● レスキュープラン
● レスキュープラン
● やっぱり壊れた
今書いている時点(朝の4時)金が大暴騰、ドルはEUROに対して最大に上がっている。
ドルは購買力を失った。
金にお金を少し変えていてよかった。
ドルを持っている人、ドル建ての国債を持っている人、すぐ叩き売ってください。
ハイパーインフレーションの始まりだ。
これがすべて計画的だから、恐ろしい。
次の貨幣もちゃんと用意されている AMERO だ。
これから恐ろしいことがはじまるような気がする。
これがBushが911を起こしてから着々と進めてきた大統領の決定を
議会の承認なしで行える法案の数々が施行されていく。
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2008/08/26
マニラの夜明け
(マニラで自由な時間とお金と事業と健康を手に入れる)
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購読解除はご自分で!(一番下で) BY TOM IN MANILA
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はじめに
自分の世界感のシフトと人の力を使いこなす技を上げていく
Work Outへの道
あとがき
● はじめに、
メルマガのほうに書くのが2ヶ月間ごぶさたになってしまった。
でもBLOGの方はちょくちょく記事をUPしているからそちらも
みてください。
メルマガはどうも発行するのが手間がかかる。
● 自分の世界感のシフトと人の力を使いこなす技を上げていく
気がついてみるとこれまで長年やってきたようにメルマガを書かなくなっている
自分がいる。
どうしてかって自答してみてもあまりわからないがサラリーマンをやっていた
時分は一日が規則正しくきまっていて、何時から何時までは仕事でその後はGYMで、
その後はどうするとか時間の使い方が安定していた。
ところが自営になってみると時間の使い方がもっと自由になってメルマガを書く
時間が増えたり、Work Outの時間が増えるかと思いきや、案外仕事や仕事にまつわる
雑用に追われて時間の使い方に余裕がなくなっている。
定点観測というか、自分の世界にたいする視点がきっちりと定まっていたら、その窓から
外の世界を見るというのは割りといろいろなことに関しての意見がぶれにくい気がする。
今の自分は立つ場所が定まらないから自分のスタンス自体がゆらいでしまった感じがする。それがあまりメルマガを書かなくなってしまった理由だと思う。
いままで10年以上この国で仕事をして暮らしてきたレベルと違うレベルの
経験をしているからなんだろうか。
自分の立つレベルが進化している(自分ではそう思いたい)。違った種類の人たちとの付き合い、
自分の社会的なポジションが変わっていることにもかかわりがあるかもしれない。
抽象的になにを大層なことを言っているのかと言っているのかといわれるかも
しれないが、それらのことが微妙に絡み合ってさまざまなことを
以前のように単純に書けなくなっている理由のひとつなんだろう。
昔だったら 会社ー独立=違った世界、違ったお金のルールという構図で
いくらでも勝手なことを書けたのだが。
今はサラリーマンと独立時の違いを単純に比較することはもう終わりで
全く違った世界、違ったお金のルールについて、まるでアリスの不思議な国の
ワンダーランドに迷いこんだような感じになってきた。
一口にお金の稼ぎ方といっても本当にサラリーマン的なもの、自営業的なもの、
フィリピンの投資家のもの、日雇い人のものなどといろいろあって
まったく違った考えでそれぞれの人はそこに立ってお金を稼いでいる。
お金とか仕事というのは本当に観念上のものだなということが実感される。
まず時間を売ってお金をもらうという世界に対して、時間は関係なくて付加価値を生み出して
それをお金に換算するという世界の差。そのそれぞれの生き方に人は頼った暮らしをして
生計を成り立たせ、人生の時を過ごしていく、それってぜんぜん次元の違う、違った見え方をしているうのだなあというのが一番自分にとって大きな発見だ。
これはまさに金持ち父さんと貧乏父さんの違いといっていいものだが。
