杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」 -36ページ目

「四十才は二度目のハタチ。」

 

日本を代表するコピーライター、

眞木準さんの名コピーである。

 

このコピーをふいに思い出したのは、

ぼく自身が「二度目のハタチ」を迎えたからである。

 

眞木準さんの作品集『一語一絵』によれば、

もともとこのコピーは、

「伊勢丹の男の新館四十周年という

 周年イベント広告用に書いたもの」だそうだ。

 

友人の還暦の際には、

「六十才は三度目のハタチ」

などと使いまわしていたという(笑)。

 

確かに「二度目のハタチ」

「三度目のハタチ」と言われると、

ちょっとアグレッシブな気分になってくる。

 

「ネガをポジに変えるのは、

 コピーの得意技のひとつである」

 

と眞木さんは言っているが、

僕がコピーライターをやっていてよかったと思うのは、

まさにこの点である。

 

コピーライターは、良くも悪くも、

その商品の「いいところ」をみつけようとする。

 

その作業をずっと繰り返していると、

これがクセになって、人間に対しても、

その人の「いいところ」に注目するようになる。

 

あるいは「いやなところ」があったとしても、

視点を変えることによって、

それを「いいところ」に転換しようとする

クセがついてくるのである。

 

これは自分自身にも応用可能で、

自分のダメなところを(ときには無理矢理に)

ポジティブに捉えられるようになってくる。

 

眞木準さんは若くして亡くなられてしまったのだが、

僕にとって眞木さんは少なからぬご縁のある人である。

 

僕がコピーライターになったきっかけに、

『コピーライターになるには』

という本との出会いがあった。

 

その本の中に登場していたのが、

当時博報堂で活躍していた眞木準さんだった。

 

「でっかいどお。北海道」など、

ダジャレコピーで有名だった眞木さん。

 

大学を中退して、

自分の進むべき方向を模索していた当時の僕に、

ひとつの目標を与えてくれたのが彼だった。

 

たいしたとりえもない自分だけれど、

国語だけはずっと好きで得意だった。

 

「コピーライター」という文字で勝負する仕事なら、

学歴など関係なく自分の力でやっていけるんじゃないか。

 

そう思ったのである。

 

その後、宣伝会議コピーライター養成講座に通い、

そこで講師としてやって来た眞木さんに会ったときは、

とてもドキドキしたことを覚えている。

 

それからコピーライターとして

東京の広告代理店に就職し、

眞木さんと再び会うことになる。

 

宣伝会議賞という公募のコンテストで

「協賛企業賞」という小さな賞をとって、

その授賞式で眞木さんと名刺交換をさせてもらったのだ。

 

これは今でも心に残るいい思い出だ。

 

その頃には眞木さんはすでに博報堂を退社し、

自身の事務所を立ち上げ独立していた。

 

しかしそれから数年後、

眞木さんが突然心臓の病で亡くなったと聞いたときは、

本当にショックだった。

 

眞木さんにも、三度目のハタチ、

四度目のハタチを迎えてほしかった。

 

しかし眞木さんの

ユーモアとやさしさにあふれたコピーは、

いまでもずっと僕のお手本である。

 

 

 

 

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今号から僕がホスト役をつとめる

対談の連載が始まった、雑誌『かがり火』が届いた。

 

 

 

 

 

 

僕と井口氏の対談については

以前のブログで紹介したからよいとして、

他のコンテンツも実に充実していて面白い。

 

混沌とする日本と世界の情勢と、

その中でいかに生きていくかを考える上で、

哲学者・内山節氏の論考は

大きな示唆を与えてくれる。

 

「国家の成立には根拠がない」。

 

にもかかわらず、

その根拠を明確にして「強い国家」を

つくろうとした時に国家は崩壊してきた、

という歴史的事実。

 

そしていまの日本は、

まさにその「強い国家」をつくろうとし、

崩壊に向かおうとしている。

 

「国家の歴史はせいぜい

 電気の歴史と同じくらい」

 

「明治時代に入っても、

 多くの人たちにとっては

 国民意識などなかった」

 

という内山氏の言葉は、

国家の存在なしに生活を考えられない僕たちに

新しい気づきを与えてくれる。

 

