毒親育ちの

アダルトチルドレンを卒業して

自分未来を作るサポーター

カウンセラー💖苺花-Maika-です。

 

 

私のことシリーズ 前記事の続きです。

 

 

読んでしんどくなるかもしれません

読みたくない方は

 

ここで終わってくださいね。

いったん区切りまで

一気に書く予定びっくり

 

そば屋のお兄ちゃんと母が

どんなペースで会っていたとか

どれくらい付き合ったのかとか

 

真剣な付き合いだったのか

 

とか、そんなのは全く

覚えていません(笑)

 

 

父が出ていってから

母が働きに出て

私が保育所に預けられて

 

その後、まだ保育所の時から

父とは週に1度くらい

会っていました

 

父が女と別れたのか

まだ付き合ってたのかは

わかりませんが

 

私が覚えている画像は

 

父が団地の私の部屋まで

迎えに来てくれて

一緒に一日過ごして

また私の部屋まで

送ってくれる

それを母が玄関で

やりとりしていた

 

と、いう画像です

 

父は私をとても

可愛がっていましたので

 

私に会いたいがために

養育費を渡していたと

思われます

 

いつもオモチャを買って

くれて帰ってました

 

駅からバスで20分くらい

かかる団地に住んでいて

 

父が面倒くさくなったのか?

練習のためか?は

わかりませんが

 

母とバスにのって

駅で父と待ち合わせて

父に引き渡されて

 

帰りは父が部屋まで

送ってくれる 

 

そのうち

1人でバスにのって

父が駅のバス停で待ってる

 

父と電車にのってるので

毎週のことなので

私も覚えますよね

 

そうすると

父が今度は一人で乗っておいでと

 

〇時〇分の電車に乗りなさいと

言われ

 

1人で

いつも降りる駅まで乗っていき

父が迎えにきてくれる

 

というように

だんだんと一人で行動することを

教えてもらいながら

 

1人で父の会社までいけるように

なったのは小学1年の頃だったのかも

しれません

 

ほぼ毎週日曜日は父と過ごして

いたと思います

 

父は小さい会社を経営していたので

お金はたくさんありました

 

いつも、なんでも買ってくれました

 

母に暴力をふるっていた

父とは別人のように

私には怒ることなんて一切なかったです

 

ある時母が

「なんでもかんでも買って与えすぎ

普通の他の家の子はこんなに

買ってもらってない、この子のために

よくない」と父に言ってました

 

父は「俺の金や、俺が買いたいから

買うんや、なー〇〇ちゃん」と

 

玄関でやりとりしていた

こんな内容を覚えています

 

・・・・・で

 

母からは

「そば屋のお兄ちゃんが家に

来てることはお父さんに

言ったらあかんねんで

わかった!?」と

 

いつも父に会う前に

いい聞かされていました。

 

 

ある日

父と電車に乗っていたとき

 

私は父に

「あのね、お母さんと

お兄ちゃんがチューしてた」

 

って、言いました

 

この時のことも覚えています

 

なんとなく言ったではなく

 

父に言いたかったんです

きっと・・・・

 

父は

「どこのお兄ちゃんと

チューしてたんや?」と

優しく聞いてくれました

 

聞くのうまい!!(笑)

やさしーくやさしーくです(笑)

 

「〇〇そば屋のお兄ちゃん」

 

 

その後、父から母に

この話がいって

 

どんなことがあったかどうかは

わかりませんが

 

父に告げ口したことを

母に怒られたのかもしれませんが

そこの記憶はありません

 

今思えば

 

私はお兄ちゃんに母がとられると

思っていた

 

母がお兄ちゃんの前だとクネクネして

女になる

 

という、嫌悪感しかなかったと

思うし

 

母と仲良くしたいから

私と仕方なく遊んでくれてるんだなという

お兄ちゃんのホンネみたいなのを

感じていたのかもしれないです

 

だから

やめさせたい

こわしたい っていう

 

小さい私のできること

 

そう、お父さんにお母さんを

怒ってもらおうと思ったんだと

思います

 

ただ、その後

お兄ちゃんと別れたんだろうなって

思います

 

そば屋をやめたから

 

それが

私が4才か5才かくらいなのかな?

 

私の年齢はわかりません

 

でも、まだ保育所だったという事は

間違いない

 

 

市場の魚屋さんで働いたり

病児保育で働いたり

 

母の職場へ

連れていかれることも

たびたびありましたが

 

このそば屋のお兄ちゃんとの

事があってからか

 

父は母にお金をより渡すように

なっていたようです

 

働かなくてもいいように

 

働くとロクな事がないと思ったのか?

 

そして

私が年長になること

5才あたりかな?

 

熱をよく出すようになりました

 

すぐ高熱→入院 でした

 

入退院を繰り返していたので

看護師さんとも仲良くなり

 

私は優しい看護師さんたちが

大好きでした

 

とてもかわいがってもらいました

 

だから、病院が大好きでした

 

その名残か

 

今でも大きな入院施設のある

病院は大好きです(笑)

 

いると落ち着きます

 

5才~6才の年長のあたりは

ほとんど保育所に行けてないです

 

自宅でいるか入院かです

 

微熱が続いたり

高熱が出たり です

 

そして

扁桃腺をとる手術をしました

 

その後、無菌性髄膜炎になり

 

その影響で

溶連菌感染症 になりました

 

当時はこの溶連菌感染症が

ひどく重要視されていて

 

ASLO という血液検査の数値が

高く

 

この数値が〇〇以上(←忘れた)になると

 

白血病、心臓病、などなど

当時は必ず〇ぬと言われていた病気になると

言われました

 

それで、激しい運動をしてはいけない

ということで

 

小学校1年から4年終わるまで

ずっと体育の授業は休むようにとのことでした

 

月に一回血液検査にいって、薬をもらう

 

これを毎月、年長さんから

4年生、5年生くらいまでやっていました

 

・・・で、年長さんの時の話に

戻りますが

 

入退院を繰り返しだした私を

みるために

母は働きに行けなくなり

 

その分、父がお金を渡して

生活に困るということは

ありませんでした

 

私は、母とずっと一緒に

家にいれることがうれしかったのを

覚えています

 

住んでいた団地には

母と二人で

小学校1年生が終わるまで

住んでいました

 

近所の人たちはみんな

いい人ばかりで

 

預けられることもあり

 

ある家では

ちゃんと

お父さん、お母さん

子供二人と

楽しそうな4人家族

 

そこに私が入って

カレーライスを食べさせて

もらいました

 

そこのお父さんが

カレーライスに生卵を

入れるのが好きらしく

美味しいんやでと

教えてもらい

 

その後

私もしばらくカレーライスに

生卵を入れていたのを

覚えています

 

 

小学校1年まで

母と二人で暮らしていて

食べるものに困ったとか

そんなことはなかったです

 

時々

母は私を連れて

父の会社へ行ってました

 

お金を請求して

お金をもらっていました

 

請求しないと

もらえなかったのか?

 

余分にもらいに行っていたのか?

わかりません(笑)

 

父は私に甘いので

母は必ず私を連れて

いきました

 

父の会社で

私がぬいぐるみを抱いて

親指しゃぶってる

写真があります

 

この写真をみると

4歳か5歳かと

思うのですが

 

小学校入るまで

親指しゃぶるのは

止められなかったようです

 

 

あと、もう一つ

 

父は自分の会社の事務員に

手を出していたようで

 

私を連れて

母が父の会社へ乗り込んでいった

ということもありました

 

これは、父が出ていく前なのか

その後かはわかりませんが

 

母が私の手を

ギュッと握って

痛いくらいに握って

覚悟を決めたように

 

父の会社に入っていったのを

覚えています

 

事務員さんの引きつった顔も

覚えています

 

母が私の手を痛いくらいに

ぎゅーーっと握りながら

 

父に何かをいって

父が「子供の前やろ」みたいな

ことをいっていた

 

いわゆる

修羅場みたいな感じになっていたのも

画像として残っています

 

書きながら思い出した(笑)

 

 

 

その後

小学校に入りましたが

 

小学校も相変わらず休みがち

 

なのに

たまに来たら

若い女の先生に対して

「せんせいはあほ」とかを

黒板に書いていました

 

かまってちゃんですね(笑)

 

小学校1年の思い出は

あまりありません

 

覚えている一つの出来事は

 

掃除用具入れに

キライな男の子を閉じ込めて

教室のドアも

ほうき立てかけて

女の子何人かで

教室を占拠する先導をしたこと

 

恐ろしい小1だ(笑)

 

かなり、私は

うっぷんがたまってたんでしょうね(笑)

 

おーこわっ(笑)

 

 

 

続く・・・

 

まだ小1終わったところですよ

まだまだ続きますからね爆  笑