永遠の静寂 | 花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

HSPのお話。


私が選んで注視しているだけかも知れま
せんが、最近、とくにHSPに関しての、
話題・コラムや書籍を見かけるように
なった気がするのです。

先日図書館いきまして。

高田明和さんの著書「HSPと発達障害
 空気を読みすぎる人と空気が読めない
 人」という本を読みましたのです。

タイトル打つのによく見たら、この方は
浜松医科大学名誉教授なんですって。

すごいわね。


この手のHSP本は見かけるとついつい
眺めてしまうのですが。

読むのが辛くて、落ち着いてマジメには
読めないのです。


「HSPとはこんな傾向…」
「世間からこんな扱いをされて…」
「体験談(1)、仕事中こんな事が…」
「何気なく暮らしていても辛いと感じて
 しまって…」
などなど。

私が生きていて辛い出来事をこんこんと
羅列されているようで、生きたまま臓物
えぐりだされて解剖と解説をされている
ような状態なのです。

「見ろ、これがお前の中身だ」と。


私はもう現世に然程の未練はないのです
が。

もしも願いが叶うなら、ほんの少しだけ
思う事があるのです。

HSPの理解を広める仕事をしたいと。


私自身、この漠然とした不安や不快や、
違和感や辛さみたいなものについて、
退職した2社の産業医や、その会社に
通ってくれる臨床心理士や、所属部署の
上司や人事など、おおくの人へ相談やら
打ち明けやらをしてきました。

外部の神経科にも通いました。

結果、「そんな訴えをする位に辛い」と
いうアピールになった事もあり、退職を
スムーズにする効果はありましたが、
仕事を続けていくとか自身の辛さを軽減
するという前向きな効果はありませんで
した。


私は、私の状態を理解してほしい訳では
ありません。
私が理解していないのでもありません。

ただ「辛い」のです。

よしんば「辛い」事を親身になって理解
してくれたとしても、何の意味もないの
です。


例えば、手の骨が折れて「痛い!」時。

「そうだね、痛いねー」と理解してくれ
なんて思う人はいません。

「痛いのを治してくれ!」ですよね。
「痛くなくしてくれ!」「元にもどして
くれ!」ですよね。


前の前の会社の人事に対して、説明した
覚えがある言葉です。

「何がつらいの?」のような質問をされ
た時、特になにもないのだけれど辛いと
いう事を伝えるためのたとえ話。

「みなさんは水の中でも暮らせる人。
 私は陸の上でしか暮らせない人。
 みなさんは水中の生活、仕事について
 何もなければ何も苦しくないけれど、
 私はみなさんといるだけで苦しい。
 特別な何かがなかったとしても皆さん
 と同じ水中にいるという事が苦しい。
 それは苦しくない皆さんに説明はでき
 ないし、伝わらないだろう」


「他の人もがんばってる」的な言われ方
をした時の言葉。

「100kgの重りと30kgの重り、
 100kgのほうが重いのは当たり前
 だけど、30kgが楽ではない。
 100kg持ってる人もいるよ、等と
 言われたって、30kgが重いのは
 かわらない」


結局、『ふつうに』仕事をしてもらおう
としか考えていない相談相手に対して、
何を相談したって、「じゃあどうしたら
『ふつうに』仕事できるようになる?」
という方向の話をされるだけなのです。

「あなたHSPとかいう何か得体の知れ
 ないものを持ってるのね、で?」
なのです。

で?
働けるの?働けないの?「働く」の?
こっちの人間を変えるなんてできない。
あなたが変わらないのなら、働けないの
なら、ウチにあなたはいらないよ。
それが会社側の言葉なのです。