あともうひとつ、

岸浪龍さんが「社長係」をつとめる会社、

「おふくろさん弁当」の記事の冒頭を

少しだけ紹介しておきたい。

 

ーーーーーーーーーーーーーー

三重県鈴鹿市の「おふくろさん弁当」がどんな働き方をしているのかを知れば、政府の働き方改革の議論など吹っ飛んでしまう。出勤も退社も自由、会社に来たくない時はいつ休んでもOK、普通の会社に必ずある「規則も命令も上司も責任もない!」会社なのである。社員は勤務時間が終わっても帰りたがらない、帰っても仲間と語りたくてまた会社に出て来る人もいる。それでいて業績は好調で設立以来、増益増収。いまの時代にこんな会社が存在するのは奇跡としか言いようがない。

ーーーーーーーーーーーーーー

 

僕はこの会社を今回初めて知ったが、

これにはさすがにおどろいた。

 

とにかく『かがり火』という雑誌は、

読むたびに新しい視野を開いてくれる。

 

2ヵ月に1回、

郵便受けにこの雑誌が入るのが、

いつのまにか大きな楽しみになっている。

 

『かがり火』ホームページ

http://www.kagaribi.co.jp/

 

 

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少し前にご案内した、

FM西東京「おとなの喫茶店」出演の件
 

いよいよ本日、

6月28日(水)13時30分オンエアです。

 

パーソナリティの橋爪さん、

編集に関わってくれたみなさま、

そしてご縁をつないでくださった

ヤギサワベースの中村さん、

ヤギサワバルの大谷剛志くん、

ほんとうにありがとうございました。

 

ちなみにオンエアの時間(本日13時30分から)に
http://842fm.west-tokyo.co.jp/ を開くと
放送を聞くことができるそうです(スマホでも可)。

夜19時から再放送があり、

さらに7月2日(日)朝8時には

再再放送もあるようです。

もしご都合のつく方は

聴いてやっていただけると幸いです。

 

どんな感じになっているのか

自分自身でもドキドキです。

 

それにしても、ラジオのような

耳で聴いて想像をふくらますメディアって、

ある意味でテレビよりもワクワクしますね。

 

だって、

たとえば今日の「おとなの喫茶店」だって、

僕が普通にしゃべっていたとしても、

実は「全裸」かもしれないんですよ?

 

でも聴いている人は誰も気づかない。

 

逆に僕が普通に服を着ていたとしても、

 

「こいつこんな真面目なこと言いながら、

 実は全裸じゃないだろうな……」

 

と想像しながら聴くことは自由なのです。

インターネットの普及のせいで

人間の想像力は確実に衰えていると思いますが、

ラジオには人間の想像力を

豊かにする力があると思います。

 

もちろん今回の収録には

ちゃんと服を着て臨みましたが(笑)、

いろんな想像をめぐらしながら

聴いていただけると幸いです。

 

 

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以前、僕より若い友人と

温泉につかりながら話をしたことがあった。

 

彼は30代前半の既婚者なのだが、

周りには「婚活をしまくっているけれども

なかなかいい出会いがない」と

嘆いている女性の友人がたくさんいるという。

 

彼はほんとにいい人なので、

おそらくよく相談されるのだろう。

 

その時に話した僕の考え方を、

「それ彼女らにも聞かせてあげたいっす」

と彼は言ってくれた(いい人なので)。

 

僕自身、自分の考え方が正しいなんて

これっぽっちも思っていないのだが、

そもそも絶対的に正しい考え方など存在しない。

 

けれども、その人にとって

生きるのがラクになるような

「モノの見方=考え方」はあるだろう。

 

その時に僕が彼に話したことも、

そういうひとつの「モノの見方」にすぎない。

 

さて、婚活と結婚の話だが、

「結婚相手を自分で選ばなければならない」

という風潮が人々を

苦しめているように思えてならない。

 

確かに「この人だ!」と思える相手と出会い、

互いに「結婚したい!」と思って

結婚することに何ら異論はない。

 

「自分の結婚相手を

 自分で選べる時代になってよかったねえ」

と昔の人は言うかもしれない。

 

