行程も終わる模様。
誕生日の頃に、もう一度音連れてみようかと思います。
そして、あの歌い手の方の命日だという4月1日は、
お花を手向けにまた音連れたい、
と、思います。
「そう塞いだ気持ちにならないで…」
そんなふうに、横から上から方々から、
言っていただいたような、この二日間でした
さて、明日は、私がもっとも白蛇を感じる舞手の舞台に行ってまいります。
白蛇は、弁財天様のお使いなのですね。
これもたまたま偶然なのですが、
今日の弁財天の様子で思い知ったことには、どうも、そういう流れのようですね。
地元で一杯やりました。
ヴァイオリニスト同士でないと共感できないこと、
ヴァイオリニスト同士でもなかなか共感し合えないこと、
を、
美味しい酒とともに次々と膝をうって共感するのはなんとも幸せな時間でした。
幸せ過ぎて話が尽きず、酒も尽きず、酔いを知らず。
このところ、気が鬱々して、何もやる気力がおきない日が続いています。
理由はわかってる、エジプトであったことが、
自分の中で長く尾を引いてそろそろとぐろまでまきそうになっている。
でもそう思いたくないので、春愁ということにしている。
その春愁も、もう少しで晴れる、いや自力で晴らす、気持ちの萌芽が、
頂けた時間でした。
事実、力強い言葉の数々に、目の前の色鮮やかさが増すような思いを何度もした夜でした。
そして今日。
そのエジプトで出会った人からのご縁で、
星を読み解いていただきました。
昨日の酒、そして今日の星、
昨年末のエジプトでのことを越えて、もっと大きな過去と対峙する時間でした。
その符牒のような流れ。
昨夜の飲みでたまたま話に出て共通の知り合いだったとわかった、さる歌い手の方。
私は一度だけ朝まで、いや昼までか、飲み明かしたという一期一会の方だったのですが、
飲み明かした最後にたどり着いた井の頭公園の弁財天。
そこにもそれ以来、行ったことはありませんでした。
話に出たことで、その珍妙な飲みの一夜と朝と昼の思い出とともに、弁財天や茶屋のあたりで、酔っぱらい数名がだらだらと過ごした情景を、数年ぶりに鮮やかに思い起こしたのですが。
今日、お会いした星読みの方が、終わり際に不意に弁財天に行きましょう、とおっしゃられ、
向かったのはそこでした。
前夜その兆しのように、すっかり忘れていたのに何年ぶりかに思い出した記憶、そして翌日の今日に実際に尋ねる流れになるというのは、
なんとも不思議な思いがしたことです。
星読みの方は、私の胸のあたりに「水のブロックがあるようなので、それをとりはずす…」というようなことをつぶやいておられたような気がしますが、
なんと行ってみると、井の頭公園の池という池の水がすべてなくなってるではないですか。
水のブロックを外すどころか、水が全部なくなって、池の底までさらわれ、
さらに弁財天は閉まっておりましたが、なんとまさにその弁財天周辺の石垣の補強工事の真っ最中。
私の心のブロックなど、一目見たら吹き飛んでしまうこと確実というような、かなりセンセーショナルな風景であり事象でした。
してみると、一度きり飲んだあの歌い手の方は、その後向こうに行かれてから、
弁財天さまとご昵懇なのかもしれません。
今調べてみると、まさに今が弁天池のかいぼりの真っ最中。
私の心の垣根も、かいぼりして補強工事真っ最中なのでしょう。
三月中旬には、その行程も終わる模様。
誕生日の頃に、もう一度音連れてみようかと思います。
そして、あの歌い手の方の命日だという4月1日は、
お花を手向けにまた音連れたい、
と、思います。
「そう塞いだ気持ちにならないで…」
そんなふうに、横から上から方々から、
言っていただいたような、この二日間でした
さて、明日は、私がもっとも白蛇を感じる舞手の舞台に行ってまいります。
白蛇は、弁財天様のお使いなのですね。
これもたまたま偶然なのですが、
今日の弁財天の様子で思い知ったことには、どうも、そういう流れのようですね。