花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

花鳥風月晴耕雨読~めざせアーリーリタイア、めざせ好々爺~

旧タイトル「34歳、無職です。」
→「東証一部上場企業の製品設計が最低賃金の警備員になった件」

50代で早期退職して、花鳥風月を
愛でて、晴耕雨読な余生を満喫する
事をめざすブログ。

自己責任のお話。


時々、そんな話をします。

今日は自分語りマシマシです。


引用は只今マイブーム中のVtuber、
かなえ先生の動画より。

前回の記事でも取り上げた動画の中
大変趣深いお話がありました。

そちらを改めて引用します。

自前の見解も混入しておりますが、
ご了承ください。


動画はこちら。





【アンサーマロ】好意で「尊大型ASD」と送るマロ主、またかなえ先生に詰められる…!【かなえ先生切り抜き】発達障害 ADHD
https://www.youtube.com/watch?v=6HhjrYou4hs


いじめのお話。

こちらの12:27あたりからいじめに
ついてのお話があります。


いじめられる側に原因がある場合も
あるが、それは、いじめられる側の
責任ではないのです。

先生は例えばとして「不潔」という
状態を挙げられていました。





「不潔」な子がいたからといって、
集団生活を穏便に送りたいと思って
いる多くの「普通の」人達は、その
子を「排除」しようとはしません。

もちろん不快ですし、排除できるの
であればしたいとは思われますし、
不快の原因はその子にあるのです。

しかし。

多くの普通の人はある程度の距離を
取りながら集団生活をしていけるの
です。


ですが、いじめっ子は出来ない。

不快と思った奴を一方的に排除する
ため、攻撃してくるのです。

「私はお前に不快にさせられた!」
と、認知の歪みを発生させ受けても
いない被害を捏造するのです。

自分の不快を鞘に抑えておくことが
出来ずに、勝手な被害妄想を理由に
攻撃してくるのです。





SNSのクソリプ連中と同じ。
捻くれ者のクソマロ主と同じ。
量販店のクソ客クレーマーと同じ。

せめて内輪の話だけにしておくとか
であればまだしも、わざわざ本人の
目につくような所に出張っていって
噛みついたりするのです。

お気持ち表明をしなければならない
のです。

見て見ぬふりができないのです。


それもまた一つの「障害」と言える
のです。

何らかの「診断」をすれば何らかの
「症状名」が与えられるであろうの
です。


実際、引用のかなえ先生動画では、
マロ主は自分がいじめられていたと
言っておりますが。

先生に対する

「あなたはASDです」
「診察を受けたほうがいい」
「成功は環境に恵まれたからだ」

という発言は、相手や場合によって
「いじめ」に近い「嫌がらせ」程度
には見られかねないのです。


言わんで良い感情をぶつけて憂さを
晴らしている状態なのです。

加害者側になっているのです。

でも、それに気付けないのです。


そういう言い方でしか物が言えない
とか、そういう言動でしかコミュニ
ケーションが取れないとか、それを
「相手が不快に思うかな」と思って
一歩留まるという事ができないのが
障害なのです。

いじめっ子も、いじめられっ子も、
度合い次第ですが、どちらも障害と
言えますし、そんな「普通」と逸脱
した気質を持つものは、そのどちら
にもなり得るのです。

集団生活の輪を乱し得る負の特性を
持っているのです。


もちろん、いじめられる側に原因が
あったにせよ。

それは、言われたりやられたりする
側の責任ではないのです。

いじめる側の不快感情のケリのつけ
方の問題なのです。

いじめる側の不快を晴らすために、
いじめられる側が我慢する必要など
どこにもないのです。

…とした上で。


でも、やっぱりそんなのは嫌よね。

いじめられたくないよね。


いじめられている現実を改善したり
リスクを低減させたいのであれば。

更に言うなら、集団生活から排除を
されかねないような状況を作らない
ようにするには。

排除したい、いなくなって欲しい、
必要ない、どうでもいい…そういう
風に思われないようにするには。

自分が変わらなきゃいけないよ…

自分からも動かなきゃいけないよ…

 

 



障害を理由にした特別扱いの配慮は
限度があるよ…


…というお話をしたら、弱者を悪く
言っている、そんなふうに社会から
排除したら無敵の人になってお前の
所に行くぞ…

みたいな反発があった…

という事をお話されておりました。


だから、障害者からしたら、かなえ
先生は「障害者を嫌悪している」と
いう風に見られていると、マロ主は
判断したのではないでしょうか。


悲しい現実のお話。

現実、配慮には限度があるのです。


上司も障害のない人も、人間です。
スーパーマンではないのです。

そっちはそっちで普通に生きる事で
精一杯なのです。

障害者を健常者と同等になるほどに
引き上げる力などないのです。

「手を差し伸べる」「導く」程度の
「助力」は出来る場合もあるかとは
思いますが。

ある程度は自立しようとするような
意思と動きを見せてもらわなければ
ならないのです。


「排除されかねない要因」が、誰の
せいかというのは関係ないのです。

それは人それぞれ持つ特性、特徴、
事情、環境、病気、障害、運命…

言い方も度合いもそれぞれですし、
例えば「障害」の中にも度合いが、
グラデーションがあるのです。

ただ、障害を理由に前向きに動いた
り、何かを変えたり、出来る範囲で
我慢したりもせずに「何とかして」
「もっと配慮を」としか言わないの
であれば。

歩み寄りにも限界があるのです。


いじめの話。

できることならいじめをするような
輩は排除してやりたいのです。

その方が集団生活においては平穏に
近づくでしょうからね。


でも、多くの普通の人は、障害者も
いじめっ子も、同じ集団生活をして
いく仲間として、お互い歩み寄りを
しながら、折り合いをつけながら、
やっていってもらうくらいの事しか
できないのです。

