迷子の大人たち 3 -3ページ目

迷子の大人たち 3

~ニワトリノニワ 非公認ブログ~ 
テキトー経営者のエー加減農業日記(昔は) 最近 っぽくなくなってきた。意外とマヂメ?更生した?

おしゃべりな人がいる。
 
おしゃべりとは辞書によると口の軽い人のこと。私の周りにもおしゃべりな人が何人かいる。彼らは確かに口が軽いと言えるけど社交的とも言えるので友人は多いようだ。
 
ただ彼らの難点は同じおしゃべり同士では仲良くなれないということ。何故ならお互い話したいのに一方が他者を抑圧してしまうから。おしゃべりな人は結局自分のことを話したくて仕方がないからである。そう、その心理の裏には自己承認欲求=劣等感が隠れている。
 
ポケモンの技にも「おしゃべり」という技がある。とてもうるさいおしゃべりの音波で相手を攻撃、混乱させるのだそうだ。あなたも人にとってはどーでもいいおしゃべり音波で相手を攻撃していないか、一度自己点検した方が良い。あ、劣等感の解消方法については以下に示す。
 
 
はい、いつものやつどーぞ。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

最近暖かくて陽気が良いので例の四万十川の河原のゴルフ場に足しげく通っております。ま、寒さにも負けずに能天気な私は12月1月も大いに通っていたのですが。河原のコースは誰でも一人で参加できるためモノ好きがコース内で頻繁に顔を合わせるためすぐに仲良くなり一緒に回ったりしているのです。

平日に居るのはやはりほとんどがお爺さんと呼ばれるような超高齢者ですが中には夜の商売をしている人や私がサボリーマンと呼んでいる決して褒められたもんじゃないヤツなど多様な人種がおります。そんな彼らの中に自分の今のプレーはどうだったと解説するヤツがいる。成功はアピールし、失敗は何をどう考えこうしたから失敗したのだと自分以外誰も興味ないようなことをのべつ幕無しラジオのように話します。彼の話を聞いていると頭の中に劣等感という三文字が浮かんで来るのです。

犯罪者は劣等感が特に強いと言われる。最近世間を賑わせているのが広域強盗事件の首謀者の強制送還報道。彼らの劣等感は極めて強く自分の人生なんて犯罪者になるくらいどうでも良いものだ、と思えるから犯罪に手を染めてしまう。劣等感を抱く原因は幼い頃の親による言葉や態度、或いは暴力を使った虐待。幼い頃ばかりでなく人から否定的な言動を受け続けると劣等感を募らせてしまうのです。

劣等感、とはオーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーが使い出した言葉。アドラーはフロイトやユングらと共に19世紀後半に心理学の礎を築いた一人。劣等感とは他人との比較による自己否定。つまり自己肯定感の低さが犯罪を生んでいるのです。

さて、勿論ゴルフ仲間を犯罪者呼ばわりする訳ではない。しかし散々彼の話に付き合った私が察するに彼は長男であり優秀な弟と比較され続けて劣等感を植え付けられた、ようです。そのためか親との仲は余り良くないらしい。こうやっていつも私は人の育ってきた背景を見つめている。

自己肯定感を養うには親ならば子供を誰か(兄弟も)と比較したり理由もなく否定したりしないこと。それと気づかずに親が自分の権威を守るために子供を否定することもあるので本当に注意が必要である。少子化の悪影響と思われる、幼稚園からのお受験なんかは他者との比較を助長するので極めて良くない傾向と言える。


不幸にも劣等感を植え付けられて大人になってしまったなら諦める必要はない。自分を自分の親として自己育てをすれば良いのです。自己肯定感の低い人は不安を感じやすいものだがそんな時にはいつも心の中で「大丈夫」と呟く。

「ダメだぁ」じゃなく「大丈夫なのだ」それだけで良いのだ。心無い親などに傷つけられてしまった本当の自分を取り戻してほしいと願う。

そう、それを実践して自己否定を今ではほとんど克服した私が言うのだから。

 

 

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幸せとは何でしょうか。
 
家族が健康で仕事が充実していて世の中が平和で人から褒められ愛され・・・などと条件ばかりを挙げるのは凡人です。あなたは本質的な幸せを分かっていない。そんな凡人はたった一つの条件が崩れれば、また隣の誰かの持ち物によって条件が増え、あっという間に人生全てが不幸へと変換されて行くことでしょう。
 
フランスの精神科医ジャック・ラカンが言うように、「 欲望とは他者の欲望である」からです。つまり他者が欲しているモノを自分が欲しいと変換されてしまうのが人間であり、幸せの本質を知っていないと他者の欲望にまみれて条件ばかり増え気づけば手放しで幸せとは言えない人生を送ることになります。
 
脳科学的に言えば幸せとは単純です。幸せホルモンと言われるオキシトシン、セロトニン、ドーパミン、エンドルフィンなどが分泌されること。でもこれは上記凡人の条件一つでも分泌されるため、どうしたらこの分泌されやすいくなるのか、ということが幸せの本質を考える上で重要なことになります。
 
例えばオキシトシンについては乳児期のスキンシップがオキシトシンの分泌を促し、更に大人に成長した後にもオキシトシンが分泌されやすい脳を作るという報告があります。つまり脳科学的に言えば乳児期に充分な愛情を受けた経験はその子を将来に渡って幸せにすると言えるだろう。
 
母でなくてはならないのか?父でも代用は効くと思われるが発達心理学的には乳児期には母の愛情が大切で、父の役割はその後母子の愛着関係を断ち切り自立を促すことであると言われている。
 
幸せの本質は育児なのである。
 
 
さ、前振りはここまで。
 
いつものやつどーぞ。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

 

さて、 新年早々「異次元の少子化対策」だの「月5千円の子育て支援」だのとKKコンビ(K田・K池)がまたバカなことを。現在も子供一人に月1万円の児童手当が支給されているが出生率なんて全然上がっていない。プラス5千円の手当てで一体どんな効果を期待しているのか?税金使うんだから費用対効果の予測をきちんと数字で出すべきではないのか?

