学びをつくる会世話人リレーブログ -20ページ目

過労自殺

全国進路指導研究会の夏の大会が3日から5日にかけて、国立の一橋大学で開かれていた。


記念講演は、過労死弁護団の川人博さん。「過労死社会と学校」というテーマだった。資料を片手に、演壇の前の方まで歩んできて熱を込めて、わかりやすく語ってくださった。時折挟まれるビデオの映像が話の理解を助けてくれた。「過労自殺と企業の責任」という最新刊の本を早速買って読んだ。あまりにもひどい労働条件。でも、私の知人達の娘さんや息子さん達は似たような状況下で働いている。こんな社会はおかしい。


講演の締めくくりに・・・・学校教育に期待するのは・・・といことで、3点話をされた。1つ目・・職場の実態を過不足なくプラスの面もマイナスの面も伝えて欲しい。2つ目・・・日本の職場の歴史を学んで欲しい。特に現代史。過労自殺は戦前においても日本で起きている。こういうことを歴史の教訓として学んでいくことが大事。3つ目・・・労働者の基本的権利について学んで欲しい。たとえば雇用されている側は(労働者であるわたしたちは)、退職したいときにその意志を伝えたら辞められる。2週間経ったら効力を発する。今辞められたら困るよって言われても、辞める権利がある。


自殺予防教育をって新聞のタイトルに出ていたけれど、死ぬんじゃない!って命が大事だよって・・・・それは正論だけど、そういうのって道徳の時間に言ったらなんかうそっぽい。自分に絶望してしまう瞬間は誰にでもあると私は思う。それでも、次の瞬間に、「ダメなところばっかりいっぱいあるけど、でも、ちっとは役に立つこともあるし、まあいじゃん。なんとかなるよ。あんまり苦しかったら撤退しようよ。」って思えるようなそんな気楽さのある生き方していいんだよって、いろんな場面で伝えていけたらなあって思うんだけど。・・・教育基本法が改悪されたら、こんなお気楽さは許されなくなって、ますます過労死社会に突き進む子どもたちを作り出すことになる。期待されていることを達成できないのは自分が悪いんだと思いこまされるそんな学校にしちゃいけない。

夏休みなので…

先週から民間の研究会で勉強したり、のんびり旅行したりの日々です。29日から学校には行っていません。


地理教育研究会が鹿児島でありました。全国の中学の社会科の先生方が「教科書」で悩んでいました。教える中身がないからです。国の名を覚えさせたり、県の名を覚えさせたり、「調べ方」の学習と称して、インターネットで調べる方法だけを指導したり、という具合で、「社会科」の中身がないからです。これは教科書よりも学習指導要領の問題です。もっと目の前の子どもの実態から出発して、教材を考えることが必要だと思いました。


この研究会では「現地見学」が充実しています。南さつまの産業の実態も学びました。枕崎の鰹節工場、焼酎の工場、頴娃(えい)町の茶畑、開聞岳・桜島の火山灰台地と台風銀座の土地で生きる人たちの姿を垣間見ることができました。


研究会の後はしばらく九州ほうろうの旅です。大分で臼杵の石仏をみました。臼杵城下の武家屋敷跡も炎天下歩きました。竹田では滝廉太郎が小さい時に遊んだという「岡城」に登りました。「荒城の月」はこの城の思い出を歌ったといわれています。駅に列車が到着すると「荒城の月」のメロディーが流れます。のんびりゆったりとした時間をすごすことができました。


それにしても朝早く日豊線の列車に乗ると、制服を着た中学生・高校生が乗り込んできます。朝7時ごろからです。夏休みなのに…。きくと、「補習」があるそうです。自由参加になっているが、ほとんどの生徒が参加している、とのことでした。放課後も補習があると言っていました。ということは教師も学校に出ているということらしいです。これは鹿児島でも宮崎でもそうでした。