話きいてあげたから、話をきく「だけ」
なら「仕事として」「してあげる」から
いつでも来なさい。
それが医者の言葉なのです。


私はアラフォーになるまでの人生を丸々
かけて、ようやくHSPという状態に
対して何とか折り合いがつきそうな位に
までなりました。

ま、ぶっちゃけて言うとお金があるから
なのですがね。

一生遊んで暮らせる程ではないけれど、
生活保護よりずっと下の暮らしであれば
何とか生き延びられそうな程度に節約を
してきたのです。

親元暮らしで、親の年金や遺産を含めて
自分が半生かけて使わずに貯めたお金が
あれば、相応の税金を納めて、相応の
暮らしで妥協するなら、細々と独りで
余生を過ごせそうな気がするのです。

少し気持ちの余裕があるだけなのです。

そういう人生になるよう、綿密な人生の
振り分けをしてきたのです。


それ以外の部分は、まだまだガッツリな
HSPなのです。

二度と働きたくないし、人と関わり合い
たくないし、漠然と人類全てに対して
憎悪を抱いています。

生まれ変わったら万能の魔王になって、
地球上全てを丁寧に薙ぎ払っていきたい
と考えている位です。


全ての歴史、全ての生命、全ての人間を
消し、そして私も消えたいのです。

永遠に!


まあ…
だからこそなのです。

ほんの少し残っている人の心、良心と、
ほんの少しの自己顕示のために。

「限界まで社会人頑張って一人の人間と
 して生きたHSP者」という私から、
本音のHSPを届けたいのです。


「お勉強としてHSPを学んだ健常者の
 お医者先生から、お仕事としてお付き
 合いの解説」ではなく。

小綺麗なオバサンや小洒落たニイチャン
からのトークちから溢れる話ではなく。

足掛け約17年間、工場で働いてきた、
あご髭で長髪なメタボのオッサンでも、
弱いメンタルを持つ事があるという事を
伝えたいのです。


「もっと仕事をして、人と会いたい」と
と思う前向きに生きたいHSPさんが、
「もう人間いいや、人生いらないや」と
私くらいに思う前に。

へこたれる前にHSPを知ってもらって
早く自分を理解してほしいのです。

自分を殺す世界で我慢し続ける時間を
減らして、自分を活かせる世界を見つけ
る事に時間をかけてほしいのです。
もっと世に出てほしいのです。


そういう仕事だったら、ちょっぴりだけ
就きたいなあ、と思うのです。


あ、ちなみに。
「HSPに悩む人の集い」みたいなのは
ノーサンキューです。

前述の通りです。

話したいわけではない。
わかってほしい、共感してほしいわけで
はない。
言わなくても私は覚えてるし分析できて
いるのです。


そもそもそんな「でかけて人と会う」を
楽しくできるようであれば、HSPを
名乗ってないのです。

出来ないわけではない…と思います。
ただ「我慢になる」ってだけで。


「おなじ境遇の人たちとお話しできて、
 共感してもらえて、よかった~落ち
 着けた~」って人は、それほど重い
HSPではないのだろうな、と思うので
す。

そういう会の場ですら、自分の症状が
軽ければ「私この程度で悩んでた…?」
が悩みになるし。

重ければ「ああやっぱり私は生きてて
辛い人間なんだ」と悩むのです。


共感してもらっても「もしかして演技
とか我慢してる…?」と疑わしくなる。

つまらない話だなあ、と感じている様な
素振りを敏感に察知する。

どんな反応をされたとしても、悪い方に
危険な方に嫌われている方に受け取る、
心のアンテナ、心のサイレンが鳴り響く
のです。

どうあがいても絶望なのです。


良くない考え方だとは思いますが。

そういう会を開催できる「自称HSPの
アドバイザーさん」や、「HSPで日々
悩んでいる敏感さん」に対して。

「HSPで悩む人達の集いとは言え、
 リアルで人と会って安らげる程度で、
 HSPを名乗るな」
「『楽しめない』程度で悩みと言うな。
 『生きたくない』『死にたい』を過ぎ
 『死んでから』初めて悩め」
「友達やセフレ、伴侶を作っておいて、
 何がHSPじゃい」

