一年の孤独
最近、すっかり大人になったと評判の私。
ずっとママのおっぱいにぶらさがっていなくても、
ぬいぐるみをぎゅっと抱っこして寝られるようになってきました。
でも、夜中に目が覚めてしまったときは別です。
ふと眠りが浅くなったときにおっぱいがないと、不安でたまりません。
夜中、何の前触れもなく「ウエエエエエ~ン!!」と号泣する私。
この世の悲しみを一身に背負ったような、それはそれは悲痛な泣き声です。
ママがおっぱいをくれるまで泣き、時々はおっぱいも忘れて泣き続けます。
そんなとき、私はいつもこぶしを握りしめ、顔をくしゃくしゃにして全身で泣いています。
その泣き方は、生まれたときとまったく同じ。
とても寒くて、怖くて、不安なのです。
一年ちょっと前まで、ママのお腹の中でやすらかに眠っていた私。
生まれて初めて外の世界に出たとき、「寒いよー」と泣きました。
一歳を過ぎ、もう大人になったとはいえ、ときどきふるさとが恋しくなるのです。
ママのお腹にちょこんと頭を乗せ、じっと心臓の音を聞いていると、
なつかしくて安心した気持ちになります。
ずっとそうやっていられたら、怖い夢も見なくてすむのに…
焼きイモがあれば何もいらない
この世で私がいちばん好きな食べ物、それは焼きイモです。
黄金色にホクホクしたおいもを小さくわけてもらい、
ママと一緒に食べるのが最高に幸せなおやつタイムなのです。
普段、ママが何か食べていてもそれほど興味を示さない私ですが、焼きイモだけは別。
ママがお皿を持ってきた瞬間、焼きイモセンサーがピコーンと反応します。
素早くテーブルにかけより、一生懸命背伸びをして愛しいおイモの姿を探す私。
そ~っと手を伸ばすと、「まだ熱いからさわらないでね」と非情なママの声がします。
冷ましてから持ってくればいいのに…。
いつもは食感にうるさく、野菜などがちょっとでも噛み切れないとベーっと出すのですが、
焼きイモならばどんなに大きくても固くてもOK。
1個の半分くらいペロリと食べてしまいます。
また、焼きイモの姉妹品として、「干しイモ」という魅力的な食べ物もあります。
干しイモの方が甘くておいしいのですが、いかんせんアゴの裏にくっついて
食べにくいという欠点があるのが惜しいところです。
秋も深まり、焼きイモのおいしい季節になりました。
これからいろんなおイモを食べ比べてみるのが楽しみです。
そ~っと
あなたのチャームポイントは?
と聞かれると困ってしまいます。
色白でプニプニしたふともも、奥ゆかしい二重、子犬のような丸いお鼻…。
どれも甲乙つけがたいところです。
しかし、あえて一つあげるとするならば、やはり横顔のラインでしょうか。
おでことほっぺが見事な相似形を描いた、ソラマメのようなフォルム。
うつむき加減になるとほっぺがプックリと前に出て、えもいわれぬ可愛らしさです。
私がうつむいて真剣に遊んでいると、「マナちゃんかわいいね~!」と
ママが顔をスリスリしてきます。
私はちょっと愛想笑いをしながら、ママを手で払いのけます。
ほめられることはやぶさかではないのですが、時と場所を考えてほしいのです。
日に日に成長している私。
生まれたときはパパにそっくりだったのに、今ではあまり似ていません。
背も伸び、体重も増え、顔もどんどん変わっています。
こんなに愛らしい横顔のラインも、いつかはなくなってしまうでしょう。
でも、悲観する必要はありません。
いつだって今の私がいちばん可愛いに決まっているのです。
ソラマメ
少し大人になりました
ここのところ成長いちじるしい私。
ママの携帯などをイタズラしているところに声をかけられるとビクッ!と反応し、
さっと手を後ろにやって「わたしなにもしてないわよ」という顔をします。
見つかると取り上げられそうなものを手に持っているときは、
笑いながらじりじりと後ずさりしてさりげなく逃げ去ります。
こう書くと悪知恵ばかりついてきたようですが、もちろん良い面も発達しています。
今日は、「定規でまわりにあるものを測る」という知的な遊びをしました。
ママが定規を使っているのを見てやり方を覚えたのです。
「マナちゃん、もしかしてアルキメデスの生まれ変わりじゃない?アルキメデス!」と
ママは喜んでいますが、それを言うなら「ピタゴラス」ではないでしょうか。
そんな私は今日で1歳2ヶ月になりました。
ハイハイもやめたし、おっぱいなしで寝られることも多くなってきました。
もう赤ちゃんとは呼ばせません。