第3集ができます

 「いま平和教育を考える」の第3集が出来上がるところです。
 全国教研に持ち込もうと、雪崩れ込みのラスト、原稿1つ、メールを待っている間なのです。
 理論2編のうちの1つは、竹内久顕さんの文学教育での平和の提起。国語科の土俵に、初めて(たぶん)他分野からの論が出ます。
 教材分析は、小2あまんきみこ「きつねのおきゃくさま」、小3大野充子「母さんの歌」、小5長崎源之助「父ちゃんの凧」、中1米倉斉加年「大人になれなかった弟たちに」、中2井上恭介「壁の中の伝言」、中3野坂昭如「ウミガメと少年」、中3五木寛之「わたしが哀号とつぶやくとき」。
 月1の例会でおさまらず、2泊合宿研を2度もやって、年1冊は大変です。だけど、論議はスゴイ!確実に目が養われます。そして、楽しい。人間ホンライ、学ぶことは楽しいと、期待や建前でなく、自分自身が味わわなくてはね。(このラストが言いたくて書いてきたのです。)

パイプ復活

06・8・3
 やっと記事の記入に保存ボタンが表れて、入れられるようになった。
 初めに入れようと思ったのを律儀に?まずのせる。


 パイプ復活 06・5・29

 *今、煙草を吸うことについて考えている。吸わない日もあり、数本吸う日もありといった状態で、4か月ほどを過ごしている。おうかなとか、吸いたいなと思ったとき、ほんとに吸いたいのか、吸わなければどうだと思う。こういうときは吸いたいなと思うときには吸う。そうしてみると、たいてい1日3本にとまる。2月以後まとめて買うこともせず、家中のあちこちに置いてあったものを持ってきて吸っていて、5月末と6月で2箱買った。外出先で吸いたくなって買った。明日までに買い貯めするかどうか迷っている。

 *1日に3本という日が数日続くと、何となく3本までは吸っていいというか、3本をどういうときに吸うかとか、3本という本数に支配されるようになる。規律目標に数値を使うのが有効な手段だということは、こんな点から出てきたものだろうか。

 *現段階では、煙草をやめるのは簡単そうだから、それを簡単にせずに引き伸ばして、それがどうなるのかを見極めたい気持になっている。そのためにも、いつでも手が届くように、煙草は以前より手近に置くようにした。つい先頃までは、煙草はやめないと言ってもいたが、思ってもいた。今は?状態にある。煙草の量が減ると、煙草について考える量が増える。減るという自動詞の裏には、減らすという他動詞、意志の言葉がある。もっともぼくの場合、それが心理抑圧・ストレスになるより自分を実験材料に心理変化を楽しむ自虐状態にいるというべきらしい。他虐史観からの自虐史観攻撃に対抗しているのだから自虐的になるのは当然だ。

 *吸って30分経つとニコチンが切れて吸いたくなるのだそうだが、それはどんな調べ方をしたのかと思う。授業に熱中しているとき、討論で真剣に遣り合っているとき、畑で鍬を手に汗をかいているときなど、煙草に気が回らない。のんびり山路を歩きなが

ら吸うことはあっても岩登りの動きの最中に吸った覚えはない。ゆっくり休むときや、ぼうっとしているとき、原稿に難渋しているときにやたらに増える。

 *多いときは日に2箱40本も吸ったが、大体は20本という状態で40数年を過ごしてきた。初めから、深く吸い込んでいた。指が焼けるところまで吸うのは、親父の姿に習ったというより、山歩きでの知恵であって、灰は落としてもどうということはない

が、灰にならない燃えかけの煙草の葉は燃えやすい上に、始末の邪魔になる。吸い口の化学繊維のチップはなおさらで、腐らないし、動物が飲み込んで害がある。吸い切れば、灰とチップだけで、チップだけをポケットに入れれば、それでおしまいだ。

 *一番気になっているのが、煙草の害という言葉だ。肺ガンなどの主要原因としては大気汚染のほうがよっぽど大きいはずだと思うのに、そんな原因究明の統計的数字など、見たことがない。煙草バッシングは空気汚染の目くらましの意図的操作でなくとも、結果的にはその役目を果たしている。スギ花粉症と双璧だ。このごろは、多くの人がそうと半ばは思いつつもバッシングに加わったり余所目に見過ごすことで、毒ガス空気を吸わざるを得ず、そのために迫り来る運命を許容せざるを得ないという不安から逃れようとしているのではないかとさえ思ってしまう。

