新年、クラス会の24才たち
今でもこうやって会える6年4組が最高だよね、といってもらえてうれしいけれど、中にはどうしているのかもわからないのもいるし、こちらも会いたくないのもいる。でも、何があっても助けるからね、といってわかれてきた。学校とはいろんなことあってもみんなが一緒に泣き笑いをしてうーんと考えて素敵になる一瞬を思い出として生きていける場所でありたいものだと、明日からの職場を考えるのでした。どういうわけかこの年で町内会副会長というのもいて頼もしい限り。「青年」という歌を思い出した。「青年よ今、僕らがいきてるこの町で緑が消えて子どもが倒れてもみんなうつむきだっまているのか。問い返し合い手探りをして顔を上げてぼくは生きたい」(1番)。知恵と力を合わせることの大切さ、人間に対する信頼を教えていく仕事であったわな。しかし、クラス会でアンケートなんか書かせるのは私ぐらいかも知れない。5000円置いてかえってくる価値あり。今年もみなさんよろしくね。
岸本裕史さん、ご苦労様でした。
「100ます計算考案」のタイトルで、『朝日新聞』1月5日付が岸本裕史さんの訃報を伝えている。12月26日、胆のうがんのため76歳で亡くなった。私には神戸大学教育学部の大先輩となり(「大」というのはずっと年齢が離れているという意味)、小川太郎先生ご夫妻を通して早くからお付き合いがあった。1970年代の前半に公立教育研究書調査によって3割の児童が勉強についていけないといおう「おちこぼれ」が社会的な問題になったときに、岸本さんは『見える学力見えない学力』(国民文庫・大月書店)を出して、学力の土台である生活を見直すこと、そして基礎的な学習を大事にすることをわかりやすく提起した。ここに「100ます計算」表と「生活点検表」が結合して登場する。岸本さんは独特な価値観を持っていて、「黒いねこでも白いねこでも、ねずみを採ってくるねこがいいねこなのだ」「結果よければすべてよし」とするいわば効率主義、功利主義を底辺に持っていた。それは、同和教育を通して、どんな理屈ももっとも困難な子どもを救い上げることができなければ教育の役割を果たしたといえないと考えていたからだろう。また、実際に、神戸での激しい同和教育論争の渦中にあって、具体的な「見える」成果をあげることが求められていたということもできよう。「低学力はファシズムの温床」という言い方にもその思想は現れていた。
私は、『どの子も伸びる』(全3巻、部落問題研究所刊)のほうが好きで、父母の間にも回覧したものだ。これらに紹介されていた技術は岸本さんの考案ではない。それは当初は彼自身も語っていたところである。岸本さんは1960年代の民間教育運動はなやかなりし頃の東海近畿民間教育研究サークル連絡協議会の事務局長であって、あの頃、精力的に開発されたたくさんの現場の工夫・アイディアを集約し普及していく立場にあった。その経過は、雑誌『どの子も伸びる』(はじめは『教師のはぐるま』・部落問題研究所)に、低・中・高学年に分けて連載されていったものである。岸本さんが100マス計算を「クラスの児童のアイディアによる」と言い始めたのはずっと後のことである。
この活動の中でも、私が座右の書として学んだのは大阪・なにわ作文の会リーダーの河野幹男(?不正確かもしれない)先生の『子どもが輝く学級経営』(同)であって、この方が早く出され、かつ岸本さんが用いた方法のほぼ全てはここに入っている。そのうえ、生活綴り方の実践によって丁寧に裏打ちされて、一人ひとりの子どもの思い、姿が描き出されて技術が一人歩きすることはない。
岸本さんは学力啓発を独立させ「ばら売り」した。そのことで利用しやすくしたといえる。そして、70~80年代、私たち現場はそれによって啓発されたところがおおいにあるのは事実だ。しかし、すでに80年代には、「教育による国民的家族競争」「企業主義社会(大きな傘の下の大きな福利・幸福」時代に突入していて、このような技術はその競争的学習観を支えるものに組み込まれていった。『どの子も伸びる』各学年編を出したときにはもう根本的に変質していた。4年生編で、「リコーダーが吹けるとか、逆上がりができるとかということを基礎学力とはいわない」とか、6年生編で「感動的な卒業式を創るなどと無駄な時間を費やすのではなく、読み書き計算のドリルをやれ」「君が代、日の丸論争などでむだな議論をする職員会議などには出ないで、6年生を残してドリルをやる」などと主張した。このときの総括的な論争が「民主的教育運動」の側で必要であったが、実際はなされなかった。そのことが後に、ミイラを生き返らせ、はびこらせることになったのだと私は考えている。
京都教職員組合が『教育運動』誌上討論として、私と藤原隆義氏との論争を2回連載してくれたが、これっきりで続かなかった(1992~3年)。他でも明確なこういう目的を明確にした論争がない。そういう隙間を突いたのが『教育技術の法則化運動』であった。これにたいしても反撃は少なかった。こうして若者が「教える技術・しつける手法」による「有能な教師」にとりこまれていったといえる。
「民主的な運動」の中に、「憲法・教育基本法改悪反対」を掲げ文科省を批判する言葉を飾り立てていれば「仲間内」であるように考えて、しっかりとした論争を避ける(傷をなめあう)姿勢がある。こういうところは、うまく今日の「教育改革」路線にとりこまれている。
