遅くなりましたが
先週聞いた叔母の衝撃の告白
☆アメリカンドリーム☆みたいな話を・・・
写真欲しいな♪というのと掲載の話
OKもらわないと・・と少し遅くなりました
アメリカ人と結婚した叔母
当時はまだ敵国視する人が多く
アメリカ人と結婚する人は珍しかったそうです
叔母の旦那様
映画俳優のようなかっこいい容姿![]()
写真 全然いいわよ~♪と言われましたが
旦那様の素敵なお顔だけご紹介![]()
戦場で戦っていた祖父ですが
義息子がアメリカン人なんてことには
全くこだわらずWelcomeだったみたい
曾祖父(祖父の父親)が
アメリカに渡っていたこともあり
きっとアメリカの話など聞いていたのでしょう
今は足腰が弱ってしまったので
日本の老人ホームに入っていて
そこで日本人のおばあちゃま達から
リチャードギアだの
キアヌリーブスだのってモテモテらしい![]()
50年以上前に結婚して
アメリカに渡った叔母夫婦は
デンバーに定住
子育てをしながら働いていたある日
レストランのオーナーになってほしいと頼まれ
大きなレストランのオーナーに
デンバーの新聞にも大きく掲載![]()
話を聞くと・・・
当時
帝京大学がデンバーの大きなキャンパスを購入し
たくさんの学生を日本から連れてきた
そこに大きなレストランホールや
ミーティングサロンなどをつくり
学生とデンバーの人たちとの
交流の場としようと計画したそうで
近所にアメリカ人と結婚している
日本人がいるという事を聞き
なんと 叔母に白羽の矢が!
調べてみるとこのキャンパス
アメリカの大学としての経営の許可が
下りていないので
レストランを開くことも難しかった様子
アメリカに住む叔母をオーナーにして
オープンしてしまえば解決だったらしい
その辺のことは叔母も全く知らなくて
仕事を頼まれてお給料も良いし
二つ返事でOKしただけ と
新聞の日付 1990年10月26日
この日本食レストランが
地元民にものすごい反響で
というのも
デンバーには古くから
日本からの移民がたくさん居たそうです
そこに
着物を着ている美人でにこやかな叔母と
美味しい懐かしい日本料理
学生が入る余地もないくらい繁盛
学生が使用することもなくなり
日本レストランとして経営していたようです
「ふるさと」という名前
あまりの忙しさに
アメリカに来ていた叔母の弟も参加
なんと2か月日本料理店で修業を
しただけで板さんに(笑)
肩書は叔父の肩書は社長![]()
ぶっ飛んでる![]()
叔母も弟も雇われ顧問でしたが・・・
数年働いたところで
叔母もヘトヘト
アメリカ人の夫は軍の異動を希望し
転勤が決まったところで
弟を残し 家族皆で退散したとか・・・
弟もしばらくして体を壊してしまい
アメリカで亡くなりました
その後はどうなったか知らないというので
調べてみました
このデンバーの帝京大学は
2009年からは日本人ではなく
アジアからの留学生がほとんどとなり
2017年には閉校となったようです
叔母がいた当時の事を
知っている人もいるかもしれませんが
叔母がいた頃に
そこのレストランによく来てくれた人が
小田原の人だったとか・・・
叔母の祖母にあたるひと(牧野信一の母親)が
小田原の女学校の先生をしていたのですが
その方は教え子だったそうです
そんな偶然ってあるんですね
アメリカンドリームと
(そう言っていいのか??)
と 素敵な出会いの話
叔母の話にはいつも夢があって楽しい![]()
今日はめいは登場せずだったね
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