しかし、である。

 

日本人は今でも、

結婚の報告をするときには、

「結婚します」

ではなく、

「結婚することになりました」

という言い方をする。

 

つまりそれは、

自分たちの意志だけでなく、

なんらかの「それ以外の力」あるいは

「自然の流れ」のようなものの存在を

認めているのである。

 

だから「します」ではなく、

「することになりました」と言うのである。

 

そして「結婚して家族になる」ときには、

やっぱりそういう自分たちの計らいを超えた

「偶然性」のようなものが重要だと、

僕らは無意識的に感じているのではないか。

 

たとえば、僕にとって家族は

かけがえのない大切な存在だが、

それは僕が選んだ人々ではない。

 

世の中には

「赤ちゃんは親を選んで生まれてくる」

と考える人たちもいるけれど、

少なくとも僕にそんな覚えはない(笑)。

 

だから僕は家族を「選んでいない」(たぶん)。

 

にもかかわらず、いや、だからこそ、

僕にとって家族はかけがえのない

存在なのではないかと思うのだ。

 

これがもし、

「僕が自分で選んだ家族」だったなら、

何か大きな問題が起こったときに、

「ああ、自分の選択が間違っていたんだ」

ということになってしまうだろう。

 

もちろん、

家族のカタチは多様であっていいし、

血縁によるものでなくてもいい。

 

「自分の家族は自分で選ぶ」

という時代がこれからやってくるのかもしれないし、

すでにそういう家族はたくさんあるだろう。

 

だがそういう家族をつくっていくには

やっぱり「自由に解散もできる」ということが

より重要になってくるだろう。

 

しかし生まれた時から

無条件に「家族」である存在は、

その無根拠性にこそ強みがあって、

おおむね無条件に助け合う。

 

もちろんDV親父などは論外だが、

それでもやっぱりなんとかしたいと思うのは、

家族が無条件に「家族」だからだろう。

 

それなのに、僕らは結婚相手となると

「自分の意志」というものを

ものすごく大事にしようとする。

 

3組に1組が離婚すると言われるが、

ここまでの考え方で言えば、

「自分で選んだ相手だから離婚するのだ」

という言い方もできるだろう

(もちろんそれで全然かまわない)。

 

ある意味で、家族にとって大切なのは、

否応なく家族として生まれてきた

「偶然性=運命性」ではないか。

 

自分で選択的に家族を形成するときにも、

そこにある種の運命性を感じられるか否かは、

けっこう大きな影響がある気がする。

 

そうだとすれば、

結婚にもおいてもそうした

「偶然性=運命性」が求められてしかるべきで、

実際にそれは儀式の中にも組み込まれている。

 

結婚式が神様を前にして行われるのは、

「神様に永遠の愛を誓うため」などではない。

 

それは結婚に至った

「偶然性=運命性」を確認するためであり、

要するに結婚を「神様のせい」

にするためなのである。

 

自分で決めたことなら、

自分に自信が持てなくなったとたんに

全てが崩壊する。

 

しかし

「神様(あるいは自然)が決めたこと」

だと思えれば、

「まあ何とかなるんじゃないか」

という気がしてくるではないか。

 

それが本当に神様の力かどうかは、

この際どうでもよい。

 

ここでは二人が一緒になった

「偶然性=無根拠性」を「神様」と

言い換えているだけなのだから。

 

だから婚活をするにしても、

自分の理想を成就しようとする意志を

ひとまず横に置いといて、

今ある関係の中に身をゆだねて、

そこにある偶然性や運命性の方を大切にすると、

少し視野も広がるのではないかという気がする。

 

これは決して「妥協をせよ」

と言っているわけではない。

 

むしろ逆である。

 

現代の「自己決定的」結婚観は、

資本主義の論理とがっちり結びついている。

 

要するに、相手を「値踏み」している、

いや、「値踏み」せずにはおれないのである。

 

そこでは意識するしないにかかわらず、

結婚相手もひとつの「商品」であり、

「よりよい商品」を求め始めたらキリがない。

 

その意味で、あらゆる「自己決定的」結婚は

「妥協の産物」である。

 

