叔母のアメリカ生活の話の続き
デンバーでの日本レストランのオーナー
日本が敗戦した時にデンバーでは
強制収用を不当だと言い続け
たくさんの移民を受け入れたと言います
そのためデンバーには日本人の移民が多く
その人たちが集い大賑わい
地元の新聞にも載ったそうで・・・
学生だった叔母の子供はレストランで食事をし
叔父の相手も子供の相手もできない毎日
疲れていたけれど充実はしていたそうです
叔父はこの事態から早く脱出したく
基地に異動を希望
すぐに動けたところが韓国の基地
叔母は
このままアメリカでレストランのオーナー
という選択肢もあったが
ここで残ってしまうと日本へ帰ることは
難しくなるだろうと考え一緒に韓国へ
子供たちは学生だったので
そのままアメリカに残し
夫婦二人で韓国へ
韓国の基地は北朝鮮の前線に近い場所で
日本人などほとんどいない辺鄙な街だった
叔父は仕事が忙しく
叔母は子供たちはアメリカに置いてきたし
基地の中で兵隊さんの奥さまたちの面倒をみる
コーディネーターという仕事をしていた
その中で以前ブログでも話したような
様々な経験
そこでいろいろな人と知り合いになり
韓国のことのよくわかり 楽しさもあり
気がつけば10年
超セレブの人と知り合ったり
陶芸も覚えたのも韓国
韓国の基地は昔
日本軍が使用していたこともあったようで
基地内を散歩すると
あちこちに日本軍施設が残っているらしい
米軍基地内のものであり
アメリカ人は全く興味もなく放置
この先も日本人の目に触れることはない
さらに
叔父と喧嘩すればすぐに日本に飛んで
期間は1週間だったり1ヶ月だったり
悠々自適に生活
そんな叔母の韓国での面白話も
尽きることなく続くのでした
韓国で10年 その後日本の座間キャンプへ
そして叔父の定年で
日本へ残ることを選び 横田へ
戦時中に生まれ終戦 復興
アメリカ人と結婚し外国へ
MAYママの父の母親は
父を産んで数ヶ月で亡くなり
叔母と父とは異母兄妹
中高は実家を離れ小田原で暮らす
昔の小田原の話も面白く
幼い頃の記憶は確かで
いろいろな事を覚えているし
常に話題は尽きない
波乱万丈の人生ってこういうこと
まだまだ残しておきたい話はたくさん
それはまたそのうちに・・・
日曜日は修繕工事はお休み
昨日日暮れ近くまで作業をしていたけれど
今朝見たらビックリ
カーテンの隙間から覗くめい
鬱陶しい日々がこれから始まります
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