過去の記憶タイ -8ページ目

過去の記憶タイ

男性向けのコンテンツです。
女性お断り。
タイを中心とした過去ネタを紹介していく予定です。

少し戻る感じになるが、国境の検問所に待機していたトゥクトゥクでノンカイのバスターミナルへ向かう。

 

今夜の宿はこの辺りで一番大きな町であるウドンタニの予定である。

 

ノンカイからウドンタニへはローカルバスがたくさん出ていて2~3時間で行ける。

 

ノンカイもわりと大きな町で、メコン川沿いにはレストランが並んでいて、観光客らしいファランもチラホラ見かける。

 

店や市場もあってビエンチャンと比べて活気がある。

 

やはり、タイとラオスでは言葉や人種が似ていても全然違う。

 

ノンカイのバスターミナル。ビエンチャンではこんな賑やかな場所はなかった。

 

 

 

これはバンコク行きの二等バス。

 

このオレンジのラインが二等バスの特徴だが、現在は二等バスは廃止になりもう見られなくなった。

 

しかし、二等バスは鉄道で言えば「各駅停車」なので、ノンカイからバンコクまでは途方もない時間がかかると思う。

 

 

 

 

これが我々が乗ったウドンタニ行きのローカルバス。(オレンジのラインが入った二等バス)

 

途中の停留所に停まりながらウドンタニまで行くが、距離が大したことないので問題なし。

 

因みに、ウドンタニには何か所かバスターミナルがあるが、二等バスは町はずれのバスターミナルに到着した。

 

翌日、ホテルをチェックアウトし、ホテル前に待機していたトゥクトゥクで国境へ向かいます。

 

バンコクと比べて朝は涼しいです。

 

国境まではのどかな田園地帯でしたが、現在は中国資本が入って建物が増えているようです。

 

トゥクトゥクは検問所までで、ラオスを出国してタイの検問所までバスでメコン川を渡ります。

 

タイは左側通行ですが、ラオスは右側通行なので車線が入れ替わります。

 

橋の真ん中には線路が敷かれていますが、当時は鉄道は開通していませんでした。

 

途中にはタイとラオスの国旗が交互に置かれています。

 

ホテルには食堂がないので、夕食を食べに市街地を歩いてメコン川のほうへ行ってみました。

 

この当時、ビエンチャンは店が少なくもちろんピンクのネオンも見えませんでした。

 

しばらく歩いていくと、中華のレストランがあったので入ってみました。

 

料理はチャーハンとか卵スープとかふつうどこにもあるようなものだけです。

 

ラオス料理もありますが、基本的にタイのイサーン料理と同じなので、タイで食べたほうがおいしいと思います。

 

味は値段相応でこんなものかなあという感じでした。

 

日本の中華街名でもよく見かけるゴマだんごですが、中身がスカスカで卵の黄身のような甘くて丸いお菓子が入っていました。

 

街はネオンがなく暗いです。

 

赤いネオンは数少ない高級ホテル。

 

ホテル (ゲストハウスに近い) はビエンチャン中心部付近ですが、この当時のビエンチャンはぜんぜん観光地化されておらず、タイでよく見かけるファランのバックパッカーのようなのも見かけませんでした。

 

でも、泊まったホテルは非常に安いので、いかにも長期滞在という感じのファランは泊まっていました。

 

市街地は車も歩行者少なくて静かですが、バービアはおろか店もあまりないので、ビールはホテルのロビーで買うしかありませんでした。

 

下の写真に食堂のようなのが見えますが、夜には閉まってしまいます。

 

閑散とした街の通り。

 

人も車も少ないです。

 

ロータリーの真ん中にある仏塔も整備されていないので、草が生えています。

 

 

道路わきに生えていたバナナには花が付いていました。

 

市場にも売っておりサラダにして食べるそうです。

 

この凱旋門もビエンチャンの観光名所ですが、石造りでなくコンクリート造りです。

 

大きさもパリの凱旋門の半分くらいです。

 

観光客もほとんど見かけませんでした。

 

 

パリの凱旋門同様、有料で中に入れます。

もちろん、エレベータはないので階段で上るしかないです。

パリの凱旋門を階段で上るとヘトヘトになるくらい高いですが、ここは階段でも大丈夫です。