それくらい、私は歪んだ対人意識を持っ
ております。

人生で「会って安らいだ人」は誰一人も
おりません。


例え抜き、全身全霊。
生活が維持されるのであれば、もう今後
一切のプライベートな他人との関わりが
無くなって欲しいとすら思っています。

それ位、人とのリアルなやり取りに対し
「敏感に感じる」と感じているのです。

それ位、私はどこの誰とどんな風に接し
ても「つらみ」があるのです。


ホント良くないとは思います。
こういう「重症である事を自慢する」的
な発想。

でも、心の奥底に少しだけ淀んでいる、
私の悪しき本音なのです。


骨折つながりでの例え話を出すならば。

足の親指の骨ちょいと骨折して、松葉杖
生活1ヶ月、みたいな人に対して。

「オレはバイクで転んで両足骨折だ!
 ベッド寝たきり生活半年だった!
 指一本なんて軽症だろ~!?」
みたく、自分の不具合、不注意、不履行
不幸な出来事を、さも英雄譚のように
威張って語るタイプの人。

いますよね~。
褒めてほしいんですかね。

大怪我大病、すごいですね!
おめでとうございます!
首の骨も折れとけばいっそ英霊になれた
のにね!
次はもっと折れると良いですね!


もっと大怪我がいるからって、自分が
もっと大怪我だからって。

軽い症状の人を「そんなんで嘆くな」的
に見てくる人が。


冒頭で私自身も、HSPの例えで出して
おりましたけどね。

「100kgを持てる人がいるんだから
 30kg位持てよ」
「30kg位なんだ、おれは100kg
 持てるぞ」

そんな言葉で、そんな言い方で、
「ハッそうだったんだ、たった30kg
 なんてことはない、ウォォォ!」
てな感じで持ち上がられる…

わけがないのです。
理解、協調とは程遠い応対なのです。


私がやりたいのは、どちらかと言うと、
「HSPは強く拗らすと、私のような程
 になる懸念がある」
「あなたの知人に私のような状態の人が
 いるならHSPが原因かも知れない」
「知らずに不躾な対応をしてると魔王を
 生み出すんだぞ、覚悟しろ!」
というような、健常な人に対して警鐘を
鳴らす講義のお仕事が出来たら、なんて
思うのです。

上司向け、経営者向け、会社向けに、
啓発の意味を込めての講習を、ね。

HSPで悩む方に対して
「色々な考え方やり方があるからね」
「思いつめないで正しく理解してね」
じゃなく、ストレッサーになりうる方の
意識を高めたいのです。


でも、残念ながら肝心のお話
「どうすればHSPを克服できるか」
「HSP者に対しどう接すればいいか」
について、おそらく何の助言もできない
と思っています。

ご覧の通り、自分が克服できていないの
ですからね。


学術的、精神医学的な意味とか、公的な
HSPの説明もできませんし。

逆に、私のねじ曲がって恨みの籠もった
HSP像が伝わってしまって
「やっぱHSP持ちはヤベェな」
「そういう人は採用しない方がいい」
て思われちゃったら元も子もないわね。

やめとこう。


だいぶ書いたと思いますが、残念ながら
ここまでで「余談の1つ目」でした。


余談2つ目。


でも今、個人的に興味があることと言う
と、HSPが一番なのは確かなのです。

分析・研究をしたいなあとも思っている
のです。


これは一つの仮説なのですが。

以前「血液型と性格には科学的な関連は
ない」とか何とかの報告を見たような
気がいたします。

でも「間にHSPが入ると関連づくので
は?」と考えております。


つまり、
「HSPになりやすいのはA型。
 だからA型は神経質と言われがち」
となる可能性があるのではないかと考え
ているのです。


私は工業系の工場に勤務しておりまして
そこで様々な考え方を培ってきました。

中でも「なぜなぜ分析」という奴が好物
でして。


個人的な偏見、根拠のない妄想。
「だから」がつながらない説明。
そんなレベルで結論を出して、仕事した
顔をする連中のなんと多いことか。

「新人だからミスするんだ」みたいな。


なぜ「新人だとミスするのか」を考えろ
って話なのですよ。

熟練していない者には分かりづらかった
り、熟練に至らせるための説明が足りな
かったりするからでしょう?


