杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」 -35ページ目

「ブログ毎日更新を終了します」と言いながら、今日も惰性で書いております、杉原です(笑)。今回も例に漏れずくだらない内容ですので、お忙しい方はスルーしてくださいね。

 

僕は大喜利がけっこう好きなのですが(上手か下手かは置いといて)、最近この大喜利形式の広告キャンペーンをよく見かけるような気がします。おそらくwebで簡単にネタを投稿できるようになったというのが大きいと思うのですが、僕はこういうのを見るとついついやってしまいます。

 

で、最近知ったのがこれ。

 

「サラリーマン金太郎 2コマ上等!グランプリ」

http://hk-futakoma.jp/

 

「ホテル京阪 淀屋橋」の開業記念キャンペーンだそうです。僕にとってはどうでもいいことなのに、大喜利には嬉々として参加してしまうのは、大阪人の性でしょうか(笑)。

 

4コマだとちょっとハードルが高いのですが、2コマだとけっこう気軽に考えられるのでオススメです。僕もさっそくいくつか投稿してみました(笑)。もし審査を通って掲載されたら、このブログでも紹介させていただきますね。

 

期間は9月5日までで、グランプリは旅行券10万円もらえるらしいです。僕はマジで狙いに行きます!!あなたもぜひ旅行券10万円ゲットして、僕を旅行に連れていってみませんか?(笑)

 

 

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今年の3月の途中から、「ブログを1日1回更新する」というのを日課にしていた。

 

そしていつのまにか、北京大学で学ぶ医者の卵である浅井さんと、「浅井さんが次に帰国する日まで、お互い1日1回ブログを更新しましょう!」という話になり、それを互いに守り続けてきたのであった。

 

そして、ついにその日がやってきた。

 

明日、浅井さんが帰国する。

 

僕もこれを区切りにして、「1日1回更新」をひとまず終了させたいと思う。何事も区切りは大切である。

 

「どうしても毎日更新してほしい!!」という声があればちょっと考えようと思うけれども、まあそのへんは気にせずとも大丈夫な気がしている(笑)。

 

毎日おつきあいいただいた方がおられましたら、本当にありがとうございました。もちろんこれでブログをやめるわけではなく、気が向いたらまた何か書いていきたいと思います。

 

それでは、また会う日まで。

 

きっとまた会う、ヒマで。

 

 

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「勉強する」。

 

苦手な言葉である。同じく「研究する」という言葉も、なんだかストイックなものを想起させる。そこにはある種の「苦しみ」みたいなものが感じられるからだろうか。

 

僕は哲学を専門にしているけれど、「哲学を勉強する」とか、「哲学を研究する」と言うと、どうしても苦しいイメージが湧いてくる。「いや、そうじゃないんだけどなあ……」という感じがずっとしていた。そしてあるとき思いついたのが、この言葉である。

 

「勉強することは、親しくなること」。

 

たとえば「アリストテレスを研究すること」は、「アリストテレスと親しくなること」でもある。「勉強する」とか「研究する」とか言うと、何か順序やセオリーがあるように思われるが、「親しくなる」と思えば、実はそんなものはどうでもいい、ということに気づく。あるとすれば、まずは興味を持つこと、関心を持つことだろう。別に偶然の出会いだってかまわない。そこから、「へー、そんな考え方があるのか」とか、「何でそんな風に思うの?」とか、「あんたが生きてた時代はそうだったのか!」のように、広がり、深まっていく。そうしてアリストテレスのことが好きになってくると、その師匠であるプラトンにも興味が出てきたり、さらにはその師のソクラテスへ……ということもあり得るだろう。

 

この「勉強することは、親しくなること」というのは、哲学だけではなく、あらゆることに通じるのではないだろうか。農業を勉強することは、農業と親しくなることだし、数学を勉強することは、数学と親しくなることだろう。逆もまたしかりで、友人と親しくなることは、その友人について勉強することだし、自分の妻と親しくなることは、自分の妻について勉強することにほかならない。

 

