みなさん、これまで、

“櫛渕万里のblog『万里同風』”を読んでくださいまして、ありがとうございました。


新たにホームページとブログを開設しました。

「くしぶち万里オフィシャルウェブサイト」 www.kushibuchi-mari.jp


どうぞこちらをお訪ねください。

これからもよろしくお願いいたします!  万里





「油は高い!魚は安い!」

悲鳴に近い声が、15日、日比谷公園に響きわたりました。

初めて、漁船20万隻が全国一斉に休漁しました。


これまでどれだけ、日々、

海や太陽、風や波という大自然を相手にしながら、体を張って生活してきたのか―。




もともと豊かな自然のなかに生きながら、

なぜ人為的な投機マネーによる原油高や食料高騰にこんなに大きく影響されなきゃいけないのか。


ダイバーのはしくれの私は、海に行くたびに、漁村の人間味ある生活に触れるのが楽しみの1つ。

船を走らせる勢いのいい漁師や、漁協で働くおじさんたちから、

海のすごさと厳しさを「教えて」もらったり、ドヤされたり、お酒を飲んで大笑いしたり。


でも、褐色に輝くたくましい顔の漁師のおじさんたちの表情が曇るときの話は、

漁村も農村と同様、どんどん高齢化していること、獲れる魚も減っていること、

スーパーで売られる値の3分の1以下しか収入にならないこと、

老朽化した船もお金がなくて直せないこと。そんなところへ、燃料価格の暴騰・・・



日本の漁業は、その85%がそれぞれの地域の家族単位で営まれていて、

地域社会のつながりの要になっているし、季節感もあって、独自の暮らしや文化がある。


いっぽう、日本は世界一の水産物輸入国。

日本は周りじゅう、豊かな海に囲まれた島国なのに、

中国やアメリカ、ロシアはじめ世界のなんと145カ国から輸入しているのは、驚きです。


しかも、いま世界の主な水産資源の75%が獲り過ぎといわれ、乱獲や海洋環境の破壊が

指摘されるなかで獲られた魚を私たちは安く食べている。漁場で働く人びとの口に入らないまま・・・


輸入が増えると魚の価格が不安定になって、我々はやっていけんのよ!」

(日本の漁師)

「○○産は不安よね・・・・。安くて助かるけど、産地偽装も多くてどうしたらいいのか」

(日本の消費者)

「安く買いたたかれて、命がけで漁にでても、必死に養殖しても、結局貧しいまま・・・」

(インドネシアの漁民)


安さと競争。

いったい、誰のための、何のための、漁業であり水産業なのか。

***


物価高がすすむなかで、魚の値段もこれから高くなっていきそうです。


今回、政府は、漁業関係者へ緊急措置をすると発表しましたが、

本当に必要なのは、

原油価格が落ち着いても変わらない、輸入が困難になっても安定性のある、

水産物の自給の仕組みをつくることではないでしょうか。


それは、食生活を守るという意味でもあるし、
漁師の生計を支えるだけでなく、

漁村の地域経済や文化を残していったり、
海の生態系や環境を守ることにもつながるはずです。




ぜひ、今こそ読んでほしい経済小説です。

単行本では2年前、文庫で今年の3月に出版され、

とても話題になった本なので、すでにご存じの方も多いと思いますが、


先日のG8サミット「気候変動」に関する合意文書のなかで、

原子力エネルギーの促進が明白なメッセージとして盛り込まれた今、広く読まれたい作品です。


  文庫版:756円(朝日文庫/2008.3.7)            


日本は火山の国。だから、地震も多い。

まもなく、中越沖地震から1年、柏崎刈羽原発の放射能漏れ事故からも1年がたちます。


温暖化や石油高騰で、これからのエネルギーが問題となるなか、

「地熱発電」をめぐる攻防が展開されるストーリーは、小説とはいえ、

綿密な取材に基づいていて、ひとつの産業文明の転換期にあるいま、興奮さえ覚えます。


「5年以内をめどに、日本の原子力発電所を閉鎖して欲しい」

冒頭ページは、先進国エネルギー問題会議の席上におけるイギリス代表のチェアマンの

セリフから始まります。今回のG8サミットとは対称的。


地球は火の球。

地球内部のドロドロした高温のマグマの力で、持続可能な大規模発電が可能なことを伝える

作品を読むと、自分もタービンの回る音をすぐ近くでじっさいに聞きたくなってきます。


世界のエネルギーの割合は、2006年で、

化石燃料67%、原子力14%、自然エネルギー18.4%(大規模水力15%、新エネルギー3.4%)。

(REN21 Renewables 2007 Global Status Report, www.ren21.net  )