たとえば、お金で何でもできる、とかお金で解決できるというけど、それは単に道義的なことを
言っている場合が多いが、お金でなんでもできるというのを
肯定的にとらえるか、否定的に捉えるか?が金持ち父さんと貧乏父さんの
どちらになるかその人の経済活動に対する社会への根本的な認識の
差だと思う。
お金で解決するというのはなにも恋愛を金で買うとか、そういう次元の問題では
なくて、経済活動の本質である他人が提供するサービスをお金に換算して
それをいかにうまく利用して自分が付加価値をあげるか?という根本的な
行動だ。
つまり他人のサービスを利用して自分が付加価値を作るということに否定的な
(悪いことをやっているような)感じの人は会社を率いたり、独立起業したり
することに向いてない。
そういう人は人に使われることに安心感を覚えるし、独立したりするのに
危機感を覚える。
逆に他人のサービスをどんどん使って、それにたいする
対価はきっちり支払い、自分が付加価値を生みそれをまたお金に換えるということ
にたいしてポジティブな人は社長向きだし、それは企業活動以外にも投資活動
にも向いている。
最近あるフィリピン人の投資家(商業スペースを作って、そこにテナントをいれて、
運営をし、家賃収入を得ていく) さんと会う機会があって、その人のもつポジティブ
なエネルギーに感化された。
その人の人の使い方なり他の会社の使い方、というのは非常に自分にとって参考になった。
相手にとって利益になるが、自分にとって必要なところはきっちり抑えて交渉にのぞんでいる。
WIN-WINだ。
人を使うということの難しさを実感していて、自分はそれを避けたほうがいいという
スタンスなのだが、それをいつまでも避けてはいられないな、というのが正直な感想だ。
人のポジティブなエネルギーを生かすように使ってあげて、決してアンフェアに
見えないような感情にもっていけたら、と思う。
そこで大事なのが相手の感情に気を使うということだ。人間はいくら皮をかむっていても感情の生き物だ。
9割くらいは感情で理性は1割くらいなんじゃないか?
営業にしてもリーダーにして人をうまく使っている人というのは他人の感情に
働きかけるのがうまい。
ただ働きかけるのはうまいだけじゃだめで、その中に自分の主張というものを
しっかりといれこまなくてはいけない。
そのバランスのとり方って本当に微妙だ。
そういう意味でお金にたいする自分の感情が否定的だと、それは自分の感情的な
部分が相手とのコミニュケーションにも現れて、相手の感情もそれに呼応する。
だから人を使ったり相手のサービスを受け取る人は自分がサービスを受け取る方なんだけど
相手の感情に対してメッセージを発信しながらサービスを要求するという高度な
ことをうまくやってその人から良いサービスは受けようとする。
そこらが日本人の人がこちらで人を使うときに苦労する点なんだけど。
ただお客だという理由だけで、自分の主張を押し付けるような対応では自分の
欲しいものは得られない。
水一杯レストランで頼むだけでも人によっていろいろな応対の仕方がある。
前述のフィリピン人の投資家などはわりとフレンドリーだし、決して命令口調に
なったりしない。
自分の奥さんや恋人に物を1つ頼むにしても人によっていろいろだ。
その辺の器用さというのはコミュニケーションの能力が高いか、低いかということ
なのだろうけど、それはうわべだけのテクニックでなく、その潜在意識に潜む感情という
ものが表現や表情に表れているとしたら相手の対応もそれにもとづいた感情の表れという
形で現れてくる。
こういう結論にもってくるつもりはなかったが、他人をしっかり使える人はそれが
笑顔なのか畏怖なのか、尊敬なのかは別としてそれらすべてがいいも悪いも感情に基づいたものだということ。
そして自分自身も人を使ってなにかをしたいと思ったら、人のサービスを使ってWIN-WIN
の関係をうみだすことに肯定的な意識を持ち、その上で自分の目的を達せられなくても
その肯定的な意識を持ち続けれるだけの精神的と経済的な余裕を持ちたいと思うのだ。
無能なやつや悪いやつや、バカなやつがたくさんいるのはそうなのだが、
だめなのはだめだが、それを基準にしていたら自分の基準が下がる。
意識的に上の基準にいる相手を意識して行動することが大事なんだ。
と、とりとめもなく書いてしまった。