いじめっ子も、いじめられっ子も、
一人の人間なのです。


多くの場合、いじめっ子に多少注意
するとしても、いじめられっ子側に
「アイツはああいう奴だからあまり
気にするな」
みたいな話をして、なだめる位しか
できないのです。

それは多くの場合、いじめられっ子
からしてみれば、
「見て見ぬふり」
「助けてくれなかった」
あるいは場合によっては
「共犯者だ」
という風に受け取ってしまうのかも
知れませんが。

いじめっ子に「いじめちゃだめよ」
と言って効くのであれば、とっくの
昔にどうにか出来ているのです。

それは逆も然り。

いじめられっ子に「あなたのこんな
所が悪いんだから直して」と言って
直るのであれば、とっくの昔にどう
にか出来ているのです。

どっちもが「何ともなりません」と
なっているから、どうしようもない
のです。


周りの「普通の人」は何をどうした
ら、誰をどうやったら解決に近づく
ものでしょうか。

「アイツを辞めさせる、追い出す」
「集団を解消する」
「部署異動させる」

それ程の大きな変化を、個人同士の
いさかいでポイポイとはできないの
です。


「折り合いをつける」
に落ち着いてしまうのです。

それが出来ないと、管理職の管理が
不十分と見られてしまうから。

「両者を物理的に離す」なんてのは
何の管理にもなっていないから。


いじめられかねない原因を持つ者と
そいつへの不満を抑えられない者が
おなじ空間に居合わせちまったら。





第三者のいち健常者に何をどこまで
やれるかと言われても…

歩み寄りにも限界があるのです。


悲しい話。

集団生活として折り合いをつけると
いう手段の一つ。

「いじめられっ子に離れてもらう」
というのも解決への道の一つになる
のです。

ぶっちゃけ、辞めてもらうって事。


それは上司や周囲など第三者による
力ではない場合もあります。

ぶっちゃけ、自主退職って事。


ちょこっと余談。

もう辞めた会社の話ですが、以前の
職場でも「いじめっ子」気質の子が
いたのです。

子って事は私より年下で先輩です。


私が仕事が出来ない間、私に対する
当たりが強く感じていまして。

幸い、年下という点や、私がだいぶ
齢を重ねてドッシリとしてきた点が
功を奏し、何とかやりすごせていた
のでした。


2年も経った頃、私は仕事を覚えて
ヘラヘラと八方美人になったせいか
気さくに話せる様になっていったの
ですが。

どうやら、彼、相手の立場や風貌を
見て「コイツは強く当たっていい」
と判断した奴には遠慮がなくなって
いる様なのでした。


「仕事が未熟」というのも彼の中の
ひとつの指標なのでしょうね。

先輩なら、未熟な後輩を指導したり
する側であるにも関わらず、圧力を
かける側になっていたのです。

私は年上でかつ「仕事が出来る男」
のステータスをゲットしたキャラに
なったので、彼の「リスト」からは
除外されたわけなのでしょう。


ちなみに彼、横柄な訪問者がいると
その理不尽さにつられ、自分も横柄
というか苛立ちというか、不機嫌の
表情が露骨に現れるのです。

そのため、内外問わず、一部の人間
からは悪評が挙がっていて。

それは上司の耳にも入っていた模様
なのです。


それは私が入社する前から変わらず
しょっちゅう叱られていた…という
逸話を聞いたりもしましたが。

それでも直っていないのです。

そして、そんなに叱られていても、
本人は辞めずに居続けるのです。


更に、私の入社前の噂話ですが。

彼の横柄に耐えかねて退職した子も
いたとかなんとか。


そんな昔から横柄で、そんな昔から
怒られ続けて、でもそれでも長い間
務め続けているのです。

継続は力なり。

叱られても折れないってのはある種
「つよさ」なのです。

悲しいけど、これが現実。

横柄な同僚に折れるってのはある種
「よわさ」なのです。

悲しいけど、これが現実。

結局、どっちかが変わるか、それが
無理ならどうにか折り合いをつけて
やり過ごす、それもダメならいずれ
どっちかが離れる事になるのです。


ちなみに、最終的に私は彼の上司と
いう立場になったわけなのですが。

正直、横柄の点について「管理」は
何も出来ませんでした。

「私に対する態度が柔和になってる
から、まあいいや」

位でした。

ダメ上司です。


「あんなの許していいんスか!?」
て事を言ってきた契約社員のオヤジ
さんもいたのですが。

どうしようもない事ってのは世の中
あるもんなんだよ…

私だって良いとは思わないけれど、
そんなアイツともやっていかなきゃ
いけないのが「仕事」なんだよ。

私だって被害者なんだ。

嫌なら君に辞めて貰うしかないが、
アイツを辞めさせる余力もない今、
君もに何とか「折り合いをつけて」
貰って、続けて貰うしかないんだ。

…と思ったものの、言いはしません
でしたけどね。





いじめっ子も、いじめられっ子も、
「排除」は難しいわけで。

となると、まあ、大体。

いじめられっ子が我慢するしかない
わけなのです。

あるいは、いじめっ子が辞めるのを
待つ、耐えるしかないのです。


専門学校時代のバイトのお話。

水商売風のオバサンからの当たりが
強く、大変不快な思いをしていたの
を覚えています。

誰にもどうしようもなかったのは、
その頃から解ってはいたのです。

耐えて仕事を続けていたらあっちが
先に辞めていきました。


後から他の社員さんから
「キミにだけ当たり強かったよね」
と言ってくれたのです。

第三者から見ても、理不尽なほどの
不必要な当たりだったのです。

解ってたのなら何とかしてくれよ…

と、当時は思っていたように記憶を
しているのですが。

