杉原学の哲学ブログ「独唱しながら読書しろ!」 -10ページ目

ほうれん草のプランター栽培を始めた。しかもウチは庭がないので、部屋の中での栽培だ。

前々から農業には興味があって、有機栽培の里として知られる埼玉県小川町の農家さんのところへ体験農業に行ったこともある。そしてその時に思ったのは、「やっぱり農業は、自分でやってこそ面白いのではないか?」ということだった。

たとえ規模は小さくても、思うように収穫ができなくても、自分の畑を自分の思うようにやるのが、農業の面白さのような気がしたのである。もちろんそれを専業にしようと思えばそんな悠長なことは言っていられないのだが、僕の場合はそういうわけでもない。

そんなこともあって家庭菜園をやりたいと思っていたのだが、実際に始めるまでにはずいぶん時間がかかった。家に庭がないというのも理由のひとつだが、大きなベランダのある家に住んでいた時も、そこでプランター栽培を始めるには至らなかった。ホームセンターに種を見に行ったりしたこともあったが、なんとなく気が乗らなかった。

なぜ今回プランター栽培を始めることになったのかと言えば、固定種の種のことを知ったからである。ホームセンターなどに売っている種はF1と言われるもので、基本的に一代限り。育った野菜からまた種をとって、同じ野菜を再生産することはできないと言われている。

それに対して固定種は、再生産可能な種である。そして世代を継ぐたびに、その土地に合った野菜にどんどん変化していくという。僕は断然、固定種の方に興味があった。しかしそれを販売している店は限られている。もちろん手に入れようと思えば簡単に手に入るのだが、なんとなくそのまんまになっていた、というのが正直なところである。

そんなある日、『かがり火』という地域づくり情報誌で、この固定種を扱う「野口のタネ」というお店のことが紹介されていた。ちなみに僕はこの『かがり火』という雑誌で、「そんな生き方あったんや!」という対談の連載を持たせてもらっている。まあそれはさておき、そこに載っている「野口のタネ」の記事を見て、なんとなく「やってみるか!」という気になったのである。僕はいつもそうなのだが、何かをやろうと頭で思っていても、何かしらご縁のようなものを感じる出来事がないと始められない。自分では悪いクセだと思っているのだが。

まあ何はともあれ、さっそく「野口のタネ」のネットショップで、ほうれん草の種を注文した。理由は季節的なことと、あとは育てやすさ、そしてもちろんほうれん草が好きということである。

さて、そんなこんなでほうれん草のプランター栽培を始めたのだが、やってみるといろいろ発見が多く、「これはもしかすると、人生に通じることがたくさんあるんじゃないか」と思うようになった。野菜を育てることはある意味で自然と付き合うことなので、そこにさまざまな学びがあることは当然だろう。

だが僕は本当の自然の生態系の中でやっている農家さんとは違って、極めて人工的な屋内のプランター栽培である。そんな家庭菜園でどれほどの学びがあるのか?と自分でも思うのだが、これが意外にもたくさんの発見がある。要するに、自分の無知を改めて実感しているわけである(笑)。

野菜を育てる過程は、人間が生きる過程に通じるものがあるのではないか。そんなことを思い、どうせならその気づきをここで書いていくのもいいのではないかと思い、こうして書き始めた次第である。まあ農家さんや家庭菜園の経験者からすれば、「何を今さら……」と思われるようなバカバカしいことばかりだと思うが(笑)、自分のためのメモのような感じで書いていけたらと思っている。もしよければ、このバカバカしい栽培日記におつきあいいただけると幸いです。

 

身近な仲間5人で、「見舞講」という講を始めてみることにしました。

 

一応、令和2年10月1日からスタートする予定です。

 

仕組みはカンタンで、「メンバーの誰かが入院したら、見舞金として1万円ずつその人に渡す」というだけ。

 

今のところメンバーは5人なので、入院すると4万円の見舞金が手に入ることになります。

 

まあたいした額ではありませんが、半分遊びみたいなものですので全く問題ありません(笑)。

 

しかしこれがたとえば20人なら20万円が手に入るわけで、なかなかバカにならないとも言えます。

 