そこまで分析して。
熟練してない者でも分かりやすい手順を
用意するとか、システム面でフォローを
するとか。

熟練させる、熟練者と同じ内容の業務を
行える為の準備を考えなければならない
のです。
それが「管理職」「経営陣」の仕事なの
です。

金勘定とお上の相手だけやってりゃいい
給料がもらえるわけじゃあないのです。


例えば、製品名に応じて割り振られてる
コードナンバーをエクセルで打ち込むと
いう作業があるとして。

そのコードナンバー表が、何十ページも
ある、使い古された共有の紙ファイルを
目視で読み取って手入力、なんて手順に
なっていたとします。

架空の例え話でもクソでございますね。


ある程度のベテランは慣れてたり、自分
担当の品名は覚えてたりします。

部門長は「これ位覚えておかなきゃダメ
だぞ~」とか言っていたりします。

覚えろとか、何のための表ですか。
クソでございますね。


人によっては自分なりによく使う品名の
ナンバーを手帳に書いていたりします。

「ファイルを見ろ」ってルール、会社と
しての資料が形骸化しています。

表全体が改定となったらどうしますか。
クソでございますね。


それで新人が手間取ったりミスしたら、
紙ファイルの目視なんて、人的ミスの
温床のような作業をやらせておきながら
「新人だからだ」「もっと気をつけろ」
「集中力が足りない」等と言うのです。

9時5時フルタイム、フル集中しろって
言うわけですね。
クソでござい(ry


紙の表をエクセル化して、検索できる様
にするとか。
プルダウン選択できるようにするとか。

あるいは、発注情報とか生産計画とかの
親データをインポートして自動でコード
読み込みされるようなシステムを構築
するとか。

そうやるのが「ヒューマンエラー削減」
なのです。

間違うな!気をつけろ!わかったか!
そう叫べば管理職の仕事おわりとか。
ク(ry


本日記をタイプしている本日、まさに。
世は大コロナ時代なのです。

緊急事態なのです。
緊急事態宣言が出されたのです。


緊急事態宣言“7都府県対象は妥当”
諮問委員会 新型コロナ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200407/k10012371831000.html


テレワークをして不要な感染拡大を防ぐ
処置を各企業は講じなければならないの
です。

「ウチはできない」と脊髄反射で却下を
する企業が多数あることでしょうけど。


「なぜ」できないのか。
「どの程度なら」できるのか。
「どの部署なら」できるのか。
「この曜日なら」できないか。


そういう事を考えず「ウチはできない」
「工場だから」「仕組みがないから」で
止まっているんじゃあ、ないですか?

なぜなぜ分析はこういう所でも役に立つ
のです。

そういう考え方を日頃からしておく必要
があるのです。


ソースが見つかりませんでしたけれど、
確かテレ朝のワイドショーだったと思う
のですが、とある意見がありまして、
印象に残っているのです。

まあ、たぶん朝日は反与党なので若干の
偏見はあったかも知れませんが。


「国会議員の中でコロナ感染者が出ても
 閉会や欠席はしない」
みたいな政治家の意見に対し、
「政治家が一番遅れている」
と痛烈批判をしていたのです。


「政治家は仕事をしろ、っていうのは、
 とにかく国会の場に出ろ、って言って
 いるんじゃない。
 出ても発言しない議員も多い。
 海外では自分に直接関係のない議題は
 議員会館や自分の事務所でモニター
 視聴している人もいる。
 そんなやり方でもやりようはある。
 国会は3密もあるし高齢者もいる。
 国民には自粛やテレワークを促して
 おいて、自分ら何をやっているんだ」
みたいな。


私はかなりの与党派、自民派です。
長いものには巻かれろタイプなのです。

「長くなる」のに、相応の経験や知識が
必要だろうから、その頭脳が諸々考えて
そうなったんなら、素人の私ですら思い
つきで出てくる意見なんざ、とうに検討
されて却下されたものなのだろう、愚か
なんだろう、と思うからなのです。


