・・・「道」と「風」、司馬遼太郎さんと五木寛之さんが繫がりました。
《竹内街道》/著:司馬遼太郎
https://publications.asahi.com/syukan/cover_gallery/s6.shtml
紀行文集『街道をゆく』第1巻第2章。「週刊朝日」★1971年1月29日号~3月5日号に連載された。
https://jaa2100.org/entry/year/1971/
《風塵抄》/著:司馬遼太郎
随筆集。産経新聞の朝刊1面に、1986年(昭和61)5月から1996年(平成8)2月までの毎月第一月曜日に、大体が掲載された。連載に先立って、司馬は「身体髪膚に即したこと」だけをテーマとする方針を立てていた。しかしながら、執筆内容は次第に歴史観や文化・言語論、時事や事件等、政治経済の話題にも及ぶ様になる。特に1990年〜1991年は湾岸戦争に、1995年は阪神・淡路大震災とオウム真理教に多く触れている。なお、1994年に北朝鮮に関して3度執筆しているが、いずれも北朝鮮主席だった金日成死去の前に掲載された。No.81〜85「在りようを言えば」(1)〜(5)は、産経新聞創刊60周年記念として1993年1月4日・5日・6日・8日・9日に連載された特別編。No.86〜87「台湾で考えたこと」(1)〜(2)は、「街道をゆく 台湾紀行」の取材で、台湾滞在中の司馬が申し出て1993年1月13日・14日に連載された番外編に当たる。筆者の急死と同日の1996年2月12日に掲載され、最終話となったNo.126「日本に明日をつくるために」では住専破綻(地価高騰によるバブル経済処理問題)を取り上げ、日本の行く末への警鐘を鳴らしている。一巻目巻末には昭和天皇崩御に触れた特別寄稿「空(くう)に徹した偉大さ」を、二巻目巻末には、連載開始時の担当記者だった福島靖夫が、連載当時の筆者との交流を記した寄稿「司馬さんの手紙」がそれぞれ掲載されている。『もうひとつの「風塵抄」 司馬遼太郎・福島靖夫往復手紙』(中央公論新社、のち中公文庫)で、克明なやり取りが遺されている。
《NEWS》2016.12.11産経ニュースより
司馬遼太郎さん「中国は“私”の文化であり続けた」いまも古びぬ視点「風塵抄」
「この世には、わからぬ事が多い」。印象的な一文で始まる自筆原稿は、赤や緑、青の色鉛筆で丹念に推敲(すいこう)されていた。高熱のなかで書いた絶筆だった。司馬遼太郎さんが昭和61年から産経新聞の1面に連載していたエッセー「風塵抄」である。平成8年2月12日付の朝刊に掲載され、くしくもこの日の夜、司馬さんは亡くなった。それから20年。地元大阪では14日から、回顧展「没後20年 司馬遼太郎展」が始まる。来年は高知、横浜などを巡回する予定だ。副題は「21世紀“未来の街角”で」。ファンにとっては「お宝」の品々とともに司馬さんに再会できる機会になろう。昔から、先輩記者の間では、ちょっとした語りぐさだった。司馬さんが亡くなったのは月曜の夜で、その日の朝刊に載っていた「風塵抄」は、実は1週間遅れの掲載だった。本来は第1月曜と決まっていたが、体調不良で珍しく翌週に延びていたのである。タイトルは「日本に明日をつくるために」。エッセーの妙手だった司馬さんらしく、自身が大阪の郊外に住む理由に始まり、近所の畑になぜ青ネギが植えられるのかという謎へと続き、当時、社会問題になっていた土地投機に警鐘を鳴らす。土地問題は、長らく司馬さんが追求してきたテーマだった。(以下略)
《風の王国》著:五木寛之
※参考/全3巻リリース!2006-12-07
https://ameblo.jp/yamaken/entry-10021196619.html
山川健一が編集長をつとめる「アメーバブックス」では、12月12日に、五木寛之氏の「風の王国」を全3巻で出版します。五木さんが加筆というか改訂し★「今の若い人たちにも読んでほしい」ということで、横組です。(中略)この長編小説は、サンカと呼ばれる流浪の民をモチーフにした、日本人の歴史観を覆す内容だ。最初にこの小説が刊行されたことがきっかけになり、サンカの末裔の方がカミングアウトされた。いわば、フィクションが現実に先行した形だ。目に見えている世界だけがリアルではないということだろう。地下の水脈のようにつながるネットワークは、じつはインターネット上のブログや SNSに相通じるものがあり、そういう意味では非常に今日的でもある。五木寛之氏には「鳥の歌」という作品もあるが、あそこで描かれたネットワークも今ならインターネット上に潜伏するはずだという気がする。「風の王国」で描かれた流浪の民の DNAが、たとえばブログ上の感想や書評という形で時間と空間を超えてバトンタッチしていけばいいな……と思い、ぼくはこの文章を書いているわけです。皆さん、是非ともご一読ください。定価は各巻1000円です。第一巻「翔ぶ女」第二巻「幻の族」第三巻「浪の魂」