もちろんそれが良いとか悪いとかは

全く別の話である。

 

ちょっと記憶が定かではないが、

たしかある思想家は、

「現代社会において純愛は存在し得ない」

と断言していたのではなかったか。

 

確かに現代の資本主義社会においては、

「愛」も商品化の対象である。

 

「愛」というものに至高の価値を認め、

それを得るために活発な消費活動が行われる。

 

トレンディードラマなどによる

「恋愛至上主義」的な価値観の流布も

これに大きく貢献した。

 

ちなみにいま日本で使われている「愛」は

ヨーロッパの概念である「love」の翻訳語であり、

もともと日本にはなかった概念である。

 

そして一番最初に「愛」の概念が

ポルトガル語のamor,caridadeとして

日本に持ち込まれたとき、

それが何と訳されたかはあまり知られていない。

 

実は、「大切」または

「御大切」と訳されているのである

(『哲学・思想翻訳語事典』)。

 

「愛=大切」。

 

僕には、今風の性愛的な「愛」よりも、

こっちのほうがずっとしっくりくる。

 

いや、もちろん性愛的な

「love」で結婚するのも悪くないどころか、

むしろそれがあるなら結婚はより容易だろう。

 

「結婚は勢い」というのは本当だと思うし、

「この人しかいない!」という熱愛は

まさに「勢い」そのものだろう。

 

ただこれはどうしても

年月とともに冷める傾向があるらしい。

 

しかし、そんなことはたいした問題ではない。

 

その間に「熱愛」とはまた別の、

かけがえのない関係性を築けばよいのである。

 

ただ、結婚したいけどふみきれない人は、

「愛する人と結婚する」と考えるよりも、

「大切な人と結婚する」と考えたほうが、

ハードルはずいぶん下がるような気がする。

 

そしてその人のことを大切に思うのは、

意志の問題ではなく関係性の問題である。

 

日本の場合、結婚制度そのものにも

ずいぶん問題があるのだが、

今回その議論は置いておく。

 

結婚は「目的」ではなく「手段」である。

 

「できちゃった婚」だって、

主体はそこに生まれた関係性であって、

結婚はそれを守るための「手段」にすぎない。

 

内田樹さんは

「結婚とは安全保障である」

と喝破しているが、

ある意味で「その程度のもの」と

気楽に考えた方がよいのだろう。

 

僕の人生の大先輩があるとき言っていたが、

イギリスでは「結婚した」と言うと、

「えっ、なんで?」とむしろ変人扱いされるという。

 

なぜかといえば、

結婚などしなくても一緒に暮らしていれば、

結婚したのと全く同じ権利が得られるかららしい。

 

このへんは僕もちゃんと調べていないので

あまりアテにしないでほしいのだが(笑)、

少なくとも日本ではそのような権利を得るためには

やっぱり制度上「結婚」が必要となる。

 

だから結婚なんて単に

「その権利を得るためのもの」

と気楽に考えればよいというのである。

 

そして結婚にもしも

「いい結婚」というものがあるとすれば、

それは「お互いに相手を喜ばせたいと思えること」

だと彼は言うのである。

 

それに比べれば恋愛感情など

どうでもいいのだ、と。

 

そのような、

「互いを大切にしたい関係性」

があるということのほうが、

結婚以上に本質的なことのように

僕にも思われるのである。

 

 

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いまさらながら

ギンザシックスに初めて行ってみた。

 

ギンザシックス自体に興味はないのだが、

友人が中のお店で店長をやっているので、

ちょいと表敬訪問したというわけである(笑)。

 

とにかく混雑に巻き込まれるのがイヤなので、

オープンの5分ほど前に到着。

 

「さすがにオープン前に来れば大丈夫やろ」

 

と思っていたが、すでに入口から長蛇の列。

 

「マジかよタルルート君」

 

という若い人にはわからないネタを口にし、

仕方なく列の最後尾にくっついた。

 

しかしオープンしてみればすんなり入れて、

中は快適に移動できる程度の客数。

 

きっと午後になるとそうはいかないはずなので、

なんだかんだ朝イチに来たのは正解だった。

 