今思えば何をどうしたら良かったか
他のいち社員に何が出来たのかって
お話ですからね。





中学生の部活のお話。

更に遡れば、中学の部活でも半グレ
先輩や同級生にいじめみたいなのを
受けていましたからね。

いじめられキャラの側なのです。

陰キャチー牛キャラだったのです。

当時は本気で悩んでいたのですが、
今思えば、からかいの範囲と言える
かも知れません。

大きな損害や実害や怪我はなかった
ですからね。

熱湯かけられるとか、お金取られる
とか、スパイク隠されるとか…あ、
スパイクとかシューズを投げられた
事はありましたかね…


その頃からでしょうか。

精神の根っこに「人間不信」が定着
したのは。

他人は自分に何もしてくれないし、
誰も私を愛さないし、他人とは私に
害を与える存在であると認識しつつ
あったのでした。





独りで生きていかなきゃならないと
考えるようになったのでした。











他人の言動を理由にして私の人生の
道を変えてなるものか…

自分で自分の人生を組み立てなきゃ
いかないんだ…

他人なんてマイナスなんだ…

孤独や不安に負けてなるものか…

位の思いで生き続けているのです。


私の人生、誰もどうにもしてくれや
しないのです。

私が変わっていくしか、耐えていく
しかなかったのです。

いじめられっ子気質も、HSPも、
過去も、孤独も、人間不信も。

それを抱えてもなお、面白おかしく
人生おいしく過ごして生きてやる、
と。





それくらいの決意がなきゃ、負け組
陰キャが楽しく生きる事はできない
のです。

自分の人生は自分がケリをつけねば
いかんのです。

誰かにどうにかしてもらおうなんざ
叶うわけがないのです。

誰かに丸投げで「なんとかしてくだ
さいよォーッ!!」てのは通らない
もんなのです。





閑話休題。

かなえ先生の動画の話に戻ります。


仕事ができないとか、いじめとか。

そういう時に障害などの特性が原因
となる場合があり、その「配慮」に
限界があるというお話でした。


何をどうしてほしいのか。
どういう事をどの程度可能なのか。

そのあたりの具体的な話もせずに、
自分の不満を誰かにどうにかさせる
ため、自分の不備やミスをチャラに
させるための「免罪符」としてその
ステータスを使うのであれば。

歩み寄りにも限界があるのです。


このあたりは前回も書きました。

同じネガティブステータスを抱えて
いても、それを克服しつつ前向きに
生きていこうとしている人に対して
失礼なのです。

「やっぱりそのステータスのやつは
関わらないようにしておこう…」

という風に見られかねないのです。


どこかで見かけた文言です。

「鬱は甘えじゃないけど鬱に甘えて
いる人はいる」とか何とか。

鬱という事にして、色々と楽させて
もらおうとする輩がいるのです。


ちょっと余談。

先生の他の動画でも例がありました
ので、ご紹介。





【アベプラ】メンタルの不調を詐病することで適応障害診断とされ、給料の8割の傷病手当金を受け取って遊ぶ女性がabemaに登場…社会福祉にフリーライドする人たちにかなえ先生が苦言【Vtuber切り抜き】
https://www.youtube.com/watch?v=tjtg-AuBtMo


こちらはジェミニちゃんに要約して
もらいます。


この動画は、ABEMA(アベプラ)で放送された、適応障害を装って休職し、傷病手当金(給料の約8割)を受け取りながら遊び歩いている女性の事例について、かなえ先生が厳しく苦言を呈している内容です。

要約は以下の通りです。

動画の主な内容
詐病とフリーライドの問題点 [01:03]
ある女性が、入社数ヶ月で「働きたくない」という理由から、精神科で適応障害の診断書を(調子が悪くないにもかかわらず)取得しました。給料の8割を受け取りながら旅行やグルメを楽しんでいる実態について、かなえ先生は「社会福祉へのフリーライド(ただ乗り)」であり、非常に悪質であると批判しています。

本当に苦しんでいる人への悪影響 [02:30]
このような「詐病」がメディアで面白おかしく取り上げられることで、本当に精神疾患で苦しみ、申し訳なさを感じながら休職している人々が「サボりではないか」という偏見の目にさらされるリスクを指摘しています [03:50]。

医療現場への弊害 [03:16]
安易に診断書を出すクリニックの存在や、患者を疑わなければならなくなる医師の負担増についても言及。結果として、本当に助けが必要な人が受診しにくくなったり、診断までに時間がかかるようになるという、医療アクセスの阻害を懸念しています [06:53]。

企業や社会の反応 [09:07]
正社員を簡単に解雇できない日本の制度を悪用している側面があり、これが続くと企業側が「メンタルが不安定そうな人を採用しない」という排除の論理に走り、真面目に病気と向き合っている人の雇用機会を奪うことになると警告しています [09:32]。

かなえ先生の見解 [13:00]
「善意で成り立っている福祉制度を、自分のためだけに踏みにじる行為は、福祉行政にとって最大の敵である」と断じ、メディアの報じ方についても「アホを晒しているつもりかもしれないが、安易に放送すべきではない」と強く批判しています [03:59]。

まとめ
かなえ先生は、本件が個人の問題にとどまらず、社会全体の信頼関係を破壊し、本当に支援が必要な弱者をさらに追い詰める極めて重い問題であると訴えています。


ですって。


困窮した人を救う為の善意の制度に
フリーライドしたり、自分の満足に
足らない事を不当かつ声高に批判を
したりするのは、困窮した人を更に
困窮させる事態に繋がるのです。

