学びをつくる会世話人リレーブログ -17ページ目

学習が社会とつながっていく

「くさい~」

「なんでこんなところにするんだろうね」

「ひどいよ」

学校の裏門横に放置された大きな大きな犬のウンチを見て子どもたちは口々に発言し始めました。

最近毎朝、犬のウンチが学校の周りに放置されており、主事さんが悩んでいたのでした。


「みんなでポスターを作ったらどうかな?」

「そうしよう」

「作りたい」と子どもたちは盛り上がりました。


ウンチを処理していると、工事現場のおじさんが水をかけてくれました。

「ありがとうございます」と子どもたち。

「いつもウンチをしたままにしていく飼い主の人がいるんだよ」

と教えてくれました。


学級の子どもたちは昨年度から犬とのふれあい活動を行っています。

日本動物病院福祉協会から月1回、わんちゃんがきてもらい、子どもたちと交流を図っているのです。

犬との挨拶、犬との散歩、犬に関する授業、犬が参加する授業など様々な活動を行っています。


教室に帰ってからどんな標語にすればよいか話し合いです。

「犬にフンをさせないでください」

「でも犬はどうしても我慢できずに道でうんちをしてしまうんだ。それもだめかな?」

「それは仕方ないよ」

「した後でちゃんともって帰ればいいんだよ」

「水をかけて臭くないようにした方がいい」


その後パソコン室に行って自分たちで思い思いのポスターを作りました。

「犬のうんちは臭いのでもって帰ってください」

「犬のかいぬしさんへ うんちをちゃんともってかえってね」

「犬のうんちは外でくさくなってしまうので、ぜったいにもちかえりましょう」

「犬がもしうんちをしちゃったら がまんをしてもしょうがないので うんちをひろって 水でにおいをけしてください。 おねがいします」

どの標語も子どもたち自身が実際に見て感じたこと、話し合って思ったことを自分の言葉にしていました。


翌日。

主事さん達がこのポスターを柵につけてくれることになりました。

「ぼくのはここがいい」

「お願いします。ここに貼ってください」

主事さんのお手伝いをしながら学校の柵に自分たちのポスターを貼ることができました。

主事さんに「ありがとうございました」と言うと

「こちらこそありがとう。いつも犬のウンチを掃除しているから困っていたんだ」と言ってもらいました。

校長先生も「よいポスターを作ってくれてありがとう」

もちろん、道行く人も興味をもって見てくれていました。


今まで学んできた犬のことをもとにしてポスターを作り、

ポスターを作ったことでたくさんの人が感謝してくれ、

自分たちが社会で役立っていることを感じることができました。


学習が広がっていき、自分たちの周りの人たちをも巻き込んで大きく影響を与えていけると、

子どもたちはやりがいもあり、意欲にもつながるのだなと改めて感じ、日々の授業作りを反省しました。


このポスターを貼ってから10日間。まだ一度だけしかウンチの放置はありません。

火打ち石

火打ち石で火をつけてみた。やったことある?今日のように雨降りはつきが悪い。そんなときはドライアーでほくちを乾燥させる。かちかちとやっていくとほくちに引火。子どもたち全員が火花は散るが、引火まではいかない。そうかんたんに行かれても困るけどね。火の漢字の授業もおもしろかった。かちかちやまのアニマシオンも結構おもしろい。めずらしいことに欠席者以外全部の家庭学習日記ノートが提出されて、お祝いに2時間ぶち抜きで体育をやった。ミニバス・ミニバレー。ハンドベースに、ドッジボール。面白かったね。心に火打ち石だ。渡辺さんの熱意でできたこのブログ、更新は命がけ。決して身体とも元気ではないけどね。