ちなみに、こんな形で規約をつくってみました。

 

<見舞講>

講会規約

一、この講を見舞講とする。

一、講員が入院した際、他の講員は入院した講員に見舞金としてそれぞれ一万円を渡す。

一、見舞金の受け取りは一度限りとする。

一、全員が見舞金を受け取った時点で講は解散する。

一、集会は必要に応じて開催する。

一、この規約は講員の全会一致をもって改訂することができる。

以上

 

 

 

それっぽい雰囲気を出すために、わざわざ毛筆で書いてみました(笑)。

 

まあ要するに、困った時の助け合いの仕組みです。

 

いくら親しい間柄でも、現金のやりとりはいろいろ気を遣うことが多いものです。

 

そこで、あらかじめこういう規約を作っておけば、スムーズに助け合いがしやすいんじゃない?という思惑もあります。

 

でも本当の動機は、なんとなく「講」のようなものをやってみたかった、というだけなのですが(笑)。

 

ただ損得感情みたいなものが出てくるとややこしいので、「見舞金の受け取りは一度きり」という制約を付けてみました。だから最終的にはプラスマイナスゼロになります。

 

もし最後まで入院することなく、受け取りの機会が一度もなければ、「いやあ、ずっと無事でよかったねえ」と思えばいいわけです。

 

ところで、僕が「講」を初めて知ったのは、哲学者・内山節先生の講義によってでした。

 

内山先生によれば、講はもともと自発的に作られた信仰集団で、それは同時に娯楽集団でもあり、助け合い集団でもあったといいます。

 

たとえば協同作業のネットワークである「手前講」、寺を巡礼する「巡礼講」、メンバーの死を看取る「看取講」、葬式の一切を取り仕切る「葬式講」、経済的な相互扶助の仕組みである「頼母子講」「無尽」などがあります。

 

田舎では協同作業のような形で助け合っていましたが、江戸のような都市部の講では、お金を使っての助け合いがなされていたそうです。

 

そんな話の中で、「現代でも『お見舞い講』のようなものを作ったらどうか」というようなことを内山先生がおっしゃっていて、「ああ、それは面白そうだなあ」と、ずっと頭の中にあったのでした。

 

僕らが始めた「見舞講」の規約は、あくまで僕らのオリジナルバージョンで、できるだけみんなの負担がなく、カンタンに始められる仕組みにしています。

 

そこに加えて、例えばみんなで月々の積み立てをしてもいいでしょうし、定期的な会合を設定するのもいいかもしれません。

 

それぞれオリジナルの規約を作って、みんなが独自の「講」を作り始めたら面白そうです。

 

ちょっと真面目に言えば、いろんな社会の仕組みが、どんどん自分たちの手から遠ざかってしまったのが今の世の中だと思います。それをもう一度、自分たちの等身大の世界に取り戻していくことが僕たちの課題のひとつのような気がします。

 

「見舞講」はそのための小さな実験でもあり、僕たちにとっては愉快な遊びでもあるのです。

 

江戸時代の小食主義――水野南北『修身録』を読み解く

 

 

「その人が一生のうちに食べられる食物の総量は、生まれた時から定められている」。

 

こう言われたら、あなたはどう思うだろうか。

 

もし本当にそうだとしたら、毎日お腹いっぱい食べることは自分の寿命を縮めることになるわけで、きっと誰もが小食に努めるようになるのではないだろうか。

 

さて、そんな「小食主義」を提唱したのが、江戸後期の観相家・水野南北である。

 

ふつう観相というと、その人の顔つきや骨格を見て性格や運勢などを判断するのだが、水野南北は観相を極めた結果、そのような常識的なやり方を超越してしまった人である。

 

驚くべきことに、水野南北の観相は、もはやその人を直接見る必要すらない。その人に会わなくても、性格や運勢などがピタリとわかってしまうというのである。

 

ちょっと信じ難いことだが、では一体何を見て判断するというのか。

 

そう、「食事」である。

 

水野南北は言う。

 

「わたしの相法において大切であるのは、その者が持っている運などではなく、ただただ飲食の慎みが保てるかどうかの一点なのだ」

 

