的山大島砲台についてはこちら。
壱岐要塞の概略についてはこちら。
『現代本邦築城史』によると、的山大島には海面を照らす射光機を擁する電燈所が北と南の2か所配備されていました。地図で場所を示します。
南端の馬ノ頭電燈所の場所は不明ですが、北端の長崎鼻電燈所は遺構を確認しましたのでレポートしていきます。
まずは簡単に履歴を。
起工:昭和3年(1928年)8月1日
竣工:昭和4年(1929年)5月31日
装備:シ式2m射光機
長崎鼻電燈所は砲台完成から4か月後に竣工しました。射光機は掩燈所に格納され、使用時に軌条を通って照明座に引き出していたようです。
なお配備されたのはドイツ・シーメンス社製の2m射光機でしたが、昭和10年以降に構築された他地域の電燈所を見るとス式150㎝射光機が主流になっていますので、もしかしたら換装されたかもしれません。
配置図を掲載します。
ではまず「掩燈所」から見ていきます。
遺構の場所は分かりませんでしたので山の中で藪を漕いで探さないといけないだろうと思っていましたが、意外にも道路沿いにあったので簡単に見つけることができました(^^)
掩燈所の入口です。
迷彩が残っていて高まります(*´Д`)
壁の下の残骸はまさか射光機!?、、、なわけないかw
奥に格納庫があります。
入り口前まで迷彩が、、、(*´Д`)
もしかして扉の残骸?
入口の上を見上げるとフックが付いています。
内部です。
コンクリートの残骸が積まれていますが、もしかしたら床面は射光機のサイズに合わせて縁どられていたかもしれませんね。
内部から外を見ています。
ところで、射光機は誘導路に敷かれた軌条を通って照明座に引き出されていたと思われますが、現在は誘導路も照明座も残っていません。そこで推測してみました。
照明座と思われる場所から掩燈所(矢印部分)を見ています。
たぶんこの道路が誘導路だったのではないかと。
照明座(仮)からの景色です。
ここで前編終了。後編では発電所を見ていきます。
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[参考文献]
「現代本邦築城史」第二部 第十七巻 壱岐要塞築城史(国立国会図書館デジタルコレクション所蔵)
「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」(浄法寺朝美著、原書房)