笑い声

いじめ・自殺予告の手紙を読む。だれかとか狂言とかいろいろあるけどなんでもいいから死ぬな、ということだ。でも読んだ子どもたちは笑った。笑われるような内容か!と少しだけ怒ってみる。他人事でhなくきりきりと自分事としてとおいこんでみたところでやはり感じ取れない。この笑い声はもしかして笑い飛ばすということでもあるかもしれない。ある種の健全さを表しているかもしれない。しかし、今悩んでいる人、死のうとしている人もいるということにおもいをはせてもらいたい。笑い声に集約された理由というのも変だが、子どもたちは今日はじゃがいもとかぼちゃ料理を必死に作った。そこには手を繋いだおいしい顔が存在していたからだ。

生活科教育学でコマ回しを教えること 不器用のススメ

今日の生活科教育学の講義は、1)彫刻と子ども(明石の総合の本から)、2)生活科・総合の中で地図を使うことのすすめ、3)コマ回しを覚える実技、という3本立てでした。コマ回しは真剣でしたね。コマはなぜ回るか、ひもの巻き方右利き左利きの場合とままわしかたを6時過ぎまでやってさようならしました。そのあと女子学生からこんなメールがきてほろりときました。

「今日最後までコマが回せなかった社会科学科のSです。あの後友達が付き合ってくれて、7時くらいにとうとう回せるようになりました!回せた時は飛び上がってみんなで喜びました。
お忙しいところご迷惑をおかけしてすみませんでした…今日は本当にありがとうございました!
今日先生がおっしゃられていた不器用な人間は子どもの気持ちがわかるということ。あの一言で私は救われた気がしました。教師を目指して、これから不器用なりに頑張っていきたいと思います。
これから半年間、またよろしくお願いします!」不器用であることはできない子の気持ちと今に寄り添ってエヂュカシオンできる、引き出せるということで、最近接領域を設定できるということだ。こういう一瞬があることは教師として本当に幸せなことだった。きっとこの子はいい教師になるぞ!

文化祭が終わりました!

 文化祭が終わりました。文化祭はとてもいいです。子どもたちの思いを表現できる舞台があるし、展示の場もあります。ごたぶんにもれず「授業時間確保」を主張する人たちが「そんなことをやっていると学力がつかない」とばかりに、文化祭をななめにみていて、学校全体では「縮小」モードになっていますが、「よしがんばろう」という教師もたくさんいて、盛り上げてきました。十年くらい前までは、クラス毎に劇に取り組むエネルギーが学校全体にありました。今はなかなか全校で、という状況にはありません。


 学年劇に取り組みました。佐藤博さんからシナリオをもらった「キング牧師」のことを描いた劇に取り組んでいます。三年の子どもの気持ちにぴったりで、生き生き練習をし、上演しました。シナリオのタイトルは「I have a dream」。”今、キング牧師は私です”という最後のセリフを子どもたちが自分たちにひきつけて言います。キャスト全員で「We have a dream」を訴えました。子どもたちの発想はすごいです。劇の宣伝のために「ポスター」をどうしようか、と提案すると「階段に絵を描く」といい、階段2カ所に「階段絵」をたった3日間で描いてしまいました。展示部門の子たちも、このシナリオを見て、大壁画を作りました。これも題して「We have a dream」。学年全員の子どもたちの手形の上に、文字を浮き上がらせて、さらに学年全員の「夢」を切り張りして、展示しました。子どもたちの「夢」がひとつに合わさったようでした。


 おりしも「学力テストの点数で、悪いところは予算を減らす」という足立区教委の施策が問題になっています。私たちの学校は「もちろん」4段階の最低Dランクといわれています。自主的なとりくみははげまさない教育委員会などは行政改革のリストラの対象です。