● UFJって
日本の銀行のネット上の口座を5つくらいもっているのだけれど、
たまに使うとパスワードがわからなくて間違えていれているとすぐロックして
しまう。
それで仕方なく日本に電話してロックを解除したり面倒くさいことを
しょっちゅうやっている。
その中でも最悪だと思うのがUFJのサービスだ。
セキュリティの関係上法人とかだと特定の証明書をインストした
PCでないと使えないようにしているのだが、VISTAだと結構SECURITY
のレベルを下げたり設定をいろいろといじらないとインストできないし、
いろいろパスワードがあるから大変だ。
で、すぐ間違って入れてしまうから日本に電話を何度かけたかわからない。
普通につかっていて、すぐセキュリティにロックがかかっちゃうのなんて
システムの問題だと思うのだが違うかなあ。
それにドルをドルのまま送金したりするのとか、ドルへの両替とか
GO LLOYDSというLLOYDS銀行の為替両替レートや送金レートに比べると
とても高い。
● WORK OUTへの道
最近はって、今年になってからずっとだけとにかく走るほうに
重点を置いている。
時間が許せば40分くらいは走ってマシーンとかは20分くらい。
それでも次の日は体がこっているから疲労物質がたまっているんだろう。
● あとがき
最近はあめばっかり降って、晴れないから写真を撮るチャンスが
へっている。
やはり持ち出さないとうまくならないから、あれだな、
どっか遠くにいくか? (Daisukiさん風)
● はじめに、
今週は月曜からちょっと風邪っぽくなったので、Work Outは控えたから一回しかいけなかったな。
そういったって、なるようになるしかない、
雨が多い、毎日降る、
今週もホント、フィリピン人も日本人もアメリカ人も、いろんな人たちに会った。
みなそれぞれの価値観で、自分が良いと思った理想を追って、精一杯に、
精一杯だ、
お金、お金、っていうけれど、お金に追われて暮らしてるひとが大半だ。
他人にも、運にも適当に期待して、適当にあきらめ、
そういうのってむずかしい。
自分自身を考えてみると、まあよくやってきたと思うよ。
時には必要以上に自分をおいつめたような状況もあったけど、
自分をいわたわることも覚えたし、
適当に適当にやることもできる、
精一杯やるときはやりすぎちゃうから、意識して力をぬくことをしないと、だめだようって、
あの人は教えてくれる。
暮らしの中の自分を生きにくくしているのが、僕ならば
自分を外から眺めてみて、ああっまあいいじゃないっていってやる。
ただそれだけ、
それだけの土曜日がまた過ぎました。
あなたも精一杯生きてますか?
● 仕事って、
仕事のはなしって、なにも書きたくない。
いや別に嫌ってるわけじゃないけど、そういうのは24/7考えてるから。
まえはいろいろお金の不思議ってことに、いやお金にまつわる人とその人の
考え方について観察するのがおもしろかったけど、
今は休みは写真をどうとるか、ということを考えている。
よくわかったのが、道を歩いていてあっ、この角度からみたこの絵はいいな、
というのがあって、それを写真に収めるということは記録とかそういうことではなく、
表現だなと思う。
ありのままをありのままに写すだけならいい機材を使えばいいだけだろうけど、
それは少なくとも僕が考える写真家とは違う。
写真家のそれは絵描きさんと同じだ。
作品がどうみえるか、ということと実際にどう見えているかというのは別問題だ。
というか、カメラで撮った写真は実際に目でみているのとだいぶ違う。
お店の暗い店内などではファインダーからみるのがあきらかに目でみえている
のが違うとわかるのだが、良いカメラだとそれを現像してみると、それなりの
リアリティを保っていたりする。それでいて、現物とは違う。
僕はただの趣味でやっているから、素人ついでになんでもいっちゃうと、
登山家は山がそこにあるから登る、っていうのと同じで
写真家はそこに対象があるから、撮る のだ。
その風景なり人物がカメラという機械に光を通してみるとどういう見え方をするか、という
ことにその興味があるのだ。
暗い外の景色を撮ったって、大体最初からデジカメにはなにも写ってないだろうな、
って思いながらも高性能なカメラなりレンズなりをつかうとそこに物が映し出されたりするから、