《新潮社「風の王国」》初版★1985/文庫版1987
https://www.shinchosha.co.jp/book/114721/
黒々と闇にねむる仁徳天皇陵に、密やかに寄りつどう異形の遍路たち。そして、次第に暴かれる現代国家の暗部……。戦慄のロマン。
《千夜千冊「風の王国」》/文:松岡正剛より
https://1000ya.isis.ne.jp/0801.html
五木さんが2度目の休筆期間をしばらくへたあとで(このときに東洋・仏教・日本の探索を自分に課したようだった)、久々に世に問うたのが『風の王国』だったのである。一読、これこそは五木さんが最も書きたかったことだと思った。(中略)この物語の最初にしきりに★竹内街道の話が出てくるのは、この街道をはじめとする大阪・奈良の連結開削開発工事にも、そのような目的がひそんでいたことの伏線だったのである。そして、それと抱き合わされるようにして、明治10年には最初の大和・和泉・河内での「サンカ狩り」がおこなわれたのだった。これは「山窩」という蔑称を押し付けて、この人々の正体を公然と刻印するためでもあった。警察が動き、ジャーナリズムもこの蔑称を使う。のちに三角寛の一連の“サンカ小説”が話題になって、ぼくなどもサンカのことはこの三角寛によって知ることになるのだが、実は三角の小説や報告の多くか、もしくは一部が、いまではこうした国家や警察がつくりあげた情報にもとづいていたのではないかとされている。この作品でも、五木は注意深く三角説に走らないサンカをめぐる説明をしようと心掛けていた。
《参考》翻訳第5回選定作品「風の王国」/JLPPより
https://www.jlpp.go.jp/jp/works/05_03.html
現代日本文学の翻訳・普及事業(JLPP)は、2002年に文化庁が現代日本文学の海外への発信・普及を推進するために立ち上げたプロジェクトです。発足以来、明治以降に発表された現代日本文学作品のなかから専門家による会議において候補作品を選定し、それをさまざまな言語(英語、仏語、独語、露語、インドネシア語)に翻訳、2015年までに約180タイトルが翻訳出版されました。これらの作品は、各国出版社を通じて一般書店で発売されることはもとより、各国の図書館・大学をはじめとする多くの機関にも寄贈してきました。翻訳出版事業は2016年度末に終了し、現在は、現代日本文学の優れた翻訳家を発掘・育成することを目的とした翻訳コンクール、翻訳ワークショップ、シンポジウム、フォーラム等の事業を行っています。なお本事業は文化庁の依託事業で、2009年より凸版印刷株式会社が受託し、JLPP事務局を運営しています。
・・・現在「読書」中です。
《風にふかれて》/著:五木寛之1979/2006
小説作りの名手である著者が、作家以前のこと、金沢時代のこと、音楽のことなどを巧まざる語り口で綴り、鮮やかに自己の世界を浮彫りにした最初のエッセイ集。
21世紀に甦る名作、『新・風に吹かれて』それは40年前の名エッセイを書き継ぐという新たな試みである。大きな流れの中で人々と一緒に生きていこうという五木氏の視点が紡ぎ出す言葉に読者は癒される。「私はやはり基地を失ったジェット機でありたいと思う。港を持たぬヨット、故郷を失った根なし草でありたいと感じる」―★時代の風のなかにこそ青春があり、暮らしがあり、夢がある。風に吹かれて漂いつづける日々を、ホロ苦さを隠し味にしたユーモアとペーソスあふれる文章で綴る第一エッセイ。刊行以来四半世紀、世代を越えて読み継がれる永遠のベストセラーが、いま、再び時代を撃つ。
・・・さて、「風」を意識して作品を作り始めたのは、ちょうど1年前。はじめての個展を前にして、亡くなった友人に捧げる作品に取り組みました。彼は多くの版画(シルクスクりーン)を残してくれましたから、それを何とか作品に盛り込みたいと考え、彼は怒るかもしれませんが「小さく切り裂いて風に飛ばす」のがふさわしいという結論に達しました。「風★葬」です。展覧会での作品名としては、「風★奏」としました。