さて、岸本先輩と最後に話したのは、昨年春、小川太郎先生のパートナー・幸代さんをしのぶ会の席であった。そのときは、初心の思いを確かめあったのだった。私たちの世代に共通する思いは、「国民教育を担う教師は、ランドセルと共に子どもが背負ってくる生活の重みを分かちあうようでなければならない」という小川先生の言葉である。岸本さんが投げた一石は大きかったが、本人のはじめの思いをはるかに越えて、いまは違った役割を果たしている。
岸本さん、小川先生とゆっくり話していてください。やや猫背で早口のあなた語る姿を思い浮かべています。合掌。(07.1.6)
悔しいかなマニュピュレーション
政治と文化と発音
06.12.15の夜のNHKニュースでは、教基法・防衛省・松坂という順位だった。これは、朝日の記事よりましかもしれない。松坂問題の日限・契約が偶然一致したのではあるだろう。政治と文化が競合っているとか同列に並んだとかのようでもある。
そのNHKが世論調査の結果として、愛国心を教育の基本に明記したことへの賛成が80何%だ、というニュースも同時に流した。つい先達ての各種報道の数字とは大きく違うのではないか。このNHKの調査時点は、いつなのだろう。国会を強行して通過した3時間も経たないニュースとして、セットしてあったと思うしかない。はやくも翼賛体制に入っている怖れがある。「これは報道命令によるものではありません」という断りを入れる姿を描いた風刺の一言が新聞に出たが、その断りを明示することを許されるとも思えない。
あるニュースが流れた時に、それが大きく扱われたニュースであれば、同時に何が行われていたかという相関を、どれだけの人が注目しているのだろう。社会面ニュースで大きな報道があるときには、政治・経済面で、あるいは保健とか年金とか人が生きていく上での大事な事柄に関わることで、何かが起きていないか、しっかりと見なければならないと思い定めている。そらす、あるいはガス抜き。それほど、今、日本(にほん)という国は大変なところに来ている。
その日本も、どうやら日本(にほん)はなくなりそうで、日本(ニッポン)、もっといえば大ニッポン、大日本帝国を受け継ぐダイニッポン、という発音が幅をきかす世になりつつあると見える。誰がどちらの発音をするかを調べている者さえいそうな気がする。IT
世界では、そう難しいことではなさそうだ。我々もそれを見定めたい。こういう発音段階での変化も、見逃さない注意が必要だろう。
06.12.15
回数券を買って国会前に行っていた。そんなことしかできない。今週の予定を来週に繰り越したのに、会期延長では困ったと思っていた。
06・12・15、PM5:50か、教育基本法は葬り去られた。改正というが我々が考える教育の基本の法はなくなった。教育行政が教育を支配する法の世になった。
3権分立という考え方はよくできているが、それを守り育てるということは別のことだ。いまや、行政が立法も司法も支配している。行政というが実態は官僚だ。自民党を育てているのも官僚だといっていい。官僚は時の主流をかぎ分け、それに奉仕しようと擦り寄り、お髭の塵も払えばお為ごかしの智恵も提供する。
朝日が14日夕刊で委員会突破を報じた。実際の突破数時間前に印刷しなければ間に合うはずもない。新聞社は、気流を読んだのか、どこからか情報を得ていたのか。得ていたとしても、それがどうなのか。16日朝刊で朝日が教育基本法に割いた紙面は数十行でしかない。もちろん、委員会通過も、本会議への移行も無視といっていい。
だからこそ行った。昨夜より少なかったのは残念だが、それでもずいぶんの数が結集した。毎日合う顔、すれちがっていた顔、みんながということを肌で感じた。
クラシックと薬
クラシックと薬
12.7の新聞に「『のだめ』に沸くクラシック」という記事があった(朝日P23)。音楽の道を進む女主人公マンガの人気から、オーケストラの定期演奏会のチケットが即完売とか、ケータイのオーケストラ着メロのダウンロードが急増とか、という。数年前に、ある女性音楽家がニュースに登場した後、その友人の女性作家による小説が出た。その音楽家を潜在的モデルにしていた。それなりの人気を得て話題にもなったのを思い出した。それに、去年から今年モーツァルトの年ということで、その曲が売れているということも思い出した。
P11に「『潜在患者』掘り起こせ」という記事があった。製薬会社がネットでドラマ仕立ての病気の解説を流し、来院を促して薬の利用を増やそうという迂回作戦を強化しているという。
2つの記事が結びついて、人の関心が動くということを考えさせられた。教師としての最高の仕事は、子どもをやる気にさせることだといわれる。流行に弱い、人に引きずられるということはあっても、その人がそう思ってそう動くということは確かだ。それからいえば、とてもおもしろい。単に何かの品物を買わせるということではなく、音楽や治療という、いわば文化の面での積極性を作ることだから、教育そのものであるとも言える。
だが、ネットを含めてメディアのこととなれば、気をつけざるを得ない。出版社・楽団・TV局の名をあらためて見直してみると、ある系列が見え隠れしている気がしてくる。メディアとしていいこともやっているのだと見るか、こんなところでも情報操作していると見るか、やがていつかの精神総動員のための練習と見るか。事実と真実の間にはブラックボックスがある。
カルメン
川の流れのように、風になりたい、カルメンが終わった。中学校区音楽祭。カルメンは指揮を始めたとたん、超特急になった。
なぜだ!しかしもう走り出した。最後まで行く!できちゃったわ!ほぼ記号通りの早さじゃん。たいしたものだ。あっぱれ!!