そこに皆ひきつけられていく。
ああっ、そういえば起業家ネットワークの会合があって、講師の先生にとても役に立つヒントを
いただいた。
最終的に、みなさんやはりフィリピンを愛していらっしゃるんですねというのが
ひしひしと感じられてしまった。
やっぱり自分で決めていく人生って、いいわ。
● しぶとい親父
はい、いきなり変なタイトルですが。あるところで昔よくあっていた飲食業の
おじさんにさっきあってしまいました。
”よっ、どうしてんのー”と言われて。
”ええ、なんとかやってます。”
なんて答えてしまった。
”前あった会社とかは立ち行かないくなっちゃたけど、今はまた新しい仕事を作って
建て直しを計っているんだけどさあ、”
さすがしぶといです。おじさんは、
やっぱり迫力ありますこういう人は。
会社をつぶしてまた作ったりするのは非常に大変なので僕はやりたくないです。
なんだかんだでこちらで自分の仕事をやっている方って個性のある人が多いです。
何度もメルマガで書いたけど僕の好きなシンドラーズリストという映画で
シンドラーがなにもないところから、格好を整え、口八丁手八丁でナチスドイツを
お客さんに自分のビジネスを発展させていくところが好きだ。
だって売るものはない、お金はない、コネはない、信用はない状態だ、みんなはじめは。
天毛さんのBLOGに書いてあったけど、起業になにが必要かって、それは気合だという
のは本当だと思う。
でも自分はなにか売るものがある、自分の会社は価値があるって、人に言うわけだから、
そりゃあ自分を信じるしかない。
自分で自分を信じられなければ、お客さんが自分を信じられるはずない。
で、自分も自信がなくなる時があって、それから自信を回復して、そしてまた自信をなくして、
それの繰り返し。だけどいかに自分が自信を持つ時間を増やしていけるかが大切。
気合をいかに持続させるか、それは情熱だ。
上に書いたおじさんなんかは自信を持つ力があるタイプの人だろう。
しぶとくしぶとく立ち直ってくる人は気力がすごい。
事業が失敗したり成功したりするのを見ていると、経営者には3つのタイプがあるのだな
と思うようになってきた。
1つは常に先を見通して、そのために先手をとっていける人。
2つ目は先を見通せずに、問題に陥るがその場その場を火事場のバカちからでなんとか
切り抜ける。しかしその毎日に自分も周りの人も巻き込まれてしまう。
3つ目はピンチを切り抜けられず、そのまま失速してしまい立ち直れない人。
当然1のタイプがいいんだろう。ただいくら先手を取っていってもそれが解決策になるかは神のみぞ知るだから、そこが難しいところ。
話が脱線してしまうけど、フィリピン人やフィリピンにいるとなにかトラブルが起こると
日本では考えられないような度合いでことが起こるのはなぜか?いいハプニングも悪いハプニングもだ。
日本にいるとある程度生活のうえでの出来事って想定内に収まるけど、こちらだとホントいいことも
悪いことも度を越して起こる。
だから上に書いたような3つのタイプって事業をやっている人に当てはまるだけでなく、フィリピンで
普通に生活していても当てはまるんだろう。
できるなら先を見通して余裕をもってすべてのことに対処したいと思う。
タイトルとだいぶ違う内容になっちゃったな。
今日はBFのSTBKSで書いてます。
相変らず韓国人の若者が多いです。
結局なんだかんだいって、自分で決めた道です。
大変なときはあってももう昔の生活には戻りたくないです。
それはそれではっきりいって楽しいです。
(あっ、とうとう言っちゃった。)
● それぞれの価値観で、
最近のWork Outは週に3度だ。
最近あまり書く気がしないのはなんでだろうと考えたら、
こういう例えが浮かんだ。
岸から川を見ているといろいろ描くことはできるが、
川の流れに自らはいってしまうと川のことを書くどころじゃなくなる。
自分は自分なりの方向性をもって毎日を暮らしているつもりだ。
しかし毎日いろいろな次元の問題が起こる。
人はみなそれぞれなりに自分が信じた方向で自らの家族なり個人が幸せ(あいまいな観念だけど)
とよばれる状態を目指して毎日生きている。
幸せと呼ばれるものは確固とした決まった状態でないんだけど、たとえばフィリピン人の
オフィスワーカーだったら給料はこれくらいで、家族がいて、休日はこうしたい、
