社会科を中心とした教育講座に参加しませんか
夏休み後半からは都内を中心に、校内研究・研修会や教育講座の講師として7ヶ所を回りました。回っているうちに私自身が段々元気になっていくわけです。それはそうです。現場は明日までに何か提出、一学期の反省を踏まえ"学力をどうつけるか"などのレポート提出。加えて二学期[運動会・学芸会などの計画]と夏休みもないが如き中で、私は自分のやってきたことを語り、今子どもたちとどう関わりあっていくかという視点や方向を出すだけでいいのですから。そして何よりも会が終われば、質問など受けて大抵4時半までには会場を出ることができます。そして、帰りに好きな映画[演劇]を観ることができるのですから。
こんな講師活動を続けていたら、二学期からはとんでもない事態になってきました。現場の校内研究の分科会に来てほしい、ゲストティーチャーとして授業をしてほしいと要請が増えてきました。9月からは都内3校、埼玉1校とでかける日々となりました。
世田谷の校内研究の講師[障害児学級]に行く時には、高宮・渡辺さんから実践資料を送っていただき、すごく役に立ちました。この場を借りてお礼申し上げます。[お礼、返信が遅れ、誠に申し訳ありません]
また、ある出版社の人が、若い人向けに"社会科を中心に教育講座"を開いたら…という声がかかりました。4年前[妻の交通事故]まで都心で"社会科サークル"(15人程度…松戸・江戸川・世田谷からの参加)をやっていましたので、出版社の企画というのでなくサークルの再開という形で"もっと楽しく社会科を"というキャッチフレーズのもと「社会科ゼミナール」を立ち上げました。
16日[連休初日]の午後、荻窪の出版社を会場に借りて再開第一回を開催しました。松戸の学校では早くも運動会という、都内では中学校(娘・息子)の体育祭ということで、10人来てくれれば盛会と考えていたのですが、20人も参加があったのです。そして、半分は20代~30代。退職した友人が元の職場の若い人たちを連れて会場の入口まで来てくれました。(友人はお母さんの介護あるので帰宅)。…内容は地図学習をどう進めるか、コンビニ弁当を探る、象の旅から江戸時代を捉えるの3テーマで1時半~5時すぎまで。
次回は10月7日[土曜]です。このブログを見て参加したいなと思われる[輪]の人たちがいたら、連絡下さい。案内を送ります!
名前と顔と声のリアリティ
教師の実践記録を読む小さな研究会を新しくつくりました。なんとなく「読む会」と呼んでいます。3年目の別の小さな研究会も、しっかりと名前を決めることなく続けています。
ぼくが中学3年まで通っていた学習サークルは、名前がありませんでした。中学1年か2年のころの、印象に残っている出来事があります。ある話を、サークルを運営している方がきかせてくれました。高校生の、社会に積極的にアピールしていく活動を紹介した話でした。身近な学校か地域だったかして、聴いていたぼくたちは、その活動を担ったのが誰なのかにばかり関心を向け、「だれ、だれ」としきりに尋ねました。応えは「何をしたのか、中身が大事だよ」というものでした。このことばを聴いた自分の驚きをよく覚えています。それから、「何を」を気にするようになりましたが、だんだん考えるようになってきたのは、「誰が」と「何を」の区別の上で、「誰が何を」が大事だということでした。
そのサークルの名前も今の研究会の名前も、はっきりしないのですが、ともにそこにいる一人ひとりの名前と顔は、確実に思い浮かんできます。名前と顔をもった誰と、何をするのか。そこにリアリティがあると感じています。
名前と顔のもつリアリティは強いと感じます。高専で同級生を殺したという少年の顔写真と名前をテレビ画面に目にしたときも、著者の顔写真を眺めながら理論書を読むときも、自画像を、それを描く画家のまなざしや息づかいも感じながら見つめるときも。道端に座り込むホームレスの人と目があい、ああこの人には名前も誕生日もあると、当たり前の「人間」を感じなおすときも。自分の向こう側に相手が見えてきて、存在の確かさ、ごつごつした感じ、生々しさを実感したり、近づいたような感覚をもったりするリアリティです。向こう側や相手を「わかった」といえるものでは決してないのですが。
名前と顔に、「声」が加わると、一段とリアリティが増します。あるいは、声に名前と顔がはり付いているときにリアリティがあるのかもしれません。「何をしたのか、その中身が大事だよ」のことばが、それを発した人の存在とともにぼくに生き続けているように、心に息づく教師のことばとの出会いは、借り物ではない、その教師自身の声が発せられるときにあるのではないでしょうか。教師が存在を賭けて「私の声」「私のことば」を発しうるときを大事にしていきたいと思います。
Google Earth
Google Earth に、はまっている。
無料でダウンロードできる、パソコンソフトだ。
これを起動すると、世界中どこでもを、衛星写真と航空写真で見ることができる。しかも、この写真は高さ情報を持っており、俯瞰するような視点をとると、立体的に見えるのだ。
チョモランマを探し、頂上からの景観を、いながらにして楽しんだ。
モルジブは、話に聞くとおり、国民の住む島とリゾートアイランドがはっきり分かれていた。
ニューデリーの近郊には、プールつきの家が何軒も並んでおり、認識を新たにした。
「ナスカの地上絵を探そう」と友人と競い、大いに盛り上がった。どのくらいの大きさのものなのか見当もつかず「捜索」は難航したが、ついに「発見」した。本当にそれらはあった。写真では見ていたが、現実に―とはいえ、これも映像なのだが―私の自宅の写真と連続する映像の中にそれらを見つけ、本当にあるんだなあと、妙な感慨を持った。宇宙人が描いたにしては、小さなものだった。
それ以来、遊びの方向は、世界遺産や有名な建造物探しに進んでいる。
ギザのピラミッドのそばに、大手ファーストフード店があることは『トリビアの泉』で知っていたが、それにしても、こんなにカイロ市街の近くにあったとは!