これからの時代、太陽光、太陽熱温水、風力、小水力、地熱、森林バイオマスなど、

さまざまな再生可能エネルギー量を増やして、

日本でも、安全で持続可能なエネルギーの選択できる社会をめざしていきたいものです。




自殺者が1年間に3万人を超える状態が10年も続いているという発表から約2週間。

1日に約90人が、自ら命を絶っていることになります。

それが、毎年、10年も続いている・・・。

異常な状態がつづく国に暮らし、自分もその社会の一員であることがずっと頭から離れません。


「自殺大国」といわれ、日本は先進国でつねにトップ。ここ数年、韓国でも自殺者が増えているのは

経済的、社会的に共通するものがあるのでしょうか。

アメリカは日本の半分以下、イギリスは3分の1以下です。

自殺率の国際比較:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html


そんな状況のなか、初めて、『自殺実態白書』が公表されました。

自殺に追い込まれるまでの要因や地域性など、初めての大規模な調査結果がまとめられました。

経済、法律、医療、福祉の専門家とNPOの有志によって組まれたプロジェクトチームの、

丁寧かつ詳細なレポートにびっくりしました。

NPO自殺対策支援センターライフリンク http://www.lifelink.or.jp/hp/top.html


「単なるデータではなく、自殺で亡くなった人たちが遺した“生きた軌跡”でもある――」。

代表の清水さんが言うように、亡くなった人の「声」が「データ」となって語りかけてくるようです。


ショックだったのは、自殺者が多い年齢層の1位と2位ともに60代以上の高齢者であること。

医療制度の問題とあわせて考えると、安心して生きることも安らかに死ぬこともできない社会に

いることを、改めて、思い知らされる気がします。


また、自殺の原因をみると、上位10位内の人のなかで最も多い理由が「経済・生活問題」である

こと。30代の自殺が昨年は過去最多で、なかでも、男性かつ被雇用者で「経済・生活問題」を

原因とする人が増えていることが今回のレポートからも浮かび上がっています。


うつ病から自殺へというものの、負債や失業、病気や家族の不和、職場の人間関係など、

具体的な事柄が背景に重なっていることや、全体の62.4%もの人が自殺前の1カ月以内に

精神科などへ相談に行っていて「じつは、生きたかった」、なのに「避けられる死」を防げなかった

という実態がわかります。


数年前、自殺者が3万人を超えたことに対して、当時の小泉首相が、

「悲観することはない。頑張ってほしい」とコメントしたのを、私ははっきり覚えています。

まるで他人事のように言い放った様子に、あまりに大きな怒りを感じました。


日本の経済問題や中小零細企業の疲弊が自殺の増加とつながっていることもレポートは指摘

しており、小泉さんの後も、社会保障や生活保障がどんどん削られていく様子をみていると、

たとえば約5兆円の防衛費をたった5%削るだけでも、どれだけの人が生きられるのだろうか

と思わずにはいられません。


自殺総合対策とは「生き心地のよい社会を築くこと」だとNPOライフリンクは提言しています。

自殺のほとんどが、追いつめられた末の死であることを考えると、

わたしたちの日常は、自殺に至る手前のどこかの地点なのだから、と。


自らの限界を自覚したとき、他者や他分野とつながれる自分でありたいと思うし、

人が限界に気づき始めたとき、つながる自分でいたいと思います。


どの国もこれまで、経済成長率のみを豊かさの指標としてきましたが、

自殺者がどれだけ少ないかという指標こそ、いまの時代に必要なのではないでしょうか。




きょう、北朝鮮は核計画の申告を行い、よって、アメリカは北朝鮮のテロ支援国家指定を

解除する手続きを進めると報道されています。


私たちにとって、3つの視点があると思います。

ひとつは拉致問題の解決、ふたつめは核兵器の放棄、みっつめは東北アジアの和平について。


拉致問題の解決にむけては、6者協議のなかにそれを求めて米国に頼りつづけた日本の外交戦略

の失敗であったことを政府は反省すべきです。昨年から米国は姿勢を一変させていたのに、日本は

早くから方針転換して2国間交渉を進められなかったのはなぜなのか、大きな責任があります。

あるいは、米朝の既定路線にのっかりながら、テロ指定解除を外すなとポーズをとっていたとすれば、

国民に対して大きな嘘をついていたことになります。


拉致被害者家族の長い闘いと必死の願いを思うと、ほんとうに胸が苦しくなります。


ふたつめに、今回の決定の先に、北朝鮮は本気で核兵器を手放すのかどうか。

「申告に核兵器は含まれない」と発表されていることや、核兵器だけでなく東北部にある核実験場や

西北部の起爆実験場なども申告されない方針であることに不安を覚えます。


6者協議の一国として、隣国として、今回の内容が北朝鮮の核兵器を温存するような米朝プロセスだ

とすれば、日本は、核兵器の放棄を徹底して求めていく必要があると思います。


もし、北の核兵器放棄に疑念が残れば、核危機の再燃だけでなく、韓国が核開発をしたり、

台湾に核保有の議論が飛び火したり、なにより、日本が核武装する可能性も高まります。

すでに、中国とロシアは核保有国。そんな恐ろしい核兵器地帯にわたしたちは暮らしたいでしょうか。

北朝鮮にも、アメリカにも、核廃絶を求めるのが日本の歴史の役割だと思うのです。


みっつめは、東北アジア地域の和平の視点から。

2002年のブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言を経て、アメリカによる先制攻撃戦略が真剣に議論され、