「不足」を伝える方法を間違えると
救う側と救われる側の分断を不要に
広げることになるのです。


いくつかの例。


何度もコスりますが、奨学金の奴も
そうです。

制度を利用しておいて踏み倒そうと
計画した奴ですね。


奨学金帳消しプロジェクト
https://shougakukinsoudan.wixsite.com/my-site


生まれや家庭の事情というハンデを
少しでも緩和させようという善意で
成り立っている制度に対して。

本来の制度を逸脱するような方法で
ちょろまかしたり、フリーライドを
したりするような事をすれば。

審査が厳しくなったり、用途を限定
されたり、最悪廃止されたりして。

本当に困っている人に行き届かなく
なるのです。


駐車場警備のお話。

例えば、パトカー、救急・消防車の
通路確保として広く取っている場所
とか。

電気自動車の充電用のエリアとか。

お体の不自由なお客様用の駐車区画
とか。

そういうスペースに、普通の車両で
駐車するような外道がいたのです。

それもフリーライドですね。


「他の駐車スペースに空きがない」
てのは、駐車スペース以外の場所に
駐車していい理由にはなりません。

無限の亜空間なんてないのです。

遠くの空きを探したり、時間を改め
るなど、調整するしかないのです。

緊急性のない健常者が、非常時の為
用意されたスペースを利用すると、
障害者が遠くに駐車し、歩行に難の
ある人が長い距離歩かされるハメに
なるのです。

 

 




カレー屋のお話。

高市政権の改革で言われてました。

外国人経営者の在留資格の要件が、
この間厳格化されたんですってね。

資本金500万円から3000万円になり
単身でフラッと来て経営してる様な
零細の個人経営店は駆逐される、と
噂されている様子なのです。





良かれと思って規制を緩くした事を
犯罪の温床として利用していた悪徳
ブローカーのような輩がいたから。

街を乗っ取る勢いで外国人コミュニ
ティを築き、地域住民に迷惑かける
ような振る舞いの連中がいたから。

ジャパンドリームを夢見て日本人に
美味しいものを届けたいと思ってる
真面目な料理人がいらぬ疑いの目を
かけられて被害を被るのです。


バス事業のお話。

本記事を書いている今、あるバスの
事故が話題に上がっています。


磐越道バス事故 “白バス行為”北越高校とバス会社間で繰り返されたとみて警察が捜査 運転手宛か現金入り封筒も
https://news.yahoo.co.jp/articles/91d210190ce894c6fe47f1b7aa090ed764e0d62a





ガードレールが車体を15メートル貫通。二種免許を持たない白バス運転手によって27名タヒ傷した磐越道バス事故【ゆっくり解説】
https://www.youtube.com/watch?v=3l2kZbIp-D8


私は事故動画を好んで見ていますが
過去にも似たような事故が発生して
いる様子なのです。

・飛騨川バス転落事故
・犀川スキーバス転落事故
・関越自動車道高速バス運転事故
・軽井沢スキーバス転落事故

上述事故は適当に調べた一例です。


先日とある動画で見たお話。

2000年代初頭バス事業の規制緩和が
あったとか。

道路運送法の改正と言ってました。

これで新規の参入が自由化されたの
ですが。

それで価格競争が起こり、安全性の
低下や人件費削減、無理な運転手の
手配により、事故が増加したとか。


今回の磐越道バス事故も、結局の所
「安く済ませて」という点で学校と
バス会社の営業担当で話をしていた
らしく。

本来であれば、乗客を乗せた運転が
出来る資格を持つ者が業務をすべき
所、不適格な運転手に依頼が届いて
いた様で、そんな「白バス行為」と
呼ばれる裏の取引が常態化していた
らしいのです。


様々な事故で毎度語られる原因。

「コストを優先させ安全を軽視した
企業風土を原因とした人災」

今回も結局、それだったようです。


こういうずさんな運行をしないよう
キチンとした管理が出来る会社だけ
残すために「規制」や「ルール」は
厳格にする必要があるのですが。

あまり厳しすぎると、事業者が撤退
して人材不足が懸念されます。

一部の限られた会社だけ営業できる
くらい規制をガチガチにしたら実用
的ではないので。

少し緩くして、広く門戸を開いたら
「おっ空いてんじゃーん」と粗雑な
管理で安全度外視した会社が業界に
入り込んでしまう事もあるのです。


舵取りが難しい所ですが、被害者が
出ると規制を厳しくせざるを得ない
わけで。

正規な規制でもやっていけるような
真っ当に管理している通常の会社は
大丈夫なのでしょうけれども。

規制緩和されてやっとやっていける
零細でボーダーの会社は淘汰されて
しまうのです。


いっぱい例はありますね。


ちなみに、私のHSPのお話。
一応、弁護させてください。

私、以前のブログ記事で

「HSPって事にして退職した」

と受け取られかねない事を書いたの
ですが。


半分茶化して言いましたが、HSP
としか言えないような気質によって
私が退職を考える程に生きづらさや
仕事のしづらさを強く感じていたと
いうことに嘘偽りはないのです。