「心身は食によって養われる。これが根本である。食の決まりがおろそかであれば、心身も同じようにおろそかである。心身がおろそかであれば、自己を治めることはできない」

 

言われてみれば確かにそんな気もする。人間の体はまぎれもなくその人の食べたものでできている。

 

そして南北が指南するのは、粗食と定食(じょうしょく)である。粗食を決まった時間に決まった量食べなさい、というわけだ。「余計に食べるくらいなら残してしまえ」というのが南北の教えである。

 

それにしても、食事だけで運勢がそんなに変わるものだろうか……と誰もが思うだろう。しかし南北の自信は絶対的である。

 

「まず三年、真剣に食を慎んでみよ。これでもし運気が開かなかったとしたら、あまねく道理も、あらゆる神も、鐘や太鼓の音もこの世界から消え失せていることだろう。そしてこの南北を、天下の賊だと言うがよい」

 

食を慎んで運気が開かれないとしたら、それはむしろ世界の方が間違っている、と言わんばかりである。

 

この自信の由来は、南北自身が食事によって運気を開いてきたということにあるのだろう。

 

本書によれば、若い頃の南北はあまり立派とは言い難い人間であったそうだ。それが密教の僧であり観相の人でもある師匠に出会い、生活を改めた結果、大いに世に知られるに至った。そのせいか、彼の思想の根底には仏教の教えがある。

 

肉は基本的に食べない方がよいが、それでも少量ならばむしろよい、とする柔軟性も南北の特徴である。それは僧侶であっても同じことである。著者は南北の思想を次のように説明する。

 

「肉が不浄だからいけないとはまったく言わない。この世界は万物からできている。肉であっても万物の中のひとつである。それを摂取できるということもまた仏の慈悲であると考えていたのである。お金についても同様である」

 

こういう形にとらわれない姿勢は、形式ではなくその本質を捉えなければ出てこないものだろう。

 

他にも、早寝早起きの大切さ、物を祖末に扱わないことなど、日常で心掛けるべきことも教えてくれている。生活が乱れがちで悩んでいる人は、ぜひこの書を一読してみることをおすすめしたい。

 

僕もこの水野南北の教えを知ってから、できるだけ小食を心掛けるようにしている。そのせいか、おなかがちょっとだけへこんできたような気がする。そう思っていま鏡で確かめてみたら、やっぱり気のせいだった。

 

 

江戸時代の小食主義――水野南北『修身録』を読み解く

 

 

当たり前だが、日照時間は地域によって異なる。

 

だから農業をするために、日照時間の長い地域へ移住する人もいるそうだ。

 

農業をしなくても、日照時間の長い地域で暮らしたいと思う人は多いだろう。

 

季節で言っても、夏から冬にかけて日が短くなってくると、なんだか寂しい気持ちになってくる。

 

しかしいくら日照時間が長い地域に住んでいても、昼くらいに起きて、深夜に寝ていたら、その人の実質の日照時間はものすごく短いものになるだろう。

 

だからたいていの場合、生活の中での日照時間というのは、地域差よりも、個人差のほうが大きいのではないだろうか。

 

極端に言えば、完全に昼夜逆転の夜型生活している人にとっては、この世界のほとんどの時間は夜である。その意味で、僕たちは同じ地域で生活していたとしても、全く別の世界を生きているということになる。

 

「世界を変える」というと大袈裟に聞こえるが、起床時間と就寝時間の習慣を変えるだけで、確実にその人の世界は変わるのである。

 

そして人間は、その自分が生きている世界に適応するように変化する。つまり、その世界との関係が自分を形成する。

 

その地域の日照時間そのものをコントロールすることはできないが、自分自身の生活の日照時間はある程度変えることができる。

 

早寝早起きが推奨されるのはそういう意味もあるのだろう。

 

もちろん個人の力ではどうにもならないことが世の中にはたくさんあるけども、どこかで「世界を変えるって、けっこうカンタンやでー」と思っているほうが、ちょっと愉快に生きられるような気がするのである。

コロナの影響もあって、電車でつり革を持たないようにしている人も多いのではないだろうか。

 