北は核兵器を保有。「朝鮮半島第二次核危機」がピークに達して、イラク戦争につづく第二次朝鮮戦争

になりかねないリアルな脅威と危機の日々がありました。そう振り返ると、米軍基地を抱える日本の

私たちにとっても、地域における武力衝突が回避されたプロセスとして、今回の進展をもっとはっきり

評価してもよいのではないでしょうか。


今回、20年続いた対北朝鮮テロ支援国家指定が解除され、まもなく、50年以上も続いた朝鮮戦争の

休戦状態に終止符がうたれ米朝国交正常化へ踏み出していくとすれば、世界で唯一、冷戦構造が

残っている東北アジアに雪解けの時代がやってくることになります。新しい時代です。


しかし、日本にとって、これからがハードな日朝交渉の本番かもしれません。

制裁圧力一辺倒でない、粘り強い対話交渉を軸として、

拉致問題や核・ミサイルなどの安全保障問題が進展するような外交交渉上の信頼構築と、

そして、過去の清算に誠実に向きあう努力が道を開くと思います。


「憎しみや怒りをぶつけあって、お前が悪い、いやお前だ、 

 と言いあっても何も生まれないと思うのです」と拉致被害者家族の蓮池透さんは語っています。


米朝交渉を後追いするアメリカ頼みの対北朝鮮外交ではなく、

日朝国交正常化を目標とする主体的で積極的な対北朝鮮・関与外交を期待します。





17日~18日、ソウル・韓国にて、アジアで初めて、

持続可能性をキーワードにした経済と金融を考える国連会議が開かれています。


『Changing Landscapes: Towards a sustainable economy in Asia』

http://www.changinglandscapes.org/

主催しているのは、UNEP(国連環境計画)の金融イニシアティブ、国連グローバル・コンパクト、

そして、UNPRI(国連責任投資原則)。


4月から、法政大学に国連グローバル・コンパクト研究センターが正式発足し、

私もメンバーになっていますが、企業がどのように社会的責任を果たしていくのかは、

東アジアにおいて、ますます、大きな課題になっていくでしょう。


温暖化の問題だけでなく、労働者の人権や環境、水や生物多様性などにきちんと配慮する企業経営

や、責任ある投資と金融のしくみ、ガパナンスが、東アジアにおいて、どうしたら可能なのか。


今回の合同会議は、初開催ということもあってか、国連と政府および企業、研究者のパネリスト

中心で、残念ながら、労働界やNGOの声が、直接、反映されていない印象です。

しかし、東アジアで、企業のCSRを推奨するだけでなく、新しい金融や責任投資のしくみをつくる

方向への動きとして注目したいと思います。




さて、国連グローバル・コンパクト(GC)は、持続可能な世界経済システムの再構築をめざして、

参加するそれぞれの企業に対して、責任ある企業市民の役割を求めるもの。

具体的に、世界中のビジネス活動に「GC10原則」を取り入れることが約束です。

■国連グローバル・コンパクトhttp://www.unic.or.jp/globalcomp/outline.htm


世界の118カ国から4771の団体や企業が参加しており、東アジアでは、

中国から131団体、韓国は103団体、日本は58団体にとどまっています(2007年末時点)。


イギリスでは経済政策に「GC10原則」を取り入れたり、北欧ではGCを国家戦略として掲げる

なか、日本の危機意識の遅れは比較にならないほど・・・。中国や韓国にも立ち遅れる悲しい実態が。


グローバル・コンパクト(GC)は、法的な拘束力を持たず、それぞれの自主的かつ自発的な規律を

前提にしているために、企業のイメージアップや建前だけに利用されて実効性について疑問視する声

が少なくないのも事実です。


しかし、時代は確実に、「利益追求+公益貢献」する企業モデルに向かって進んでいる。

「GC10原則」が規範化されたり、GCへの参加の有無が投資基準のひとつになる日も、

そう遠くないのではないでしょうか。ヨーロッパでは、先行入札のときにGC参加企業を優先する制度

を導入する国もでてきています。


日本はもちろん、東アジアでこそ、

グローバル・コンパクト(GC)の存在意義が増していくのではないかと私は考えます。