それが私の「長いものを肯定する理由」
なのです。

だから「長いもの」を批判するなら、
批判に足るだけの批判をしてみろと思う
のです。

「なんかあの人嫌だ」
「どうせ嘘つきだ」
「国民の事を全然考えていない」

なぜそう思うか、事例や根拠の説明も
出来ないような批判であれば、聞く価値
ないのです。


与党や自民が大好きとはいわないけれど
世に出回っている個人感情むきだしな
反与党・自民の批判は大嫌いなのです。

政治家先生の考えも知らず、強い言葉で
利いた風な口で政府批判をするような、
「コメンテーターとかいうワイドショー
芸人」や「反日工作するメディア」は
大嫌いなのです。


ですが、今回の批判は大賛成でした。
批判の内容、理屈に合点がいきました。


国民に自粛や工夫を要求しておきながら
自身の国会運営は意固地に昔のままとか
そりゃ批判されてもしゃあないです。

「なぜ」国会の場にでる必要があるか。
「誰が」出る必要があるか。
「今」出なくていい方法がないか。

メンツとか慣例みたいなものに縛られて
何が「緊急事態」かって話ですよ。


3密の上、人に向かって大声で叫ぶのが
当たり前の国会でも「マスクをしない」
のが話題になってたりしました。


マスクしない国会議員 気になる
着用 自己判断
https://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tsearch/list/CK2020032802000148.html


国民には税金使ってまでマスクを配って
おきながら、自身はしないんですか?

「先輩議員がしてないから」とか。
「マスクは意味がない」とか。

誰のどこが緊急事態なんですかね。
国民「だけ」緊急ですか?
国会はノアの方舟で安全なのですか?
国民の代表は上級国民ですか?
クソでございますね。


「長いものの頭脳」があるならキチンと
根拠ある説明をしていただきたいと思う
のです。

キチンと根拠ある行動を取っていただき
たいのです。

「なぜ」そういう結論に至ったのか。
政治を知らない人たちに説明するのが
政治家の仕事でしょうに。

政治家から説明うけずに政治のこと全部
わかってたら、政治家いらないのです。


「昔からこうだ!」「オレの時代は!」
みたいな、そういう程度で口にするから
古い政治家さんはダメなのですよ。

それだから「なぜ」のない批判もうける
ってんです。


今回の騒動でもたくさん批判されてきて
います、政治家の皆さん。

世界的な災害なんだから、いちおう日本
被害を抑えてこれているんだからあまり
一方的で感情的な非難はしたくないので
す。

だから感情的に仕事をしないでほしいの
です。

理論で説明できる仕事だったら、非難は
その理論に向くってものです。

「なぜ」の説明は自分の身を守る為にも
大事なのです。


「なぜ」の大切さを説くのに、ここまで
脱線しました。

何の話でしたっけ?

ああ…HSPはA型が云々でしたね…
忘れてた…


「A型は几帳面」は「風が吹けば桶屋」
のトンデモ理論だったとしても。

① 几帳面と言われる人は理論的。
② 理論的な人はメモや前回の例など、
  具体的な資料を元に説明する。
③ 具体的に説明する人は、自分の口で
  説明をしたがらない。
④ 自分の口で説明しない、のではなく
  過去に口頭だけで説明され、うろた
  えたり覚えられなかった経験がある
  から。
⑤ その経験はHSPの特徴。