まずはエスカレーターで最上階まで昇り、

そこからフロアを散策しながら降りていった。

 

やはり話題のスポットだけあって、

面白い商品がたくさん並んでいる。

 

個人的な感想を言えば、

「プレゼントを買いにくるのにうってつけな場所」

という感じ。

 

自分用の買い物は

「必要」を満たせばそれでよいが、

プレゼント用となると、

そこに「面白さ」もプラスしたい。

 

そんな商品が充実している気がする。

 

さて、表敬訪問のほうは

おかげさまで大変よろこんでいただけて、

ほんのささやかながら売上にも貢献してきた。

 

あまりにささやかすぎるので、

その額を公にすることはいたしません(笑)。

 

最後に訪れた地下2階は、いわゆるデパ地下。

 

空腹時に訪れると

悶絶死の恐れがあるので注意が必要です。

 

そしてやっぱりここも手土産の宝庫。

 

常に新たな手土産を求められる営業マンなどは

ここは必ずチェックすべしです。

 

以上、初めてのギンザシックス訪問の

(誰にも求められていない)ご報告でした。

 

 

草間彌生のアート。

 

 

路上に停まっていた謎の宣伝カー。

 

 

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もうすでにお気づきの方もいるかもしれないが、

このブログの名前をきのう変更した。

 

「杉原白秋オフィシャルブログ」から、

「杉原学オフィシャルブログ」ヘ。

 

要するに、名前をペンネームから

本名に変えた(戻した?)のだ。

 

もちろんそこには重大な理由がある。

 

それは何か。

 

はっきり言う。

 

 

 

めんどくさくなったのだ!!

 

 

 

ペンネームと本名の使い分けが(笑)。

 

特にそれを実感するのが、

プロフィールなどを記載するとき。

 

たとえば著書を紹介する場合、

単著の『考えない論』は杉原白秋名義だが、

共著の『半市場経済』は杉原学名義で書いている。

 

 

  

 

 

だからどちらの名前で

プロフィールを書くにしても、

 

「杉原白秋名義」

「杉原学名義」

 

というのを入れなければならない。

 

これがなんだかめんどくさいし、

なんとなくスッキリしない。

 

今後も何か作品をつくるたびに

ペンネームと本名を使い分けるとすると、

この煩雑さが増大していくことは言うまでもない。

 

そう考えると、

もう早いうちに一本化しておいた方が

よいのではないか、

という結論に達したのであった。

 

ではそもそも、

なぜペンネームを使い始めたのか。

 

それは、

いわゆる「有名税」というやつを

支払いたくなかったからだ。

 

たとえば、木村拓哉さんが

病院で名前を呼ばれたとする。

 

「受付番号183番でお待ちの、木村拓哉さん〜」

 

その場にいる全員が振り向くだろう。

 

もはやプライベートなど存在しない。

 

社会生活を営む上で、

これはけっこうなストレスになるだろう。

 

しかし「有名税」は言うまでもなく

「有名な人」が支払うものであり、

「有名でない人」は支払う必要がない。

 

たくさんお金を稼いだ人ほど

たくさん税金を納めるのと同じで、

とっても有名な人ほど、

とっても多くの有名税を支払うことになる。

 

逆に言えば、

全く有名でない人は、

全く支払う必要がないのである。

 

僕の場合、

この「有名税のストレス」よりも、

「プロフィールを書くときの煩雑さのストレス」

の方がはるかに大きいことに、

きのう、気づいたのだ。

 

「いまかよ!!」

 

と言うなら言えばいい。

 

「いまでしょ!!」

 

と使い古されたネタで返すまでだ。

 

有名じゃないと思えば、

ウケないネタで返すことに

もはや何の躊躇も感じない。

 

実に清々しい気分だ。

 

というわけで、

きのうからSNSまわりの名前を

ことごとく本名に変えていっている。

 

これによってどういう変化が

起こるのかわからないが、

少なくとも上記のような煩雑さからは

解放されることになるだろう。

 

そして何より、周りの人も

余計な混乱をしなくてすむ。

 

案外そのことが

一番のメリットかもしれない。

 

とはいえ、杉原白秋というペンネームが

気に入っていなかったわけではない。

 