虚偽の申請のような事をして不当に
利益を得ようなどという外道な事は
していないのです。

HSPに関する書籍も買いましたし
今も図書館から借りてきています。





イラストでわかるシーン別
HSPにはこう見えている

この本、見ていてほぼ全てに対して
「私じゃないか!!」と感じている
のです。





ちょいとこちらの本から抜粋。

どんな人がHSPかという目次。

(仕事編)
・頼み事を断れない
・注意やミスをいつまでも気にする
・人が怒られても自分が落ち込む
・人に指示できない
・聞くべきことをなかなか聞けない
・気を回しすぎて仕事を増やす
・人のミスをその場で言えない
・複数の仕事を同時並行できない
・急な予定変更に動揺する
・仕事を一人で抱える
・人を手伝う事で自分の仕事が遅い
・人前で話をするのが苦手すぎる
・ソワソワと落ち着かない時がある
・チャレンジに消極的
・周りの目を気にしすぎる

(対人関係編)
・雑談が苦手
・愚痴聞き役になっている
・いつも疲れている
・人に頼れない
・怒ってもいい場面で怒れない
・優柔不断で人をイライラさせる
・大人数の場でノリが悪く大人しい
・自信がなく逆に人に気を使わせる
・自分の意見を言わない
・刺激が強いものに弱い
・完璧にやりすぎる
・トラウマが多い

(恋愛・結婚編)
・人の好意を信じられない
・好きな人に自分を出せない
・一人になりたがる
・依存されやすい
・パートナーの意見を常に気にする
・起きてない事ばかりを心配する
・空腹に弱い

全部あてはまりますね。

あと、HSPチェックテストてのが
ありましたので、ご紹介。

・自他に対して誠実であろうとする
・優しさや人間味に心が震える
・想像することが得意だ
・人に見られると焦って力がでない
・理不尽を見ると落ち着かない
・引っ越しや人の死など変化に動揺
・音、光、匂いなどの刺激が苦手
・誰にも見られず一人になりたがる
・物事や人の真偽を見抜くのが得意
・幼少から生死や人生を考えていた

これも全部あてはまりますね。


個人的見解の補足。

このようなテストの定番の意見で、
「誰にでも当てはまる所あるよね」
というものがあります。

もちろん、多くの人にとって
「そういう時もある」
と言えるかも知れません。

度合いもありますし。


例えば
「理不尽を見ると落ち着かない」
という点。

理不尽を見て落ち着く人などいない
でしょうけれど。

でも、自分と関係ない理不尽に対し
得体の知れない怒りのような感情が
湧き上がる事を抑えられないほどに
なったりしますでしょうか。


何度も引き合いに出しますが。

奨学金を使っておいてチャラにしろ
というような輩。

あれはあまりに理不尽なのです。

「この考え方は理不尽だよね?」
「こんなのが世に在っていいの?」
「通るかっ…!こんなもん…!」





その思考に囚われてしまい、ずっと
その理不尽についてグルグル考えて
しまうのです。

ブログに言いたいことを書いて形に
しなければ気がすまない程に。

そのくらい、自分と関係のない様な
理不尽についても強く感情が揺らぐ
のです。


あと、youtubeで「刑務所動画」を
最近よく観るのです。





法定クロニクル
https://www.youtube.com/@houtei-Chronicles





プリズンアーカイブ
https://www.youtube.com/@pripri-archive


自分勝手な理由で殺人をしておいて
しらばっくれたり、逆ギレしたり、
悲劇の主人公気取りで泣き落としを
したり。

減刑に成功して裁判後に遺族の前で
「よっしゃー!」なんて言ったり、
服役中も不遜な態度を取っていたり
すると強く理不尽を感じるのです。

「これほどの理不尽があるのか…」

驚愕に打ちひしがれるのです。


その理不尽に安全圏から触れる事を
ある種の娯楽としているのですが。

刺激が強いので、余力のある状況で
しか観られないし、観たら疲弊して
しまうのです。

そのくらい、自分と関係のない様な
理不尽についても強く感情が揺らぐ
のです。


あと、「完璧にやりすぎる」という
のも、「一般的に見て出来が良い」
という意味ではありません。

こんな辺鄙なブログのこんな隅々を
読んでいる人はいないと思いますが
「コレ」が証拠です。

誰に見せるわけでもないのに。
書いて何になるわけでもないのに。

自分が見た物や生じた感情などを、
出来る限り全て記そうとしてしまう
のです。

アレも書かなきゃいけない…
コレも見たし聞いたし…
その時にこう感じたし、
似たような話を以前に見たっけ…
その元記事も確認しなきゃ…

と、思いついたものを次から次へと
追加して残らず文章化しようとして
しまうのです。

結果、無意味にこのような超膨大な
文章量になってしまうのです。


ブログのひと記事なんて、
「どっか行きましたー」
「こんなもん食べましたー」
程度の数行で終わるのが大半なので
しょう。

それが悪いとは言いませんけれど、
そんなブログには意味がないよね…
とか考えてしまうのです。

きちんとした文章にしないとね…
書きたい意思がなきゃブログなんて
書いちゃダメだよね…
と考えてしまうのです。

あくまで「私がやるなら」ね。

他のブログ主がそうしたくてそれで
いいと思って短く他愛もない記事を
書くのを非難するつもりなど微塵も
ないのです。


あと、「自分の意見を言わない」の
は、自分に自信がないからです。

自分の意見なんかで人は動かない…

私なんてどうせ…





そういう風に思ってしまうのです。


そんな面倒くさくて生きづらい気質
「HSP」を、私はどのようにして
付き合っているか…それは、
「人間不信、人に期待しない」
なのです。

あとは
「自分に矜持を持つ」
「リア充を諦める」
とかもあるかな。


例えば、「頼み事を断れない」とか
「予定変更に慌てる」なんてのは、
他人なんか自分勝手に動いて当然、
こっちに迷惑をかけないようにして
動いてなんかくれるわけがない…

そんな風に思えば、深く傷つく事も
ないのです。

他人なんかどうせ…





そういう風に思うのです。

「愚痴聞き役になる」「怒れない」
なんかもですね。

他人が私の不満や怒りに対して配慮
するなんてあり得ないよね…
そのくせ、他人はすぐに私に自分の
不満や怒りを投げつけてくるよね…

そんな風に思えば、諦観できるもの
なのです。


だから「仕事を一人で抱える」し、
「人に頼れない」し「疲れやすい」
のです。


これはもう諦めるしかないのです。

バリバリ仕事をこなして、人に指示
出して、誰とも笑顔で交流する…

そんなリア充な人生を自分に出来る
わけがないと思う事にするのです。

一人でやっていくしかないのです。

自分でケリつけるしかないのです。


いかがでしたか?