切り取られた映像ばかり見ているので、誤った(あるいは、誇張された)イメージをもってしまっていることを思い知らされた。
これ、きっと授業に使える。今は「トリビアの種」に過ぎないけれど、さまざまな使い方があるはず。
夏休みがおわれました
夏休みには韓国に行き、ふたつの違った「集まり」に参加しました。ひとつは歴史教育者協議・交流委員会の集まりです。もうひとつは私が以前から参加している日韓教育実践研究会の集まりです。いずれもソウルで行われました。
それぞれの交流は歴史をどう教えようかという真摯な教師の交流でした。両方とも会場は学校でした。
前者はソウル中央高校です。「冬ソナ」のロケ地になった学校です。日本からの観光客がよく訪れるようです。校門には「校内の公開は生徒の授業の邪魔にならないよう朝6時から6時半と夕方4時半から6字までにお願いします」と書かれています。校門前には大きなヨン様のポスターが売られていました。ちなみに韓国では「俳優のポスターを集める」という”習慣”はないそうです。この高校は私立の高校です。朴正熙元大統領の息子が卒業した学校としても有名です。
後者の会場はソウルの公立小学校(韓国では初等学校とよびます)でチャンシン初等学校です。とても立派な設備で、なかには「民俗資料館」の部屋もあり、子どもたちが民族文化にふれられるようになっています。教室は冷暖房完備で、どの教室もパソコンを備えていました。東京の小学校とくらべると設備はかなり良いといえます。
韓国では「教科書をそのまま教師が教え込む」という体制に対して、批判が起こっていて、2つの交流会とも韓国のレポートは子どもたちが意見を大事にしながら、日本と韓国の関係を考えるというものでした。韓国のレポーターは若い教師がどんどんやっています。
歴史教育者協議会の交流では(古代・中世までですが)日韓の共通副教材もつくり、両国で発売していこうとしています。秋には日本でも発売されます。青木書店からでます。
やらなきゃなぁ~
通信課題をやらなきゃなぁと思いつつ「どれから手をつけよう」「広げっぱなしにしておくスペースあるかな」「全身が映る鏡か・・・」「動物園でスケッチか」「まとまった時間とれるかな」うーん・・・手をつける気になれない・・・やらなきゃいけないことは他にもいっぱいあるし・・・
天気がいいから、布団を干して、洗濯もしよう!カーテン洗おうかな?とばたばた働いていたらお便りが届いた。
曰く「スクーリングは受けたものの、通信課題が出せていなくて単位修得に至らなかった方が多いのです。9月です。頑張って、毎日3時間課題に向かいましょう。」
えっ!1日3時間のお絵かき時間を確保するのは無理。
学ぶという環境に身を置くのは、とても心地がよいのだけれど・・・提出期限に迫られると辛くなってしまう。通信で学び続けて卒業する人ってえらいんだなぁ。通信は挫折しそうだわ。スクーリング楽しかったんだけど・・・・
絵に出会って、自分が見えてくる
夏休みの中旬にアメリカのワシントンDCとニューヨークを旅行した。今回の旅行の目的は美術館巡りと犬のシェルター(保護施設)の見学。
ワシントンDCでは、ナショナルギャラリー、フィリップスコレクション、ニューヨークではメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、フリックコレクションと5つの美術館をまわった。
一日一美術館。開館から閉館までほとんど美術館で過ごした。日本の美術館のように有名絵画の前に人だかりといった雰囲気ではない。とても有名な名画と1対1で向き合えることも多い。
部屋の真ん中に置いてある椅子に腰掛けて、たくさんの絵が飾ってある部屋を眺める。時々スーッと絵の中に入り込んでしまうような感覚になったり、勝手な想像をして楽しんだり、もの思いにふけったり…。なんだかしあわせな気分になる。
旅行前からこの絵を見たいといった目的の絵があった。本物の絵は本で見る絵とはやはり違う。大きさ、色、筆遣い、タッチ…そして何か心にググッとくるものがある。
他にもたくさんの絵を鑑賞しているうちに、昨年までの旅行では興味が湧かずに、「この人の絵はあまり好きではない」と言っていたある画家の絵に引き込まれていく。今まではあまり好きではないなと感じていた画家の絵が、今回の旅では妙に気になるのだ。
昨年の自分と、今年の自分とでは、何かが変わっていたのかもしれない。自分では思っていなかったのだけれど、絵がそう感じさせてくれたようだ。
子どもたちはどんなことと出会って自分を感じるのかな、自分が見えてくるのかな。
子どもたちと一緒にたくさんのものに出会えるような新学期にしたい!
