HSPのお話の続き。
先日、高田明和さんの著書
「HSPと発達障害
空気を読みすぎる人と空気が読めない
人」という本を読んだというお話を、
延々と書き連ねておりました。
文字数や改行もあるとはいえ、テキスト
データによると1069行もありました。
そんなに書いたのに、まだ続くのです。
新宿ストレスクリニックさんのサイトに
よりますと、HSPの特徴として
「1を聞いて10想像し考えられる」と
あります。
HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)とは?
~正しい知識で理解する大切さ~
https://www.shinjuku-stress.com/column/psychosomatic/hsp/
それくらい、私の頭の中の想像は外部の
情報に対し膨大という事ですね。
内容が濃いとは言っておりません。
逆に言うと、「私の頭の中で渦巻くのは
日記として現れている文章の比ではない
よ」て事です。
実際、日記もボツネタや草案がありまし
て、10近くあったりするのです。
頭の中だけで留まっていたり。
趣味のゲームの方を優先して、文章を
まとめるのをサボったり。
手を付けては見たけれど、うまいこと
まとまらなかったり…etc。
ひととおり書いたとしても、読み直して
言葉が足りないなーと思った所に付け加
えたり、区切りをつけたり、順番を変え
た方が話の流れがわかりやすいかなー、
とか考えたり、校正したり。
別にお賃金いただいて執筆してる著作や
コラムじゃあないんだから、そこまで
考える事もないんですがね。
もっと短くて雑記的なものを書いたって
バチはあたらないでしょう。
あくまで個人の日記です。
ま、こんな風にグルグル考えちゃう人な
ので、文字に起こして頭から切り離して
しまうのも、HSPとうまく付き合って
いく上での、私なりの策なのです。
そうしないと、取り留めのない脳内討論
会みたいなものが延々と続いて頭が疲弊
してしまうのです。
夜中1時とか2時に目が覚めて。
日頃ふと思うちょいとした事柄について
頭の中でぐるぐるぐるぐると考えて。
会社に在籍中なら、後で先輩や上司に
報告相談するための予行練習だったり。
あの時のあの人の発言おかしいよなとか
自己分析した上で自己を弁護、正当化を
したり。
ほぼ仕事ですよね。
HSPあるあるです。
「話しかけたり、電話をかけるために、
シミュレーションが必要である」
寝る間も惜しんで、仕事の準備をして、
ようやく掴んだ「普通程度に仕事できる
やつ」の評価なのです。
そこまでで精一杯なのです。
今は日記形式で脳内をまとめる習慣が
ついておりますので、その構想練りを
しております。
そんな脳内討論は、朝刊の投函の音で
我に返るのです。
そうしてようやく、眠気の再来もあって
閉会を迎えるのです。
睡眠障害かしら?
おかげで勤務中眠いのです。
でもおかげで業務はスムーズなのです。
今は無職なので、ゆっくり起きられるし
昼寝も出来るので問題ないのですけれど
ね。
ここまで「私の脳内討論は膨大な文字数
なのですよ」と言うことを説明するため
の余談です。
念の為。
自らタイプしたり言葉を発する事なく、
脳内で考えた文字をおこしてくれる様な
装置が発明されたら、一人一台くらいに
普及するのではないかしら。
私はともかく、作家さんとか重宝すると
思うんですけどね。
マジメなお話ではないので障害ある方へ
支援になりますとかマジレスは不要だ!
時々、夢でとても感動的なシナリオとか
ドラマチックな出来事を経験するのです
が、なにがしかの形で残したい、と強く
願っているのです。
一時、試しに日中思い出しながら要点を
まとめた「ゆめにっき」をつけていたの
ですが、あとで文字にしても、伝わらん
のですよね。
自分にも。
感動したそのタイミングで思った全てを
残して置かなければ、感銘がのらないの
です。
そうそう、余談の途中で更に脱線です。
私は古畑任三郎が大好きでして。
あの作品は犯人が何らかの特別な業種の
プロである事が度々あるのです。
そのちょこっと紹介も印象深くて。
例えば、舞台役者が犯人の場合、とある
演目についてのちょっとした話や、舞台
装置の事情とか説明をしてくれたり。
お医者先生が犯人の場合、施術に使われ
る結び方で食べ終わった弁当を縛ってい
る事をキッカケに目をつけられたり。
業界豆知識みたいなのがちょっと面白い
のです。
「その男、多忙につき」という回で、
「メディアプランナー」という職業と、
その秘書がいるのですが。
日本映画専門チャンネル
古畑任三郎(第3シリーズ)第2話
https://www.nihon-eiga.com/program/detail/nh10008312_0002.html
メディアプランナー(犯人)が、企画の
案を秘書に電話でお話するシーンがある
のです。
その電話も、アリバイ工作の一つとして
利用をしているので、物語に関わる大事
なシーンなのです。
頭からたくさんアイデアを出すお仕事の
方は、自分で手を動かすのももどかしく
時間がない。
だからアイデアが湧いた時は、秘書に
電話をして、秘書にわかりやすくまとめ
させる。
どっちも仕事、プロです。
そんな仕事もあるんだなー、と印象深く
心に残っているのです。
脱線続きですが、私は「企画立案」と
いう業務というか作業が大変苦手です。
自分自身、人になにかをしたり、人から
なにかをされる事が頻繁に不快に感じる
重度のHSPなのです。
「人を楽しませるなんて出来っこない」
と考えているのです。
「そんなもんで喜ぶと思ってんの!?」
とか言われるかと思うと、何もやりたく
ない、考えたくない。
自分が楽しいと思っていないのに相手が
楽しいわけがない、と思うのです。
いつぞや怒り新党で有吉さんが言ってた
のですが。
デートの企画やら、サプライズたらを
して欲しいのなら、するけど喜んでほし
い。
絶対成功する、絶対喜ぶってんならやる
けど…
みたいな話をされてました。
「夜景見しときゃ喜ぶのか…」とか呟い
たのを夏目さんに聞かれて「その見せと
きゃって言う考え方が…」と突っ込まれ
ていた記憶があります。
そんな感じです。
何の話?
