労働基準法へ
この記事、レッド、イエロー?
アニマシオン この記事、レッド、イエロー?
次の新聞記事を読んで、その内容が子どもの権利条約に明らかに違反する場合は、レ
ッドカード、怪しい場合にはイエローを置きなさい。
小学4年生と初めてこのアニマシオンをやった時には、アフガニスタンへのアメリカの攻撃、タリバンとの闘いなどの中で「子ども」を視点に新聞記事を子どもたちが集め、それに対してピックアップしたものへ同様にレッド、イエローの議論をしていった。小学4年生も十分議論ができていた。(「現代と教育」56,57号所収論文参照のこと)。
今回は、現在の5年生37人を対象に同様の授業を試みた。直前まで公害についての学習をし、田中正造や、4大公害裁判の学習をしたあと、それぞれが「公害ブック」を作ってきた。ここで選んだ記事は、4つ。
①日系人の子に違法労働 15才以下12人、工場で
2006年12月30日 北海道新聞朝刊
②「子ども兵士」なぜ?アフリカは今も 2006年2月9日 yomiuri junior press
③いじめ調査 やる方が悪いは半数以下 Yahoo!ニュース
2006年11月7日
④児童虐待摘発297件 北海道新聞2月14日朝刊
例として1番目の「15才未満の日系人の子を派遣で働かせた」について述べる。レッド、イエローで判定。さらにグループ討議でレッド、イエローを判定していく。
読者のみなさんもやってみることをおすすめする。
人材派遣2社、子供を違法雇用・日系ブラジル人12人
岐阜県内の人材派遣会社2社が、労働基準法で雇用が禁止されている15歳以下の日系
ブラジル人の子供12人を工場で働かせたとして、岐阜労働基準監督署から同法違反で
是正勧告を受けていたことが29日、分かった。背景には、急増する外国人労働者の子
供が学校に行かない不就学問題があり、行政の対応の遅れも問われそうだ。
岐阜労働局によると、2社は今年2月ごろから、13―15歳の日系ブラジル人の男女12
人を、時給最低850円で雇用。請負契約を結んだ同県内の部品メーカーなど複数社の工
場で、製造作業などをさせていた。
情報提供を受けて、岐阜労働基準監督署が11月に立ち入り調査をして発覚した。勧告
を受け、今は子供たちは働いていないという。
労働基準法は子供を保護する観点から、国籍を問わず15歳に達して最初の3月31日
までは雇用を禁じている。〔共同〕 (09:14)
ユニセフのホームページから子どもの権利条約カードを作成した。また資料として「新・新しい憲法の話」の憲法条文を提示した。いくつか紹介する。
子どもの権利と憲法 5年生
子どもが子どもの権利条約で読み解くということ 「ベスト3を決定せよ」
さて、「日本国憲法のアニマシオン」については、「一冊の本が宝島 初めてのアニマシオン」(柏書房)に載せている。ここでは、憲法で「ダウトを探せ!」などのアニマシオンを「探偵」としていくつか載せている。
日本国憲法の専門家である君島教授(北海学園大学教授、現立命館大学教授)を交えて「日本国憲法のアニマシオン」で「ダウトを探せ!」を試みたのは前任校の4年生を受け持った時のことであった。もう6年も前のことである。そのころ私はアメリカのアラスカで、小中学校で子どもの権利条約をアメリカで授業するという機会を持った。2001年の秋から冬にかけて、折しも9.9でのアフガニスタンでのマスードの死、9.11の「同時多発テロ」の後のことである。アメリカでは、当時から「ゼロトレランス」なのだろうが、「タイムアウト!」と言われた子は授業中、支持された場所で罰としてフリーズしなければならないという話を聞いていた。その場面を私の話を聞かないということでしかられた子が「タイムアウト」宣言で固まって教室の隅にいた。アメリカは、署名をしても批准はしていないのが今日の状況である。アメリカでようやく小中学校での権利条約の授業への許可が降りて行ったのだが、次の日、教育委員会では「アメリカにも子どもの権利についてのものがある」と出されたのは、何と「権利と義務」という冊子である。「このような規則に反した場合にはこのような罰を受ける義務がある」ということでたくさんのペナルティが書かれていた。日本でも子どもの権利条約を盾に授業をいくつか試みた実践を知っているが、多くは「今ほしい権利」として、遊ぶ権利を全面に押し出し、意見表明権を行使といった類のものばかりであった。詳しく述べるゆとりはないが、アメリカの中学生との議論ではつまるところ、日本の子どもたちとの相違がない結果が出た。子どもたちが選んだのは、「麻薬」から守られることなどであり、どこにも遊ぶ権利ということでの把握を第1とはしていなかったのである。「国は」という主語を持った言葉が18才未満の子どもたちを守り抜くのだという国際公約なのだという事実は、21世紀初頭の、テロを見聞きした日米の子どもたちには切ない平和への要求こそが第1位に置かれていた。「条約」で言わなければならないことの重大さに日米の子どもたちは敏感に反応した。小学校では、「親に保護される権利」を1番にあげ、「だって家に帰ると両親はいなくて火の気もないんだ。」と泣きそうになるアメリカの子のありように簡単に授業を終わらせたことを覚えている。「今、3つ大事にしたい権利をあげるとしたら」ということで話し合って
いったのだ。
アニマシオン どれがベスト3?