ときどき、「え、何であんなヤツと仲いいの?」と思われるような関係を目にすることがある。もちろん単に「相性の良し悪し」というやつもあるだろう。一方で、人と親しくなるには、必ずしも、その人の全てと付き合う必要はない。「会社ではイヤな上司だけど、プライベートでは気の合う趣味ともだちなんだよな」という関係もある。そういう場合は、会社では距離を置きながら、プライベートでは親しく付き合えばいいのである。

 

「勉強」も同じようなところがあって、まずはその対象の好きなところと付き合えばよい。マルクスを勉強しているからといって社会主義者になる必要はないし、周りがそんな風に思うのも全く的外れだろう。きっかけなんて、「どういう思想を持ったらああいうヒゲになるんだよ……」でかまわない。あるいは、「哲学者は、世界をただ解釈しただけである。しかし大事なことは、それを変革することである」という彼の名言にふれて、「なんかカッコイイなー!」と思い、その流れで、彼の言う「変革」について興味を持つ、というのもいいだろう。

 

「古典に親しむ」というのは、まさに読んで字のごとくである。それは人々が「勉強しよう」と思って伝わってきたのではない。「親しんできた」からこそ、現在まで読み継がれてきたのである。このように何百年、何千年と親しまれるためには、そこにある種の「深さ」がなければならない。それが「浅い」ものであれば、すぐにわかった気になって、関心がなくなってしまうだろう。そうすると、もはや「親しい関係」は維持されなくなってしまう。これは実は「深さ」のある古典でも起こる現象である。それが起こるのは、読み手が「わかった」つもりになったときである。人間でも、相手のことを「わかった」つもりになると、とたんに興味が失われたりすることがある。しかし、親しい関係が崩れるのは、得てしてそういう「わかった」つもりになったときである。

 

だから矛盾するようだが、「親しくなる」ときに大切なのは、「わかったつもりにならない」ことである。「わかった」と一瞬思っても、心のどこかで「……かもしれない」にとどめておく。これが、「親しくなる=勉強する」ための、ひとつのコツと言えるかもしれない。古典的な哲学などは、そのような「かもしれない」が、何千年も延々と繰り返されている営みだと言えるだろう。

 

どんなことでも、「勉強しよう」と思うより、「親しくなろう」と思う方が、気楽に始められるような気がするし、能動的に取り組めるような気がする。無理に「勉強した」ことはすぐに忘れてしまうけれども、興味を持って「親しくなった」ことについては、いつまでも忘れないものである。そしてそういうものだけが、実際の人生において「生きてくる」のだと思う。

 

 

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お気づきだろうか。

 

ブログのデザインを少し変えてみた。

 

前までは、本文スペースが真ん中にあって、左右をプロフィールやカレンダーが囲んでいる感じだった。今回は、本文スペースが大きくなって、右側にプロフィールやカレンダーがまとめて並んでいる感じに。でもたぶん、スマホで見るぶんには、前と変わっていないのではないだろうか。あくまでPC上で見る場合のレイアウト変更というわけである。

 

そして文章のレイアウト(?)も変えてみた。

 

これまでは文章の途中でも改行をして、「タテ」に読んでいく感じにしていたが、今回は、このように改行せずに書くことで「ヨコ」に読んでいく感じになっている。正直まだ慣れない(笑)。

 

どちらがいいのか、まだよくわからないのだが、まあいろいろ試してみるのはよいことだろう。

 

しかし日本語はもともと「縦書き・縦読み」の文字だ。にもかかわらず、縦書きのブログというのはほとんどない。やっぱり「縦スクロール」主体のwebの世界では、縦書きは構造上むずかしいのだろう。

 

で、みなさんどうですか? これ、読みやすいですか?