古畑任三郎の話ですね。
ちなみにこのメディアプランナーの方、
私の知り合いに印象が似てるなと前から
思っておりました。
どうでもいい話ですが。
知り合いの彼も、英語ペラペラで、海外
(インドネシアだか)に出張に行ったり
するような敏腕サラリーマンのようなの
で、仕事が出来るという意味でも似た
ところです。
どうでもいい話ですが。
こんな脱線ばかりしている脳内討論です
ので、そりゃ何も得られる事もなく疲弊
しますわね。
実際、こんな感じで布団の中の私の頭は
いろんな考えがアチラコチラに行きなが
ら巡っていくのです。
そろそろ本題。
先日のHSP著書感想日記の中で、1つ
書きそびれた事があったので、追記した
く。
と言っても本は返してしまったので、
内容は若干曖昧なのですが。
「HSPはよく発達障害と混同・誤診を
される事がある。
その違いの特徴は、多動やパニックが
起こるメカニズムは
発達障害:脳の不全
HSP :外的要因」
みたいな事が書いてあったような気が
いたします。
何だか合点がいったのです。
私は私自身を「プチアスペルガー」と
評価していた事もありました。
前の職場の産業医に「こんな不安な心に
なりやすいのは異常だ、病気だ、障害だ
給料半分でいいから、私を障害者扱いに
して配属替えするようにしてくれ、診断
してくれ」と懇願した事もありました。
でも「障害じゃない」んですよね。
HSPは。
何が、どこで、区別がつくのかなと考え
た時、何か指標がないものかと思って
おりました。
今回のお話をみる限り「些細でも明確な
外的要因があるかどうか」というのは、
ひとつヒントポイントになるような気が
します。
例えば、学校のクラス、普通に授業して
いる時。
黙っての授業はマジメに見えるけれど、
ちょっとした先生の注意や、生徒からの
からかいで落ち込こむのが「HSP」。
黙ってテストしたりも出来ずに動いたり
声を出したり突然多動になったり体調を
くずしたりグズるのは「発達障害」。
みたいなイメージができました。
HSPは、何の問題も指摘もされなけれ
ば概ねの事を普通の人並みにできるが、
「外的要因」が加わると不調になり、
パニックになったり動けなくなったりと
他の人と同じく行動できなくなる。
そうではない障害と呼ばれる症状では、
自身から落ち着きがなくなり、他の人と
同じく行動できなくなる。
もうひとつ。
自分のミスに対して「次からミスしない
ように対策しよう」と(必要以上に)
考えるのがHSP。
ただしそれを人から怒号で注意されると
次から「ミスすると怒られるかもしれな
い」と不安でうまくできず。パニックに
なり、落ち着いて作業できなくなる。
そうではない障害と呼ばれる症状では、
ミスした事で自分の中で感情が制御でき
ず癇癪や捻くれを起こす。
怒られる云々は関係なく、自分の中で
納得がいかない、何か不満や軋轢がある
と、落ち着いて作業できなくなる。
またはミスに対して危機が理解できず、
どんどんミスしてしまう。
そんな感じなのではないかしら。
健常者、指示者から最終的に見える姿は
「変わったやつ」「できないやつ」に
しか映らないけれど。
いわゆる「うつ」、ネガティブな心境に
落ち込むキッカケも、HSPとメンタル
障害とで違う気もするのです。
HSPは「人の言動、アプローチ」を
キッカケにしてネガティブになる。
怒鳴り声、不満の感情、急な指示変更と
いった(主に人間からの)外的ストレス
が加わると、たとえそれまで楽しかった
としても、人生が嫌になるほど落ち込み
生きていたくなくなる。
そうではないメンタル障害は、誰かから
なにかを言われたりしなくても、他人の
振る舞いに明確な理由がなくても生きて
いたくなくなる。
(あるいは気圧や血圧など物理的な体調
変化は関係ある?)