みたいな、妥当な「なぜ」で繋げていく
と特徴が分析できるのではないかな、と
思うのです。

なら、HSPの人にA型が多いのなら、
(逆?A型にHSPが多いのなら?)、
「A型は几帳面」もあながち間違いでは
ないかも知れませんよ。


今、知られていないだけかもかもです。

HSPという概念自体、つまり④→⑤に
理解が進んだのだって、この2~30年
なのです。

④で終わっていた時代は「お前が理解
できないだけだろ!」と叱責され、打ち
ひしがれていた事でしょう。


もちろん「なぜA型にHSPが多いか」
そもそも「本当にA型にHSPが多いの
か」は今の私にはわかりません。

でも、研究が進み、もう一段「なぜ」が
進めば、「なぜHSPが発症するのか」
分析が出来れば、そこに血液型の成分か
何かが関わっていれば。

この仮説も成り立つというものです。


コロナでも「血液型の関係」の仮説が
出ているようですよ。


「A型は新型コロナが重症化」って本当?
https://news.merumo.ne.jp/article/genre/9591318


どこかの番組で見た記憶があります。

「血液型というものが、そもそも人類に
 いくつかのタイプを作っておく事で、
 環境の変化や災害の際に全滅を防ぐ
 狙いがある」
みたいな話。

テレビか何かで、過去の災害(スペイン
風邪とかペストとかかな)も、血液型で
重症率が違ったとか何とか。
聞いた記憶があります。


病原に対する反応が血液型ごとに異なる
というのなら、体質や気質が違うっての
もありえない話じゃあないのではないか
しら?

そもそもHSPという概念や特徴自体、
なかった時代は「個人の弱さ」みたいな
扱いだったでしょうからね。

分析が進んで、新しい考え方ができると
前の時代の認識、常識を改めなければ、
なのです。


HSP解析が進む事を祈っております。


さて、いよいよ本日の本題です。

高田先生の本の所感です。


2020年2月の本なんですって。
最近の本ですね。

道理で、グレタちゃんとかナウい話題を
取り上げていただいているのですね。


勉強になったなーというポイント。


(1)「学ぶ」は「真似る(ぶ)」の派生
 と言われている。
 HSPの「影響を受けやすい性質」は
 学習能力の高さでもある


今思うと、私の学生時代の勉強の得手
不得手がそんな感じかもです。

私は「理解力」や「記憶力」は人以下で
あったにもかかわらず、「模倣力」が
高いため、優秀と言われた、優秀に見え
たのだと思います。
なんとなく。

公式を覚えて、例題のような解き方を
「真似る」事で正解できるので、理数が
得意でした。
理論を理解したわけではないのです。

でも、社会はダメでした。
攻略法もパターンもない、ただ膨大に
丸暗記するだけの科目だったのです。


趣味もそうですね。

音楽、楽器を少し趣味でやっていたので
すが、「この楽譜どおりに弾きなさい」
ばかりやっていたので、身になってない
感じでした。

人の真似ばかりってことですね。


お絵かき等の創作も同人や模倣が多く、
オリジナルで描きたいものがあるわけで
はなかったのです。

強い光に誘われ群がる虫に過ぎなかった
のです。
私が光だったわけではなかったのです。


(2)症状で困っていなければ、診断の
 必要はない


これは前にブログでも書きました。

覗きや痴漢の趣味があっても、リアルで
他人を被害者にしたり、自身の生活が
その趣味で破綻したり。
そのような害がないのであれば「趣味」
の範囲に留まると。

「害」があれば「○○症」となる、と。

私はHSPで仕事を2つ辞めて、生命を
2度ほど終えそうになって、現時点では
引きこもり同然の人間不信になって、
来世は魔王になる程、人生に害を及ぼし
ているのです。
ダメでございますね。