いや、むしろけっこう気に入っていた。

 

もうあきらかに

「北原白秋のバッタもんだろ」

という「B級感」が気に入っていたのだ。

 

どうしたって「エラぶる」ことができない、

このウソくささがけっこう好きだった。

 

何よりいままで共に歩んできた、

愛着のある名前なのである。

 

そしてこの杉原白秋として書いた『考えない論』が、

僕の現在の代表作であることに何ら変わりはない。

 

この本は誰に読んでもらっても好評だし、

「杉原さんらしいですねー!」と言ってもらえる。

 

その意味で、杉原白秋という名前は

ペンネームではあるけれども、

明らかに僕の一面を表現してもいたのだ。

 

だがこのあたりで、

「杉原白秋」というペンネームに感謝しつつ、

「杉原学」という本名に一本化したいと思う。

 

まあ、ようするに、

「わかりやすくしよー」

というだけの話である。

 

「有名税」の心配もなさそうだし(笑)。

 

もちろんお支払いすべき状況になれば

しっかりとお支払いする所存でございますので(笑)、

今後とも何卒よろしくお願いいたします。

 

 

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地域を学び、地域で遊ぶための

ヒューマンネットワークマガジン

『かがり火』

 

6月25日発行の第175号から、

対談の連載を担当させていただくことになりました。

 

タイトルは、

 

ちょっとゆるめな連続対談

「そんな生き方あったんや!」。

 

僕が思わず

「そんな生き方あったんや!」

と影響を受けた方々にご登場いただき、

ざっくばらんにお話を伺います。

 

第1回のゲストは

写真家(というより自由人?)の井口康弘さん。

 

「ゆるふわ」ならぬ

「ゆる深(ふか)」な感じでしょうか(笑)。

 

ぜひ手に取っていただけると幸いですー!

 

『かがり火』ホームページ

http://www.kagaribi.co.jp/

 

 

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6月28日(水)13時30分から放送される

FM西東京(84.2MHz)の番組、

「おとなの喫茶店」に出演します!

 

「おとなの喫茶店」と言っても、

別にアヤシイ話をする番組ではありません(笑)。

 

「ヤギサワバル」をきっかけに

関わるようになった西武柳沢、

そして西東京市の魅力について

話させていただきました。

 

ちなみに過去の放送は

コチラで聴くことができます。

 

30分番組で、

ゲストは最初から最後まで僕ひとり。

はたして番組は成立するのでしょうか?(笑)

 

途中で僕のオリジナルソングも

流してもらっています!

 

そう、もちろん「あの曲」です(笑)。

 

それはさておき、いま西東京がアツい。

 

特にクラフトビールの「ヤギサワバル」

駄菓子屋さんの「ヤギサワベース」など、

魅力的なお店が次々と登場している

西武柳沢駅周辺は大注目エリア。

 

都会のど真ん中にあるオシャレスポットと違って、

「油断しながら楽しめる」というのが

西武柳沢や西東京の魅力ではないでしょうか。

 

週末の予定に困ったら、

ぜひ足を運んでみてくださいませ♪

 

 

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朝、公園を散歩していたら、

清掃員のおじいちゃんらの

会話が聞こえてきた。

 

 

「ずいぶん思い切りましたねー!」

 

「そう。ビバホームで500円!」

 

「へぇー!!」

 

「やっぱり500円のは

 500円の価値があるよ!」

 

 

一体どれほどの高額商品かと思ってたら、

見事に肩すかしを食った形だ(笑)。

 

500円で「ずいぶん思い切った買い物」

だそうなので、おそらく100均で

売ってるようなものなのだろう。

 

そのモノが結局何だったのかは

わからずじまいだったが(笑)、

僕にとってこの会話は

500円分以上のほっこり価値があった。

 

 

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僕より若いある友人の名言。

「結婚は誰とでもやっていけると思うんですよ」

「同じ価値観の相手は楽ですけど、あんまり変化はないですよね。価値観が違う相手は大変ですけど、伸びしろがありますから」

自らの経験から語られる言葉は重みがある。

ちなみにこれは僕の名言。

「トイレは行ける時に行っておけ。」