それぐらい強く当てはまると感じ、
それぐらい酷く人生に影響を受け、
それぐらい深く考えているのです。

取り憑かれているとも言えます。

何よりもそれぐらい「生きづらい」
と感じているのです。

それでようやく「自分HSPかも」
と言えるのです。

そのくらいだから「私HSPかも」
と言っているのです。


ちなみに。

やっぱりというかなんというか。

書籍でもHSPはASDやADHD
などと混同されやすく、似たような
特徴があり、良好な対人関係を築く
のが難しい…

みたいなお話をされていました。





なるほどねー。


さて。

私にHSPの傾向がある事をご理解
いただけたところで、閑話休題。

HSPを理由に仕事を辞めたお話。


仕事で、HSPを理由に何か不当に
利益を得ようとして、虚偽の報告や
手当を貰ったりはしていません。

それなりに「折衝」もしました。

事務方の正社員として納期の責任を
持つ勤務は、私の気質には合わない
ので、前職で工場の現場にいた事も
あるし、現場へ異動したいです…

とか。

事務方でもいいけど、相手が社長や
課長クラスの中、私だけ未熟な社員
という状況では対応できないので、
給料半分でもいいからパート扱いに
して事務作業だけやらせて下さい…

とかね。


その上で、人事の回答はNOだった
のです。

そういうポストに空きは今ないので
どうしても出来ないのであれば退職
してもらうしかないよ…

となったため、辞めますと言ったの
です。


「仕事できないのはHSPのせい」
「管理職の業務管理が不十分だ」
「会社側が配置の配慮をすべきだ」

みたいな他責発言や理不尽な要求を
求める言動はしていません。

特別扱いの要求はしておりません。

自分の人生は自分がケリをつけねば
いかんのです。 


本当にケリがつけられないようなら
「本物」の障害者として、特別扱い
枠の人間として、治療や経過観察を
されながら一般人と隔離された上で
一生をベッドの上で暮らすしかない
のです。

我慢や責任は果たせません、仕事も
コミュニケーションも出来ません、
直しもしません…でもシャバで生活
したいので「配慮」してください…
こっちの人生の不備をあなたがケリ
つけてくださいよ…

なんて言うてもそらいけませんよ、
通りません。





歩み寄りにも限界があるのです。


障害のお話。


そもそも、なぜ今日この話題にした
のかと言うと。

かなえ先生の動画を観たというのが
発端ではあったのですが。

その話をウチのママとしたのです。
ママってのは、私のリアル母親ね。

ママなんて呼びゃあしませんけど、
便宜上ここではママと表記します。

見やすいし書きやすいからね。


かなえ先生を紹介しつつ動画の中の
「いじめ」についての内容の部分を
話したのです。

繰り返しの要約になりますが。

いじめられる側に責任はないけど、
原因がある場合があって、たとえば
不潔だったりすると、普通折り合い
つけてやり過ごすけど、その不快を
我慢できない子は排除しようとして
いじめっ子になってしまう、と。

学校ができる対応も限度があるし、
いじめられるリスクを減らしたいの
であれば、いじめられる要因のある
本人が変わろうとしないと難しい…

みたいな話をしたのですが。


ウチのママは納得しなかった様で、

「でもそれは、親の教育が不十分だ
とか、本人だけのせいじゃない事も
あるじゃない」

みたく言っていました。


小学生くらいの「子」を想定しての
話をしていましたが。

まあ、だいだいそのくらいの子で、
いじめられる程度に身なりが悪いと
なれば、親に多分に問題があるのが
実情だと思います。


だもんで、私は追撃で、

「そこで親のせいです、で終わって
そこからの行動を放棄してしまうと
何も変わらないので、それ踏まえて
いじめられないようにするにはその
子が変わっていこうとしていかない
と、ってことなのよ」

「周囲が身だしなみを教えてあげる
とか、親と清潔さの指導方法とかの
話をする機会を設けるとか、そんな
手を差し伸べる事は出来るけれど、
それを掴んで立ち上がろうとするの
は本人次第で、それを振りほどこう
とするなら支援にも限界があるよ」

と言ったのですが。


ママは

「じゃあ生まれが悪かったら、もう
どうにもならないし、いじめられる
のを諦めるしかないのね」

みたいな捨鉢態度になってしまい、
あんまり話を納得してもらえてない
様子だったのでした。

これが、かなえ先生の言っていた、
「障害者からの非難の意見」に近い
考え方なのかも知れませんね。


ちょこっと余談。

もう死んだ親族の話ですが。

人生を病院の中で終えた障害者が、
私の身内にいたのです。


身体じゃない方の障害を抱えている
人が、私の叔父にいたのです。

ママの弟ですね。

私はほとんど関わる事がなかったの
ですが、ママはかなりお世話に尽力
していたのでした。


障害持ちだから入院や手術や生活に
かかる金銭的な面は支給されていた
らしいのですが。

障害者支援の申請手続きなり、精神
病院?から肉体的な病気の手術で他
病院への移動なり、買物の協力なり
ママ(と他親族)がやっていたよう
なのです。

その頃は私は働いていましたし。
特段、協力もしませんでした。

叔父は学生時代に会った記憶はある
のですが、そんな程度の間柄です。


ママに一回言った事がありました。

「家族がいないような人でも自分で
生きていけるように、そういうのも
込みでそれなりの額支給されてるん
じゃないの?何でそんな、ウチらが
つきっきりで時間を取られることに
なってんの?やりすぎじゃない?」