いじめ

昨日のNHKの教育は見ているのがつらかった。予想されていたとはいえこれほど子どもたちの憎悪が互いに向けられることの重さがあからさまになるのだから。いじめとは何かという定義ではなく、NGワードといえる「きもい」「うざい」という2,3文字の言葉で全ての感情を包括するようになってもう何年たつのか。大河内君のお父さんを見ていて12年前に持った子どもたちと道徳の時間を公開したことを思い出した。12年前、遺書を読んで感想は求めなかった。だれもが酷いと言うだろう。でもおれたちは死ぬまではやってないよなあ、ということになるだろう、としめた授業だった。そこに「いのち」を重ねて、母親達にどれほど待ち望んだ命であったかを語ってもらった。しかし、この授業そのものはいくつか他の課題と重なって結局はうまくいかなかったのだった。だからこそ、今治の子の事件、滝川の事件前後から、いじめ・じさつ・いのちを考える授業をやってきた。今そこにある自分と違う人間を認め合うこと、そしてぶつかり合うことは大事で、人権と人権がぶつかるから話し合うことが大切だとしてきた。しかし、今日、軽度発達障害の子や口の重い子どもに対しても発言せよ、というだけで迫っていれば発言しない者は痛みを伴わないと思うものだ。大学で教えている。大学の授業で珍しい人に会うことが多い。一度働きに出て入学した人。今回は、大工をやっていて、大検で教育大にきた学生。「学生と教育の話ができません。白い目で見られますね。」と語っていた。教育大学には偏差値で入るのが現実だ。賢い学生達は「いじめる側」か「傍観者」の立場でいるものがほとんどである。反抗されたり、教師に暴言をはかれたらぱきんとおれてしまうだろう。京都の塾講師が子どもを殺すにいたったのも同じことがいえるかもしれない。たまにいく喫茶店で、近所のおしいちゃんがいう。「先生、おれは何ができますかね。」と。「学校に遊びに来てください!それが子どもを支えると思いますよ。見学ではなくて。」と返した。恵那の金字塔「はっちゃんのことをしんけんにかんがえるようになったぼく」を学生に読みつつ、「問い返しあうこと」と社会構成主義の授業必要を感じる。朝読書も100ますも学校は静けさを取り戻す。その静けさの隙間に、つぶやきや声が聞こえない。不気味である。アニマシオンしよう。エデュカシオンしようではないか。足立区の学校予算問題ですがこれで何を解決したいんだろう。足立区がもし下から2番になったら、一番下もまた努力するわけだ。フィンランドはそんなことしないよね。

A さんの新しい出発を祝う

11月の始まり。ポストの中に大きな封筒があって裏返すと差出人のところにAさんの名前が書いてあった。Aさんは、新採からの二年間『若い教師の会・教育実践研究会』(わたしが勝手に名づけている)で共に学びあった仲間だ。わたしの教室に月一度くらいの割で金曜の夜やってきて、自由におしゃべりしたり授業や子どもの指導について語り合ったりした。

 若い仲間たちは情熱があふれていて彼らから学ぶことが多い。子どもと生きる日常や学校の日々を語りながら、思わず涙がこぼれてくる。学びあってちょっとつながりあって、ほっとしながら教師を生きる場があればいいなと思っていた。箱根で温泉につかりながら、それぞれレポートを持ってきて、合宿研究会もした。

Aさんのクラスも大変だった。四月から“荒れた”高学年を担任させられた。彼女は二年間の教師生活をがんばり通す。それからどうしたかな…と思っていたら、近況報告のお手紙をいただいたのだ。

封筒の中には、彼女の新しい旅立ちの印が…。連続する出版物の一冊が同封されていた。「出版社に入り初めて編集したものです」と。コラムには彼女の言葉があった。「よかったな」と思った。

「一度区切りをつけ、新しい世界で頑張ってみようと今年の三月で学校を辞めました」と書いてある。わたしはすぐに返事を書いた。およそ以下のような内容で…。「ご活躍の様子、とてもうれしく思いました。自分を生きる、活かす道は多様です。編集のお仕事が喜びと充実につながっているならそんな素敵なことはありません。…教師だけが大切な生きる道だとは全然思っていません。こんこんと命の内側からあふれ出す喜びや感動、そして自分の中に立ち上がる力を本当に大切にしてください。どんな道に進まれても、ひとつひとつかけがえのない歩みがあるわけで、私はそのことをずっと尊敬しています。ご連絡いただいて私も勇気をいただきました。ありがとう」。