次にあげる子どもの権利条約のうち、あなたがベストスリーにあげるとしたらどれ?
そしてそれはなぜ?グループであなたがたのベスト3を決めよう!
これがもっとも簡単なものであった。この場合は全条文ではなく、チョイスした10ほどから選ぶ。短時間で終わらせるためと、一つの権利侵害が起きるとドミノ倒しで権利侵害が起きていくのに気がついていくように授業をする。
退職までカウントダウン
退職までカウントダウンの日になっています。あと1ヶ月です。中三の担任で、東京は都立高校の一次入試が終わり、発表を待っている状態です。
それにしても東京の高校「制度」はとてもたいへんです。複雑怪奇ともいうべきものです。そもそもいろいろな高校があって、どんな教育をしているのか、中学の教師にはなかなかわかりにくいです。普通科と職業科しかなかったころを思えば、普通科とはいいながら、たくさんのコースをつくり、実際にどんな学習をするのかわかりにくいのです。私立高校も都立高校も「説明会」や「体験入学」をしていて、宣伝はしています。生徒はいくつもの高校の説明会に行きますが、なかなか「ここでがんばろう」っとフィットするものはないようです。いくつか見学に行き、その中から「ここでいいや」というかなりマイナスの選択をしている子も多くいます。
中学の教師は「この高校に行けば、こういうことでがんばれるよ」とはげますことができない状態です。高校教育の中身がよくわかっていないのです。多様化の進行のあまり、授業の中身もとりくみの姿勢もやっていることもずいぶん違うのです。
そこで、「どこに行ってもがんばれ」というしかありません。どこに行っても中学でつけた力をもとに自分たちできりひらいていかなければなりません。高校に自分をあわせるのではなく、自分が高校をつくっていく、という気持ちでいけ、ということです。
とにかく三月一日が発表で、そのあと二〇日の卒業式まで、中学最後の取り組みがあります。私もそれで中学教師は終了です。
おすすめの一冊
川田龍平『エイズ教育のこれから―龍平から子どもたちに伝えたいこと』(日本標準ブックレット、600円+税)
薬害エイズ告発の闘いから12年。川田龍平さんは31歳になった。「叫ぶ若者」の姿が印象的に覚えている人も多いと思う。今は松本大学で「生命倫理」などを教えている。薬害エイズを取り上げると、「この中に出てくる川田龍平という人はまだ生きているんですか?」という質問を受けるそうだ。それぐらい日本人はどんどん問題を忘れ・捨てていく。その隙間に薬害は繰り返されている。むしろ、「どうしようもないけじめのない国」に突き進んでいる。
龍平さんはあれからずっと、私の勤めていた葛飾区立飯塚小学校6年生に「いのちと人権」学習の一環として語り続けてくれている。この本は一昨年(2005年3月)に行った記録だ。6年生は非常に率直に、「エイズになったら必ず死ぬんですか」「何を食べてもいいんですか」などと聞いている。龍平さんは一つひとつに丁寧に答えながら、小・中・高校生の頃に受けた「いじめ」やはげましを話している。飯塚小では2月を「性教育月間」として学年ごとのテーマを設定して全校でとりくんできた。その一部でもある。
性教育バッシングの中で、「先進国」では唯一、若者の中にHIV感染者・エイズ患者の増加している日本。何が問題なのか、何ができるのか、この本を手にとって考えてください。あんがい「簡単な一歩」を踏み出すことができるでしょう。
自己紹介とささやかな実践
私は、新しく世話人の一人になりました緒方敬司です。練馬区の練馬第三小学校で三年生を担任しています。1951年6月2日生まれ、26歳で就職し、教師生活29年目を迎えています。
生まれは、今話題の宮崎県延岡市で、2歳で三重県鈴鹿市に引越ししました。幼稚園は途中で退園し、小学校に入学するのですが、集団生活になじめず、よく学校を休んでいました。5年生のときに東京板橋の北前野の小学校に転校し、5回目の転校となりました。そんなわけで、小学校生活の楽しい思い出は残っていません。中学校生活は、一度も転校することなく落ち着いて生活できました。高校生のとき、弁護士になるか、教師になるかと迷っていましたが、大学は法学部を選びました。大学三年生のとき教職課程を取り、教師への道を選びました。法学部の関係で、中学校の社会科教師を希望していました。人生いつも希望通りにいくとは限らず、赴任したのはなんと母校の北前野小学校でした。(通信教育で小学校免許を取っていました。)