みたいにね。

うちのパパママ、仕事を辞めて年金
暮らしになったから、つきっきりの
看病が出来てるわけで。

その両親が働かなくてもいいように
するため、私が少なからず両親への
援助をしているのです。

両親は50代で働けなくなってるので
年金額もたかが知れているのです。


巡り巡ると。

私が生きるために切り詰めた生活を
して貯めたお金があるから、両親は
働かずに少ない年金でも暮らせてる
わけで。

それで空いた時間で障害者の叔父を
世話していて、それで叔父は働かず
お金も貰い世話もしてもらうという
至れり尽くせりの生活をしている…
という構図になっているのです。


私は警備で働いていて、具合を悪く
するような待遇のため睡眠も通院も
ままならぬというのに。

なぜ働いていない叔父がこんなにも
ノホホン暮らしをしているのか…

そこに不満が湧いちゃったのです。


ま、もちろん。

そのときのママはなんて言ったかは
覚えていませんが、かなり不服そう
ではあったはずです。


そらそうですわな。

ママだって、面倒見たくて見てるっ
てわけじゃなし。

曲りなりにも肉親が困っているのを
見捨てるわけにもいきませんもの。

そこで見捨てたり放っておいたら、
叔父に頼れる人などいないのです。


それを、息子と言えど、手伝いする
でもない、ある意味で部外者とすら
言える人から「何で面倒見てんの」
みたいに言われちゃったらね。

良い気はしませんでしょうね。


実際、お金的な話をするなら。

国?か団体?か私は知りませんが、
叔父の事を障害者として見てくれて
年金?だか生活保護?だかのお金を
くれて、入院費が免除?か高額療養
費?だかのおかげで賄えてて。

我々一家の家計から彼の生活費やら
治療費やらを出さずに済んでいたの
です。

「障害者は働かずに済んでズルい」

なんてのは、私がしんどい思いして
自分の人生ケリつけてるのに、って
いう僻みなのです。

「じゃあ無理やり働かせたるわ」て
感じに国に見捨てられて、働けずに
私の家に居られたり、生活の面倒を
見なきゃいけない方がよっぽど実害
あるのです。

そこまでなると、家にいて何がしか
発作とか何かで暴れられたりしたら
一大事なのです。

障害者支援制度さまさまなのです。

身近にいる者にとっては有難い限り
なのです。


ま、だからでしょうな。

うちのママが

「先天的な要因であっても、何かを
理由にいじめられたくないのなら、
その要因を自分から克服する努力を
していくべきである」

みたいな理屈に対し、どうしようも
ない障害を先天的に抱えている人に
そんな発言は酷であると思うのは、
どうしようもない障害を持った弟を
人生通して面倒見てきたから…かも
知れませんな。


それもあってかママは私から見ても
かなりの世話焼き、おせっかいなの
です。

世話しないといけない弟を長くみて
いたせいもあるのかもね。

そういう、義務感や真面目さみたい
なのは私もある程度受け継いでいて
その点で色々と人生うまくいってる
所があり、有難いとは思いますが。

いわゆる過干渉でもあります。

過干渉な母と無関心な父なのです。

一般的、また息子から見ても正しく
あると思うのですが、自分の考えを
押し付けて来て、他の提案や事情を
見てくれない所があるのです。

てことで。

その環境は、私の人格形成に功罪が
あったと思います。

ま、私のどうでもいい昔話でした。


締めます。

今回は私の人生のネガティブな話が
もりだくさんでした。

全てはこの結論のためです。


「人生は自己責任」


人間、大なり小なり生まれや家庭や
気質や後天的な環境や人間関係など
問題を抱えて生きているのです。

それらすべてに、自分で折り合いを
つけて生きていくしかないのです。

どう折り合いをつけるかも、その人
それぞれなのです。


トップクラスのリア充と己を比べて
不平を述べても無意味なのです。

以前、岡田斗司夫氏が動画内で紹介
していたお話を、箇条書きで要約を
します。

・とある野球芸人が番組内で
「130km/hの球は練習すれば誰でも
投げられるようになる」
と言ったが、司会は
「人による、私には無理だよ」
と回答。それに対して、
「あなたにとっての130kmが出る」
と妙な事を言って笑いを取っていた

・努力の才能も遺伝で決まるという
研究結果もあり、どんな努力しても
限界がある。通知表1の奴は努力で
2や3にはできるかも知れないが、
5までにはなれない

・他人と人生を比べる事ほど無駄な
ものはない、その温床のSNSなど
みんな即刻辞めるべき

的な事を言っていた記憶です。


この話を聞いて、
「遺伝だから1で仕方ないでーす」
「5にならないならやりませーん」
となるヤツがダメなのです。

ましては
「1の私は可哀想!何とかしろ!」
「頑張って2のヤツとか何なの?」
「5の奴は才能や環境のおかげ!」
となるヤツはダメダメなのです。


1がイヤなら2とか3にするための
努力をしなさいってこと。

2や3があなたにとってのベストで
あり、あなたにとっての130km/hが
そこだと知りなさいってこと。

それはある種の諦めでもあるけれど
精一杯やって、1を2に出来たなら
それは素敵な事だってこと。

遠くの5を羨んだり、だれかの2を
バカにしたり、己の1を恨んでも、
何にもならないってこと。

自分の1を誰かに5にしてもらおう
とか、5の人と同じ待遇にしてもら
おうなんてのは考えるなってこと。


「2なんかイヤだ、私を5にしろ」
などという我儘を、眼の前にいる、
頑張ってあなたを2に上げようと
している「頑張って2になった人」
に言って良いわけがないのです。