彼女の手紙の中に「あの濃い2年間は、本当に貴重な経験でした」と書かれていて、困難と向かい合いながらすごした日々を自分の生きる物語の中に取り込んでいて、そのことをうれしく思った。

 大田区に異動して、『若い教師の会・教育実践研究会』もなかなか開くことができなかったけれどそろそろまた声をかけようかなと思っている。若い教師のみなさん、ご連絡いただければまた一緒に語りましょう。

脳科学の危うさ

脳科学の危うさ。脳科学をテーマに、ということを声高に言う人がいてとまどう。脳科学の装いが有れば反論できないような気にさせる。高橋史郎氏が脳科学と大きな声でいっている。ノー科学に聞こえるのだ。


かさをささないシランさん

図書室で「かさをささないシランさん」の絵本をふと手にとって読みました。谷川俊太郎さんが文章を書いておられます。

「世の中に起きていることに、心を痛めても、自分には直接関係ないなと行動を起こさないシランさん。仕事はてきぱきこなすし、親切だし、休日にはスポーツをして、仲間達と楽しい時間を過ごすいい人。ちょっと変わっているのは、雨が降っても、かさをささないこと。ある日、かさをささないことが他の人と違っているという理由で、逮捕され牢屋に入れられてしまう。・・・・・・」

理論社から出されているこの絵本、読んでご覧になりませんか。

和光小の沖縄学習に同行して

 102729日、和光小・和光鶴川小6年生の沖縄学習に同行した。そのスケジュール等は私の「午後の歩き方」のほうをご覧いただくとして、一人の大人としても深く豊かな問題提起を受けた内容だった。今年は和光小が沖縄学習を始めて20周年、鶴川小には10周年となるので、大槻書店より『沖縄に学ぶ・沖縄で学ぶ』が出ている。

 ソウルのドゥーレ小学校との交流が始まっていることは9月のダイアリーにも書いたのだが、鄭校長先生と李牧師先生(教務主任にあたる)が見学したいと希望されたので、私も一緒に回ったのだった。ドゥーレ小は、自主的な活動として、毎週水曜日に日本大使館前で行われている「慰安婦にされたオモニ」の抗議座り込みの激励を続けている。先日、和光で交流をした「お別れのつどい」で、ドゥーレ5年生が代表挨拶の中で「慰安婦にされた韓国の女性がいたことを学んでほしい」と表明し「痛みをこえて希望をつなぎあっていきたい」という趣旨の発言をしたそうだ。歴史を学ぶということを大事にしていることを、この沖縄学習を通して鄭先生たちも理解してくれたのではないだろうか。また、こういう「教育交流」こそ今、求められているのではないだろうか。早朝から夜までハードなスケジュールを一生懸命ノートをとって学ぶ姿に、鄭先生が「岩辺先生、和光のこどもはすごいです!」と2日目の夜の「7人の証言」を聞きながら、思わず声をあげた鄭先生。それも日本語で! 

 宮城喜久子さんはひめゆり学徒隊の生存者であり、小学校の教師を勤めてきた。6年生を繰りかえし担任してきたが、その経験からも和光の子どもはしっかり学んでいると話していた。宮城さんの父親は戦時中、小学校の教師であり、「体育系的なバリバリだった」そうだ。たくさんの生徒を「はげまして」戦場に送り出した。その父が、19454月、いよいよ娘が「学徒隊」として出るために「別れのあいさつ」に帰宅を許されて戻ったとき、「行くな」「戦争で死なせるためにここまで娘を育てたんじゃない」と止めたそうだ。しかし、「しっかりと軍国の子」として教育を受けてきたので、ふりきって出発した。それでも、最後の出発の知らせを伝え聞いて、取り戻そうとして師範学校まで父親は来たのだそうだ。しかし、もう出発した後だった。家に帰って悔いて泣いたそうだ。母親が父が死んでから始めて話してくれたということだ。こういう話を次々と聞いた。教師である私には身につまされる話しだったし、涙がこぼれた。

 写真は、県庁前広場で踊る和光小6年生。一生の思い出だろうな。