(3)敏感さは生物が生き残る為の気質
 それが現代社会では必要なくなった上
 「鈍感な方が強い」とされてきたので
 生きづらくなっている


これも前に思った事でした。

「危険を感知するためのアンテナなのに
 危険を感知するとヘタるアンテナ」
なんて、使えないですものね。

HSPは使えない人材なのですかね…


逆に、著者先生が悪いわけではないのだ
けれど、読んでて辛い部分。


(1)HSPの体験談が多い


HSPなので、こういう体験談を見るの
も辛いのです。
共感性なんとか、とか言う何かを聞いた
記憶があります。

先日もアニメ1クール観てたのですが、
「自分勝手で嫌なヤツ」が出てくる回を
観るのに、日を改める位に精神力を使っ
たのです。

前にも観た事があるし、Aパートで主人
公達はソイツを乗り越えるってわかって
いるのですが「出てくる事がわかる」っ
てだけでも辛いのです。

体験談を聞くのも辛いのです。

「他人事だ」とやりすごせないのです。


(2)威圧的な人はそういう発達障害な
 のかも知れない、脳のバランスが取れ
 ている人の方が珍しい


私が「病的な程のHSP」と自己分析を
する理由でもあるのですが。

こういう言われ方をすると
「普通の人ばかりじゃないんだから」
「他のひとも苦しんでいるんだから」
「あなただけではないんだから」
と、呆れられている様に感じるのです。

「だから…」の後に
「だからお前も他人と同じく振る舞え」
「だからお前ももっと頑張れよ」
と、叱責されているようにしか聞こえな
いのです。

そうすると私は体の中で癇癪を起こすの
です。

「同じく苦しんでいるんだったら同じく
 仕事を辞めてしまえ!
 人付き合いを辞めてしまえ!
 人間も辞めてしまえ!
 死んだほうが楽な程に苦しいんだろ!
 なら殺してやる!!!」

おそらくですが、言い方もありますが、
「みんな苦しいんだからお前も…」的な
そういう発言をされて激高した場合、
無差別な人類に対し、上述の癇癪を発症
して、その激情を「物理的にぶつける」
に至る気持ち、わからんでもないです。

親殺し子殺し。
トラックで歩行者天国に突入。
児童の列に刃物を持って突入。
企業の会社にガソリンを持って突入。

そのような事件を起こした方々はもしか
すると私と同程度のHSPではなかった
のではないでしょうか。

私より「人生の訓練」が足りず。
私よりお金や余裕や分析力がなく。
私より他者からの圧力が強かったら。

私の環境との違いは、ほんのちょっとで
あったのではないでしょうか。

私自身、何か少しキッカケや強い負荷が
あったとしたら、最寄りの小学校の学級
1つ位、焼き尽くしていたのかも知れま
せん。

逆だったかもしれねェ…


(3)HSP・発達障害は才能の宝庫
 歴史の偉人もアスペルガーかも?

これもよく言われる事ですね。
以前、2chあたりで見かけたのです。

「この認識を広げないでほしい。
 サヴァンの無い、単純な障害持ちも
 いるんだから。
 さぞ天才的に凄いみたく期待されても
 そこそこほどほどで、苦しみだけは
 一人前ってパターンもあるんだから」
みたいな。

私も経験、なくもないです。
PC好き、プログラミング経験あり、て
言うともう「機械工作もソフトウェアも
何でも出来、仕事にもできる」みたいな
風に思ってくる人もいるんですよ。

電気施工の勉強したと言うと、「一人で
どんな工事もできる」みたいに思って
くる人もいるんですよ。


そう思われるのも怖くて不安で。
そうじゃない事でガッカリされる事が
不安で。
誰とも、誰にも、何も話したくなくなる
のです。

色々な場所で何度も言っている記憶が
あるお話ですが。

「日本人は自己アピールが不得手。
 海外だったら『映画鑑賞が趣味です。
 今年は3本観たかな!?』て言える。
 日本で映画鑑賞なんて言ったら、○○
 監督の作品は全て観たとか、今年の
 話題作は全部観てる、位じゃないと、
 『それって趣味って言う?』みたく
 否定してくる」
みたいな。

評論が出来て、通なオススメ作品を知っ
ていて、ホームシアターを持っている位
じゃないと胸を張って趣味と言えない、
なんて風潮があるんじゃないかしら。

好きなものを好きとも言えない。
クソでございますね。


結論。

もう人間はつかれた。

HSPは治らないのであれば、早いとこ
魔王になって、この星を永遠の静寂で
包んでやらねばならぬ。

せめて人類でいる間は、ユーモアを忘れ
ずに生きていきたいね。

軽口冗談まじりのひとり日記、まだまだ
つづくよ!


タイプするのも校正も疲れた…
文章が長いよ~