 

「そもそもお前の文章が読みにくい!」

 

と言われてしまうと返す言葉がないのですが(笑)、まあそれも含めて今後改善していければと思っておりますので、ご容赦くださいませー。

 

 

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鉢巻きと言えばおっさん。

 

おっさんと言えば鉢巻き。

 

「バカボンのパパ」に象徴されるように、

「鉢巻き」と言えば「おっさんがするもの」と

相場が決まっている。

 

あるいは「祭り」や「職人」なども

鉢巻きのイメージとともにあるが、

そこにいるのもやっぱり「おっさん」である。

 

なぜおっさんは鉢巻きをするのか。

 

それは自分自身がおっさんになれば、

おのずからわかるようになる。

 

その要因は「汗」である。

 

若いときの汗は、

ひたいを通ってタラタラ、

あるいはダラダラと流れてくるものである。

 

ところがおっさんになるとそうはいかない。

 

ひたいを通ることなく、

雨のようにポタポタ、ボタボタと、

ダイレクトに落ちてくるようになる。

 

なぜそうなるのか。

 

おそらく、

「毛髪量」の減少によるものである。

 

若いうちは、頭にかいた汗は

大量の毛髪によってせき止められながら、

頭皮をつたい、ひたいをつたい、

顔をつたって、首をとおり、

体にそって流れていく。

 

ところが、歳をとって毛髪が減ると、

頭にかいた汗はせき止められることなく、

前かがみになったりしたとたん、

ダイレクトにポタポタと

地面に落下するのである。

 

これが想像以上に面倒な事態を引き起こす。

 

床や机が濡れる→いちいち拭かねばならない

書類が濡れる→ふやける→拭かねばならない

料理に落ちる→食う気が失せる

 

……エトセトラ、エトセトラ。

 

そしてこの悲劇を

事前に食い止めてくれるのが、

鉢巻きの役目、というわけなのである。

 

おっさんは別に

「自らのおっさん感を演出するために」

鉢巻きをしているわけではない。

 

それは先に述べたような

「面倒な事態」を回避するためであり、

そのような「面倒な事態」に

他人を巻き込まないようにするためである。

 

つまり鉢巻きとは

「自分自身への思いやり」

であるばかりではなく、

「他人への思いやり」でもある。

 

今後、鉢巻きをした人を見ることがあったら、

単に「あ、おっさんだな」と思うのではなく、

「あ、思いやりのあるおっさんだな」

と思うのが、より正確な認識であると言えよう。

 

 

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地域づくりに情熱を燃やす面白人間や

“変”差値人間を紹介する人間情報誌『かがり火』。

 

175号を読了。

今回も充実した内容でした!

 

僕が個人的に面白かった言葉などを

ちょろっとご紹介。

 

 

強いということは持続するということなのです。

いっとき売り上げを伸ばして大企業化しても

たちまち経営危機を迎えるような企業は、

強い企業とはいえません。(内山節)

 

仕事ができるできないを個人の能力、

個人の責任のように扱っているけれど、

たまたま生まれ育った環境とか、

これまでの周囲との人間関係とか

いろいろな要素がその人を形成しているわけだから

『仕事ができる』という一部分を切り取って、

人の優劣を評価するのはあまりにも乱暴で

知性のない行為だと思います。(岸浪龍)

 

農業は昔の人が大切にしてきた冬至、大寒、

立春、雨水、啓蟄などの二十四節気の

自然界のリズムに合わせるものだったはずです。

人間の都合で栽培時期をずらしたことで

病害虫が発生するようになったんだと

思うようになりました(野中慎吾)

 

「個人の自由」を追求していっても、

どこかで常にむなしさがつきまといますよね。

「自由になりたい」と思っている時点で

自由ではないし、自由にはなれない、というか。(井口康弘)

 

日本全体の人口減少が決定的な状況の中で、

自分の市町村だけが減少幅を抑制したり、

横ばいとする目標は、本質的な部分で

右肩下がりの社会に対応することから

目を背けているのではないだろうか。(竹見聖司)

 

 

どの言葉も借りてきたものではなく、

自分自身の生き方と結びついているから、

直接胸に響いてきます。

 

最新号の目次はコチラから見れます。

 

『かがり火』ホームページ

http://www.kagaribi.co.jp/

 

 

 

 

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先日出演させていただいた、

FM西東京の「おとなの喫茶店」。

 

この音声データがポッドキャストにアップされ、

いつでもwebで聴けるようになりました。

 

■「おとなの喫茶店」西武柳沢愛に目覚めた理由(2017.6.28.放送分)執筆・作曲・演奏などマルチに活躍する杉原学さん

 

リアルタイムで聴けなかったみなさまも、

今後は何百回でも、好きなときに

聴くことができます(笑)。

 

さらには、FM西東京のホームページ
( http://842fm.west-tokyo.co.jp/ )
のメニューから

「ポッドキャスト番組」
 ↓
「おとなの喫茶店」

とたどっていくことで、

過去のアーカイブをまとめて

聞くこともできますー!

