叔母の話 アメリカ人の叔父 | めいりん家

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マンチカン『めい』のもとにスコティッシュの『りん』がやってきて「めいりん家」で新しく出発したブログ。突然のりんとのお別れ。悲しみから立ち直り、めいのブログ、時々りん。備忘録としてママの事、緑内障の事、旅行やお出かけなど書いていきたいと思います。

現在福生に一人で暮らす叔母

 

 

アメリカ人の叔父は退職後

体が弱り数年前から施設暮らし

 

 

叔母は1967年にアメリカ人と結婚し

翌年アメリカへ

その数年後 父親をアメリカへ呼ぶため

アメリカ国籍を取得

 

なので生粋の日本人なのですが

国籍はアメリカ人ですアメリカ

 

 

叔母の事はとあるHPに載せられた

叔母のエッセイを読むと

よくわかるかもしれません

(ご興味があれば是非読んでみてください)

 

 

 

 

 

日本で式を挙げてしばらくして

アメリカへ

 

 

当時の叔母は英語など全くわからず

空港で花売りの仕事をしながら

自力で英語を学んだそうです

 

無口で純真で控えめだった(叔母曰く)

けれども

アメリカではそれでは生きていけないので

180度性格が変わったと言ってました

 

 

叔父は当時

コンピューターの仕事をしていましたが

仕事をやめ大学へ

 

大学へ行くまでの間に二人で

1ヶ月近くヨーロッパ旅行をしたとか・・・

 

 

外国人って日本人のように

終身雇用なんてことは考えていないから

みんなフリーなのだそうです(叔母曰く)

 

だから日本に来る外国人って

長期の旅行が多いのね!と、妙に納得した

 

 

旅行から戻り叔父は大学

叔母が家計を支えるべく働いていたことも

 

大学を卒業後 叔父は米軍基地へ

兵隊さんではなく内部の管理職

 

 

一度横田へ戻り3年 またアメリカへ

叔母たちが横田にいた時に

まだBABYだった子供たちを連れて

横田基地内の叔母の家へ訪れています

 

 

叔父が基地内で何の仕事をしていたのかは

全く知らず 

仕事の内容は一切話さなかったそうです

 

もしかしたらCIAかもしれない・・・

なんてことを

先日真顔で話してくれましたが

 

真相はどうなんでしょ?!

 

 

叔父自身 痴ほうが始まってきて

いろいろな事を忘れてきているらしい

 

 

その後は以前お話ししたように

日本レストランのオーナーに抜擢され・・・

 

 

 

 

華やかな世界

でも自分を見失いそうになるくらい忙しかった

 

そして韓国へ・・・

 

 

 

叔母の話をすると長くなる

続きは またこの次

 

今後の記録として残しておきたいので

興味があれば読んでみてください

 

 

 

今日はめいの登場がなかったね

 

image

 

今日はベランダの向こう側で足場工事

カーテン越しに見える人の影と声に

緊張がピーク

 

ずっと落ち着きません

 

 

めっちゃうるさい音に人間もストレス

 

大規模修繕は建物の安全と

資産価値を残すためにも必要なこと

 

明日は休みなので今日一日我慢だね

 

これからもっと騒がしくなるので

ストレスたまらないか心配です

 

 

 

 

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