家は持ちたいし、車も持ちたいみたいな平均的な状態ってたしかにある。
で、そのときにそれはその人の状態に応じた問題がある。
問題はあるけど、自分の思った良いと思う方向に向けてとにかく毎日櫓をこぎつづけるわけだ。
それが間違った方向に向かっていてもしばらくは気がつかなかったり、問題が大きすぎたり
するとちょっと間違ってたのかな、と立ち止まって考えたりもする。
間違っていたら正しい方向に進路を変えてやればいいのだが、
僕らが直面する問題のうち解決するためには、自分の理解や経験のレベルが問題の発生した次元と同じでは難しい。それより高くないと問題って解決できないのだ。
例えば仕事の問題などで、他人の問題について見聞きしたときにそれが自分にとって
解決の方法が見えるようなものなら、その問題の本質は自分の問題解決レベルより低い。
ある人が処理できる問題が他人にとっては簡単だったり難しかったりするのはそのせいだ。
Beyond Book Solid っていう本にそれが詳しく書いてある。
http://www.amazon.com/Beyond-Booked-Solid-Business-Inside/dp/0470174366
同じ問題でも人によってその難易度が違うのは、同じ場所で生きている人同士なのにそれぞれやはり見ている風景は違うように見えるのと似ている。
それは世界観の違いであるし、幸せのあり方だって人それぞれだ。
幸せというのはある条件がそろったときに自分は幸せだ、と感じるべきのような感じがするが、
それは絶対的ではなく、相対的な感覚に近い。
幸せな条件がそろっても、周りの人との比較によって幸せに感じたり感じなかったりする。
でも本当にどこまでいったら幸せと感じられるのか、それは止まっている在る状態をいうのではなくて、
動いている状態でどちらに向かって進んでいるかだ。
それは希望と呼ばれる。
チルチルミチルの幸せの青い鳥を探す物語はそういうことをいってるんだろう。
他の場所を探さなくても今いるその自分自身に幸せってあるのだと、自分が生きている
こと、ある方向に向かって動いていること、希望があるかどうかなのだろう。
日本人はいちようGDPなんかも世界のうちでは高いのだから、給料とか物質的な
点では幸せの条件はそろっているのだが、みな日本人は幸せかといわれればそういうわけでもないし。
幸せとは周りの人との主観的な相対的な比較(ややこしいな)なんだろうか?
人生って人それぞれ多様だ。
幸せに感じるか、他人と比較して惨めに感じるか?
自分の生き方これでいいっていいきれるかどうかにかかっているし、
それはもって生まれついた能力のような気がする。
それは言い換えれば希望を持って生きることができるか、
希望がなくても生きていけるのか。
なぜ日本人は自殺してフィリピン人は自殺しないか、
それは多くの日本人がどこかを目指して歩いていけばいいのか
行く先を見つけられないからだ。
フィリピン人は明日朝昼晩のご飯をたべることにむけてなにかやらなければ
ならない。
行く先を考える必要なんてない。
海外にいって、家族のために仕送りする。それだけを考えればいい。
フィリピンで暮らして生計を立てている日本人と交わっているとその人たちは
多様性を持った生き方をしている人ばかりだ。
それは日本的な幸せな基準から外れた生き方をしている。
それは規格の住宅ではなく、オーダーメードの住宅なんだろう。
オーダーメードがそれは幸せじゃないわけじゃない。
それでいいんだ、といいきれるかどうかが尺度だ。
自分ではもうお手本にできる他人の生き方というのがなくなっちゃった感じだ。
さびしくても、まねできなくても完全にオリジナルな生き方だから
どうしようもない。
学校にいたときは簡単だった。
問題にはかならず解答があった。
回答をさがすのではなく、動いていく自分の方向を感じながら、方向修正を
していく。
希望というもの持つ人には完璧な満足の状態などない。
なぜなら停まってしまった状態には希望など必要ない、満足があればいい。
僕はここにいるのではなく、動いている自分を感じるしかない。
いつものように抽象的な脈らくのない文章になっちゃった。
そうこういっているうちにBo's Coffee Clubでの夜は更けていくし、ここのIce LATEは
妙に苦い。