のではないでしょうか。
いつぞや「新型うつ」なんて言われて
おりました症状。
遊んでいると楽しいけれど、仕事となる
と憂鬱になる、というアレです。
そんなの誰だってそうじゃん、さすがに
甘えだろ、などと言われていた記憶が
あります。
あれもまたHSPと混同されているもの
なのではないでしょうか。
仕事の「作業」が嫌なのではなくて。
仕事の「人と関わる部分」、人間関係が
嫌なのではないでしょうか。
仕事に限らず、多くの場合の障害は人間
関係と言ってもいいでしょう。
家庭内、飲み会、近所付き合い…etc。
そこで何かの作業をしたり、飲食するの
が嫌なのではなく、そこにいる合わない
人からの刺激が外的要因となって憂鬱を
引き起こし…。
やはり人間は滅ぼし世に静寂をもた(ry
「HSPだとどんな不都合があるか」と
言うこと、今後の就職活動で少なからず
聞かれると思います。
その際のとっておきの例題として伝家の
宝刀のように取り出せる体験談を、私は
前の会社で会得しました。
以下体験談。
社内メンバー6,7人位で、その人数が
乗れる社有車を使って、業者さんの作業
場まで監査に行きました。
行きは先輩が運転しましたが、帰りに
「お前運転しろ」と言われました。
私は通勤に自家用車を使用して15年に
もなり、ゴールド免許です。
しかしながら、自身の所有している車と
はギアの入れ方もサイドブレーキも違い
ますし(サイドとフット)バックモニタ
なんて私の車にはありません。
しかも車幅も違うし、駐車場の枠がある
所にキチンと停められている状態でなく
斜めに現場に入り込んでおります。
更に、後ろには業者の作業車があり、
全体把握できていない状態からバックで
出なければいけません。
そのあたりを理解するため、ほんの数秒
戸惑っていると、車内あちこちから、
「おいお前大丈夫か~」
「車運転したことないのか~」
なんて囃し立てる声。
上司に至っては
「すみません○○さん、運転変わって
あげてもらえませんかね」なんて言う
始末。
その言われた事に更にパニックになり、
たかだか乗用車を数分運転するのも、
そういう「変化」が加わると出来ず、
そういう「外的要因」が加わると混乱
する。
車種が違う、場所が違う、向きが違う。
知り合いからのちょっとした一言。
こんな些細な違いや指摘にも、心身とも
大きなダメージ、深い傷跡となる。
重ねていいますが、免許は持っており、
普段から運転に支障はない、ゴールドの
免許所有者です。
慣れた道慣れた駐車場なら、他の人より
早く駐車できると自負している程です。
些細な違いや指摘が、大きな障害となり
できる事ができなくなるのです。
HSPの症例として使っていいです。
明確な例題として、「こんなことでも」
発症するという説明しやすい事例として
自身を理解するためのきっかけとして、
いい経験をさせてもらいました。
結論。
ツイッターの体験談か何かで見かけたの
ですが、昨今のコロナ騒動にて。
「喘息のための咳なのにコロナ扱いされ
て『出歩くな!』なんて怒鳴られた」
なんて体験談を聞く事があります。
怒鳴った方は言うまでもなく思いやりの
かけらもない、咳をする人より何垓倍も
害悪人間であるのは疑う余地もないので
すが。
(咳と垓と害をかけた激ウマギャグ)
「未知」てのはそれ程、人の不安を掻き
立てるのですね。
相手がコロナだったら…
コロナになって重病化したら…
仕事できなくなったら保障してくれるの
か…
そんな未知への不安が、人を粗暴にさせ
てしまうのかも知れません。
勉強、学、理解というのは、自身の心を
豊かにする効果もあるのです。
逆に、未知…というか無知や思い込みや
偏見で生きている人間は、周りから見て
も無様なのです。
ハンバーグの下のパスタ
「かさ増し」じゃなかった!
マンガで話題に
https://withnews.jp/article/f0200323005qq000000000000000W08u10201qq000020745A
怒鳴って事を済まそうとしたり、不満の
音色をむき出しで批判する粗暴な人間は
自身に理屈や正義がなくても自己を押し
通そうとするのです。
そのように見えるのです。
学がなく見えるのです。
学がなく無知だから、自身の理解できな
い世界を受け入れられず大声で拒絶して
いるのです。
そのように見えるのです。
無様に怖れているように見えるのです。
とある死神の方も言っておりました。
強い言葉を使うと弱く見える、と。
とある亀の仙人も言ってました。
己を鍛えるのは、モテたり威張ったり
するためではなく、自身に余裕を与えて
そこにできたゆとりを楽しんで、人生を
豊かにするものだ、とか何とか。
怖れている、知らない物に対してこそ、
それなりでも、理屈の通った理解を得る
べきなのです。
勉強とはかくあるべきですね。
やらされるものではなし。
知らぬ者をあざ笑うものでもなし。
知らぬままに、知らぬくせに、誰かを
あざ笑うべきでもないのです。
HSPも、若干偏ったり間違ったりして
いるかも知れませんが、自身の気質に
不安を覚え、残りの人生を怯えて暮らす
のではなく、理解してゆとりを生むため
に学習しているのです。
勉強とはかくあるべきですね。
べんきょう!!
べんきょう!!
https://comic.k-manga.jp/title/30423/pv