【虐待】を乗り越えるのは、やはり自分。 | 人生の歴史を動かす運命思想家 檜原有輝ひばらゆーき

人生の歴史を動かす運命思想家 檜原有輝ひばらゆーき

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姓名判断、四柱推命、カバラ数秘術、宿曜占星術。
あらゆる占術学問をもちいて「誕生」「人生の道中」「終末」まで貴方の人生を支えます。

運命思想家の檜原有輝です。

 

 

映画

ファーストラヴ 

の感想のつづき。

 

 

ネタバレを含むので

気をつけて下さいね。

 

 

作品に感化されて

自分の過去と気持ちを書いてみます。

 

 

幼少時代~若い頃には

痴漢や触られ被害など

性的なことについての

経験もありますが、

これは今はさほど

語りたくはありません。

 

 

今回は

親からの虐待を

子どもが言えない辛さに

共感した所を書きたいと思います。

 

 

私は幼少時代から

親に殴られていました。

 

 

小学生の頃から

朝起きて髪をブラシで

とくことが出来ませんでした。

 

 

理由はたんこぶが

山ほどあったから。

 

 

小さいものから

大きいものまで。

 

毎日学校へ行く道中で

数えながら歩いたものです。

 

 

1つ2つ…7、8個…

うわぁ最高記録!などと。

 

 

呑気に

聞こえるかもしれませんが、

それが日常でしたから

不思議にも思いませんでした。

 

 

だけどブラシをあてると痛くて、

たまにズルッと髪の毛が抜けます。

 

 

私はバカだったので

それを学校で友達に

数えてもらったりしました。

 

 

すると「嘘でしょ?」

という反応が返ってきたのです。

 

 

自分の境遇が酷いのだ、

というのは社会と比較を

することで感じられますが

 

 

それでも私は

周りの反応ほどは

さほど傷ついてはいませんでした。

 

 

私の親は

気性が激しくて

怖かったですが

 

 

それでも父親は

単身赴任でいなかったし

2人暮らしにおいて母を

変わった人だとは思いましたが、

嫌いにはなれませんでした。

 

 

エピソードは

山ほどありますが、

ある日の出来事です。

 

 

学校が

創立記念日か何かで

平日にお休みでした。

 

でも母親は

学校へ行けと私を

家から追い出しました。

 

休みだと言っても

信じてもらえなかったのか

私がいることで

邪魔だったのでしょう。

 

 

私は仕方なくランドセルを

背負ってトボトボと歩いて

出かけました。

 

 

すると同級生のお母さんが

窓から私に声をかけました。

 

 

今日は学校がお休みよ!と。

 

 

私はそれを無視して

スタスタ歩くと

追いかけてきて

引き留められたのです。

 

 

その時、初めて

私は泣きました。

 

学校がお休みだと言っても

家から出されたことを

大人に言ったのです。

 

 

その人は、私を連れて

家に言って母親に事情を

説明しようとしたのです…が、

母親は私の手を思いきり

引っ張って家に引き入れては

その人の前でドアを

ばたんと締めました。

 

 

そこからです。

恐ろしい事が起こったのは…

 

 

学校へも連絡がいきました。

 

 

母親も呼び出しを

かけられましたが、

応じるような親ではありません。

 

 

私はふだんの生活を

根掘り葉掘りと教師やら

知らない大人に聞かれました。

身体は調べられませんでした。

 

 

今考えれば、

私がふだんから

友達に喋っていたから、

友達は子どもなわけだし、

そりゃ親に言いますよね。

 

元から言動も行いも

変わった親だったし

噂になっていたのでしょう。

 

 

だけど私は社会を

その時に初めて怖いと思ったのです。

 

 

母親と引き離れることが。

母親がおかしな人と判断されるのが。

 

 

同時に自分が

可哀相な子どもだと

レッテルを貼られることが。

 

とてつもなく怖くて

精いっぱい否定をしました。

 

 

否定すれば、

なかったことになるので。

おとがめなしです。

 

親や自分を

晒すことが怖かった。

 

今振り返ってみても

私はたぶん同じことを

したと思います。

 

 

世間では毒親を堂々と

非難できる時代になりましたが、

親子関係と言うのは、

色んな感情が複雑に

入り混じっているので、

表立って親の否定を

出来る子どもばかりではありません。

 

 

社会はいつも

正しいのですが

 

 

虐待の問題は

子ども側からすると

自分の過ちと

親の過ちの境目を

分別できません。

 

 

そして親が

大人であるケースも

当たり前のように

存在しないのが現実です。

 

 

私は保護されるよりは、

いち早く大人になって

親を背負える子どもに

なりたいと願って

高齢になった親を

引き取るという今があります。

 

 

それを周りには強いね、と

言われますが、親の過ちを

ちゃんと非難できる人の方が

強いと私は思っています。

 

 

自分を守る力が正常に働けば

親であっても危機に瀕すれば

自分を守り選ぶのがある意味で

正常だと思うからです。

 

 

だけどそれが正しいか、と

言われたらそわかりません。

 

 

私の場合は

心中に強い気持ちで

母を受け入れようとしました。

 

 

歪んでいるかもしれませんが、

私は愛の力で家族を救いたいと

思うタイプの人間です。

 

 

激しい攻撃性のある

精神疾患を持つお子様を

もつ親御さまなどは少し

理解してもらえるかもしれません。

 

 

刺し違える覚悟で

一緒に生きて行く覚悟を

するのも家族の姿です。

 

 

でも手放すことで

別々に離れることも、

一つの愛だと思います。

 

 

家族の愛情という

正誤の判断は、

社会の正義でははかれないのです。

 

 

私は映画

「ファーストラヴ」を見て

思ったことは2つ。

 

 

1つは、

それぞれ正義は

違うからこそ、

互いの記憶は歪むのだ。

 