そうでなくても、身長が低くて手が届かないとか、全部使われていて残っていないなど、つり革を使えないケースも多々ある。

 

そんな方にぜひ使っていただきたい秘技を編み出したのでご報告したい。

 

名付けて、「架空タコあし作戦」である。

 

やり方は簡単。

 

まず頭の中で、自分の足が8本になったことをイメージして欲しい。

 

そしていつものように2本足で立ちながら、架空の残り6本の足でバランスを取るのである。

 

右に体重がかかったら架空の右足で踏ん張る。左に体重がかかったら架空の左足を動かして踏ん張る。

 

実際に足を動かして踏ん張ろうとすると、他人の足を踏んでしまったりする危険性がある。これはトラブルの元である。

 

だからその踏ん張るのを、架空の足でやってしまうのである。

 

「いやいや、架空の足でバランス取れるわけないやん!」と思うだろう。

 

それが、不思議と取れてしまうのである。

 

論より証拠で、みなさんもぜひやってみて欲しい。よければ、このブログに結果をコメントしていただきたい。

 

もちろんあまりにも大きすぎる揺れには対応できないだろうし、つり革を持てればそれがベストだろう。

 

だが僕はそんなこと以上に、この「架空の足」によってバランスが取れてしまう不思議を解明したいのである。

 

みなさんぜひ周りの迷惑にならないタイミングを見計らって、実験してみていただきたい。

 

もしみんながうまくいったら、念願のノーベル賞も夢ではない。

 

電車で足を踏んだ踏まないで発生するケンカを未然に防ぐ技術の発明ということで、おそらく「ノーベル平和賞」の受賞となるだろう。

 

ぜひ平和への貢献に、力を貸していただきたい。

「福」に憑かれた男 人生を豊かに変える3つの習慣

 

 

書店の店主に取り憑いた「福の神」の語りを通して、人生を豊かにする生き方のヒントを教えてくれる小説。

 

面白いのは、福の神が与えてくれるのは「幸せ」そのものではなく、「試練の数々」だということである。

 

「何してくれとんねん!」と思いきや、実はその試練の数々によって、人間は変わることができるというのである。

 

著者は言う。

 

「人生は不思議なもので、これ以上ないほどの危機的状況こそが、後から考えてみれば、自分の人生にとって、なくてはならない貴重な経験になるということを、誰もが経験から知っています」

 

僕も全くその通りだと思う。

 

人生のどん底の真っ暗闇で、はいつくばりながら拾ったものが、その人を一生支え続けてくれるのだと僕は信じている。

 

大きな試練であればあるほど、その人を大きく変える可能性がある。そのぶん辛いし苦しいけど、それを乗り切れば、新しい景色が見えてくるかもしれない。

 

少なくとも、同じような苦しみを経験している人に、「いやあ、実は俺もこんなことがあって……。でもまあ何とかなりまっせ。何なら力になりまっせ(笑)」と励ましてあげられるようにはなるだろう。

 

たいしたことないように思われるかもしれないけど、実際これは、ほとんど人命救助ではないだろうか。僕はこれを「菩薩力」と呼びたい。

 

チャンスはピンチの顔をしてやってくるし、不幸が幸福を運んで来ることもある。人間万事塞翁が馬。禍福はあざなえる縄のごとし。

 

でも人間は弱い生き物なので、途中で挫けそうになることもある。これ以上一歩も前に進みたくない、もう全てを終わらせたい、と思うこともある。

 

そんな時に、生きる力、前に進む勇気を与えてくれるのも、やっぱり人間なのである。かくして福の神の仕事とは、そのような出会いのプロデュース業なのであった。

 

さて、そんな福の神に憑かれたい人は、次の三つを常に心掛けなければならない。

 

「人知れず他の人のためになるいいことをする」
「他人の成功を心から祝福する」
「どんな人に対しても愛をもって接する」

 

これは「幸せの条件」ではなく、「福の神に憑かれる条件」である。逆に言えば、こういう人ほど、さまざまな試練にぶち当たるということもできる。

 

いやはや、世界は複雑である。

 