眼の前にいるのは只の人間です。
スーパーマンではないのです。


だから。

1である事を嘆いて何もせずにいる
奴を、厳しいけれど世間は「甘え」
と言ってしまうのです。

そんな奴はほっとけばいいのです。

「頑張って2になった人」を嘲笑う
ような輩は、どこの世界にもいるの
です。

そんな奴には笑わせておけばいいの
です。


日本には
「おまえが消えて喜ぶ者におまえの
オールをまかせるな」
という名台詞があるのです。

だからお前も、1の己を悲観せず、
2の他人も嘲笑わず、どこかの5の
リア充を羨むなってことなのです。


それと、もっと厳しいお話です。
これは自論なのですが。

現代からこれからにかけての社会、
氷河期世代と呼ばれる男たちが主な
原動力になっていくと思われます。

責任者とかお偉いさんとかですね。

その人たちは間違いなく厳しかった
人生を努力で駆け上がってきたかと
思うのです。


「厳しさ」とは風当たりの事です。

言うまでもなく、各世代でそれぞれ
厳しい時代はありました。

戦中は「戦争の辛さ」が厳しく。
戦後は「戦禍の痛み」が厳しく。
その後「物資のなさ」が厳しく。
昭和は「いそがしさ」が厳しく。

それでも、多くの人達は協力し合い
生きて来たのですが。

バブル崩壊後の氷河期世代からは、
「誰からも必要とされない疎外感」
という厳しさがあったのでした。


(特に男の)氷河期世代のお話。

上の世代からは「代わりはいる」と
見下され。

下の世代から「覇気なく頼りない」
と見られ。

同世代の間も格差が生まれ。

女性からは「弱者男性」と蔑まれ。

就活・婚活の市場からも「低価値」
と言われ続けているのです。


販売のターゲットからも除外されて
いるのです。

学生割、家族割、レディースデー、
シニア割…

安い賃金で重労働を強いられた結果
氷河期世代だけが何の割引もなく、
「お前らに売るモンなんかねえよ」
と言われているのです。


そんな孤独な男も、生きていくには
社会に迎合して媚びへつらい我慢を
重ねていくしかなかったのです。

誰かを、他人を、救ったり支えたり
する余力など今なおないのです。

自分が冷たくされ続けて生きてきた
ために、誰かに優しくする余裕など
ないのです。

自分が生きていくための邪魔になる
ものに構っている暇はないのです。


自分がされて辛かった見方考え方を
他の者にしてしまっているのです。

「自分の若い頃はもっと頑張った」
「それくらい我慢して当然だろ」
「贅沢我儘を言うなら自分でやれ」

思わずにはいられないッ!
あのクズのような昭和の老害どもと
同じことをしているッ!
クソッ!





「氷河期世代」の名前にふさわしい
「冷たい」目線で物事を見ているの
です。


私がそうだから。


過干渉な母親と無関心な父親の元で
HSPを抱えてイジメられた青春を
生きて、生きるという目的だけ見て
人生と限界まで耐えて仕事を転々と
しながらやり過ごしてきた氷河期の
中年オジサンなのです。

そんな私でも、唯一社会から必要と
されるのが、学歴や職歴なのです。

そんな私が、社会で生きていく為に
必要なものが、お金なのです。


私は自分を「働いているニート」と
表現した事があった気がします。

働いている事、お金がある事。

それだけが、ニートや引きこもりと
違うと言える唯一の点なのです。

その他の気質や性根、休日の行動、
交友関係などなどは、引きこもりと
大差ないのです。

8050問題目前のミドフォー子供部屋
無職童貞オジサンなのです。

次の仕事が決まっているので無職は
今だけですけどね。


私の人生は、自分のHSPを穏便に
やりすごすことに5割、HSPでも
仕事が続かなくても生きていくため
お金を稼いだり節約することに4割
費やしたと考えています。

他の事なんか1割なのです。

そこまで必死こいて、ようやく生存
出来ているのです。

それくらい頑張ってようやく生きる
事を許されているのです。

生きているだけなのです。

生きるためだけでもこんなに必死に
ならなきゃいけなかったのです。

「仕事ができる男」を擬態しなきゃ
社会で存在する事も許されなかった
のです。

楽して生きてなんかいけるわけねェ
のです。


そんな冷たい人生を歩んだ氷河期の
人間ばかりになるであろう今後。

障害だの気質だのに甘えてて、強く
当たられる事に耐えられない奴に、
差し伸べるられる温かい手などない
のです。

自分でどうにかしろ、としか言えん
のです。


 コキュートス
†氷結極寒地獄† のような氷河期
世代の冷たい目線がこれから社会に
増えていく気がします。

他の世代には悪いと思わんでもない
けれど、こちらにも他世代を構って
いる余裕もなければ、構って貰った
覚えも無いもんでね。

そちら様で勝手に生きて、ダメなら
勝手に死んでおくれ、って感じで。

お互い役に立つうちは利用し合う、
それだけの間柄ってことですね。


終わり。