これからますます、好む好まざるに関わらず、経済を中心とした地域共同体へ向かっていくとき、

GCの原則が、環境や水はもちろん、消費者の安全や、労働者の人権などに配慮するための、

域内企業に共通するモラル・スタンダードとして有効だと思うからです。


日本でいち早く、そうした先進的な企業の動きと、政府による優遇措置や国内法の整備などが

連動して進むことが求められます。


【グローバル・コンパクト(GC)10原則】

=人権=

1 企業は、国際的に宣言されている人権の保護を支持し、尊重する

2 人権侵害に加担しない

=労働基準=

3 組合結成の自由と団体交渉の権利を実効性あるものにする

4 あらゆる形態の強制労働を排除する

5 児童労働を実効的に廃止るする

6 雇用と職業における差別を撤廃する

=環境=

7 環境問題への予防的なアプローチをする

8 環境に関して、率先して、大きな責任を担う

9 環境にやさしい技術の開発と普及を促進する

=腐敗防止=

10 強要と贈収賄を含むあらゆる形態の腐敗防止に取り組む





 「アフリカは貧困なのではない。

  豊かだから、犠牲となったのです。それは、貧困化なのです」

 (『BAMAKO』のワンシーンより)


***

東京アフリカ映画祭(5/27~29)は、第4回アフリカ開発会議(TICAD4)にあわせて、

素晴らしい2本の映画をセレクトしていて、激しく心が揺さぶられました。

どちらの作品も日本初公開だそうで、当事者の目線から、アフリカの本質を伝えてくれました。


■『ART IN TANZANIA(アート・イン・タンザニア)』

監督:イヴス・ゴシニィ&ジョン・リバー (2005年タンザニア・25分)
巨星ジョージ・リランガの作品

タンザニアの現代アーティストたちを紹介する短編ドキュメンタリーのなかで、

厳しい現実ながらも、アフリカのパワフルな魂とあふれるような表現力にふれて嬉しくなります。


■『BAMAKO(バマコ)』 

監督:アブデラマン・シサコ (2006年マリ/フランス・112分)

オフィシャルサイト(英語) http://www.bamako-themovie.com/

マリの首都・バマコで、世界銀行とIMFの罪状が問われていくストーリー。

日常生活が営まれるフツーの民家の庭先が「法廷」で、ムシ暑そうな空気まで伝わってくる。


「人の命が、なぜ、輸出量に左右されるのか」

「問題の原因について、その解決策を語ることでごまかすな!」

IMF側の代理人に対して、貧困の「証人」であるアフリカ市民はこう叫びます。


その結果、重債務の貧困国は20年前よりさらに貧しくなったと国連もレポートしており、

アフリカ各国の独立前よりも、人々の平均寿命が縮んでいることに私はびっくりしました。


福田首相はTICAD4で、巨額の支援を約束しました。

貧困のルーツがどこにあるのか福田さんが知らないはずはありません。にもかかわらず、

NGOや市民社会の声を十分に聞き入れず、資源確保を最優先にして、最貧困層の人びとを

置き去りにするような支援策は新たな紛争の火種にさえなりかねない。

■TICAD4 NGOネットワーク http://www.ticad-csf.net/TNnet/index.html


高い経済成長が続くといわれる国々も、その中身は、一次資源に頼ったものばかりです。

鉱物資源確保にインフラ整備そして大型投資と、いわば、20世紀型の古い手法の繰り返しで、

アフリカがほんとうに発展し、お互いに持続可能な未来を築けるでしょうか。

それよりも、すべての人が経済活動に参加できるよう、教育や保健を中心とした社会開発分野

への投資や民主化への支援、農業や環境技術の協力、マイクロファイナンスなどの小型融資

でビジネスが生まれるような環境づくりが求められているのではないでしょうか。


映画『BAMAKO』の副題は

~ We are all responsible ~です。




今春、群馬県沼田市に、社会福祉法人「ちぐさ保育園」が開園しました。

   

「にゅうえん、おめでとう♪」 0歳から5歳まで、新しく43名の子どもたちが入園です。

素朴な木の香りが心地よいお部屋。これから給食タイムで、今日のメニューはビビンパ!

