タイムイズマネーと言いますが、その逆もまた真なり。と、最近すごく感じます。


お金を使うことで、時間が買えるのですねぇ。


「そんなの、当たり前じゃん」と思われるかもしれませんが、僕が言いたいのは、例えば、歩いて職場に行くよりも、タクシーで行って、お金を払って時間を買う的なことを言いたいのではありません。




「お金を払って時間を作り出す」


というのではなく、「趣味や人付き合いなど、そういうものを楽しく充実にさせたいのならば、お金が必要だ」ということです。




例えば、飲み会で後輩たちのために1万円を奢ったとします。


そうしたら、1万円分また働かねばなりませんが、後輩たちとの素敵な時間を作れたことになります。

それがまた最終的には、人望というカタチで自分に返ってきたとします。



または、昔の大切な友人や久しぶりに会った親戚と「ごはんに行こう」と誘われても、お金がないとそれを断ることになります。



お金がないと奢れないからです。

お金がないとごはんに行ってもお金が払えないからです。




人生は一度きりで、そうやってお金を理由にして断り続けている間に、その人が亡くなってしまったり、大病を患い、ご飯を共に食べれなくなったりするかもしれません。



なんて寂しいんでしょう。



ですから、何かをしたい時に大抵のことにはお金がかかり、お金をかけることで、その時間が手に入るのですねぇ。





そもそものお金を稼ぐという行為自体が、楽しく稼げていればいいですが、ほんとにやりたいことの為にお金を稼ぐという手順でもいいのではないかと思います。






僕、メルカリというアプリを使いまくっているんです。

主に本を売っているんですけれど、ブックオフとかで本を売ると普通、50円とか80円とかなんです。


でも、メルカリは、自由に自分で売り出す値段を決められて、しかも、最低売り価格が300円と決まっているんです。

売値の10パーセントがメルカリ側の利益となります。



送料込みで遠いところに発送するのならば、利益0になる確率もありますが、僕は基本的に「ゆうメール」で送料込みで値段を設定しているので、僕は300円の本を売った時に、270円の利益を頂いています。


つまり、ブックオフなんかとは比べものにならないくらい、ちゃんとお金をもらえるんです。




逆に何かを購入する際も、普通新品で本を一冊買うとすると、1400円とかしますが、メルカリならば500円とかで買えてしまいます。値下げ交渉をすれば、もっと安く買えたりします。




900円の差です。

900円あれば、スタバに居座り、そこで勉強できます。お昼ご飯だって食べれます。


メルカリには本以外にも、衣類や文具や、家具までも売りに出されています。


僕、メルカリで本来よりも安く買えたのならば、「お金を作っている」ということになると思うんです。



メルカリ超オススメです。


そういえば。


僕の周りの友人たちのほとんどは、紙辞書を一度も英文学科を卒業していきました。



彼らが勉強をやっていないというわけではなく、スマホで調べてそれで事足りたからです。



紙辞書の需要もどんどんと減っていくんでしょうね・・・。


教育業界は、インターネットを使った通信授業が主流になりつつあると思います。


これからは、今までの通常の学校(朝に行って夕方に帰ってくる学校)に通っている生徒は、インターネットを活用した通信制の高校に通っている子どもたちのことを羨むような状況になっていくのだと思います。


そこで思うのが、普通の学校は、もはやPCやタブレットを持っている生徒たちは、それを持参して授業では片手間に開きながら授業を受けることを許可しても良いのではないでしょうか。


スマホでもいいと思います。


そして校内にフリーWi-Fiを設置するのです。


疑問に思ったことはその場ですぐに解決できるし、パソコンの使い方も早いうちからマスターできると思います。



メルカリで電子書籍が売られているのを目にしました。


なんと、この値段。



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スマホが普及している今、端末の機能を充実させるよりも、インターネット上のページを充実させる方がより多くの人たちがアクセスしてくれるし、多くの人たちが使ってくれると思います。






お互いの人生になるべく介入しない方がいいですねぇ。(本当に!!)

 

 

僕は読んだ本はほどんど友人や後輩などにあげてしまうので、本棚にある本というのは、「読んでいない本」ということになるのですが、僕の本棚には最近までおそらく500冊くらいの本がありました。

 

今現在は250冊くらいで、今もメルカリで出品している最中なので、これから50冊程度にするつもりです。

 

究極10冊くらいでもいいと思っています。

 

その10冊も、読んだと思ったら、もう誰かにあげてしまいます。

 

 

 

最近本棚を整理しまくり、大学時代に買った英語の参考書でさえも、ほとんど手放しています。

 

大学時代は700冊以上の本を読んできましたが、それでも結局はできなかったからです。

 

大学4年間でできなかったということは、これから先もやることはなく、「何か切迫した状況(その資格をとらねばならない状況など)」が発生しないかぎりは、僕は本というもののために使う時間をできるだけ減らしたいのです。

 

 

 

なぜならふとこのごろ思うことがあるからです。

 

 

 

読みたい本があったとします。

 

そのような本は大抵、本棚にしまいますから、本棚には「読みたい本」がどんどん溜まっていきます。

 

しかし、それがどうしても読みたい本であったとしても、確実に本棚の中にあるスペースを占めてしまいます。

 

しかし、その本たちの中の1冊をどけると、その分のスペースが空きます。

 

 

10冊どければ、10冊分のスペースが空きます。

 

僕、人生ってそういうものなんじゃないかなって思うんです。

 

 

何かをしないことによって、何かができるのです。

 

 

何かをしないことで、それと同じくらいの大切なことができると思うのです。

 

いや、むしろ、何か大きなことをやりたいのならば、大切なものを手放さないとその分の時間を確保できないのではないかと。

 

 

 

例えば、読みたい本を読まずに、もはやメルカリで売れば、お金になりますそのお金で親とごはんに行ったり、ずっと「遊びにいこうね」と言っていた親戚とも遊べます。

 

 

 

 

確かに自己研鑽のための読書というものはとても大切です。

 

 

しかし、本当に大切なことは、きちんと深く理解し、身についているかであり、それは読書によってだけではなく、日々の体験を読書と同じくらい大切にすることによってもできるはずであると僕はこのごろ思っているのです。

 

(心から共感をするフレーズが帯に書かれた本を書くよりも、考えが似た上司や部下と飲みにいく、などの方が良い、ということです。)

 

 

とにかく僕が言いたいのは、「自己研鑽」という名の下に行ってきた、多くのことは、それを行うことによって、逆に多くのことを犠牲にしてきたのではないかとも思うのです。

 

なんどもなんどもそれをやっていると、周りの人たちも「あいつは忙しいから」という風に思って、誘ってこなくなったりして、そうやっていつのまにか孤独になっていくんじゃないかと、それって寂しいんじゃないかと。

 

 

なりたい自分をイメージして、それを叶えるために必要な努力が、結果孤独をもたらすということがあったとしても、それは仕方がないことがですが、

 

読書などに始まるゴールの見えない自己研鑽を積み重ねることにこだわり、プライドが高まり、冷静になってみれば誰も周りに残らないというような努力の仕方は、果たして幸せにたどり着けるのか疑問に思っています。