自己紹介が長くなりました。子どもたちには、正義の弁護士になりたかったということもあり、「正義の味方オガタマン」となのっています。オガタマンというのは、子どもたちの近い存在になろうと思い、40歳ぐらいから使っています。
昨年度は、6年生を担任し、生活・学習の両面から中学年の大切さを痛感しました。よく教育書では、9歳・10歳のカベといわれますが、まさしくそのことを実感しました。そのため、今年度は異動先の学校でしたが、3年生を希望し、希望がかないました。
今日報告しますのは、「2月2日2時2分2秒で宇宙に!」というささやかな実践です。6年生のときにはじめてやってみたのですが、これが以外に受けて毎月やっていました。
今の3年生なって二度やっているのですが、今回が3度目となります。ある子は、前日の日記に「明日は、2月2日2時2分2秒でとびます。明日で3回目で、新しい班ではじめてとびます。なので、わすれないように注意してみんなでとび、うちゅうへ行きたいです。うちゅうへ行くのがすごく楽しみです。」と書きました。当日は、社会科の授業でしたが、2時に中断して班ごとにまるくなりました。私のカウントダウンで宇宙に行ってきました。
たったこれだけのことなのですが、みんなと一緒にやったということがうれしくて、ジャンプした後はさわやかな顔をしています。明日5日の家庭学習ノートの日記にはこのことがたくさん書かれていると思います。
小学校時代の思い出が少ない私ですので、担任している子どもたちには「学校は楽しいところ」ということを感じ取ってほしいと思っています。
広報頼りの取材
ありがとう、ペコちゃん。
ネットカフェ難民
携帯で仕事の連絡をとるのには、名前は使わず個別の番号で。現場では「おい」と呼ばれるだけ。人格から名前が奪われるのだ。あらゆる関係からの疎外は、日雇いの集合場所に同じく集まる同じ立場であろう者同士にさえ、当てはまる。ことばも関係も生まれず、場をともにするともいえないような、その場限りのすれ違い。孤独な難民。
夜に急に叫び声をあげてしまうこともある、安心がまったくないままの18歳の彼女が、落ちて落ちていってしまうなかで、ノートに書き込んで何とかぎりぎり自分を保っているということばが、我慢するということだったりする。顔を出さずに登場する彼の、彼女の、淡々と語る寂しい声が、リアルだ。
住所(アドレス)なしにメールアドレスだけをもち、携帯を傍らにさまよう構図、パソコンの前で椅子に縮こまって夜を過ごす構図は、この時代のど真ん中をうつす構図だった。リアルな声を伝えてくれる番組が最後に、彼ら彼女らの現実を、格差というより絶望的な貧困なのだといったことばが、強烈に響いた。
しょうゆと蝦夷・松前
追悼、岸本先生
岸本先生とはモーニングコーヒーをいっしょにのみましたね。100マスは粘着力をつける 。朝これをやれば学校は静かになるといわれましたね。某会社は売り出すために1億5000万かけるけど、私には100万しかはいってこないとかいってましたね。100マスをやらんから北大にしか入れないともいって物議を醸しました。小学1年生の昨年の入学準備号の付録で、後継者蔭山先生と対談で、100マスは基礎基本ではなく鉄則だ、とわけのわからぬことも唱えました。どの子も伸びるは、あの時代ほんとにはげまされました。「どの子も伸びる」のあの本は金字塔ですね。三重の員弁大安、笠間小学校も行きました。生駒小学校にもいきましたね。みんな雑誌「どの子も伸びる」を読んで出かけたものでした。死亡記事を読みながら驚愕でした。結果的には、敵対的競争的教育の手先のように言われ、あの法則化からも百害あって一理なしなどいわれておりました。本家でも元祖でもなんでもいいけど、手法は生き残りますね。部分的には大事だもの。でも岩辺先生が話していることにつきますね。