「キミはだれ?」と怪訝な顔つきで私を見る子どもたちは、すっかり、ここの主になりつつあります。


こちらは、学校法人「ちぐさ幼稚園」。わたしも卒園生の一人^^。


4歳児のクラス「きく組」


30年以上も前、「きく組」の一員だった私。懐かしいというよりも、照れくさい・・・。

・・・なんて思っていたら、そんな私の感情をヨソに、

「きく組」の現役メンバーは、まったく物おじせず、すごいパワーで私を教室に呼び入れました。


我さきにとばかり、パフォーマンス付きで自己紹介してくれる姿につい引き込まれ、

子どもって、こんなにも、ぐいぐいとまっすぐに向かってくる元気にあふれていたんだなあ、

と、なんだか大切にしまっておいた宝物を発見したような気分になりました。


しかも、自分の紹介が終わると、間髪いれずに、隣りのお友達を紹介し始める。

次は自分の番!と思って準備していた隣りの子どもは、先に名前を言われてしまい、

「もぉう~!」「違う違う、こっち。僕は○○で~す」なんてやっている。


  

ひとつの園庭に、

保育園と幼稚園が同居しました。


基本、朝7:30~18:30まで、幼児を安全に預かる保育園の福祉機能と、

朝9:00~14:00のあいだ、幼児をのびのび育てる幼稚園の教育機能がいっしょになり、

保育士の先生と幼稚園の先生が連携して子どものクラスを担当していく新しいスタイルへ。


働く女性の子育て支援と少子化の時代到来で、

幼稚園を管轄する文部科学省と、保育園を管轄する厚生労働省は、

2年前から、幼保が一体化した「認定こども園」制度をつくりましたが、なかなか進んでいない様子。

待機児童がどんどん増えるなか、全国で2000ヵ所の設置をめざしたところ、まだ229施設のみ。


園長さんは、新しく保育園を併設した目的をこう語ります。

   「親の職業、つまり、大人の事情で差別化されない、

    あらゆる幼児の成長が保障される環境をつくることなんです」


ぐいぐいと向かってくる子どものパワーが、まっすぐに伸びる社会をつくりたい。

そう強く感じる日でした。






なぜなのでしょうか?


今週11~13日、新潟で、G8労働サミットが行われました。

しかし、各国大臣は全員来日せず代理出席で、日本のみ、舛添さんが厚労大臣として議長をする、

異例の会合となったのはなぜなのか、理由を追及するメディアもあまりみかけません。


地球環境の危機と同じくらい、いや、コインの裏表といっていいほど、

人びとの働きかた・働くことは、十分な国際的な議論をつくすテーマであると思います。


いま、気候変動も、少子高齢化も、物価上昇も、社会保障の削減も、地域の格差も、

根っこはみんなつながっていて、

持続可能な社会をつくる根幹のひとつは、人びとの「働きかた」を考えることであるはず。


G8諸国が「働くこと」の議論に熱心でないのか、議長国の日本がダメなのか・・・

G5といわれる中国、インド、ブラジル、南ア、メキシコが入っていないから意味がないのか・・・

グローバルな多国籍企業の活動を減退させたくない大国の影響があるのか・・・


会合では、「格差」を取りあげることさえ激しい対立があったようですが、

所得を公正に分配することや、非正規雇用への規制を強化することなど、

グローバル化の負の部分をとりのぞく実効策をはっきりと議長総括に示してほしかったと思います。


企業の競争力アップと、働く人びとの格差ストップは、両立しないかのように言われますが、

いま、正社員でパートタイムという働き方や、非正社員が活躍しやすい手当や環境づくりをして、

成長する企業などが出てきています。とくに、女性のもつ能力が引き出され、生かされている。

北欧では、それが主流になっています。可能なんですね!




