すごいタイトルですが。笑
“呪う”について。


なんでこんな事をブログに書こうかと思ったかというと、超コンサルシェア会というものに参加しました。
松原靖樹さん超コンサルタント養成講座を受講中の、阿部夢子さん高坂仁美さん田辺玲子さんの3人が、学んでいる内容をシェアしてくれる会。


第一回目のテーマは尊厳について。


尊厳を守ること、自分を大切にすること。
尊厳がある自分をどう扱うか。

そんな内容でした。




私は、尊厳を傷つけられる事にとても敏感。
自分の尊厳も、他人の尊厳も、傷つけられる事があればものすごく怒りが湧く。
また、尊厳を守る人は、すぐわかる。



内容を聞いていて、うん、それって私にとっては当たり前だなと思えることだったので、尊厳を守るという事は出来ているのかな、と思いました。


尊厳を守るということって、標準。ゼロベース。


これも、すんなり納得できる。
子供を見ていても思うこと。
小さな子供にも、当たり前に備わっている初期設定だ。


私は、子供の頃いじめられていた。
私には脱毛症という、見た目わかりやすいポイントがある。
私のことで気に入らない事があると、ほぼそのポイントを突いてくる。
死ねハゲ、とか。

あと、ハゲがうつるとか、いろいろ言われたなぁ。

中学に入ってウィッグを使うようになってからは、こけしみたいな髪型だったから、髪型の事を言われたり。
集団で無視されたり。
これは、無視するのがなんか流行っていて、次々とターゲットを変えて無視される…。
これは女の子に多い問題なのかなー?どうなんだろう。
今思うと、ものすごくバカバカしいと思うが。


そんな風に、尊厳を傷つけられた事を私はずーっと根に持っていたようだ。
もう、30年くらい前のことなのに。
未だに、ふっと思い出して怒りが沸くのだ。


その当時の私は、正面からその問題に立ち向かうのがつらくて、感情に蓋をしてないものにしたり、いじめっ子に対してはそうは言ってもこの子にも良いところはある、みたいな、だから人を嫌っちゃイケナイみたいな、自己解決っぽい事を試みたりしていた。


今なら、怒り狂っても良いだろうと思うような事も、感情を無視していた。
そのツケが今きているのか、たまに昔のことが鮮明に思い出されて、その時の感情がどーっと押し寄せることがある。


そうなった時は、感情を味わって、味わい切るようにする。


…つもりだったようだ。

そうしていた、つもり。



それが、シェア会でわかってしまった。

私は、「常識の範囲内で」感情を味わっていたんだな、と。



ずっと気になっていた。
未だに怒りが沸くってさ。しつこすぎないか?と。

もういい加減、この怒りは手放しても良いのでは、と思う自分。
月日もたち、記憶も薄れ…。

なのに、あの時ああやって私の尊厳を傷つけたな!!💢

ってさ。
もういい加減、やめても良いことかも?
もう私には必要ないんじゃないのか?と。

でも、たまにふっと湧いてくる。 
この怒りを何とかしようとしたりとか、怒りが湧いてこないようにしたりするのは、マイナスに手をつける事になる。
マイナスに手をつけてもゼロになるだけでプラスにはならないから、そこを何とかしようとか思わず、怒りが湧いたらそのまま感じる、感情の嵐が過ぎるのを待つ、を繰り返していましたが…。


こんなにしつこくいじめっ子を憎んでいる自分に、これで良いのだろうか?という気持ちもあり。



なので、それを質問してみた。

高坂さんからは、何かの時にふと湧いてくるのは、感じきれていないという事なのかも?と。
大声で泣いたり、わーっと声を上げたり、湧いてくるものを出し切ってみては、と。
家だといろいろ考えちゃうから、出せるところで出すのが良いと教えてもらいました。


そして、夢子ちゃんが
「ワラ人形とか作ってみたら良いのに。」


・・・・・え?ポーン
ワ、ワラ人形…??ポーン



夢子ちゃんは、

松原さんのセミナー?で、怒るというのは行為に対して、憎むというのは人に対して、で、みたいな話があって…
呪うっていう、次の段階に行ってみたら?と。


どう考えても腹が立って、大ッッッ嫌いなんだったら、いっそさらに上にエスカレートして呪ってみたら良い、と。

そしたら、高坂さんにも、
「稲垣さんが、思考は現実化しないって言ってましたよ。だから、心の中でいくら呪ってもどうせ相手は死なないし。」

と、なんだか皆さんノリノリ…。


呪っちゃおうぜ!みたいな。笑


そんな話を聞いていたら、気がついてしまった。
「常識の範囲内」で、怒りを感じていた自分に。



怒って憎んで、呪う。
ワラ人形に五寸釘刺しちゃうくらいに。

そこまでいくと、私の常識の範囲を超えるのだ。
そんな事、誰かに対してしていいのか?
呪うなんてさ。
一般的な常識のある大人として、やってはいけないこと。

って思っていた事に気がついた。



あ、呪って良いんだ♪


って思ったら、なんだかものすごくスッキリした。
そこまで突き抜けても良いんだ!って。


自分で勝手に感情にリミッターをかけていたんだなぁ…。




なので、つきぬけようと思いまして。
呪ってみる事にしました。



そこではっと気がついた。





…どうやって?



まず、今現時点で、怒りが湧いていない。
思い出せ!怒れ!と思っても、いじめっ子の事を思い出しても、怒りが湧かない…。

憎め!と思っても、怒りがないからか、憎めない。


とりあえず、ワラ人形に名前書いて五寸釘刺そうとしてみる。
想像で。



ヤバイ。フルネーム思い出せない…。


覚えてる子もいるんだけど、漢字がわからなかったり、下の名前思い出せなかったり。



愕然とした。
あんなに憎んでいたのに。
呪おうと思っても、呪えない!!
それだけのパワーが湧いてこない!



とりあえず、今回の呪いは実現しませんでした。

そう考えると、貞子ってすごいなぁ…。
呪うって、すごくエネルギーがいる作業なんだわ、と、貞子に対して妙に感心してみたり。笑



呪うも、大声で泣いて湧いてきたものを出し切るのも、出てきたものを蔑ろにしていない。
100を100として扱っている。
だから、どちらでもいいからやってみると良いよ、と教えてもらいました。



もし今後怒りが沸くことがあれば、思い切って呪ってみようかと思います。
そこまでの感情が沸くかどうか。



感じるきることが、できるだろうか。
怒りが湧いたら、試してみたいと思います。