 

僕がいつもお世話になっている

ヤギサワバル・大谷剛志さん

駄菓子屋ヤギサワベース・中村晋也さん

の回もこちらから聴けます。

ますますアツい西東京の息吹を

ぜひ感じてみてください♪
 

 

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今年も無事に「お冨士さん」に

参加することができた。

 

「お冨士さん」(十条冨士神社大祭)は、

毎年6月30日、7月1日に行われる祭りで、

十条冨士神社、十条冨士講が主催している。

 

その祭りの中心にあるのが「十条冨士塚」で、

当日は多くの参詣者で賑わう。

 

当日いただいたチラシにはこうある。

 

「『冨士塚』は、

 富士山を模して造られた

 人工の山や塚の事です。

 江戸時代、女性やお年寄り等、

 実際に富士登山が出来ない人々のため、

 富士塚が造られたと考えられています」

 

ええ話です。

 

しかしこの「十条冨士塚」、

道路事業にともない再整備されるとのこと。

 

つまりいまの形での十条冨士塚は

もうこれが見納めかもしれません。

 

とっても残念でなりませんが、

もし再整備されるのであれば、

少しでもいい形で残ることを願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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本日7月2日(日)は、

東京都議会選挙の日。

 

十条銀座商店街振興組合では、

投票率アップキャンペーンとして、

 

「投票済証とJスタンプ25枚の交換」

 

を行っているという。

 

まさに住民垂涎の企画ではないか(笑)。

 

もちろんこの企画がなくても

投票には行くつもりだったが、

この企画を知ったからには、

「なんとしてでも行く」つもりだ。

 

しかもいま商店街では、

「十条サマーセール2017」を実施中。

 

「福引参加店にて2千円お買上げで福引券1枚進呈。

 Jスタンプ1冊でも福引5本お引きいただけます」

 

とのこと。

 

実は僕はこの福引きで、

特賞の「池袋メトロポリタン・ペアランチ券」

を当てたことがあるのだ!

 

そして今回狙っているのは、

十銀賞「十条銀座お買物券3万円分」。

 

もうすでに僕の左腕はうなっている。

 

 

 

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6月28日に放送された

FM西東京「おとなの喫茶店」。

 

みなさま聴いていただけましたでしょうか。

 

おかげさまで周りの方々から

うれしい感想をいただきました♪

 

特に番組の途中で流れた僕の代表曲

「上腕三頭筋をきたえろ」

への讃辞がやみません(笑)。

 

しかしその一方で、

番組の中で僕自身が語っていた、

「筋肉へのこだわりを手放していく」

という言葉に、僕自身が刺激を受けました。

 

やはり何事も執着してはいけません。

 

それを手放していくことこそが、

人間としての成長そのものなのであります。

 

さて、そんな「おとなの喫茶店」ですが、

7月2日(日)の朝8時から、再放送があるそうです。

 

聞き逃してしまったという方は、

ぜひこの機会に聞いてやってくださいませ。

 

http://842fm.west-tokyo.co.jp/ を開くと
放送を聞くことができるそうです(スマホでも可)。

 

もちろんメインは西武柳沢、

そして西東京市の魅力についての話。

 

いまこの地域がマジでアツいです。

 

「アド街ック天国」に西武柳沢が

登場するのも時間の問題でしょう。

 

キャッチコピーは僕がすでに考えておきました。

 

「油断しながら楽しめる街、西武柳沢」。

 

心も体もラフな感じで

ぜひ足を運んでみてください。

 

 

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