時よ変われ、少しずつでいい | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

不惑のお話。


先日のブログにて、
「モノやお金だけ考えて終わっちゃうと
 人として浅いので、人生や生き方や
 価値観みたいなものを振り返ろう」
「そのためにも日記をつけよう」
的なお話をしました。

https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12581119745.html


そう本に書いてありました。

本を見る前からこのブログで似たような
事をしていたので、ちょうどよかったの
です。

著者さんと同じ考え方だったのです。


いつの日か、この日記を振り返って読み
返して…という事も考えています。

あの頃の自分はこんな事考えていたんだ
なぁ~シミジミー!
みたいな。


昔、あずまんが大王という漫画がありま
してね。

長文日記を書いてアップロードしようと
したら、エラーが出て…
あわてて「戻る」したら書いた日記全部
消えちゃって、べそかいて寝る…という
4コママンガの回があったのです。

私もブログ更新の時に同じ事を経験して
以来、日記はテキストデータに一回打ち
込んでからコピーするようにしておりま
す。


ということで、結構昔の日記もローカル
データとして取っておいてあるのです。

2004年のホームページのデータ。
これは自前でタグ打ってちくちく作った
HTMLとして残っております。

2010年からのmixiのデータ。
2016年からのこのブログのデータ。
このあたりは日付とタイトルをファイル
ネームにしてテキストデータにして保管
しております。

過去何度かHDDがクラッシュした事が
ありますが、過去の創作物とかこれらは
バックアップ取りながら失わずに来れて
おります。


ツイッターの…は取り置きありません。
あっちはまさにつぶやき、虚空に消える
声なのです。


で、ふとしたキッカケで、本ブログの
私の日記を振り返ってみたのですが、
2017年02月19日に「世捨て人に憧れる」
というタイトルで色々と日記しておりま
した。


https://ameblo.jp/malicetetsu/entry-12249330563.html


内容を客観的に見ると、何となくですが
「先日言った事と真逆な話をしてるので
はないか」という印象を受けるのです。

本質的な所は変わっていないつもりなの
ですが、人は変わるものですね。


前は「人と繋がり働いて社会に貢献して
ないと生きているのとは言えない」的な
話をしていたのに。

先日は「貧乏でも無職でも孤独でもいい
あまり気負わず金持ち様の払った税金で
幸せに生きようぜ」みたいな事を言って
おりました。


何が変わったか、やはりHSPという
気質についての理解が深まり、しっかり
向き合えるようになったというのが一番
大きな違いかなあ、と思うのです。


前の私は、まだHSPという概念を知ら
ず、でも何となく「内向的で脆い心」の
ような自分の特性は気づいていて。

でもそれを「正面から受け止める勇気が
なく、見て見ぬ振りして疎んでいた」の
だと思います。


『このままじゃダメだ、こんなんじゃ
 いけない、もっと立派にならなきゃ』


そうやって自身の気質を否定して、そう
じゃない人生を目指して。

世間一般の言う「立派なオトナ」になる
事を、心からなりたいと思っている訳で
もないのに、見栄や意地、自己満足…
「ああ私って普通だわ」と思うためだけ
に。

内向的のままなんて格好悪いわ、もっと
キチンとした普通の人にならないと。
立派な人にならないと。

そう思い、再び大手企業という、負荷の
かかる環境に飛び込んで行って、過剰に
頑張って、そして消耗して、退職したの
です。


趣味の居合も人付き合いの問題で挫折、
結婚を前提にした交際も半年で終了。

仕事も何とかやりくりはしていたけど、
わからない事だらけだったのです。

あのまま勤め続けるには、スキルや経験
不足、他部門との人間づきあいの面でも
無理、先輩や上司になるだなんて、到底
不可能だった事でしょう。


「普通」の会社で、「普通」の人達と、
「私も普通ですよって顔をしながら」
働く事…

「普通」の知り合いと、「普通」の嫁と
「普通」の親戚とつきあいをする事…

それは私にとって「普通ではない」ので
す。

純粋に、単純に「辛い」のです。
「苦痛」なのです。
「我慢」なのです。
「無理」なのです。


いろいろ迷って、悩んで、頑張って。

やるだけやって、「無理」だった。

その見極めが出来ただけでも。

一時でも(といいながら、足掛け会社員
生活17年、親孝行も出来た、自分の
老後に向け年金や貯蓄も少しは蓄えた)
普通以上の人生を体験出来たと思うと、
それで十分なのです。