 *かつて煙草の害が言われ出した数十年前に、紙巻煙草の紙が問題だという論のあったことを思い出した。当時パイプ党で凝っていたから気に留めたのだったろう。そこで、パイプ復活だ。少し黴の生えていたのもきれいに磨いて並べて、ぼくの持っている中で一番太くて大きい、めったに吸い切ったことのないやつを再開に相応しいと選んだ。

 *儀式をやってパイプで吸い出してみると、初めてのことにも気付いたりして面白い。喫煙者の非喫煙時間帯の最長は、当然夜だ。だから当然朝の喫煙が、喫煙再開の刺激がもっとも大きい。紙巻煙草だと、その時に、うまいというより眩暈のような、どちらかというと嫌な感じを伴うことが多い。この感じは、何人もから聞いたので、確かなのだろう。それがないということを思い出した。今は目覚めに一服ということもないが、十数時間経ってからの煙草が、紙巻とパイプでは、まるで違う。

 *そこで改めて、紙のことが気になる。1本の紙巻煙草のうちの紙の量はどのぐらいだろう。無に等しいとは思えないどころか、化学的分析の数値上、相当な数値を占めるべきだろう。そんな数値を見聞きした覚えがない。煙草問題には、隠された数字の嘘がある。

 *かつて、PCBが製紙などをめぐって大問題になって、今でも埋め立てなど残留が報じられたりする。あれは、煙草用の紙とは全く無関係だったのだろうか。関係の有無は、製紙のシステム上どう説明され、点検されたのだろう。PCBに限らず、パルプを溶かして晒して固めていく工程上で使われる物質の全てで、無害物質だけしか使われていないという証明が、中立的で透明になされているのだろうか。

 *煙草の害はニコチン中毒と直結されることが多いようだが、ニコチン中毒と、紙巻煙草中毒との、数値的異同は証明済みなのだろうか。日本には、葉巻・パイプの人が少ないから、統計も取れないのかもしれない。だったら、それなりにどこかの国のしかるべきところと協力してやればいいはずだと思う。予想としては、喫煙問題は、依存症問題であって、生活習慣(病)として追求されるべきだと思う。過食も、呑みすぎも、ゲームお宅も、物は変われどということだろう。

夏休みというゴールにたどり着いて…

4月からずっと休む間もなく走り続けて、「もうだめだ」と息切れしそうになったところで夏休みというゴールにたどり着いた。夏休み初日に宿泊の調整休をとり、学校を休んだのだが、どうも切り替えがきかない。今日は平日なのに休んでいてよいのかという思いになってしまう。ゴールに着いたのだからゆっくり休んでと思っても、思わず仕事のことを考えてしまうのだ。これではゴールテープを切ったのに止まらずに走り続けてどこかへ行ってしまうマラソンランナーのようだ。

仕事のことを考えないようにするリハビリが始まった。あふれかえっていた仕事部屋のデスク周りを整理したり、いらなくなった資料を捨てたり、買うだけで読む時間もなくベッドの横につんであった本を読み始めたり…。


最後に夏休みの計画を立てた。夏休みとはいえ仕事もたくさんある。どんな仕事をいつするかを決めて、残りのオフタイムは仕事のことを忘れて自分のために使えるように計画。この作業を行うことで、いつが仕事でいつがオフなのかを明確になった。頭の中がすっきりした。


 この夏はたまっていた本(なるべく仕事に関係のない本)をたくさん読みたい!アメリカ旅行で芸術と文化を感じて来たい!家族とすごす時間を多くとりたい!


 仕事から離れるという作業を意識的に入れることによって、夏以降の仕事がより充実したものになるはずだ!