 

ま、私は人口が減少して然るべきだし、むしろ人間は多過ぎると考えているので税金の無駄使いにしか思えないのであるが。政府が少子化対策にやっきになっているのは他でもない子供=将来の税金としか考えていないからである。

 

ある税理士が試算したところによると大卒のサラリーマンが生涯に支払う税金は所得税、住民税、消費税、酒税、たばこ税全て含めて3千万以上になるらしい。従って月額1.5万円の児童給付金を20年間払ってもたったの360万円、全然元が取れるということらしい。なんだか寒気のするような計算だが政府にとって必要なのは税金の徴収であって個人の幸福などではないのである。

 

政治家は本来税金や経済のことなどではなく、一人ひとりの幸福を考え行動すべきではないのか?何故なら誰でも幸福になりたいと思って日々を生きているのだから。ならば政治家だけでなく大人ならどのような未来が望ましいか、幸福になれるか、を考え子供に示すべきではないか。

 

出生率に関して言えば、OECD(経済協力開発機構)の調査 で男性の家事育児への参加時間が多い国ほど出生率が高い傾向にある、というデータを出している。つまり女性は出産後育児に専念するより男性に育児を分担してもらい働きに出るという仕組みを備えた国ほど出生率が上がるという事実がある。即ち男女平等な社会ほど出生率が高いという結論である。だがそれで本当に幸福な社会が実現できるのだろうか?

 

育児と言えば。人に一番近い動物であるチンパンジーの場合、授乳期間が実に4年。育児期間は実に5-6年にも及ぶ。しかも母親がそのほぼ全ての育児を担う。つまり母子べったりの期間が5-6年間もあるのだ。その期間内に母子を離すと子供の性格が粗暴になったり、子が親になった際に育児放棄をするなどその後の性格に重大な影響を及ぼすことになる。

 

人間で言えば子供の頃に受ける母親の愛情が充分でないと心理面の成長が滞りずっと不安なまま引きこもりになったり情緒不安で人を平気で傷つけるような大人に成長するようになってしまう。それほど哺乳類にとって乳児期における母親の愛情は重要なのである。そんなこと言ってこれはチンパンジーの話でしょう、と思われるかも知れない。だがチンパンジーと人間のDNA配列の違いはたったの1.2%しかない。基本的な仕組みは同じである。

 

勿論人類においても、心理学的に育児における母親の愛情不足が子供の精神面の成長に多大なる影響を与えることが分かっている。で、あるならば。幸福な社会を実現するための第一歩は育児において出生から5年間くらいまでは母親が安心して子育てに専念できる環境を整えることである。更に言えばその母親を育てるための心理面での教育を施す仕組みを作ること。

 

人が幸福になれる社会の実現なんてものすごく単純なことなのに未だ人類は達成できていない。それでもやはり僕らは男女平等社会とやらを目指さねばならないのか?

 

 

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宇宙の法則は集合と分散である。
 
とは、ほかの誰でもない私が14年位前に気づいたこと。しかしこれは熱力学の第二法則であるエントロピー増大の法則と同じことを言っている。エントロピー増大の法則とは即ちエネルギーは高い方から低い方へと移行する。この時エントロピーは増大する。
 
簡単に言えば冷たい水にお湯を注ぐとお湯のエネルギーが冷たい水へ移行し、全体に拡散してぬるま湯になる、と言うことである。集合している状態がエネルギーの高い状態であればそれは分散の状態へと移行するのだ。
 
物理の他の法則、例えば相対性理論などは補足や修正が必要と言われる中、エントロピー増大の法則こそは宇宙の絶対的真理、覆されることはないと言われている。
 
ま、そんなエントロピーの法則について理解できるかどうかは知ったこっちゃあないが、理解しようとする人はこれを機会に勉強するし、理解しようとしない人は相変わらず世の中は混とんとして無秩序であるように見え続けるという訳である。
 
 
ともかく、メンドクセーからいつものやつどーぞ。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

 

先日のワールドカップ。日本代表の活躍を見て盛り上がっているニュース。それを見ていてまたもや違和感。報道の中で平和ボケした若者がニッポン、ニッポンと叫んでいる。昭和初期の人が聞いたらまるで戦時中に煽られたナショナリズムようだ、と思うのではないか。

 

「天皇陛下万歳、ニッポン・バンザーイ」

 

こんな掛け声を叫んでいてこのご時世、何の違和感も感じない方がオカシイのじゃないか?何故日本を応援するのか?それも普段はサッカーなどに興味のない人がワールドカップになるとニッポン、ニッポンと叫んでいる。

 

私自身はスポーツ観戦にそこまで興味はないし、国別対抗の際には知っている選手がいれば頑張れとは思う。だがニッポン、頑張れなんて思ったことは一度もない。日本には優れた人も世界に誇れる才能もたくさんいる。がその反面ダメなリーダー、残念な人もたくさん知っている。それをひっくるめてニッポン全体を応援したいとは思えないのです。

 

ナショナリズムというとピンと来ないかも知れないが、国粋主義、民族主義や尊王攘夷と言えば分かりやすいだろうか。尊王攘夷とは君主を尊び外敵を排除する考え方で幕末の思想である。要は鎖国時代の閉鎖的な思考であってその延長が帝国主義に結びつきナチズムやファシズムへと発展する。その先は言わずもがなの、戦争。

 

そのように思えば。ワールドカップでニッポン、ニッポンと無邪気に騒いでいる輩をバカらしいと白々しく見るに止まらず、かつての帝国主義を復活させかねない危険な性質が現代人の中にも確かにある、と愚かしさに顔を歪める訳です。

 

どうしてスポーツは未だに国を背負って闘うのだろう?だから戦争が未だに絶えないというのに。

 

だが私は知っている。国という概念が未来には消えることを。人種という概念すら無くなるであろうことを。何故ならそれが宇宙の法則だからである。

 

宇宙の始まり。

 

宇宙は無から生まれたと考えられている。無、即ち真空には莫大なエネルギーが含まれていることが量子力学では知られている。その無のエネルギーが超高温の熱に変わり、光が生まれ更に単一な素粒子、X粒子が生み出された。

 