ずーっと無職引きこもりじゃなかったの
ですものね。

それどころか、一流サラリーマンとして
活躍できたのです。


その環境を与えられて、続けますか?と
考えて「じゃあいいですぅ~」になった
わけです。


フリーターにしかなれず、体験もできず
「あぁ~いい会社に入りてぇなぁ~」、
「お金があるって幸せだろうなぁ~」て
思い続けて、自身の境遇や気質を呪い、
金持ちのみならず世間や近隣の人たちに
すら妬み僻みを抱き続ける無職ではない
のです。

上場で上々の体験とお賃金をいただいて
その上で自分で選んだ無職です。

それは後悔などあろうはずないのです。


お金も無いわけじゃないのです。

もう40前、アラフォーです。

苦し紛れに時を刻むのはこれまでして、
HSPを抱えてなお「無理」しない生き
方を探そう、なのです。


お金や仕事がない未来とか。
強くなれなかった自分とか。
築き上げてきた趣味や技がなかったり。
立派なオトナとは言いづらかったり。
そろそろ健康にも陰りが見えてきて。
何だかんだで暇は退屈で。

重くのしかかる不安。
頭痛で狂いそうな時間。
幸せを夢見させるような甘い言葉。
泣きたくても涙も出ない悲しみ寂しさ。

生きていれば、気持ちを惑わせる要因は
溢れんばかりにあるのです。


でも。

それはHSPでなくても、仕事があって
も、家庭を築いても、お金があっても。

誰だってあるし、気にしたって仕方ない
ものなのです。

むしろそれが不安の種になったりもしま
す。
なくて良かったなあ、自分ひとり何とか
やりくりするだけで済んで、気が楽だな
あ、と思えばいいのです。


過剰に不安になるのがHSP。

逆にそれを利用するのです。

「この不安は状況の悪さのせいではない
 自分の重度のHSPのせいなのだ」
と。

「HSPのせいで不安になってるんだか
 ら、実際のところ大丈夫じゃね?」
くらいに思っておけばよいのです。


ちょいと余談。

HSPは診断テストがあります。


https://hsptest.jp/


何気なくありのままで時々やるのですが
いつも大体110~130位、HSP度:【強】
なのです。


そこのサイトのデザイン、ピンぼけした
グラサンの女の画像を背景に、やたらと
大きいフォントの文字がヌルッと表れて
なんだかちょっと怖いのです。

こういうちょっとしたデザインにも不安
を感じる、ちょっとしたデザインから
「不安」という要素を掴み取るセンスは
HSPならではなのかも知れませんね。


閑話休題。


本当に状況が悪い時はそんな風には到底
思えないものです。

思おう、と思って切り替えられるなら、
「こんな状況で思えるか!」って程の、
具体的な悪い状況がないのであれば、
多少楽観的すぎる位でよいのです。

「HSPなんだから」それで丁度よい、
と自分を、HSPを理解して受け入れて
良い方向、心の負担のない方向に人生の
舵を切っていくのです。


直したい、でも治らない…ではなくて、
HSPは治る治らないではないし、病気
ではないという事を受け入れて、不惑、
迷わず惑わずに生きる事とするのです。

見栄や一般論に流されて、したくもない
結婚や続けたくもない仕事や気疲れする
人付き合いをして、人生豊かに過ごす
どころか、心も体もヘタってしまうよう
な生き方はしないのです。


変わっていないつもりでも人は少しずつ
変わるものです。

変わっていいんじゃないかしら。

都度都度、その時々、満足する納得する
選択をしていけていれば、人生終った時
「けっこう人生まるごと良かったなあ」
て満足できるんじゃないかしら。


結論。


Laputa の Vertigo て曲は素敵なので、
Youtube にもありますので一度お聴き
ください。