なかなか書けなかった記事
書き出してもなかなか先に進まず
何度書き直したか・・・
今でもずっと
モヤモヤしている気持ちについて
6年前の12月 父が亡くなりました
亡くなる2日前に父の妹である叔母の家で
一緒に早めのクリスマスランチをし
翌日 私はママ友と忘年会ランチ
その夜にLINEで
「明日会いに行く!」と父に連絡
叔母と撮った写真をLINEで送ると既読
それなのに・・・
こんなにバリバリつやつやな人が
亡くなるなんて誰も想像してなかった
髪の毛 薄いですが・・・
6年前の12月その日は
とても良いお天気でお日様も温かく
父は朝一で歩いて近所のかかりつけ病院の
定期検査(健康診断)へ出かけました
待合室で待っている間に心臓が止まり
椅子から転げ落ちたそうで
病院で心マッサージ&AED
それでも心臓が動かず・・・
私が駆け付けた時には
救急車とドクターカーが来ていて
ドクターカーで再度AEDをし
蘇生処置をしていると・・・
心臓蘇生を試みているが動かず
とりあえず救急車で病院へ
心臓マッサージをしている救急車内で
心臓が動き出した
でも心臓が止まっていた時間は1時間弱
病院へ着いた時には心肺蘇生をして
人工呼吸器をつけている状態
人工呼吸器を止めたら
心肺蘇生はされずに心臓は止まる
心臓が1時間近くも止まっていたから
機械で心臓は動かすことはできるが
回復の見込みはほとんどないと・・・
どうしますか?
目が覚める見込みは1~2%
このままずっと機械で動かしますか?
父の心臓が止まったという衝撃と困惑の中で
今すぐ答えを出さないといけない
父は60歳で退職してから喘息に悩まされ
年齢とともに発作もひどく
体調を崩すとすぐに肺炎を起こす人でした
若いころはヘビースモーカーだったため
肺の組織の一部はすでに機能してない
何度も入退院を繰り返している
以前 入院した時に
ここで呼吸がうまくできなくなったら
気管切開をしないといけないと言われ
数日中にどうするか考えておいてほしいと
気道確保のための気管切開をすると
この先 話をすることはできなくなる
機械を外すことは不可能
その時は父の容体は良くなり
気管切開の話もなくなった
入院中にそのことで
今後の延命措置のことを二人で話し合った
父の出した答えは
機械で生かされているということは
死んでいるのと一緒
自分で食べられなくなったら
自分で呼吸ができなくなったら
それは寿命なんだと・・・
だから一切の延命措置はいらない!と
はっきりと言われた
父が生前に残した終活ノートにも
書かれている
胃ろうも人工呼吸器もいらない
延命措置はしないでほしい
6年前の父の命に関わる選択の決断
今、本人が決定することはできない状態
決定権は私だけ
決断を迫られたときにそれを思い出し
叔母が来て父とお別れができたら
それで終わりでいいと話した
皆で看取った
眠っているように穏やかな顔
今でもそれが正しかったのか
もしかしたら奇跡的に
目を覚ますことだってあったかもしれない
私が勝手に決めてしまってよかったのか
と罪悪感のようなものも残っている
3年位前から
父が亡くなった12月が来るたびに考える
これは自責の念というものなのか
父が亡くなった翌年からコロナが流行し
多くの命が消えた
お別れもできないまま亡くなったとか
お葬式もできず骨になって戻ってきた
あの頃はそんなニュースばかり
家族や親族は皆 この決断は
間違ってはいなかったと言ってくれたが
自責の想いが重くのしかかる
生命の決断の是非を
未だに自分に問い質すことがある
喘息持ちの父がコロナに罹れば
さらに苦しい思いをしただろう
あの時のように
お葬式すらできなかっただろう
そう考えたら
あの時に終わりで良かったのだろうと思う
苦しむ父など見たくないし
お別れもできない終わりは悲しすぎる
そう思っても胸が苦しくなる
この先そのような
決断をしないといけない方もいるだろう
親が元気なうちに
それは本人に聞いておくのがいいと思う
人の命に関わる決断の是非
自分だけでそれを決定することは
きつ過ぎる
ちなみに私自身も延命措置は望まない
運命にまかせ終わりなら終わりでいい
ガンの高額治療など一切いらない
近い将来家族に話しておかなければ・・・
11月12月は叔母の病気で
父のことなど考える余裕もなかった
年が明けて落ち着いてきたら
また考えてしまった
でもこれで良かったんだよね
きっと・・・
にほんブログ村 ぽちっとお願いしますm(__)m