岩辺さんと沖縄でアニマシオン集会
…今までの聞きかじりの学習だった私がコーディネーターの役を外れ、一番勉強になったのかもしれない。
…沖縄への機内で「佐賀のがばい…」を読んでいたこともあって、アニマシオンでいう物語る力[想像力=創造力]を"がばいばぁちゃん"の中にファンタジーをつくる力を見ていた。また、「楽しい(ゲーム感覚)だけで…いいの?」という私の問いかけに、今日は怒るまい、今日は沈黙の授業にならないようにと教室の扉の前でほっぺをはって自分を鼓舞した昨年の6年の授業を思い出した!…数人の国立・有名私立受験生と保護者にかき乱されて、"楽しい授業"も受験とおきかえられて…。でも大半の子ども達は健全で楽しい授業を待っていたんだと感じた。学びあう"楽しさ"を子ども達と共有できたらと願う教師の切なる思いを岩辺さんの話からも感じた。
…沖縄の若い先生たちからは子ども達が何か身についたり、出来るようになるというより子ども達と学びあい、みんなで深められるような"豊かな学び"を創りあげたいという熱気を感じた。…分科会は笠井さんのワークショップの進行を手伝わせてもらった。写真集「きみが微笑む時」の参加者の物語る世界が面白かった。"写真を見て、どこ?"と問わないで自分たちで写真の世界を物語ることが良かった!…ワークショップは急に20~30名増えたけれど、高校の国語の教師[2人]が学級読書の時間をどう切り拓こうか休憩中に話しかけてきたことも印象的だった。それにワークショップ終了後、"人権のアニマシオン"の特別講座に20人も聞きいっていたのには驚いた。…沖縄というゆったりとしたムードのなか、若い人たちの熱い心に打たれた。
『ねがい』
『ねがい』という曲をご存知でしょうか。
“もしも この頭上に落とされたものが
ミサイルではなく 本やノートであったなら
無知や偏見から解き放たれて
君は戦うことを やめるだろう“
広島の中学の生徒が、本当の平和は、相互理解、尊重、信頼から生まれるものと、学年卒業式のために作った曲。
原曲は4番までだったが、5番以降を作ろうという呼びかけに40カ国から応募があり、今日現在で、559番まで作られている。また、27ヶ国、31言語に翻訳され、歌われている。
私は、うたごえ系の合唱団に入っており、今夏は『ねがい』を歌う機会が多い。
7月7日は、韓国の歌手キム・ウォンジュンさんのコンサートで。「一緒に『ねがい』を歌いましょう」と一般募集し、200名での大合唱になった。2日前にミサイル発射のニュースが届き、タイムリーな企画になってしまった。
7月末には、ある民間教育団体の全国大会に。若者たちの平和への実践報告がすばらしかった。そして、朝鮮初中級学校の生徒さんの話も印象深かった。
拉致事件発覚後、数々の嫌がらせを受け恐怖の日々を送る。そんな時、近くの中学から学園祭への誘いを受ける。不安な気持ちで参加。しかし、拍手で迎えられ、交流が始まり、信頼の関係がつくられたという。
今後も、研究集会や平和コンサートで歌っていく。他の民間教育団体や保育関係の大会で歌った団員もいる。
これらの多くは、特定の合唱団が歌うのではない。それぞれのステージに向けて「~で歌う合唱団」が呼びかけられ、個人の資格で歌い手が参加する。幅広い、緩やかなつながりである。
会場で口ずさむ人の姿も増えてきた。確実な広まりを実感している。
「働くことの学び」を、いま~全進研大会を終えて
8月3~5日の全進研大会が終わりました。まだ頭のなかが整理できていませんが、学んだことはたくさんあります。
『過労自殺』(岩波新書)の著者でもある弁護士の川人博さんは、「記念講演」のなかで、現代の職場で、働くものたち―とくに若者―が、どんなに非人間的な扱いを受けているかを、生々しい資料にもとづきながら話してくれました。教師の目は、つい「学校」のなか、そこでの子どものところにとどまりがちですが、かれらがこれから生きていく現実の社会とはどんなところなのか、そこで人間らしく生きぬくためには、どんなちからが必要なのか――それらに思いをはせないで、いま、アクチュアルな「学び」をつくることはできないでしょう。
