三連荘明けて、頭が砂で出来ているような今日。
ライブに来てくれた人にありがとうをいい、
いろいろな事務連絡をし、
今度はじまることの準備をし、
アラビア語に行ったころには、
頭は砂と言うより、石。
ホワイトボードのアラビア文字を板書しながら大声で叫び出しそうになる。

わからーん!

でもまだ一週間のうちに一つ二つ採譜せねばならぬという恐怖よ…
頑張れ自分。

今日は満月、なのね。
でもしとしと雨日和です。
一昨日くらいから、とても切ない気分にようなります。
もはや春愁の走りか。

今年から三年間くらいは、
内面の自分を恐れずに外に出していく人にすごくパワーが生じる年だそうな。
丁度今私、そんな気分です。
去年までは怖くて仕方がないことが多かった。
でも、今はもはや怖くなくて、
とてもメメントモリな心境です。
今この瞬間、死んでもよいように生きようと。

心が通じないこともありますが、それも怖くはなくなりました。
私は私でいるだけでよし。それが私の真心ってヤツです。

今日は、平和を祈ってパレスティナの人を応援するために、緑の服を着よう!
っていう日だそうで、facebookでそんなイベントのお知らせをもらったので、
一体、日本の誰がそげなことやっとるかはわかりませんが、
黒ばっかりのワードロープから唯一の緑色のものを着ました。
先月26日に脱稿したCDの解説原稿のからみで、エドワード・サイードを読んだり(彼はパレスティナに生まれた人でした)
26日のライブでは、また、パレスティナのビールやオリーブがメニューにあり、
メニューのいくつかを作ってくれた方もパレスティナの方だったり、
パレスティナのことを考えるひっかかりがとてもあったので、
そんなタイミングとして緑が着たかった。

エドワード・サイードと今じっくり向かい合いはじめたことは私にとって意味ぶかい。
彼は音楽家でもあったのです。

さて、それはさておき、石のような頭を生き返らせる、
なにかがつんとしたばかばかしくて面白いものが見たい。
なにがいいかなぁ。


今日のライブに来てくださった皆さま、ありがとう!
とても幸せでした。

音楽も幸せでした。

こういう音楽を聴いて、「細胞が喜ぶ」と感じてくれる人がいるのも、幸せでした。

T師匠W師匠の、気持ちよく仕事をさせてくださる大人な配慮も、胸にしみました。
そんなことで、私も、ふっと原点に立ち戻って丁寧に丁寧に、と思える。
今日はことのほかそんなことがありがたく思えました。

パーティールームのTさん他ご一同様も、いつもいつもホントに感謝してます。
おいしいお料理、みんな喜んでいます。

ありがとう、ありがとう。

写真は今日もらった花束。
ホントに元気が出ました。
明日明後日もまだ本番続きますが、がんばるぞー!
KyokoOikawa.violin.com-松原さん100226
執着を手放すというプロセスなのか、
ちょっと身を切られるような思いを、思わずすることがある。
去年からぽつりぽつり、何度かあるんだよね。

昔の私なら、悲しみにくれて泣いて眠っただろうなと思うけれども、
今はむしろそんな中でも私の周りに変わらず在ってくれる数少ないモノたちへの感謝で泣ける。

昔の私なら、そんな言葉や態度にまけて、自分を手折ってしまったかも知れないけれども、
今はむしろ傷が奪っていった何かから自由になった心の高揚感が私を次のところに連れて行ってくれる。

歳をとるのも悪くないわねぇ。


いや、あったこと自体は大したことではないのです。
ただ、やはりショックであったということは、
そのヒトにとってよいことがありますように、というくらいのことは思っていたのであろう。
それがずいぶん全く通じていなかったのね、というのは、
私の不徳の致すところにせよ、一抹さみしいものですな。


そして私ももしかしたら誰かにそんな思いをさせているのかも知れない。

少なくとも気持ちが通じているという実感の持てる人には、
真心をもっておつきあいしていきたい、と思うことよ。

みなさん、いつもありがとう。