 

「福」に憑かれた男 人生を豊かに変える3つの習慣

 

「福」に憑かれた男 (サンマーク文庫)

 

説得力のある文章を書こうとするとき、非常に便利なのが「引用」である。

 

自分が主張したい内容をエビデンスによって補強したり、その分野の権威と言われる人の文章を紹介して、「ほら、この人も同じことを言ってますよ!」と間接的に応援してもらったりするわけである。特に論文などでは、自分の考えの根拠を提示するために極めて重要な要素ともなる。

 

だがその便利さ、効果の裏側には、危険な罠も潜んでいる。

 

引用に使われる文章は、すでに一定の社会的評価を得ているもの、あるいは論旨明確、反論の余地がないものが使われやすい。そこに大きな落とし穴がある。

 

最初はあくまで「自分の考え」を補強するために引用を使っていたはずが、いつのまにか、「その引用を使うために」論理を展開するようになってしまうことがある。そうすると、だんだん自分の考えが文章から薄れてきて、気がついたら、他人の考えを自分が一生懸命補強している、という転倒が起こりかねないのである。僕自身、しょっちゅうコレをやっている気がする。

 

もちろんその「引用」は、もともと自分の論理を補強するために使おうとしたものだから、たいてい自分の考えに近いものではある。しかしその文章のニュアンスや、その考えが生まれた文脈が違う以上、やはりそれは「別のもの」なのである。

 

にもかかわらず、それは自分の文章以上に権威を持っていて、社会的評価も得ている。そうすると、いつのまにか自分の考えが、その「引用」の文脈に引きずり込まれてしまいがちなのである。

 

これは書き手としては非常に恐ろしいことだが、ある意味で避けられない事態でもある。むしろそうして「引用」の文脈に引きずり込まれることで、自分の中になかったアイデアに辿り着けることもある。しかし、それはあくまで付随的な効果にすぎず、書き手はやはり「自分の考え」を表現することにその本分がある。

 

さらに恐ろしいことに、この「引用に引きずり込まれる」という事態は、文章だけではなく、人生そのものにおいても起こり得る。

 

「自分の人生」をより良いものにしようとして、すでに社会的評価を得ている人の書籍や、エビデンスのあるロジックを参照することは誰にでもあるだろう。それ自体は良いことだと思うのだが、それが行きすぎると、そのエビデンスやロジックを再現することが目的となってしまい、肝心な「自分の人生」がどこかへ行ってしまう、ということが起こり得る。

 

これはとっても怖いことだけれども、そのような影響を完全に排除することは不可能だし、完全に排除するべきだとも思わない。そのような「引用」の影響を受けながら、その上で創造される文章なり、人生なりがあるのだと思う。

 

でも自分に自信を持てない時などは、この「引用」の魔力に引きずり込まれて、「自分の考え」を失ってしまいやすい。でも、本当に新しい考えが生まれてくるのは、そうして何かの魔力に引きずり込まれた後に、そこからもう一度「自分の考え」を再創造する時のような気もする。いや、もしかするとその境地に至れば、もはや「自分の考え」とか「他人の考え」という区別もなくなっているのかもしれない。

 

本当に文章を書くということは、実際に引用という手段を使うか否かに関わらず、この「自己の喪失」と「自己の再創造」のプロセスなのだと思う。だから本当に「書けた」と思えた時は、書き終えた瞬間、ほんの少しだけ自分が変わっているのではないか。それはひとつの旅のようなものかもしれない。自分にとってわかりきったことなら、わざわざ書こうとは思わないのである。

食料品などの包装に記載されている「常温で保存」。

 

わざわざ冷蔵庫に入れたりしなくていいので安心、と思っていたのだが、この夏の暑さを経験すると、「これ、もはや常温ではないのでは?」という気がしてくる。

 

「常温」の基準はいろいろあるらしいが、「日本産業規格(JIS規格)」では、5℃~35℃と定められているようだ(KAJITAKU「常温保存って何度?常温保存でもいい食材ってなに?」)

 

ちなみに今日の東京の最高気温は36℃。

 

……超えてるやん(笑)。

 