そのX粒子が変化しクオークとレプトンと呼ばれる一群の素粒子へ、これらが集まって陽子と中性子、即ち原子核に。これに電子が捕まって物質の基本単位である原子ができたのだ。この原子同士が更に結合して様々な物質を作り出して行く。即ちあらゆる金属も我々有機物も、いや宇宙にある全ては構成要素は同じなのである。

 

宇宙の法則とは、単一なモノから異なる多様なモノへと変化し、これが集まって更に複雑で多様なモノへと進化して行く、ということなのではないかと。つまり、集合と分散、そして再集合の流れである。

 

この法則に当てはめてみると、例えば地球の大陸はまずパンゲア大陸という一つの巨大な大陸が生まれそれがちぎられて複数ある現在の大陸へ、更に2億5千万年後には集合して再びかつてのような巨大大陸に収束する。

 

例えば生命はまさに単細胞生物の誕生からこれが複数集まって多細胞生物へと進化して来た。今後どう進化するのかは不明だがもしかしたら多細胞生物同士が再結合してキメラのように更なる進化を遂げるのかも知れぬ。

 

例えばコンピューターの世界。 メインフレーム の1980年代が集合の時代、2000年代後半からがクラウドコンピューティングの分散の時代。

 

例えば人種の問題。かつて人類は一種類だった。それが黒白黄などに分かれたが現在は世界的な交流が深まりつつあり、いずれは皮膚の色も単一の人種へ近づくと言われている。そこからまた変異が生まれ新しい人種が生まれまた単一になり・・・

 

例えばナショナリズムを引き起こす民族の問題。文化や文明だって少し前まではバラバラで地域によって特徴的だったものがネット社会、SNS社会の影響でアフリカだろうがアマゾンだろうがどんな文化も共有され近い将来単一の地球文化へと進化することだろう。

 

このように。今はバラバラで排他的な国という概念も、いずれはきっとまとまって一つに集約され、みんなで地球という一つの文明が誕生する運命にあるに違いない。

 

何故ならそれが法則であり宇宙の意思であるからだ。

 

 

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ずっとオカシイと思っていたことがある。
 
それは食べ物につける「生」なんとかのブーム。確か20年くらい前に生チョコのブームから始まったと記憶している。チョコレートってそもそも焼き菓子で火を通してあるんだから論理が破綻してますよね?それを生クリーム多めに使っているだけで生チョコって。
 
なんとなくキャッチーなネーミングで何も考えない愚民たちをダマくらかしてモノを売ろうという作戦がアクどいぞ。最近では生食パンやら生カヌレ、生ドーナツなんてものまである。アホじゃなかろうか。
 
先日スーパーに行った時のこと。揚げ物でも買おう(概ね自炊派だが油が無駄になるので揚げ物などは買うことにしている)と総菜売り場を覗いていたら妙な表記を八犬!いや発見。
 
その名も「生パン粉のアジフライ」数時間後には腐った魚と濡れたパン粉がでろんでろんになって悪臭を発しているような名前だ。パン自体焼いてあるのにパン粉は更にパサパサに乾燥させた後砕いてバラバラにしてアジに塗りたくって更に油でこんがりと揚げて生感が一つもないのに生が付くんかい。
 
信頼できるwikiさんで「生(なま)」を調べると、「加熱や乾燥や冷凍していない食物の状態」とある。一体、なま、なのか、焼いているのか。ネーミングからは正解が分からない。
 
同じように、自然なのか、人工なのか。人間は時折分からなくなるらしい、という話が今回の話。自然農法なんてもんは生食パンと同じってことだゼ、すっとこどっこい。
 
 
ま、いつものやつどーぞ。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

 

恥ずかしながら弊社は自然卵ネットワークという会に入会しています。恥ずかしながら、と言ったのは、世の中には自ら自然農法やら自然養鶏(自然卵)やらと名乗る農家がたくさん居り、彼らは農業と自然の区別が全くついていないと常日頃から思っていたからです。

 

農業(畜産)は人工的(アーティフィシャル)な営みであり自然や天然(ナチュラル)の対義に相当するためそもそも論理が破綻しています。或いは彼ら自然農法家、自然養鶏家は超人工的な営みを行い、あたかも自らを神とでも思っているのでしょうか?

 

本当の意味の自然卵というのは、飼育していないスズメの卵だったりカラスの卵しかあり得ません。つまり狩猟民族であった縄文時代まで遡らねばならない。という思考の末、自然卵なんて名乗るのは絶対に止めようと決めたのです。売れるためなら何を名乗っても良い訳がないではないですか。

 

私が養鶏を始める際に自然養鶏なるものの本を数冊読みましたがそれは平飼いや放し飼い養鶏の本であって決して自然の卵を採集してくる方法ではありませんでした。自然農法に関しても同じです。彼らを非常にうさん臭く厭わしく思うのは物凄く正義感が強く排他的であたかも文明を拒絶するかのような発言が散見されるからです。

 

農業は悪いことでしょうか?

 

そして彼らは自然の生態系を全く壊さない絶対的正義なのでしょうか。実際彼らは神がかったまるでカルト教団の教祖みたいな人が多いように見受けられます。が、聞いた話によると、有機農法のカリスマと呼ばれたある有名な篤農家(農法研究に熱心な農家)は農薬を使わず美しい作物を作ることで有名だった。だが実態は夜な夜な暗闇に紛れて農薬をかけまくっていたらしい。

 

見つかった彼曰く、綺麗な作物なんて農薬かけないでできる訳がない、と。

 

ま、そんな経緯から自然卵などと自ら名乗るモノには近づかないことにしておりました。ところが冒頭の自然卵ネットワークというグループへ意に反してウッカリ入ってしまったのは単に卵の紙パックが安く手に入るという理由からです。

 

実は卵の紙パック業界は1社の独占状態なのです。作っているメーカーは数社あるのですが売り上げは日本モウルドという会社が確か8割くらいを占めている。このためメーカーが極めて強気です。スーパーに売られている透明なプラスチックのパックは一個0.1円とかそれくらいの価格に対して紙のパックは一個50円近くします。原料は牛乳パックのリサイクルなので完全に独占価格です。これが自然卵ネットワークに入ると団体割引で20円近く値引きされるのです。この実利的な意味だけで嫌々ながら入会せざるを得なかった、という次第です。