えんそく~♪

 ついにブログデビュー。でも2日遅れた・・・ごめんなさい。

 今日は、10月にある遠足の実踏にいった。目的地は、江東区にある木場公園。今年は、初めて公共機関(地下鉄)を使った遠足で、ドキドキ。

 団券で済ませるのではなく、自分で切符を買って電車に乗るという経験を子どもたちに準備している。月島の駅で、発券機を大人が3人で取り囲む。1人は、切符を買い、別の1人が発券機の画面を撮影する。そしてもう1人は、ジロジロ見ている周りの人たちに「混雑のところすみませ~ん。」と愛想をふりまく。撮った写真を事前に見せてタッチパネルの練習を子どもたちと行うためだ。思わず「うちの子どもたち愛されてるぅ。」とつぶやいてしまった。

 公園に着いてからも、トイレやアスレチックの写真をたくさん撮った。事前学習もここまでやるかと、ちょっと複雑な心境だ。

 歩きながら、ふと目に入ってきたものがある。読書をしている年輩のおじさん、バーベキューをしている若い人たち、芝生に寝ている男性、ベンチで話すカップルなどなど。

 素敵な光景だと思った。「この人たちはね、この公園で自分の時間をすごしているんだよ。余暇の時間の使い方を、自分で決めてるんだよ。」とうちの学級の子どもたちに伝えたいと思った。もしかしたら、うちの学級の子どもたちにだけ当てはまることではないかもしれない。言われたことはきっちりやり、休み時間(自由時間)になると何をしていいのか、どう時間をすごせばいいのかわからず、ボーっと立っていたり椅子に座ったままの子を、学級の中でよく目にする。自分の好きなこと、やりたいことに出会ってほしいなぁと感じてしまう。

 遠足のとき、「最後までファイト。あともう少しでつくよ!!」と子どもたちに声をかけてきた。でも今年の遠足は「あの人は、休み時間に公園で読書しているよ。向こうの人は、気持ちよさそうに寝ているね。」とおしゃべりしたい。「へぇ、こんな時間の使い方もあるんだぁ」って子どもが感じてくれたらうれしい。

『ちびっこ祭り』やってよかった

「この子たちと『七月まつり』をやろう」。一学期のあゆみを書き終えてほっとした時、そんな考えが突然ひらめいた。クラスが大変だったから、今年は本当に無理だと思っていたのだが…。『学級お楽しみ会』とも言えるけれど、班ごとの『ふりつけコンクール』が入っている。7月18日の音楽の時間に提案した。プログラムを見て子どもたちはやる気になった。「先生、学級会開かせてね」「いいよ」「ゲームぼくたちで決めたいんだよ」。うれしいことを言う。

 音楽の授業を使って各班が踊る曲を決めた。決まったといった瞬間から「こっちにおいで。君たちの班すごいじゃない、よし歌いながらふりつけを考えよう」、そう言ってどんどん教室で踊り出した。「ええっ、本当に踊るの」なんて照れていた子どもたちも一つの班がちょっとでも踊り出せば、のってくる。みんな踊るのは好きなのだ。

「先生、側転いれていいか」と剛君。勿論OKだ。

 クラスは8班あって、子どもたちが選んだ曲は5曲。『森のくまさん』『君をのせて』『線路は続くよどこまでも』『グリーングリーン』『南の島のハメハメハ大王』。去年の四年生などは『青春アミーゴ』とか『絆』、『つなみ』なんかを選んできた。この取り組みをすると必ずトラブルが生まれる。曲ぎめとふりつけ練習で意見が合わないとか、「あいつが練習してくれない。かってにやる。遊んでる」そんなことだ。この子たちは四月、けんかと暴言、トラブル続きで班の取り組みなんかやったらあっちの班こっちの班で泣く子がでて、一つ解決したかと思うともう向こうで取っ組み合いが始まったり、つばが吐かれたり、悲鳴をあげて泣き叫ぶ子がでて、わたしの方がパニックになっていた。でも、二歩後退一歩前進、こんな感じで少しずつ少しずつクラスは成長してきた。子どもたちはけんかはするけど、トラブルは生まれるけど、心をつなぎ合える仲間になってきた。その実感がある。それで、わたしは『困難から逃げないでやってみるか』と思った。