素敵な女性になるために、日々精進していきたいと思っています。
もうお姉さんよ
乙女の涙
ゆうべ、悲しい出来事がありました。
みんながごはんを食べているとき、私はいつものようにおとなしくサークルの中で遊んでいました。
まずは通販のファッションカタログを熱心に眺めてトレンドウォッチング。
それに飽きると、プラステンというお気に入りの木のおもちゃで遊ぶなどして、
ずっとおりこうにしていました。
でも、いくら私でも限度というものがあります。
いつまでもせまいオリに閉じ込められているのはイヤなのです。
おもちゃの電話を耳に当てて「アー!(みてみて!)」と大声を出してみたり、
サークルにつかまってスクワットしてみたり、柵に隠れていないいないばあをしてみたりと
さまざまな芸を披露しましたが、誰も外に出してくれません。
ちょっと気分を害した私は、おもちゃのプラスティックの箱をサークルの外に
バーンと放り投げました。
すると、おじいちゃまがこわい顔で、「投げたらダメでしょ!」と言うのです。
普段、私を怒ることなんてないおじいちゃまが…。
しかも「投げたらダメよ!ダメ!」と何度もしつこく言うのです。
とても悲しい気持ちになり、シュンとして黙り込む私。
しばらくは我慢していたのですが、だんだん涙があふれてきました。
それでもいつものようにウエーンとは泣かず、目に涙をいっぱいためてママを見つめました。
「マナちゃん、悲しくなっちゃったの?よしよし、かわいそうにねぇ」と
ママが抱き上げてサークルの外に出してくれました。
もう私は赤ちゃんじゃないんだから、一回言われたらわかるのです。
それを面白がってしつこく言うなんて…。
おじいちゃまは私に嫌われてもいいのですか。
とはいえ、外に出してもらってすっかりゴキゲンになった私。
怪我の功名とはこのことでしょうか。
この手は使える、とひそかに考えているところです。
憧れの紀宮さま
先日、紀宮さまの朝見の儀をテレビで見ていたときのことです。
両陛下にお別れのご挨拶をされる紀宮さまを見て、パパがしみじみと言いました。
「マナちゃんも、いつかこうなっちゃうんだ…。さみしい…」
何十年先の心配か、と笑ってはいけません。
なにしろパパは、1時間に1回は「マナちゃん、チューは?チューは?」と
チューを求めてくるほど私に夢中なのです。
まあそれも無理のないことかとは思いますが、ますます可愛くなる一方の私です。
この先、幼稚園で彼氏でもできたらどうなってしまうのでしょうか。
そして今日の結婚式。
紀宮さまはとてもお幸せそうでした。
私はひそかに紀宮さまのファンなのです。
穏やかで聡明なお人柄、優雅な物腰、清楚な笑顔。
その気品は皇室随一といっても過言ではありません。
実は以前、そんな紀宮さまにソックリな写真が撮れてしまったことがあります。
カメラに向かって変顔をするのがブームだった頃の偶然の産物なのですが…。
(まだ1歳になる前のことで、今とはまったく違う顔です。念のため)
大変おそれ多いことながら、今日のよき日の記念としてその写真をアップさせていただき、
お祝いに代えさせていただきたいと存じます。
ごきげんよう
神様の住む島・マナ島
パパとママの新婚旅行先は、南海の楽園フィジーでした。
フィジーには小さな島がいくつもあるのですが、その中の「マナ島」という島をメインに滞在しました。
マナ島は神の宿る島と言われていて、島の半分は立ち入り禁止になっています。
「マナ」というのは、「神の力」を表す言葉だそうです。
マナ島にはこんな伝説があります。
「マナ島の海には、海の神に守られた幸福の箱が眠っている。
幸福の箱がここにある限り、一度訪れた者は再びこの地を訪れることを約束される」
青い海と青い空、「ブラ!(こんにちは!)」と陽気に声をかけ合う人々、
夜空にきらめく南十字星。
すっかりフィジーが好きになってしまったママは、
「女の子が生まれたらマナって名前をつけて、3人でまた来ようね」とパパと約束したのでした。
なにせ当時は二人とも若かったのです。
そして時は流れ、私がお腹にいることがわかったとき、
ママはいろいろ名前の候補を考えました。
(ちなみにパパの考えた名前はセンスがないため即座に却下されました)
お腹に向かっていろんな名前で呼びかけてみたママですが、
「マナちゃん」と呼ぶのがいちばんしっくりきたのです。
「やっぱりこの子はマナなんだ」とママは思いました。