 

さて、本題。

 

先日この会の会長氏とメールでやり取りする機会がありました。今年うちの農場で悩まされている鶏伝染性気管支炎(通称IB)について2.3メールでやり取りをしました。私がIBで悩まされている話をそれとなくすると、彼から「IBは法定伝染病です」なんていう仰々しいタイトルの返信が送られてきた。知ってますがな。

 

曰く、「IBは人間のコロナウイルスと同様に強毒で変異も早く養鶏業界で最も流行している。人里離れた山奥ならともかく養鶏場のある所なら何処にでもいる。卵の殻が白くなるのが特徴だ。従ってNBワクチン(IBウイルスワクチンの一種)は必須、絶対やるべきだと断言する。」とのこと。やってますけど・・・知ったかぶり、というか私がワクチンを否定している立場かのような発言に唖然。

 

あ、自然卵の会員だからワクチン否定派だと思った訳ね。って、あなた会長じゃないスか。

 

彼のブログのプロフィールには、「1983年から薬剤を一切使用しない自然養鶏に取組んでおります」と書かれている。が、ワクチンを薬剤と思っていないのだろうか。ワクチンは生物由来のいわゆる生物製剤でケミカルなイメージの薬ではないように思うかも知れないが紛れもなく医薬品です。いや、本当はワクチンを否定したいのだが経営的理由から否定できないという訳だな。

 

余り興味はないとは思いますが鶏伝染性気管支炎(通称IB)について少し触れます。

 

鶏伝染性気管支炎(IB)のウイルスIBVはコロナウイルス同様などではなく鶏に感染するコロナウイルスそのものです。コロナウイルスは自然界に多様に変化しておりあらゆる生物に感染するよう変異したウイルス群です。人間に感染する種類で毒性が低く単なる風邪と言われているものも多数あります。

 

鶏に感染し産卵数を低下させたり死亡させたりするのは大きく分けて6グループほど知られており、土着のもの、つまり恐らく微生物などに寄生しているものも多い。従って山奥だからと言って感染リスクが少ない訳ではない。また勿論養鶏場間を水平感染するのでエサなどの物流を考えた場合、養鶏を生業とする限りIBVから逃れることはできないと言っても過言ではないでしょう。人間なら風邪をひくことから逃れることができないのと同様です。

 

ここ2-3年ニワトリノニワでも二種類のコロナウイルスが家畜保健所の検査により検出されておりました。従って興味を持ってネットに転がっている論文や家畜保健所に貰った論文を幾つか読んでいたのである程度知識はありました。特に今年春先に検出されたIBウイルスは今までのものより毒性が強くヒヨコが多数死に農場全体の産卵数を著しく下げておりました。

 

このウイルスはマサチューセッツ株と呼ばれるグループに属するものでこれまで投与していた、自然卵の会長氏お薦めのNBワクチンでは効果がありません。そこで新たなるワクチンを投与することになったという次第です。鶏用のワクチンのほとんどが飲水や噴霧により投与できるの楽ちんなのなのと、IBワクチンは普及しているのでかなり安価で助かるのですが。

 

私としてもワクチンなどできる限り投与しない方針ではあります。しかし最小限のワクチンは行わないと近隣の養鶏場に迷惑を掛けることになりかねないのです。養鶏を営み卵を売って生計を立てている限り病気と闘うことは必然。抗生物質の投与は否定できても遺憾ながらワクチンは必須と言えます。

 

集団で生活する社会的生き物の宿命。本当は自給自足に毛が生えたくらいの規模、数十羽程度の鶏を飼っていればワクチン投与なんてしないで済むのでしょうけど。人も鶏も。

 

 

 

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ゆっくりと時間が流れている。
 
サティ
 
と言えばショッピングセンターの「SATY」を思い出す人が多いだろうか。とは言え2001年に運営会社マイカルグループの経営破綻によりほとんどの店舗が消滅→イオングループへ吸収されたので若い子は全然知らんだろうけど。
 
SATYじゃないけど学生の頃マイカルグループのワーナーマイカルシネマズであの「マトリックス」を観た。また大学院の近くにそこそこ大きいSATYの店舗があった。後に知ったところではなんとその店舗こそがSATYの1号店だったとのこと。
 
奈良県の、学園前という辺鄙な(叱られるな)、いや閑静な住宅地の中の大して立派でもない店舗だったのだが・・・古い記憶、何故か冬、昼前の乾いた日差しと共にあの頃の事が思い出される・・・大学院の思い出は何故か冬の空気なんだよな。なんかそういうのありませんかね?

 

 
どーでもいいこと。ま、いつものヤツどーぞ。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。


つい先週の半ばまで最高気温が30℃を越えていた高知県も週末から一気に気温が下がり朝晩は15℃前後。寒いと感じ急きょ毛布を出し、長袖を羽織るように。10月半ば。いつもよりずっと遅く秋になりました。

さて、秋と言えばエリック・サティのジムノペディが脳裏に流れます。あのゆったりとしたテンポは輝ける生命の夏が終わり死の冬へと向かう、終末への始まりである秋の無常観にぴったりです。その季節の役割を思えば秋は死への通過点である老いへと思想を誘う季節なのかも知れません。

折しも梅原さんが来訪される直前に50歳の節目を迎えた私は否が応でも老いるということについて考えてしまいます。とは言え、私は見た目は若く(自分で言う)未だに30代後半ぐらいに見られることもあるのですが、それはそれで頑張っちゃってる中年のオッサンみたいで余りいい感じはしません。

私はアンチエイジングなんて言葉には全く興味がありませんが、多分若く見えるのは、ストレスが少ない生活と毎日の運動のせいだと思います。週三回は市民プールで1㎞は泳ぐし毎日打ちっぱなしで1時間は屈伸と上半身の回転運動を行っている訳です。それに加え週二回のペースで河川敷のゴルフ場に行き、10㎞歩く。更にタバコも酒も飲まない。