 二日目、学級会でゲームを決めたあとみんなで教室を飾る花を折って好きなところに飾った。その日の帰り5人の子たち色とりどりのテープをはった。三日目は終業式の日、7月20日。教室に入ってきた子たちは「わっ」と言った。「わあ、きれいだねえ。いったい誰がやってくれたのかなあ」とわたし。子どもたちが笑いながら「先生だめだよ。ぼくたちを騙そうとしたって」…。

 楽しかった。子どもたちは初めての班の踊りを楽しんだ。「勇気を出してみんな踊りを考えてがんばってるんだからさ、失敗したっていいの。イェーイって景気をつけてあげようね」といっておいたから、曲を歌ってあげては終わると子どもたちは叫び声をあげた。その日、「死ね」なんて言葉やちょっとした差別的言辞があってわたしに叱られたけど、みんな「楽しかった」と言ったり満足そうな顔をしたりしていたから、わたしはうれしかった。『七月まつり』やってよかった。

子どもはちゃんと伸びている

 今中学一年生を担当して思うこと。小学校時代、いろんな体験をしてきた子どもたちでしたが、入学したころはそんな片鱗も見せない「優等生」。しかし、やがていろんな課題が見えてきました。特に授業や学習の様子を見ると、子どもたちは大きく二つのタイプに分かれているように思えます。指示された学習活動にあたりまえに取り組む子たちと、その対極にある子たちです。
 「たまたま今日は忘れちゃった」という「忘れ物」の段階を超えて、毎回持ってこないという子がクラスに何人もいます。学期末なのにまだノートさえもっていない子もいます。提出物に名前を書かない、書いてあってもその字がとても判読できない…、などホントに困ったもんです。いわゆる学習成績の思わしくない子だけでなく「点数のとれる子」も同じです。
 おとなの目には一見否定的に映るこうした子どもたちの姿です。でも、一学期末に書いた作文で、「中学生になって成長したこと」について、Sくんは「中学生になる前は親にはなかなか反抗できなかったのに、中学生になってからは反抗できるようになりました」と書きました。自分の成長をちゃんと実感しているんですね。

 また、Tくんはこんな作文を書きました。
★ぼくは暗唱や暗記がとても嫌いでした。なぜなら、ぼくは覚えていてもすぐに忘れるからです。そんなぼくが暗記や暗唱が好きになったのは、N先生に出会ったのがきっかけです。ぼくは小学校の国語はとても嫌いでした。でも、N先生が教える国語はとても分かりやすくおもしろかったです。でも、ときどき、先生の話を聞かないで友だちと話をしたりして先生に怒られます。それでもN先生の授業は楽しいです。ぼくが一番おもしろかったのは折り句です。折り句は名前を使って言葉を作るんです。ぼくの作った折り句はなんと「ユーモア大賞」に選ばれました。選ばれたとき「やったー」って思いました。そして、また折り句を作るときもがんばりたいと思います。
 一学期末に10日間取り組んだ朝読書。「本」がちょっとしたブームになりました。読め!と強制されなくても、条件が与えられれば夢中になる……。本にはもともとそういう魅力があるんですね。学習も同じ。問題は、私たちがそういう魅力に気づくチャンスを子どもたちに与えているかどうかということ。それこそが私たちおとなのしなければならないことだと実感した学期末でした。

「職場体験」に対する町田のとりくみから学ぶ

 このたび、私の所属する全国進路指導研究会は、『働くことを学ぶ――職場体験・キャリア教育』と題する本を編集しました。8月はじめに、明石書店から刊行されます。

 多くの教職員に期待されているテーマだと思います。その実践の記録、働く若者のシンポジウム……などに加えて、いくらか理論的な整理も試みていますから、ぜひ、読んでほしいのですが、なかでも、今日の学校現場にとってたいへん貴重だと思われるのは、「学びをつくる会」の世話人でもある宮下聡さんが寄稿してくださった「押しつけられた『職場体験』にどうとりくんだか」と題する都教組町田支部のとりくみの記録です。

 町田の市教委が、いきなり市立中学校2年生全員に一斉「職場体験」をさせるという計画を発表しました。2005年のことです。それぞれの学校の主体的な教育課程や実態におかまいなしの、しかも、その段階ではまったく無計画・無謀な一方的な押しつけですから、町田支部の「基本姿勢」は、「撤回と再検討を求めるもの」であったのは当然です。