もちろんこれはひとつの目安にすぎないだろうが、これだけ気温が上がってくると、その目安も見直しが必要になってくるかもしれない。

 

コロナで「新しい生活様式」という言葉が出てきたが、コロナに関係なく、「新しい生活様式」は常に求められてきた。ゴミの分別もそうだし、最近のプラスチック廃止などもそうだろう。それが全然追いつかなかった結果として、回り回ってコロナが発生した、ということかもしれない。もちろん一番の問題が産業の生産様式であることは言うまでもない。それも含めて、地球がいよいよ本気で人間の生活様式を変えにきた、という感じだろうか(笑)。

 

「常温」の「常」には、「いつまでも変わらない」とか、「普通」というような意味があるらしい。だが、この世にいつまでも変わらないものなど存在しない。とすれば、「常」とは常にフィクションだということになる。矛盾するようだけれども(笑)。

 

そもそも僕らの「日常」は何によって支えられているのか。それをよくよく見てみると、「日常」が実はぜんぜん「変わらないもの」でも「普通のもの」でもないことがわかる。コロナは結果的にそのことを暴露したのだろう。

 

そんな中で今、僕らにできることとは何か。

 

それは、家にある食料品の中から「常温で保存」と書かれているものを発見し、早めに消費することである。

 

あの日の常温は、もはや今日の常温ではない。

 

そう、恋が、遠い日の花火ではないように……(ただのノリです)。

 

僕らがいま意識すべきは、「GO TO」ではなく「JO ON」なのだ。

 

今日からあなたの家でも「JO ON キャンペーン」をスタートさせて欲しい。

 

「あれ、こんなのウチにあったっけ?」と忘れ去られた食品を発掘し、食卓に並べれば、「GO TO」しなくてもじゅうぶん楽しめるかもしれない。

 

それはひとつの「非日常」である。いや、「HI NICHI JO」である。

「自分の薬をつくる=自分の日課をつくる、ということ」と著者は言う。

 

僕もちょうど自分の日課を模索中だったので、ここぞとばかりに読んでみたら、期待以上の収穫があった。

 

著者が一貫して主張するのは、「アプトプットの大切さ」。

 

とはいえ、「いいモノを作りなさい」とか、「いい文章を書きなさい」と言っているわけではない。何かを食べたら必ず排泄するように、息を吸ったら必ず吐くように、何かをインプットしているぶん、何かをアウトプットする必要がある、というのである。

 

それはつまり、「生きる営みそのもの」としてのアウトプットである。

 

だから、鬱になったり、死にたくなったりするのは、ずっと排泄しないとお腹が痛くなったり、ずっと息を吐かなかったら呼吸困難になるのと同じで、「アウトプットしないと死んでしまいますよ!」と体が信号を送ってくれているというわけだ。

 

これはとても説得力があるし、いい考え方だと思った。インプットばかりで「詰まり」が生じているところを、アプトプットすることによって「流れを良くする」というような感じだろう。

 

もちろん、鬱や死にたい気持ちに明確な原因があって、それがわかっているのなら、その問題を解決するのが一番だろう。それもひとつの「アウトプット」と呼べるのかもしれない。ただ、何だかよくわからない、憂鬱な時というのは、確かにアウトプットには絶好の機会と言えるかもしれない。

 

ちょっと話は変わるけれど、先日YouTubeで、刑務所から出てきた若者を世話する社長の番組を見た。その方は実に情け深い人格者で、番組を見ながら心の中で「ありがとうございます……!」と思わずお礼を言ってしまったほどだ。

 

その番組の中でのワンシーン。

 

その社長が、出所したばかりの若者に、「今一番不安なことって何?」と聞く。若者は、「やっぱり仕事をちゃんとやっていけるのかどうかっていうことが……。被害者に謝罪して、お金も払っていきたいと思っているのですが……」と答える。

 

それに対してその社長は言う。

 

「やっぱりまずは、自分の生活を安定させることだよね、働いて。そこから体力も戻って、仕事の波に乗ってきて、お金も返済できるようになればね、うん」

 