そんな健康優良中年でも昨年辺りから前髪にチラホラ白髪が見えるようになってきた。少し離れてみれば分からない程度ですが鏡の中では確実に白髪が増えている。7,8年前だったか帰省の際、兄妹たちが白髪染めをしていることに衝撃を覚えたのですが、いざ自分が白髪だらけになったらやはり黒く染めたくなるだろうか。

老いることをカッコ悪いと思うのは子供の頃若白髪の同級生がイジメられていたからでしょうか。しかし今の私は老いることを恥ずかしいとは思わない。というのも見た目だけは老けているが精神的には中学生みたいな大人のなんと多いことか。見た目は老化して立派な中年、或いは老人。なのに気に食わないことがあるとすぐカッとお怒りになる。

精神的に成熟すると常に自分と他人を客観的に俯瞰して見られるので余り感情的にはならないものです。発達心理学でいう「成熟した自我」のレベル。しかし現代人の殆どはこのレベルまで達することなく朽ちて死んでいく。だからもしかしたら白髪を染める人たちの意図は己の精神的な未熟さを隠すためなのではなかろうか、なんて言ったら兄妹ばかりか周り中からぶん殴られるかも知れません。

やや、カッとなるのは未熟な証拠ですぞ!

私は35歳の頃、内面的人生の目標を精神的に成熟すること、に決めました。丁度離婚し第二の人生を農業へと決めた時期ですが、農業はそもそもが精神的な成熟という目標を達成するのに最も良い職業であろうと考えたからです。昨今の経済状況によりその農業も色々苦労がありますがいざとなったら自給自足的な農業へと舵を取れば良いと思えるのです。

人は死んでも魂はあり続け輪廻転生を繰り返す。と臨死体験者の体験談を数多く読んできた私は信じています。だとすれば徐々にみんなが住みやすい世の中になるよう、まず自分が精神的に成熟した穏やかな人間になることを目指すべきなのではないでしょうか。

先のジムノペディの話。あのゆったりと落ち着いたまるで人生の秋のような曲調の作者に似合わずエリック・サティはアルコール依存により肝硬変を患い59歳で亡くなっている。彼も生まれ変わっていて前世を悔い今生では今頃禁酒しているかも知れませんね。

この世は無常です。

 

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ストックホルム症候群。
 
とは、誘拐監禁事件などで被害者が犯人に好意など何らかの心理的繋がりを持つようになることを言う。
 
王様と奴隷。
 
人は誰かに支配されることを頭の中では嫌だと思う。しかし実際意図せず支配下に置かれてしまうと、このストックホルム症候群を発症してしまうのだ。これは心理的な安全弁とも考えられる訳であるが、皆さんも知らず知らずの内にそんなスットコドッコイなことになってなきゃいんですが。
 
 
ま、いつものヤツどーぞ。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

 

先日はニワトリノニワにお立ち寄り頂き誠に有り難うございました。7,8年ぶりですよ。後で気づきましたがお茶の一つも出さず大変失礼致しました。突然でしたが冷えた缶コーヒーくらいあったのに、と悔やんでおります。また、この文章ちゃんと読んで下さっているとのこと。今回から文字は大きめに、プリントは明確に印刷しますんで。いつも読み辛くてすみません。

 

それはさておき、エリザベス女王の訃報が伝えられております。

 

ニュースではイギリス国民がバッキンガム宮殿に集まり「女王の一番の功績は国民のために働いてくれたことだ」と涙する姿を映す。それを見て、かねてから王制について疑問を抱いている私は「ん?」と思ってしまう。
王様って何をした人なんだ?と。

 

その昔のことなら王様は独裁者であって国の全てを自分のものと誇大妄想を抱き、貴族や護衛に当たる騎士だけを特別扱いし、庶民からは年貢をまきあげ生活を苦しめ自分らは悠々自適に富を持て余して遊んで暮らしていた人たち、と言えるのではないか。

 

そういう庶民を搾取していた身分の人の子孫を国民のために尽くしてくれた人だと訃報に涙する現代人とは。
日本の天皇だって同じである。戦国武将にしたって暴力で庶民の領土と富を支配し年貢をフンダクリ苦しめたという、現代なら処刑もののトンでもない人物だとは思わないのか。

 

国内の話題の中心は安倍元総理の国葬問題である。

 

彼を国葬にするか否かを内閣が独断したという。我が国を代表する自民党を歴代最長の政治権力へと導いた輝かしきリーダーを国の誉たる国葬として何が悪いというのか?いかにも我々はエラいのだと勘違いしている自民党幹部が言い出しそうなことである。

 

しかしその長期政権たらしめたのが反社会的組織と言っても差し支えない旧統一教会による政治的援助だったとしたら?

 

人間は社会的な生き物である。

 

この意味する所はヒエラルキーを欲するということである。人が群れると必ずリーダーを欲する。一国のリーダー、会社のトップ、一家の主。動物行動学的にはリーダーがいることで群れの統率が取れ、メンバーの精神的な安定が得られるのだと考えられる。

 

しかしそのリーダーとなる者は虚栄心の強い者か、そうなる可能性が高い。自分はリーダーとしてふさわしいと思わぬ者はリタイアするもの。あの第一次安倍内閣のように。虚栄心とは心理学的に言い換えれば自我の肥大化である。

 

そして自我は暴走する。我々人類はまだ未熟だからだ。

 

自分はエラいのだと思い込みがちなのである。そして人々を牽引するリーダーから人々を精神的にまで支配する王となる。つまり我々が王を欲し、王は自我の肥大化を起こして支配者へと成長する。

 

「すべての人間は生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」

 

と世界人権宣言の冒頭にある。だが社会的動物としての人間は本当は平等なんかを求めておらず、常に誰かに支配され何も考えずに支配者の愚痴でも言っている方が安心なのである。部長のバカ野郎である。安倍のバカ野郎である。

 

この、平等ではありたいが支配されたいという矛盾を一見克服したように見えるのが資本主義であるが世界の富の4割、5割をたった1%の超富裕層が占めるに至っては20世紀のこのシステムはもう古いと言える。余りに不平等である。

 

だからと言って岸田内閣が掲げる新しい資本主義は自我の肥大化を防げ平等と支配を同時に実現するもの、とはならないでしょうね。だって選挙で勝つためならカルト教団の手をも借りる人たちだもの。

 

あ、そういや話はイギリスにもどりますがイギリスでエリザベス女王が独裁者の子孫だなんて言おうものなら罰金刑を喰らうので気を付けてくださいよ、ま、バッキンガム宮殿だけに。

 

お後が宜しい(?)ようで。

 

 

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進化しない生き物。
 
と、聞いて思う浮かべるのはシーラカンスやカモノハシだろうか。
 
進化と言えば新型コロナウイルスの進化(変異)はとてつもない。未だかつて人類80億もの規模でパンデミックを分子進化(遺伝変異)の観点からこれだけ詳細に追った経験は勿論ない。
 
従って感染力の進化、弱毒化など科学的に極めて価値のあるデータが蓄積され今後の生物学の進歩に貢献することだろう。何より現時点で世界人口の7.4%に当たる5.87億人もの罹患者、そのDNAにウイルスが忍び込んでいるのだ。これが人類の未来にどのように影響を与えるのか。
 
さて、冒頭の進化しない生物の代表格、シーラカンスは深海に住み環境の変化が少ないから、と考えられる。ということは、文明に守られた人間も・・・
 
 
じゃ、いつものヤツどーぞ。
 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

いつも有り難うございます。

 

人類はもう進化しない。もう10年以上前にイギリスの生物学者が発表した論文である。進化には遺伝的多様性と自然選択、つまり淘汰が必要なのだが、現代人は少子化により遺伝的多様性は失われ、更に文明が進歩したため荒々しい自然による淘汰が行われないため、であるという。
 
ホントにそうだろうか?
 
多様性に関しては今回の新型コロナウイルスなどのパンデミックによって人類に新たな遺伝子が生じる可能性は劇的に増加する。淘汰に関しては、環境的な自然淘汰は起こりにくいだろう。しかしこれについても、もっと致死率の高いウイルスによるパンデミック一発で淘汰は簡単に起き得る。
 
従って人類はもう進化しないという学説については検討の余地ありと私は考えている。或いはそのパンデミックが神を名乗る狂信の手によって起こる可能性も大いにあるのだが。
 
さて、進化と言えば。
 
進化するのはもちろん人類ばかりではないのである。先日たまたまNHKラジオの「子ども科学電話相談」のHPを見る機会があった。過去の質問の中で一つ気になる質問が。それは・・・
 
「魚は何年も人間に食べられてきたのに、なぜ食べられないように進化しないの?」(小学3年生すずねちゃん)
 
このすずねちゃん、毎日晩ごはんに魚が出てくるからなんでこんなにつかまるんだろう 、と思ったらしい。自分が魚なら、と考える感性が素晴らしい。それとも10歳くらいって皆そんな感じだったろうか?
 
この質問に対して答えるのが横須賀市博物館の元館長氏。要約すると、魚は普段人間と同じ環境に住んでいないから人間から逃げる術を学ぶ機会がない。また人間は魚よりずっと賢いからどんなに魚が進化しても必ず捕まえる能力を持っている、だそうだ。
 
E? いや、え?である。この元館長氏子供の純粋な質問に教えられるほど賢くないのでは。
 
そもそも進化がどういう風に起こるのか理解していない。人間に食べられる美味しい魚は今まさに捕りすぎによって淘汰されそうになっているではないか。そして現に人間に食べられない魚もいっぱいいる。つまり食べられないよう進化した仲間もたくさんいる、と言えないだろうか。
 
人間に食べられている魚がこの先淘汰をまぬがれ進化する可能性があるとすれば、人間に都合の良い遺伝子を組み込まれて自然繁殖の道を捨て(られ)養殖魚として閉ざされた暗い未来、ただ食べられるために生きる未来、にのみ可能性がある。これが進化と言えるかは別として。
 
これを聞いて魚の気持ちを考えられるすずねちゃんなら今晩から魚を食べるのを止めるかも知れないが、人間が生きるということは他の生命を暗い未来に追いやること、と理解する良い機会になっただろうに。そしてこのことは魚だけではなく、野菜(植物)や家畜(動物)の運命も同じである、と。
 
人類は、養殖や畜産、農業を自然破壊と切り離して肯定的、食料危機を救う、まるで良いことのように捉えがちである。しかしたとえビーガンだって他の生命の未来に暗い影を落としていることには変わりがない。だからいたずらに正義ぶるのはいかがなものか。
 
我々は他の生命を奪い淘汰を与えながら毎日を生きている。卵を生産する畜産農家として、私は言い訳せず日々向き合って生きているつもりである。
 

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アニマルウェルフェアってご存じですか?
 
最近東京オリンピックの影響からか上記の言葉が結構ニュースでも取り上げられている気がする。と、言うのも。欧米ではもっとずっと前からアニマルウェルフェア的な考えが普及しており、その飼育方法によって商品がランク付けされているらしい。
 
ここでアニマルウェルフェアがどういうものかを誤解を恐れずチョー簡単に説明しとこう。
 
家畜も生き物なのだから犬猫のペットと同様に、檻に入れっぱなしとかにしないで生きている限りは可愛がって「人道的」に飼育してやろうよ、ということ。人道的と言ったのは私が思うに、まさに人間的な衛生基準に則っていると感じるからだ。
 
動物は糞尿にまみれている。と言ったら語弊があるだろうが、自らの文明に侵された人間と違って忌み嫌うことはない。そこには糞尿に含まれる微生物の接種など何らかの意味合いが見いだせる。いわばプロバイオティクスとも考えられるのだが人間が考えたアニマルウェルフェアの基準ではまるで水洗トイレを設置しなさい的な記述がみられる。
 
それでは擬人化ウェルフェアでしょう?
 
ともかく欧米では例の過激なアニマルウェルフェアの団体が影響力を行使してきた歴史があるため政府もきっちりとした基準を作り「人道的」でない畜産農家の生産物を間違っても彼らが口に入れないように区分けしているという訳だ。そんな流れがオリンピックの選手村を通じてもたらされた、という経緯である。
 
我らがニワトリノニワも檻に閉じ込めたりしないので一見アニマルウェルフェアにマッチした農場と言える。従って知り合いの元日本獣医畜産大学( 日本獣医生命科学大学 )の教授が10年前に立ち上げたアニマルウェルフェアなんとかという団体に加盟させられていた次第である。
 
だが私は上記の通り擬人化みたいで気持ち悪いと思ったのと、何か意志があってやることに団体行動する必要はないと思っていたので知り合いが代表を降りたのを機会に脱会。悪口言うことになって申し訳ないが、同会のメンバーであるほとんどの畜産農家たちはアニマルウェルフェアの牧歌的イメージを利用して売ることばかり考えていて畜産のあるべき姿を真剣に考えているようには私には思えなかった。
 
アニマルウェルフェアなんて洒落た概念も別に悪いとは言わないが、面積当たりの飼育数を減らすことになるので必然的に生産物の量が減ることになる。生産効率が下がる。つまり卵が高くなったりたまにしか食べられなくなってしまう。もうじき100億を超える人類がこれで本当にいいのか?
 
この問題は以前ここにも書いた有機農法などの問題とも似通っているので参考にしてほしい。
 
 
 
余談だが最近イオングループが「わが社は全面的にアニマルウェルフェアに取り組んでいく」なんてヌカしてやがった。というのも私が10年前にイオンに営業した際、「わが社は完全人工管理で衛生的な ウインドウレス鶏舎の卵しか販売しない方針です」と見向きもされず1分で終了、取り付く島もなかったからだ。
 
何故ウインドウレスなんですか?と聞いたら窓があったら鳥インフルエンザが怖いじゃないですか、と真顔で答えていたクセに。
 
と、ついアツくなってしまいがちだがともかくいつものヤツどーぞ。
 
 

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いつも有り難うございます。

今年に入って主に世界情勢の不安定さから食料高騰が注目され、食料問題を扱うニュースなどが増えたように思います。その理由からでしょうか、最近未利用魚の活用なんて話題がSDGsの考え方にマッチしているという風に紹介されているのを見て唖然とします。

未利用魚とは網で捕った魚の内流通に回されない魚のことで今それらを集めて販売するのが流行っているそうです。これを美談のように報道されていることに非常に違和感を感じる訳です、私は。

未利用魚問題の本質は、流通に乗らない魚を利用しないのは勿体ないということではなく、それらの魚を捕獲してしまうことにあるのではないでしょうか。つまり網で一網打尽に捕ってしまうののが問題で、梅原さんが昔から応援するカツオの一本釣りのように欲しい魚を狙い撃ちするような漁法こそが環境に負荷をかけない漁だと思うのです。

それを、捨てていた魚を利用するからエコロジーだ、などと偽善ぶり要は収入を増やすことだけを考えているように私には思える。

でも考えてみてください。捨てていた魚はその後どのような経緯を辿るのか。市場近辺にはネコがたくさんいる。カモメなどの野鳥もたくさんいる。彼らが捨てたエサの殆どを利用しているのではないか。更に死骸に寄ってくる虫、微生物などなどが利用しているハズです。

彼らに生きる権利はないのか?

数年前、当時入会していたアニマルウェルフェアなんとかという会の会議に出席した時のことです。獣害対策の話題で耕作放棄地の問題について、利用していないから獣が寄ってくる、食料自給率が低い日本で耕作放棄地は勿体ない、悪である、という話になりそうでした。

耕作放棄地とは人間が一度畑として切り拓いた土地が例の農業人口減少の問題などから放棄され雑草が茂り荒れ果てた状態の様を示します。これの何が悪であるのか?その畑は一体いつから畑でしょうか?と私は意見を述べました。

そればかりか人が利用しないだけであってあなた方が雑草と呼び捨てる植物がちゃんと利用し、光合成を行い、人間が無策に地下資源からまき散らして地球環境を破壊する原因となっている大気中の二酸化炭素を有機物として利用(炭酸同化)し秘かに環境改善を行ってくれているのではないか。

そもそも耕作放棄地は人間が利用する以前の環境へと戻る過程であって悪の状態などと捉えるのは人間だけです。

未利用魚の問題も耕作放棄地の問題も主語が圧倒的に人になってしまっているのです。地球の主人は人間ではありません。地球は様々な生物が居て生態系を微妙なバランスで保っているからこそ、人も、存在できるのです。


 

地球の主を自称し領土領海領空を宣言し、土地を買い、海を自分のものとし、全て我らの財産として利用せねば気が済まない人類の儚さよ。

 

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利己的な遺伝子
 
イギリスの進化生物学者、リチャード・ドーキンス氏の有名な著書のタイトルで日本では1991年に出版されている。「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない 」というフレーズは当日衝撃的に伝えられた。
 
例えば女王バチの奴隷かのように見える働きバチの献身。細胞レベルで言えばアポトーシスと呼ばれる自爆遺伝子の存在。
即ち生き物が個体としては誰かの犠牲に見えても遺伝子の視点から見れば利己的に見える、という真理。
 
実は心理学や精神学的な観点から見ても、誰かのためにやっていることは決してボランティアなどではなく利己的な行動であるという真理を私は見抜いている。
 
そしてその尊い、利他的に見える利己主義こそが人類全体を幸せに導く細い糸口になりえるのではないか、とも思っている。
 
ま、そんな小難しいことはさておき、と言いたいところだが個と全体の問題は哲学的な要素を含むためどうしても小難しい表現になってしまう。ともかくいつものヤツどーぞ。
 

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いつも有り難うございます。

日本のウクライナ大使館に寄せられた寄付金が50億円(3月時点)に上るそうです。実は私はまだウクライナに対する寄付など募金を行っていなかったのでもうそんなに集まったのか、と意外でした。

さてそんな折、本日(6/10)より外国人受け入れ再開のニュース。オモテナシ・ニッポンとして外国人には一見優しそうに見える日本人ですが実は名目GDP比で寄付金額をランキングしたところ調査した114カ国中 最下位。

1位はアメリカで1.44% 2位はミャンマー、あの中国が95位なのに日本は最下位の114位(0.12% )なのです。結局オモテナシは商売のため、と曝されたようで大変残念です。

興味深いのはGDPが日本の70分の1しかないミャンマーが2位に入っていることです。そのミャンマーは仏教国ですが中国や日本などに伝わった一般的な大乗仏教とは違い、上座部仏教というニッチな仏教を主要宗教としています。

これらの仏教の違いは、大乗仏教は皆でお釈迦様の教えを学ぼうよ、というコンセプトに対し上座部仏教は一人ひとりが出家し修行してこそ悟りの境地に達することができるという、より個の悟りを重視した仏教なのです。

つまり個人の悟りこそが全体の悟りに繋がり世を救う。個人なくして全体無し。このことは逆に個人だけが大切というのではなく全体も個の集まりであるからまた個である。即ち私も他人も個であるからお互い尊重せねばならない、という考え方に発展するのではないでしょうか。いわば究極の利己主義。

だから他人である個の幸せを思い寄付をする。ミャンマーは上座部仏教の教えの通り9割近くが僧侶として悟りを目指しているため托鉢姿が日常的に見られます。托鉢は寄付そのもの。

托鉢と言えば我が四国の僧侶は托鉢しながら遍路を回るのが修行である、と聞いたことがあります。通常は四国八十八箇所霊場の寺の門前などで托鉢をしているのですがよく行くスーパーでも見かけることがあります。

歩き遍路の苦労を知っている私は迷いなく500円玉を入れることにしてますが、お椀の中に先にお金が入っていると私だけじゃないんだな、と安堵します。ただ歩くだけでも大変なのに無一文で托鉢しながら歩くとなるととんでもない苦労に違いないのです。

あなたの苦労は私の比じゃないだろうけど、私も頑張ったのだからあなたも頑張って。そういう気持ちが自然に生まれてきます。他の幸せを願えば自分も幸せになれる、ということがミャンマーの人たちには分かっているのではないか。

宮沢賢治の言葉にもあります。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

世界で戦争を起こしている人間、起こそうとする人間、詐欺を働く人間に言いたい。自分さえ良ければと行動しても誰かを不幸にするならば結局自分も幸せになれないということが分かれば世の中もっと平和になるのではないでしょうか。

個と全体は表裏一体。自分のために他人を幸せにする。それには想像力が必要です。
 

 

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もう梅雨かよ、
 
勘弁してくれや。と、思っていますよ。梅雨みたいなジメジメ・メソメソとした奴は嫌いなんです。いや季節も人もですよ。失敗しても次ミスしないよう最善を尽くそうと、カラッと切り替えて常に前を向いている、そんな人間でありたいものです。
 
えーと、何が言いたいかって言うと。後ろ向きの後悔ばかりしているヤツは案外他人に対して不寛容な訳で・・・
 
 
ま、いいや。
じゃいつものヤツ。
 

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いつも有り難うございます。

 

連休中は実に五月らしく爽やかでカラッとした、まるで私のような清々しい天気になりました。が、空けて月曜からは雨がちな天気が続いて行くようです。

天気予報を見れば前線が上がったり下がったり、もういつ梅雨入りしてもおかしくない天気図になっております。

さて、五月と言えば五月病。原因は新しい環境に馴染めないストレス。いわば適応障害。周りにそんなヤツおったかいな・・・と記憶を辿るとそういえば大学に入学して暫らく経つと来なくなった同窓生がおりました。

その彼は我々が2年生になってようやくまた登校を始め、結局一学年下になったものの無事卒業できたようでした。

二十数年経っても大して面識のなかった彼を覚えているのは訳があります。それは・・・理系の学生は卒業論文の発表会というのがあって学内公開で自分の行った実験結果をプレゼンし、そこで教授らによって卒業論文の査定が行われるのです。

4年生の最後の年、新年を迎えると皆の前でプレゼンを行うという不慣れによるプレッシャーのためか、いつも元気で冗談を言って笑っていた友人らが急に元気なく縮まったようになってしまいました。

そんな彼らを元気づけよう、また最後に思い出に残る卒論発表会にしよう、と私はウケを狙ってある計画を立てました。

発表会当日、私はピカピカの金髪になっており一生懸命伸ばした髪を逆立ててまるでドラゴンボールのスーパーサイヤ人のようないでたちで登場。実はその一週間前からにわかに帽子をかぶり始めたので仲の良い友人には金髪がバレてはいたのですが。

しかしそれを知っていても同級生らは余りの豹変ぶりに大盛り上がり。会場がざわつく中私は努めてマジメにプレゼンを終え颯爽と姿を消したのでした。

発表会の後多くの友人らが集まってきて私と一緒に写真を撮った事は言うまでもありません。そして数日が経ったある日のこと。僕ら同学年の卒業生で卒論発表会の思い出を話していると誰かが下の学年で同じ研究室に入った奴が私の発表を見ていてバカらしいと吐き捨て、酷評しているらしいと。その人物こそが五月病の彼だったのです。

今なら傷つきやすい人間は案外攻撃的な人が多いものだ、と冷静に見られますが、当時はなんでそんなこと言われなきゃならないんだ、とすごく嫌な気分に。しかし傍で話を聞いていた大学院の先輩女性が一言。

「でも池田君のお陰で今年の卒論発表は一生思い出に残るね」 と。

見ている人はちゃんと見ているんだなぁ、と深く感謝。

五月病の彼、その後たくさんの人に傷つけられまた引きこもり、そしてちゃんと自己肯定して立ち上がって前を向いて生きているだろうか。

私も打たれ強い方とは言えないが彼より強く今明るく生きていられるのは、元気のない人が目の前に居たら助けようと思うのか、或いは自分のことだけ大切で内側を向いてしまっているか、の違いだと思うのです。

誰かを勇気づけようとすれば心の底から勇気が湧いてきて自分が強くなれるもの。それは宇宙が与えた恩寵のシステムだと私は信じます。ま、私ごときが梅原さんに言うようなことではありませんが。

 

 

 

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