10万名以上といわれるビルマの被災者へ、一刻も早く、国際救援の手が直接届いてほしいと

事態を注視していたところへ、きのう14時半頃、中国の四川省でM7.8の大規模地震が起こりました。

13日夜の時点で、死者1万2,000人、アバ州ブン川県の行方不明者は6万人と発表されています。

・中国サイト「南方都市報」 http://www.nddaily.com/sszt/dizhen/


震源地は、四川省に属するアバ・チベット族チャン族自治州で、青海・チベット高原の一部。

・アバ自治州人民政府HP http://www.abazhou.gov.cn/index.asp

 (チベット語の一部記載もあり、美しいチョモランマの山々やパンダが背景を彩ります)

3月チベット騒乱のとき、僧侶と警官隊が衝突して多数の犠牲者をだした地域のひとつでもあります。

四川省はじめ他省の都市部の被害状況は少しずつ伝わってきているものの、

最も被害が大きいであろう震源地の周辺は、そこへむかう道路が大量の落石や崩壊した建物で

遮断されて近づけず、人びとがどんな状態におかれているのかは、まだわかりません。


先週、日中首脳によって、新たな「日中共同宣言」が交わされました。

単なる宣言ではないはずですし、単なる文書にしてはいけない。

過去100年の歴史を越えるかのように、平和共存、世代友好、互恵協力、共同発展をうたった文書の

ひとつひとつを読むと、今回の大地震は、双方の努力が試される最初の事態なのかもしれません。

■「日中共同声明」(外務省) http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/visit/0805_ks.html


3項では「歴史を直視し、未来に向かう」と決意され、相互理解と相互信頼がうたわれています。

もし、早急に、日本から緊急救援チームが派遣されるのであれば、

被災地のひとつ、重慶は、かつて日本軍が5年にわたり断続的に「空からのテロル」と呼ばれる

無差別爆撃を行った場所です。スペインのゲルニカ爆撃、ドイツのドレスデン爆撃、東京大空襲と

ならぶ恐ろしい戦略爆撃に人びとがさらされた地でした。


2004年のサッカー杯のとき、日本チームが観衆に大ブーイングを受けたのは記憶に新しいはず。


成都も、2005年のいわゆる反日デモのとき、日系企業などを標的に激しい感情が渦まいた場所。


生死の不安に包まれた被災者がどんな感情を抱くのか、どんなふうに相互理解ができるか、

被災者への救援や復旧支援は、けっして、物的支援だけではありません。


犠牲者の家族はじめ住民がもつ歴史の記憶と、

いまだに日本政府は重慶爆撃の責任を認めていない実情をおさえ、

日中の人々のあいだに新しい信頼関係を築きうる人道的な機会にすべきです。


「互いに協力のパートナーであって脅威ではない」

「中国は、戦後日本の平和国家としての歩みと貢献を積極的に評価した」とする4項の内容を、

中国の人びとへじっさいに届け、裏づけるような緊急救援/復旧支援になるよう。


また、中国政府は、

いまだ被災状況のわからないアバ・チベット族チャン族自治州の人々をふくめて、

被災者の救出やライフラインの確保、復旧のニーズに民主的な方法で向きあえるかどうか。

6項にある「国際社会がともに認める基本的かつ普遍的な価値を理解し追及」する機会としても、

被災現場や情報を公開し、海外の人的支援も受け入れて、

ひとりでも多くの生命が救われるよう尽くしてほしいと心から願います。


いま、報道は、どんどん拡大する被害を伝えています。

NGOやNPOの支援や民間募金も始まっている。


大きな非常時に支い合える、東アジア共同体のほんとうの隣人になるときです。