◆砲台名:的山大島砲台

◆起工:大正13年(1924年)10月12日

◆竣工:昭和4年(1929年)1月15日

◆備砲:45口径30糎加農砲 2門(連装砲塔1基、戦艦鹿島の主砲塔を転用)

◆首線/射界/有効射程:NW35度/180度/26,000m

◆設置標高:61.2m

◆観測所:板ノ浦、大根坂の2ヶ所に八八式海岸射撃具観測所を配置

◆電燈所:馬の頭、長崎鼻の2ヶ所に配置

 

的山大島(あづちおおしま)は平戸島の北方7㎞の沖合に浮かぶ島で、長崎県平戸市に属しています。ちなみに、今回探索したことで「的山」が「あづち」と読むのを初めて知りました。いや、ふつう読めんって(^^;)

 

◆的山大島の位置はこちらにて→【壱岐要塞~概略

◆大根坂観測所はこちら→→→

◆長崎鼻電燈所の紹介記事はこちら→→→

 

的山大島砲台は壱岐要塞で最初に築城された砲台で、島の西南・標高63mの山頂に設置されました。

連装砲塔である45口径30糎加農砲1基が装備されましたが、これはワシントン海軍軍縮条約により廃艦となった戦艦鹿島の主砲塔を転用したものです。同じく海軍艦砲を転用・装備した黒崎砲台とともに、西方海面から侵入する敵艦船を制圧する目的を持っていました。

このような「砲塔砲台」は各地の陸軍要塞で設置が計画されましたが、昭和期に入ると、航空機や潜水艦の台頭による戦術の変化により計画の多くが中止となりました。

 

さて、「砲塔砲台」の最大の特徴は、砲塔を据え付けた直径10mを超える大きな穴(砲塔井)です。今回的山大島の探索を決めた時点では砲台の場所が分かりませんでしたので、国土地理院が閲覧サービスを提供している戦後に撮影された空中写真を用いて探しました。大きな穴なんだから上から見れば写ってるだろ的な感じですね(笑)

写真を仔細に見たところ明らかに怪しい影を見つけました。そこは設置標高とも合致する場所でしたので、確信を持って上陸後5㎞の道のりを行軍しました(・∀・)

 

前置きが随分と長くなりましたが、今回確認した遺構の見取図を掲載します。

上記見取図は、探索した結果と『的山大島砲台築城図』を照らし合わせるとともに、『日本築城史』に掲載の施設名を一部適用して書いています。若干都合よく解釈している箇所もありますのであしからず(^^;)

 

道路から山手の道に入ると、思いのほかすぐに遺構が現れました。

 

小上がり的に階段をあがると、

 

建物基礎と水槽などがあります。「発電所跡」と思われます。

 

続いて「便所」です。

 

便所前から眺めています。

石垣、そしてその先にはコンクリート塀が見えます。

 

コンクリート塀の先に地下坑道入口があります。

入口は2か所あって、こちらは左翼側となります。

 

ここだけ塀が壊されています。

出入口の金具を盗るために壊されたのでしょう。ココに「油庫」があったと思われます。

 

弧を描いたコンクリート塀の先には右翼坑道の入口があります。

 

坑道の入口です。

掩蓋部分はずいぶんと厚いコンクリートとなっています。

入口は堆積した草土で半分以上埋もれてしまっていますが、『日本築城史』には「両翼地下通路入口には、防弾防湿鉄扉を建て込んだ」とあります。

 

では中に入ってみますが、続きは【中編】にて。

 

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[参考文献]

「現代本邦築城史」第二部 第十七巻 壱岐要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)

「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)

「国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス」