毒親育ちの

アダルトチルドレンを卒業して

自分未来を作るサポーター

カウンセラー💖苺花-Maika-です。

 

 

私のことシリーズ 前記事の続きです。

 

 

 

 

 

 

ヘビーな内容続いてましたよね

 

ごめんなさいね泣き笑い

 

私の経験してきたことと

全く同じ経験した人は

いないと思うけど

 

この部分

この時の気持ちわかる とか

 

一部でも

思う人がいたら

 

こんな経験した私でも

回復できて

前を向いて歩くことができると

わかってほしいから

 

書き続けます

 

長い長いシリーズになるけど

ボチボチと

お付き合いください

 

たまには違う記事も書きますからねニコニコ

 

家では不快な思いをしていた

 

中学生の時

 

学校での生活について

 

当時は校内暴力が

さかんな時期

 

不良になりたいなんて

思ってはなかったけど

 

中1はタバコ、カツアゲ、ケンカをして

親が呼び出されました

 

先生が母親に電話する

母親は父に電話をする

父が慌てて学校に来る

一緒に住んでないのにね

 

タバコの時

先生に、「なんで吸ったんや?」と

聞かれ

 

黙ってたら

「なんか嫌なことあったんか?」と

 

人情派の先生

 

私は先生に

「お母さんがお風呂の掃除をしている

時に話しかけたら、忙しいねん

うるさいな、あっちいっとけ」と

怒鳴られた

 

と話したみたいです。

 

話したみたい・・・というのは

 

自分で話した場面は覚えてないけど

帰宅して父が母に話したようで

 

父が帰ってから

母が私に

「あんた、先生になにいうてんの?」と

言われたことを覚えているから

 

「余計な事、いいやがって」と

怒られたから

 

その時に私は泣きながら

「だって・・・お母さん

しゃべっても、しゃべってくれへん

かったやん」と言うと

 

「このアバズレが!

 人のせいにしやがって」と

怒られたこと

 

父と別居はしていたものの

中学生という多感な時期だし

学校から家に帰って

母親がいないというのはアカンと

 

父は母が働かなくてもいいように

生活費を渡していました

 

だから、忙しいという

言葉はあてはまらないのは

私にもわかってました

 

そう、怒られた事というより

傷つけられたことは覚えている

 

アダルトチルドレンを回復

するまでは

 

私は本当の気持ちを話す時に

必ず泣いてました

泣かないと話せませんでした

 

泣いてしまうから

本当の気持ちを話せずにいました

 

タバコを吸った原因が

そんなことか!?と

 

今なら笑い話だけど

 

もちろんタバコをすった

きっかけが

そんなことはないと思う

 

好奇心と友達に誘われて

だろうけど

 

その時の気持ちが

そういいたかったんだろうね

 

次は、同じ中1の間に

 

ケンカ

 

不良グループの先輩に

嫌なやつシバいてええで

 

と、言われ

 

私が大好きだった

中3野球部のTさんの彼女

 

とってもきれいなお姉さん

上品でお金持ちそうな

 

その人を呼び出して

いきなりケンカを売って

一方的に

蹴ったり叩いたり

 

一対一のケンカ

 

ケンカというか

私の一方的な

攻撃

 

ヒドイ事をした

 

もちろんこれも

学校から親が呼び出し

 

私に命じた不良先輩とその親

私と父とが

お姉さんの家に

謝罪にいった

 

父は土下座くらい

頭をさげていた

 

もちろん私も頭をさげた

 

後日の記事で書きますが

私の父も悪かったようで

 

私がこんな不良もどきに

なる気持ちがわかるのか?

怒鳴りつけるとか

怒るはあまりなかった

 

父は

「タバコ吸いたかったら吸え

やめられませんと先生に

許可もらったる」と

あえて言ってきたので

 

いやいや、吸えへん

あんなまずい物・・・と

 

父はそんな私が

悪い道にいかないように

 

母親は家にいないとあかんと

生活費が増えていったようです

 

中1終わりの春休み

中2の不良の先輩から家に電話が

かかってきました。

 

3年の先輩の卒業式に

花束もって行って!と

 

意外と純粋だった私は

はい、わかりました と

そして、それを友達に言うと

「卒リン」やと言われて

ハっとしました

 

そう、卒業リンチです

マンガみたいな話ですが

当時、卒業する時に

不良の間では下級生の不良を

シバクというの定例だったんです

 

それに私が選ばれたという話

 

父に電話して話すと

「行ってこい!リンチされてこい」

母に言うと

「行ったらあかん」と

 

私は、怖いから

行きませんでした

 

そして、その2日後くらいに

私は

「塾に行きたい」と言い出し

 

父にお願いして

塾を探してもらい

入れてもらいました。

 

中2から一変して受験勉強のスタートです

 

覚えているのは

こんな不良たちと一緒にいたくないと

真面目チームになったら

しばかれることもないしと(笑)

 

この頃は

母より父の方が 頼りになったし

私は何でも父に電話して

相談していました

 

父と長電話でよく話すようになり

週末に家に来た時も

よく話していました

 

そんな感じになっていた頃の

中2くらいの時の出来事が

前記事に書いた出来事です。

 

中2中3は受験勉強

送迎付きの進学塾に通い

学校終わって

いったん家に帰ってから

一つとなりの駅の塾へ行き

 

帰りは家まで送ってくれる

 

家に帰るのは22時くらい

 

2年の頃は週に2回か3回

3年の頃は毎日いってました

 

当時、塾代に最高20~25万くらい

払っていたそうです

 

おかげで

賢くて、お金持ちの

いわゆる偏差値の高い

お嬢さん学校へ進学できる

こととなったのです。

 

続く