この講演のなかで川人さんは、「学校で子どもたちに教えてほしいこと」をいくつか挙げられました。
まず、今日の労働、職場の実態を、“過不足なく”、つまり、「働くこと」の大切さ、すばらしさだけでなく、その厳しさをも、伝えること。これは、私がいつも述べていることとも一致します。
また、歴史教育のなかで、近現代史、とくに労働現場の歴史をていねいに教えてほしい、という指摘もありました。あの「女工哀史」や「野麦峠」のような話はもちろんですが、人間らしい生活や自由を求めての、働く人たちのたたかいの歴史を伝えることも含めて言われたのだと思います。
私自身がこの大会に向けてとくに提起したかったことは、「働くことを学ぶ」というテーマを一つの軸とした教育課程をつくる、という課題についてでした。全進研編の新しい本『働くことを学ぶ ―職場体験・キャリア教育―』に載せた拙文「いま『働くことを学ぶ』ということ」は、それについて述べていますが、大会最終日の講演では、今泉博さんが、「文化としての学び」と関わらせて、私のそこでの問題提起を支持し、広げてくださいました。
また、会場を提供してくださった一橋大学の久冨先生も、「(そういう、働くことの学びを)若者も求めている」のを実証する調査が載せられている、大学の研究紀要『〈教育と社会〉研究』を示され、私は、それをご恵贈にあずかりました。
「進路をひらく学び」というテーマについて、さらに深めていきたいという思いを新たにした全進研第44回大会でした。
「回転ずしの授業」をつくる
夏休みに入り、2学期の授業プランをつくっている。総合学習または社会科のプランだ。
ぼくはやたら食べることが好きで、レストラン、食堂によく入る。回転ずしは値段も手頃でよく行く。この数年間、不思議なのは1皿100円でトロが食べられてしまうことだ。20年前はまだ高級食材でめったに食べることはできなかった。なぜこんなに安くなったのか。そこが授業づくりのきっかけだ。
週刊エコノミスト(2006年8月8日)、朝日新聞夕刊「マグロの道」(2006年6月17日~6月22日)、朝日新聞夕刊「地中海はマグロブームにわく」(2001年4月20日)、日刊水産経済新聞「どうなる?にっぽんの食」(2006年7月21日)…などを読み、だんだんとカラクリが見えてきた。と同時に、このままでは魚が手に入らなくなるのではと、「食いしん坊」としては心配になってきた(日本人は外国人と比べ、一人につき3倍の魚を食べている。私たちの責任は重い)。
アンガス牛がアメリカで開発され、牛肉1kgにつき、8kgの穀物を与えることにより、やわらかく、おいしいビーフを西欧で(日本も)食べられるようになった。中国もこの方法が導入され、近年、穀物の輸入国になっている(世界では20億トンの穀物が作られている。世界人口の2倍までが生きていける量だ。にもかかわらず、アフリカでは3秒に1人、植えた子どもたちが死んでいる)。多少の違いはあるが、これと同じようなことがマグロをめぐっても行われている。
先日、築地にある卸売会社の社長のところに授業作りのための取材に行ってきた。彼は水産資源を守り、おいしい魚を流通させるために様々な活動をしている方だ。初対面なのにいろいろと話をしてくれた。彼はいい魚を求めて全国、全世界をとびまわっている。「いい仕事をする人に出会えるのが楽しい。その日の相場だけで利益を得るために乱獲をしているのが悲しい」と語っていた。
子どもたちが現状をどうしたら変えていけるのか、解決策を出し合える授業をつくりたい。回転ずし店がいかに安く消費者にすしを提供する努力をしているか、そして利益を上げているかにもふれたい。子どもたちが驚いてしまう授業にしたい。そして現代の良心的な大人たちのとりくみも紹介したい。