 「しかし、今の情勢を考えると、撤回要求だけでは無責任な押しつけがそのまま現場に持ち込まれ、困難への対応をすべて教職員が請け負い、子どもに重大な影響が及ぶことになりかねません」から、「子どもへの実害を少しでも減らす」「子どもの利益を守る」という一点に集中した行動が展開されます。市教委への「解明要求」「要請文」「請願」の提出…などのなかで、市民の共感も広がっていきます。

 「計画」段階と「実施」が終わった後の、二度にわたって行われた教育委員会での「組合としての意見陳述」の記録は、 事実にもとづき、ほんとうに現場の教師らしい子どもへの配慮や知恵のつまった、堂々たる内容で、これでは、行政の側もとうてい無視できないだろうし、多くの市民も深く共感するだろうと思わせるものです。

 宮下さんは、「職場体験」が、学校への行政の乱暴な介入であり、一種の治安対策に教育を利用しようとしている「ねらい」を、しっかり読み取りながらも、行政が「市民のニーズ」を根拠として言い立てていること、そこに「このとりくみが地域と学校を結びつけ、子どもの学びと実際生活を結びつける可能性をも含んでいる」ことをも見すえています。そして、「“大切なことは何か”をしっかりとふまえて、市民と結んだていねいな対応が求められてきます」と述べます。事実、今後に向けて「可能性が芽生え」、展望が開けてきたように見えます。

 

徹底して純君とつき合ってくれたフリースクールの体験

 お母さんから明るい声の電話。

「純がね、毎日帰ってくると仕事仲間がずるいって文句言うの。お父さんといつも聞いて『じゃあやめれば』というの。でもね、純は「やめない!ボクは絶対やめない。最後までがんばる!」ってきっぱり言うの。うれしくって、私、お父さんとそっと泣いちゃうの」


 純君は小学校、中学校と心障学級で学び、高校はフリースクール。高校卒業後、埼玉にあるフリースクールの研究科で学んだ。


 純君は周りがよく理解できないので、いつも大きな波の中で「うんうん、そうそう」と自分の意志とは別の自分を表に出して泳いでいた。

 研究科では、強い方の友人について一緒になって他の友人をいじめ、問題になることが多かった。話し合うといじめられた友人は「○○君と、○○君と純君がいじめた」と言う。しかし純君は「ボクはいじめていない」とまんざらうそをつく風でもなく言う。


 フリースクールのスタッフは純君の一番の課題として「自分の意志で人とつき合って大丈夫だよ、ということ1点を徹底してやっていく。そのことがクリアできないと人間関係を結んでいくことはできない」と決めた。

 この課題に向かってスタッフ一同が全ての活動を組み、全ての活動の場面で取り組んだ。スタッフ間でも毎日話し合い、両親とも夜遅くまで話し合い、純君の変化を確認し、純君にもよく頑張っていることを具体的に伝えた。放っておいては人間関係はできない。

 スタッフたちは、みんなかっこいい大人を演じない、失敗もする、ありのままの大人としてつき合う、一緒になって汗をかいてくれる人、最後まで捨てないでつき合ってくれる人であればよい。


 こんな活動で一年半…。純君は変わった。

 自分の意見を言える、自分の意志で活動できる人へと変わっていった。


 たった一つの「これだ!」という課題を見つけて、徹底してつき合ってくれた結果、今の純君がある。もしこの研究科にいなければ純君の人生は変わったと思うと恐ろしい。また一方、心から感謝している。


 休日にはよく純君はこのフリースクールを訪れ、後輩に「がんばってる?ボクがんばっているよ」と微笑みかけ、スタッフには「もっとがんばれよ」と冗談を言う。

 自分が戻っていって、自分のことをしっかりと確認し、働いていけるそんな場があることが支えになっている。


 こんなに徹底して一人の人を変える努力を私たちはしただろうか、と反省する。もちろん条件はなかなかない。でも「できる」と、今幸せな純君一家を思う。新たな思いが湧く。