僕は読んだ本はほどんど友人や後輩などにあげてしまうので、本棚にある本というのは、「読んでいない本」ということになるのですが、僕の本棚には最近までおそらく500冊くらいの本がありました。
今現在は250冊くらいで、今もメルカリで出品している最中なので、これから50冊程度にするつもりです。
究極10冊くらいでもいいと思っています。
その10冊も、読んだと思ったら、もう誰かにあげてしまいます。
最近本棚を整理しまくり、大学時代に買った英語の参考書でさえも、ほとんど手放しています。
大学時代は700冊以上の本を読んできましたが、それでも結局はできなかったからです。
大学4年間でできなかったということは、これから先もやることはなく、「何か切迫した状況(その資格をとらねばならない状況など)」が発生しないかぎりは、僕は本というもののために使う時間をできるだけ減らしたいのです。
なぜならふとこのごろ思うことがあるからです。
読みたい本があったとします。
そのような本は大抵、本棚にしまいますから、本棚には「読みたい本」がどんどん溜まっていきます。
しかし、それがどうしても読みたい本であったとしても、確実に本棚の中にあるスペースを占めてしまいます。
しかし、その本たちの中の1冊をどけると、その分のスペースが空きます。
10冊どければ、10冊分のスペースが空きます。
僕、人生ってそういうものなんじゃないかなって思うんです。
何かをしないことによって、何かができるのです。
何かをしないことで、それと同じくらいの大切なことができると思うのです。
いや、むしろ、何か大きなことをやりたいのならば、大切なものを手放さないとその分の時間を確保できないのではないかと。
例えば、読みたい本を読まずに、もはやメルカリで売れば、お金になります。そのお金で親とごはんに行ったり、ずっと「遊びにいこうね」と言っていた親戚とも遊べます。
確かに自己研鑽のための読書というものはとても大切です。
しかし、本当に大切なことは、きちんと深く理解し、身についているかであり、それは読書によってだけではなく、日々の体験を読書と同じくらい大切にすることによってもできるはずであると僕はこのごろ思っているのです。
(心から共感をするフレーズが帯に書かれた本を書くよりも、考えが似た上司や部下と飲みにいく、などの方が良い、ということです。)
とにかく僕が言いたいのは、「自己研鑽」という名の下に行ってきた、多くのことは、それを行うことによって、逆に多くのことを犠牲にしてきたのではないかとも思うのです。
なんどもなんどもそれをやっていると、周りの人たちも「あいつは忙しいから」という風に思って、誘ってこなくなったりして、そうやっていつのまにか孤独になっていくんじゃないかと、それって寂しいんじゃないかと。
なりたい自分をイメージして、それを叶えるために必要な努力が、結果孤独をもたらすということがあったとしても、それは仕方がないことがですが、
読書などに始まるゴールの見えない自己研鑽を積み重ねることにこだわり、プライドが高まり、冷静になってみれば誰も周りに残らないというような努力の仕方は、果たして幸せにたどり着けるのか疑問に思っています。