そういうわけで「マナ」と名づけられた私。
伝説の通り、いつか3人で私の島に行ってみたいと思っています。
「強いお母さん」なんかいない
私が生まれる前からお世話になっている大学病院。
いろんなところでいろんなお母さんたちに出会いました。
みんな病気の子供を抱えているお母さんたちです。
私がNICUに入ったときも、アトピーで真っ赤な顔をしていたときも、
二度の手術を受けたときも、まわりにはいつもそんなお母さんたちがいて、
ママを励ましてくれました。
すぐくじけそうになるママに、「大丈夫。いいお母さんだよ」と言ってくれました。
お母さんたちはみんな明るくて、元気で、いつも笑っていました。
あるとき、そんなお母さんの一人に、看護婦さんが言ったのです。
「あなたは強いお母さんね」と…。
するとその人は優しい笑顔で、でもきっぱりと答えました。
「私は強くなんかないんです。普通の母親です」
そう、きっと、強いお母さんなんかいないのです。
みんな苦しんだり、悩んだり、迷ったり、泣いたりする、普通のお母さんなのです。
ただ子供を守ろうと必死になっているだけの、普通のお母さんなのです。
強いお母さんどころか、普通よりもずっと弱いお母さんのママ。
私が生まれてから、たくさん泣きました。
でも、ママはこう言います。
「マナちゃんの病気がわかったとき、すごく悲しかったけど、
他の健康な子と取り替えてほしいとは思わなかったよ。
病気を持って生まれてくるとしても、やっぱりマナちゃんがいいと思ったよ」
まだまだひよっこのママですが、もし私に銃口が向けられたなら、
ママだけは必ず私の前に立ってくれると、私は信じています。
可愛くなりたい!
大人たちの言うことがだいぶわかるようになってきた私。
好き嫌いもはっきりしてきました。
好きな言葉は「おっぱい」「おりこう」「おさんぽ」。
嫌いな言葉は「ダメ」「あとで」「おしまい」などです。
嫌なことを言われると、ほっぺたをブーッとふくらませて怒ります。
中でもいちばん好きなのは、「かわいい」と言われること。
「かわいいね~」とほめられると「ウフッ」と小首をかしげて笑い、
「かわいい子はだあれ?」と聞かれるとすぐに自分を指さします。
今でも十分カワイイ私ですが、日夜自分を磨くための努力を怠りません。
ブラシを見つければ、すかさず頭に持っていってブラッシング。
一日三度は鏡に向かって笑顔の練習をしています。
そんな私のお気に入りアイテムは、ショルダータイプのベビーバッグ。
オシャレな私はすでに3個も持っています。
その3個すべてを首から下げ、「アー!(みてみて!)」とアピールします。
「かわいいね~」とほめてもらうと、次は洗面所を指さし、「アー!(あっちいく!)」と言います。
洗面所には大きな鏡があるのです。
抱っこして鏡の前に連れて行ってもらい、「ウフフッ」と自分の姿にみとれる私。
最近はベビーバッグだけでなく、タオルを頭に乗せるなどのアレンジも取り入れています。
オシャレの極意は小物の効かせワザにあるのです。
ザルを帽子代わりにしてみたり、ママのカーディガンを羽織ってみたり、
おじいちゃまが脱ぎ散らかした靴下を履いてみたりと、常に美への向上心を忘れない私。
日々オシャレ道を邁進しています。
秋のモテ系カジュアル
サンタクロースは本当にいるの?
デザインをクリスマス風にしてみたついでに、この質問にお答えしましょう。
ズバリ、サンタクロースは本当にいます。
なぜかというと、ママに本物のサンタさんの写真を見せてもらったことがあるからです。
数年前のクリスマスイブ、パパとママはフィンランドのサンタさんのおうちに行って、
お話をしてプレゼントももらってきたそうなのです。
サンタさんのおうちはフィンランドとスウェーデンの国境に近い小さな村の、
そのまた外れの一軒家だったそうです。
木でできた小さなおうちで、暖炉がパチパチ燃えていて、
プレゼントの箱がお部屋いっぱいに積んであったとか。
これがサンタさんのおうち↓
「そのときマナちゃんはまだ生まれてなかったけど、
パパとママはサンタさんに頼まれたんだよ。
サンタさんの代わりにマナちゃんにプレゼントを渡してねって」
ママがそう教えてくれました。
だから、今のおうちには煙突がなくても大丈夫なのです。
去年のクリスマスには、クリスマスベアというくまのぬいぐるみをもらいました。
今年はどんな素敵なものをもらえるか楽しみです。
プレゼントを配るサンタさん










