467 左胸全摘から4年
2014年5月30日に左胸の全摘手術を受けて、今日で丸4年が経過した。術後1〜2年目は、この季節を肌で感じるとあの頃の情景がありありと蘇ったものだが、4年も経過するともうすっかり自分史の中の一つの出来事になってしまった。あの頃はとにかく不安で、自分はこれからどうなってしまうのだろうということばかりを考えていた。「読まないほうがいい」と言われてたのに、その答えを同病者のブログに求めた。その方の病理検査の結果を確認し、それが僕よりもいい結果だったのなら僕の参考にはしなかった。僕と同じような結果でもお元気にされているのなら、「この方のはレアケースで、たまたま元気になったのかもしれない」と、これも僕の参考にはしない。参考にしたのは、僕と同じような結果で更新が途絶えているブログで、「ああ、やっぱり僕もこの方と同じように死んじゃうんだな」と、読んでは落ち込んでいた。落ち込むまで無限に探し続けるのだから落ち込んで当然なのだが、僕のように腋窩リンパ節への転移が20個・・・なんて人はなかなか見つからなかったというせいもあったんだけどね。治療が「ケモ→分子標的薬→ホルモン療法」と進んでいくたびに、経験談を語るブログを探して読んできたが、病気の進み具合や副作用の現れ方、痛みの感じ方なんて人それぞれであることがだんだんと分かってきた。「くっそ痛い」と言われてる注射だって、意外と痛くなかったりしたのだ。だからここ最近は、同病者のブログを読んで一喜一憂するようなことはなくなっていた。昨年の「320 左胸全摘から3年」を見直してみると、2017.1.17に転移が正式に判明したことを書いていた。○ 多発骨転移(頭頂部、腰椎3か所)○ 多発皮膚転移(頭皮下)○ 右腋窩リンパ節腫大(健側)○ 縦隔リンパ節腫大僕ってこんなに転移してたっけ・・・って思うほどの凄まじさだが、それを忘れさせるほど現在の体調は悪くない。もちろん加齢からくる衰えはあるが、記録のために現在の体調を記しておく。○ 頭髪ウィッグの代替わりのために美容室を訪れる機会があったが、美容師さんによれば加齢によって禿げると毛穴が潰れるはずなのに、僕の場合は毛穴がちゃんとあるらしい。確かに放っておくと毛は伸びてくるのだが、1センチほど伸びたところで、なぜか成長が止まってしまう。数本だけ驚くほど伸びる髪の毛があるので、やはりケモの毒に毛根がやられてしまったのだろう。いずれにせよ、髪の毛のことはもうあきらめている。現在は会社に行くときだけウィッグを着けているが、いずれハゲをカミングアウトしたいと思っている。○ 手足アブラキサン由来の手足指先の痺れは、日常生活に支障はないが相変わらず。頭髪もそうだけど、ケモをやめても元に戻らない人もいるっていうことを、医学界はもっと情報提供すべきだと思う。それなら心の準備の仕方だって変わったのに・・・。○ 心の病気心療内科へは、2017.6.16を最後に受診を中止した。ホルモン療法をタモキシフェンからレトロゾールに変えたことで心身面に不調が現れたのだが、原因がホルモン療法にあると分かるとウソのように回復した。時折不安感に襲われることはあるが、頓服としていただいていた抗不安薬の在庫を減らしながら現在に至っている。自分的には最悪の状態からは抜け出たのではないかと思っている。○ CEAの推移2017.4に24.9を記録したが、その後タモキシフェンからフェマーラに薬を変えて数値は落ち着きをみせている。しかし一度も基準値には戻ることなく、下げ止まってしまった。グラフを作ってみた!○ 全身状態主治医(教授先生)は転移が判明した時、「これからは年単位で弱っていくし、月単位で急変する可能性がある」・・・と告げたが、それから1年が経った。・ 倦怠感/易疲労感1日が終わるとぐったり。加齢と言っても僕はまだ45歳なので、ホルモン療法の副作用ではないかと、疑っている。・ 肩こり/関節痛これもフェマーラの副作用で、飲み始めた頃の小さな関節の強張りが、膝や足首など大きな関節へ広がった感じがして、ここ最近は全身がバッキバキに固くなってしまった。自宅近所にある24時間無人フィットネスの特典付きの入会キャンペーンを待っているところで、定期的に運動をする癖をつけないとこのままじゃもっとひどくなるんじゃないかという危機感を持っている。パソコンで細かい作業をしていると肩甲骨あたりが攣りそうになり、もはや凝りが痛みに変化しつつある。と、こんな感じだ。これも年単位で弱るということの中に含まれるなら、間違いなく弱ってはきている。ただこれらは癌由来ではなく、ぜーんぶ薬の副作用から来ているものだけどね。術後から4年。ま、あと数年元気に生きることができれば「御」の字かなぁ・・・なんて思ってたが、たまたま昔、僕がよく読ませていただいていた、らむままさん・・・残念ながらお亡くなりになってしまったが、彼女のブログの2017.6.16の「たくさんのありがとう」の記事を読み直す機会があった。お亡くなりになる1か月前の記事である。----以下、引用。 ※ 原文のママ-----安易に死を考えてはいけない。5年前『生きる』という意味をもっとよく理解できていたにならこの言葉が心にグサグサっとささる日々を過ごしています。もし今ここに、5年前の私と同じような考え方を持ったあなたがいたのなら、私は強く言いたい。あの時の私のように後5年生きられたらいいかなぁ〜、なんて安易な気持ちでこれからに事を決めてほしくない。もっと真剣に考えてほしい。そう思っています。----引用終わり-----これって僕に言ってるんじゃないの?って気がしたほど、身につまされる思いがした。当時の主治医から癌であることを告げられた時にはまだ少し希望があったが、術後、腋窩リンパ節への転移が20個あったことが分かった時には「もうだめだ」と絶望した。「なんでオレが癌なんだよー」と天を恨んで毎日泣き暮らしたが、おかげで再発が分かったときにはすっかり覚悟ができていて、「やっぱりね」と、流す涙はすでになかった。治療の副作用は今でも歴然とあるけれど、癌や副作用があることを言い訳にして、あきらめたり、やらなくなってしまったことについて後悔し続けていることもある。これは僕の持論だが、癌になる前と癌になった後とはできるだけ=(イコール)の関係になるよう踏ん張るべきだ。病気になったことは仕方がないにしても、癌なんかのために何かを諦めなきゃいけないことなんて、そう多くはないはずだ。「後5年生きられたらいいかなぁ〜、なんて安易な気持ちでこれからに事を決めてほしくない。もっと真剣に考えてほしい。」お亡くなりになった人の言葉だからこそ、この言葉が心の臓にまで染み入った。