あとはエブリシングとアイネクライネ、これに与作をいれちゃおうか。われら36人1学年1学級。わるずだい!
アニマシオン
札幌も、知らないところで「読書のアニマシオン」をやっている。司書教諭部会なのだけれど忙しくて行けない。だんだんと輪が広がっているようだ。朝読も始まったが、今更なあとおもう。むしろアニマシオンのほうが必要なのではないかな。静かにさせるための読書なんて まっぴらだと思うのは私だけかな?今日は吹雪いてきた。
めいくあういっしゅ
メイクアウイッシュという団体が関わって、病気の子の夢を実現するプロジェクトがある。そのテレビを見た。北島三郎と与作を歌いたい、これが彼女の夢だった。夢の力は大きい物で、余命1年であった頬の骨肉腫は治ってしまった。生まれつき目が見えない女の子は11才。6年生。この番組を作ったNHKのデレクターが教室に来てくれた。「ニュース番組の作り方」の単元で扱う。涙が出る。一所懸命生きる姿は泣けてくる。しかし、この5年生たちは確実にとまどっている。じゃあ自分の夢を書いてごらん。この問いに「おれは夢なんてねえよ。」という子が何人もいた。一所懸命なものが心を確かに突き動かす。しかしその揺れはどこかで心のスビラライザーで衝撃が吸収されてしまう。最近接領域はどこだ。デレクターの説明がある。次の日、クリスマスカードを作る、といって紙を渡した。「誰に?」「そう、16才になったともみちゃんだよ。」・・・迷いなく作り始める子どもたち。どこかに励ましと自分の夢を書いてごらんと。いいカードができた。去年も作ったけど1年経つとみんな上手になったねえ。素敵すぎてホールに飾った。「ともみさんってだあれ?」と聞かれて、説明する子。高等盲学校のともみさんはちょこちょこ再発と闘いながら生きている。くっつきの「わ」がまちがった子は、「いい。どうせみえないんだから。」という。「そりゃないだろう。」と周りからの声。「点字かきゃいいんだよ。」と誰かがいう。「そうだよな、去年さ、国語で点字出てきたよなあ。」「あれさ、こすりゃいんだよ。」「でもあれでこぼこしてるからこすったぐらいじゃだめじゃないの?」「教科書をきってつなげりゃいいんだよ。」「ポケモンの本に点字載ってるよ。」すると、「わ」を間違った子がいった。「ムクドリホームにあるよ。」「おれさ、そこで点字うったもん。いしやまみなみしょうがっこうってさ。あなあけてくやつ。」「じゃあ今日かあしたでもいってみて?」「だめ!だって遊ぶ約束したんだもん。」・・・でも、ここまで来た。とうとう「ムクドリホーム」まで来たぞ。障害者も健常者も、子どもも年寄りも憩える場所、むくどりホームが隣の校区にある。個人の住宅。ここで授業をと考えて3年たったが、その芽が出てきた。さて、夢は簡単に崩れるものだ。いじめや自殺を乗り越えるにはという「インタビュー名人」を来週の参観日でやる。子ども同士から参観の親へ向けて。ある子のカードには「クロワッサン」とパンが書いてあった。前の日、テレビを見た後、ぐたあーと書けないと寝ていたのだが、話していくと「将来パンやさんになるんだ。」という。カードには確かにクリスマスツリーとクロワッサンが並んでいた。動いた。
百分率の授業
パーセントは難しい。そこで黒板に「いじめ」「ぼうりょく」で挙手。いじめた、られた、という感じでやっていき表を埋める。すると、いじめた方よりも、られたのが59%だ。この表はもとになる量、比べられる量をブラックボックスでやりながら考えていく。そのあとで百人だったら、といくわけだ。「もし世界が百人の村だったら」を道徳でやったのをようやく思い出してくれた。次の日図書館から百人の村を借りてきて読む子が何人もいてうれしい。パーセントは今、ちゃんと学べるんだわ。おもしろかった。