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竹内真紀っていったいどんな人なのか。
わたしの成り立ちを知っていただこうと、わたしの歴史チラ見せ記事をお届けしています。
秋田の田舎町に住む、めんどくさいお嬢さんだったわたし。
引っ越し先の高知で、人生を変える出来事に出会ったわたし。
高知のド田舎に引っ越して、「なんじゃこりゃ~~~」な文章スタイルに出会ったわたし。
高知市内の私立に進学した後、担任の勧めで、大阪の大学に進学することになりました。
思い込んだら一直線!からの先輩の一言で・・・
大学があるのは、大阪っていっても、南河内の田舎。
最寄りの都会は、天王寺。
(あべのハルカスがあるところね)
天王寺へ出るにも、1時間かかるから、ほぼ田舎に引きこもり生活を送っていました。
わたし、思い込んだら一直線、なところがある人なんです。
なので、「放送学科」に入学したのに、サークルも「放送研究会」に入ることに。
他にもいろんなサークルがあったんだろうに、放送研究会しか、目に入らなかったんだから、一直線にも、ほどがある^^;
ところが。
そこで出会った先輩の一言が、わたしの進路に大きな影響を及ぼします。
「広告コースは、つぶしが利くからいいよ」
入学した放送学科は、大学1回生の年度末に、2回生から進む、コースを選択するシステムでした。
・ラジオ制作コース
・テレビ制作コース
・アナウンスメントコース
・広告コース
アナウンスメントコースに進むつもりで、入学したんですけど、先輩の言葉に「広告コース、いいかも」と即、態度変容。
年度末のコース選択で、わたしは、「広告コース」を選びました。
広告コースでは、キャッチコピーの考え方やら広告の作り方やらの授業を、広告マン出身の教授の下で学びました。
CMを作ったり、広告計画をたてたり、風変わりな実習が、楽しかったな~。
CM実習では、わたしの台本が採用されることはなかったけど、2回くらい出演者になりました。
色っぽい系人妻の役をやった時は「誰???」と教室中が騒然としたんですよね~~(唯一の自慢)
広告コースを卒業後、あれやこれやあったのち、わたしはライターという立場で、広告制作の現場に携わることに。
コース選択で、広告コースを選んだ。
その選択が、ライターの仕事に繋がっているんやから、人生、どこでどうなるか、わからんもんです。