日本では、昨年、年収200万円以下の人が1000万名を超えて、その7割以上が女性。

OECD諸国のなかで、相対的な貧困率が高いのは、アメリカが1位で、日本はなんと2位。

各国が職業訓練など雇用政策にかけている予算をみると、日本はアメリカに次いで最低です。


世界のワーキングプアの人口は約13億人ともいわれ、そのほか、

児童労働、強制的な労働など、人権を無視した課題も山積み。私たちの生活とつながっている。


『ディーセント・ワーク』 ―― 働きがいのある人間的な仕事

ILO(国際労働期間)のソマビア事務局長が1999年に提唱した理念で、

「適切な水準の社会保障および賃金・労働条件が確保された社会的意義のある生産的労働」。

だいぶ表現がカタいですが、とても大切なことを教えてくれているように思います。


「働くこと」=仕事は、その人の生活環境を保障したり、その人の生きる権利を守ったり、

その人の能力を伸ばすものであったり、その人の未来と社会につながるものである、と。


10年近くたったいま、その基本が、ますます重要になっている・・・

人間のためにも、地球のためにも。




10万名以上といわれるビルマの被災者へ、一刻も早く、国際救援の手が直接届いてほしいと

事態を注視していたところへ、きのう14時半頃、中国の四川省でM7.8の大規模地震が起こりました。

13日夜の時点で、死者1万2,000人、アバ州ブン川県の行方不明者は6万人と発表されています。

・中国サイト「南方都市報」 http://www.nddaily.com/sszt/dizhen/


震源地は、四川省に属するアバ・チベット族チャン族自治州で、青海・チベット高原の一部。

・アバ自治州人民政府HP http://www.abazhou.gov.cn/index.asp

 (チベット語の一部記載もあり、美しいチョモランマの山々やパンダが背景を彩ります)

3月チベット騒乱のとき、僧侶と警官隊が衝突して多数の犠牲者をだした地域のひとつでもあります。

四川省はじめ他省の都市部の被害状況は少しずつ伝わってきているものの、

最も被害が大きいであろう震源地の周辺は、そこへむかう道路が大量の落石や崩壊した建物で

遮断されて近づけず、人びとがどんな状態におかれているのかは、まだわかりません。


先週、日中首脳によって、新たな「日中共同宣言」が交わされました。

単なる宣言ではないはずですし、単なる文書にしてはいけない。

過去100年の歴史を越えるかのように、平和共存、世代友好、互恵協力、共同発展をうたった文書の

ひとつひとつを読むと、今回の大地震は、双方の努力が試される最初の事態なのかもしれません。

■「日中共同声明」(外務省) http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/visit/0805_ks.html


3項では「歴史を直視し、未来に向かう」と決意され、相互理解と相互信頼がうたわれています。

もし、早急に、日本から緊急救援チームが派遣されるのであれば、

被災地のひとつ、重慶は、かつて日本軍が5年にわたり断続的に「空からのテロル」と呼ばれる

無差別爆撃を行った場所です。スペインのゲルニカ爆撃、ドイツのドレスデン爆撃、東京大空襲と

ならぶ恐ろしい戦略爆撃に人びとがさらされた地でした。


2004年のサッカー杯のとき、日本チームが観衆に大ブーイングを受けたのは記憶に新しいはず。


成都も、2005年のいわゆる反日デモのとき、日系企業などを標的に激しい感情が渦まいた場所。


生死の不安に包まれた被災者がどんな感情を抱くのか、どんなふうに相互理解ができるか、

被災者への救援や復旧支援は、けっして、物的支援だけではありません。


犠牲者の家族はじめ住民がもつ歴史の記憶と、

いまだに日本政府は重慶爆撃の責任を認めていない実情をおさえ、

日中の人々のあいだに新しい信頼関係を築きうる人道的な機会にすべきです。


「互いに協力のパートナーであって脅威ではない」

「中国は、戦後日本の平和国家としての歩みと貢献を積極的に評価した」とする4項の内容を、

中国の人びとへじっさいに届け、裏づけるような緊急救援/復旧支援になるよう。


また、中国政府は、

いまだ被災状況のわからないアバ・チベット族チャン族自治州の人々をふくめて、

被災者の救出やライフラインの確保、復旧のニーズに民主的な方法で向きあえるかどうか。

6項にある「国際社会がともに認める基本的かつ普遍的な価値を理解し追及」する機会としても、

被災現場や情報を公開し、海外の人的支援も受け入れて、

ひとりでも多くの生命が救われるよう尽くしてほしいと心から願います。


いま、報道は、どんどん拡大する被害を伝えています。

NGOやNPOの支援や民間募金も始まっている。


大きな非常時に支い合える、東アジア共同体のほんとうの隣人になるときです。