実際にはもう少し長いやりとりがあったのだが、僕はこの対話を聞いていて、何だか苦しい気持ちになった。

 

その社長は、心からその若者のことを心配し、応援している。それは明らかに伝わってくるし、彼へのアドバイスも全くその通りだと思った。ただ、僕はそれを聞いて、胸が苦しくなったのである。だから、「なぜだろう?」と考えた。

 

僕はこの時、出所した若者に感情移入しながら会話を聞いていたと思う。その時に僕の胸に湧いてきたのは、「自分を活かしたい」という思いだった。

 

ただ、出所した自分がそんな権利を主張できると思えないし、その社長の言うとおり、まずは働いて、自分の生活を安定させることを第一に考えるべきだろう。

 

このとき、出所した若者にとっても、その社長にとっても、働くということは、第一に「安定して働く」ということのように感じられた。そのことが、僕の胸を苦しくさせていたような気がする。

 

「出所したのだから、またゼロからやり直せばいい」と人は言うし、そのことが本人にとっての救いになることもあるけれど、僕は必ずしも「ゼロ」からやり直す必要はないと思う。

 

犯罪を犯した経験、その罪を背負う経験、それらもまた、その人の人生の一部なのだ。その経験を含んでいるのが自分なのだ。だから僕は、それを活かしたらいいと思う。その経験を直接活かさなくとも、その経験をした自分をできるだけ活かしたらいいと思う。

 

ずいぶん横道に逸れてしまったけど、また『自分の薬をつくる』に戻ると、刑務所から出所したその人には、その人固有のアウトプットというのがあると僕は思うのである。そしてそういう固有のアウトプットができていれば、刑務所に入ることもなかったのではないか、と思わずにはいられない。

 

その番組によると、出所する若者はみな社会復帰を誓うけれど、順調に仕事を続けるケースは多くない、という。僕はそれは、その人固有のアウトプットということが意識されていないところに、ひとつの要因があるような気がする。

 

そのようなアウトプットを意識した上で、自分らしい生き方を実践するための過程としての「とりあえずの仕事」であれば、僕は少しは続けられるような気がする。だが、その「とりあえずの仕事」を続けること自体を人生の目的にしてしまったら、それはとても苦しいことになると思う。

 

その点、この番組の社長は、出所後に紹介できる仕事の分野を拡げる取り組みをしていて、ぼくは「ナイス!」と思った。そしてその選択の軸に、その若者の心が喜ぶアウトプットがあれば最高だと思う。

 

生きることの喜びを日々感じている人は、他人からそれを奪いたいとは思わないだろう。それは出所者であろうがなかろうが、みんなに言えることだと思う。

 

坂口さんの言う「自分の薬をつくる=自分の日課をつくる」ということは、そういう生きる喜びを、日々の生活の中に埋め込んでいくことなのだろう。そしてそれを未来に実現させるのではなく、今日という生活の中に実現させるのである。坂口さんは言う。

 

「夢は努力していつか叶えるみたいに必死にならずに、今すぐ叶えてみる、今すぐその夢の姿になってみる。それでこそ真剣にやれるってもんです」

 

実に愉快な気持ちになれる一冊である。

 

 

自分の薬をつくる

 

写真家であり革職人でもある、友人の井口康弘氏。

 

彼にオーダーしていたキーケースが完成したとのことで、先日受け取りました!

 

 

イニシャル入りです!

 

 

「薄いのがいい!」という僕のオーダー通りのナイスな仕上がり。

 

 

開いた感じもカッコイイ。

 

 

右のカードケースは、井口氏のワークショップで自作したもの。この上なく気に入っていて、だいぶいい色に仕上がってきてます!革製品はこの色の変化が魅力。キーケースもこれからしっかり育てていきます!

 

 

写真家・革職人の井口氏とキーケース。梅の木十条店にて。

 

 

僕の夢は、自分の周りの全てを、自分で作ったもの、自分の知り合いや尊敬する人が作ったもの、自然が作ったもので満たすこと。

 

またひとつ夢に近づきましたー!

 

井口氏の作品は下記のサイトで購入できます。オススメです!

 

■AUNJAPAN'S GALLERY