 

2つは、

他人が介入して解決をしても、

虐待の苦しみを一生

背負っていくのは自分であること。

 

 
 
1つ目は、
親子の立場から
見た愛という正義は
子とは違います。
 
 
どう守っているか
という目線は
感情がつきまとう。
 
 
だからこそお互いが
愛をもって接しても
必ず傷つくことがあるのです。
 
 
相手を
どう思っているかによって
一つの事柄においても、
どちらが被害者であったか、
という記憶は
 
 
自分の都合の良い形で
すり替えられていることが
ほとんどなのです。
 
 
だから虐待も被害も、
目線を変えれば
相性が合わなかっただけで、
 
実は価値観の違いが
相応の苦しみを生み
記憶として強烈に
刷り込まれている場合があります。
 
 
そこを冷静になりたい。
(これは伝わりにくいかも)
 
 
2つ目は、
虐待児は
保護されたとしても
救われたわけではない
ということです。
 
 
命は救われても
唯一の親に愛されなかった
事実は一生消えないから、
その苦しみは一生
背負っていかなければならない。
 
 
そして
幾つになっても
誰に助けを求めても、
その空虚の苦しみは、
 
 
自分の頭で
自分が記憶した形で
焼きつけているので
 
 
それらと戦うのも背負うのも
乗り越えるのも自分なのです。
 
 
なぜこんなことを
書こうかと思ったかと言うと。
 
 
虐待の介入による救いは
それほど難しい、ということ。
 
 
元から
傷つきやすい子もいれば、
圧に弱い子もいる。
 
 
受け止めようとする子もいれば、
逃げようとする子もいる。
 
強い弱いではなく、
愛情の形には多種多様があって
良い悪いで裁けないということ。
 
 
だけど今回の映画は、
心に傷を負った主人公が
同じ気持ちで苦しみながら
寄り添った形には
深い愛がありました。
 
 
主人公が心を開いて
自分の気持ちを
言葉にするシーンでは
グッとくるものがありました。
 
 
だけどそれら事実の課程が
すべて真実かはわからない、と
いう裁判官の判断は、
 
 
1つ目に挙げた
記憶のすり替えが自分でも
わからない可能性があるからです。
 
 
嘘をつこうとしなくても、
 
人間は記憶を歪曲して
自分を守ろうとするからです。
 
 
私も少なからず
あると思います。
 
 
親は愛情だと示したことを
受けとれなかった
自分もきっといます。
 
 
個人的な思いとしては、
虐待を受けて育った人は
どうあがいても自分で
乗り越えなければ
ならないことから
逃げてはいけない、ということ。
 
 
そこには
自分の弱さが
隠れているから。
 
 
そして他人が介入して
救ったとか、救ってあげたい、
救われたい、救われるべきだ、
という感情のすり込みは
それもまたある種の
洗脳だと思うのです。
 
 
私が過去に願ったことは、
ただ聴いてくれれば良かった。
 
 
友達でも大人でも。
それだけです。
 
助けて欲しかった=おおごと
にして欲しかったわけでは
なかったのです。
 
 
もしかしたら行きつくところは
この映画の主人公みたいなことに
なっていたのかもしれませんが、
 
 
それは万が一です。
 
 
虐待をされた人たちが皆
犯罪者になるわけでもないし。
 
 
過激な報道が出るたびに
子どもには優しいけれど
母親には冷たい世の中が
どんどん膨れている気がして
社会が未だに怖い時があります。
 
 
私自身も子どもを上手く
育てられない無力さを感じても
 
 
自分がきちんと
育てられなかったから、と
そんな言い訳は出来ません。
 
 
だけどやっぱり
自分を責めてしまいます。
 
 
周りには危なっかしい
親だと思われているかもしれません。
 
 
だからこそ私は
自ら
教師の手を借りて
ママ友の手を借り、
配偶者の手を借りて今があります。
 
 
母親に対しての
嫌悪はありますが、
同時に愛情もあります。
 
 
許せない面もありますが
自分しか受け止められない
親子の歴史と絆があります。
 
 
だから自分が
親をけなしてもいいけど(笑)
他人に親を非難されるのは
今でも嫌です。
 
 
とても個人的な思いで
申し訳ないのですが、
なんとなく虐待に関して
社会の正義の流れが
 
 
当事者としては
そっちではないよと
思うことがニュースを見ていて
いつも思うところがあったので
今回の映画を機に
言葉にしてみました。
 
 
でも
虐待支援者の方たちに
救われた人もたくさん
いるだろうと思います。
 
 
実際にわたしの夫も
施設で育ったせいか、
私より呑気な性格でいるのを見ると
無理に親元に返されて
過ごさない方が
良い例なのかもしれない、
と思うことも多々あります。
 
 
結果論ですけどね。
 
 
原点に戻りますが、
 
 
今回の映画は、
親への気持ち、自分に残る
挫滅感や社会に対しての
失望感などが…
 
 
上手く言い表せない
主人公の気持ちに
のめりこんでしまいました。
 
 
小説も
ぜひ読んでみたいです。
 
 
気分が悪くなった方が
いたらごめんなさいね。
 
 
同情されたいわけでも
共感されたいわけでもない。
 
 
ただ私と同じように
親への苦しみを抱えて
大人になった今も
 
 
それらを言い訳に
周りのせいにして
周りにもたれかかって
 
 
幸せを掴めない人がいるなら
 
 
やはり
誰かに追い求めても
埋められないものがある。
 
 
それは
誰のせいでもないよ、と
言いたかったのです。
 
 
あなたは
あなたの
力で乗り越えられるはず。
 
 
 
 
そのために
周りの人がいてくれる。
ただそれだけ。
 
 
長文のお付き合いを
ありがとうございました。
 
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