やられてもやり返さない、そして人を許すということ。実践例2である。
本当はこれが私の人生の中でのメインイベントである。時間は前後する。それは父のことである。父は今から11年前の2014年1月に他界している。
以下、私が子供の頃について少し触れる。自分の子供に向けて書いて置こうと思う。
子供の頃、我が家には秘密があった。それは父が暴力を振るうことである。暴力にまで及ばずとも不機嫌なことは日常的で、気分次第で理不尽に怒鳴られることもしばしば。
いつ切れるか分からぬ父の顔色を窺いビクビクしながら我々家族は過ごしていた。今思えば半グレとかチンピラと同居していたようなものだと思う。
特に酷くなったのは私が思春期になる頃。小6の頃には世間的な常識と父の言動とのズレに違和感を覚え、それまで高圧的に信じ込まされていた、親は正しい、という幻想を見破ってからのこと。
兄妹の中でも正義感が強かった私は殴られようが怒鳴られようが間違っていると思えば絶対に父に屈しなかった。従って一番酷く暴力的な言動に晒されることになる。兄妹達及び母は要領良く怒られぬよう生きる道を選んだのだ。
おまけに、厄介にも父は教育熱心であり小学校の低学年の頃から通知表を貰ってくると兄妹三人を並べて正座させ、少しでも成績が下がれば何時間も正座のまま父の気が済むまで怒号に耐えねばならなかった。虐待である。
中学に入り、私は勉強することを覚え運良く学校の成績が良くなった。特に中2の辺りからは小さい市内だがほぼずっとトップの成績を維持していた。従って怒られることはほとんど無くなった。
しかし高校に入ると急に勉強がつまらなくなった。やればできるとは思っていたが(ヤなヤツだ)お受験のために面白くないことを毎日言われたままにやる、ということに違和感を感じ始めたのだ。
全然勉強しなかったので成績はガタ落ち、父の逆鱗に触れ監視下に置かれ部屋に軟禁される生活が始まった。実際1時間に一回部屋を巡回されていた。
ヤレと言われれば益々やりたくなくなるのが人間というもの。人間の基本として何かを人から強制されることを嫌うものなのだ。己を振り返れば簡単に気づくであろうそんなことも多くの人は親になると分からなくなってしまう。
悲しい忘却である。
話を戻す。父の監視による牢獄の生活が続き暴言や暴力などがどんどんエスカレートして行った。このため高2の辺りからは鬱病のようになってしまい、一切何もやる気が出なくなってしまった。
このままでは自分の一生がダメになってしまう。
そうしている内に受験期になり、さすがの父も諦めたのか名前を書けば入学できるような大学を見つけて来て入れという。そんなに大学が重要か?職場での見栄だろう。
その大学は関東だが実家からは通えない距離にあった。そこでこの牢獄のような生活から逃れて一年くらい自分で自分をリハビリしようと考え利用することに。
今考えてもスゴイと思うのは、当時から自らの精神状態を把握して己をリハビリするという明確な意思があったということ。
更にこのまま父の影響により歪んだ人間に成長し人生を台無しにするのは嫌だ、ということから自分で自分を育て直すということに挑戦し始めていたことである。10代である。
そのリハビリの効果は絶大で一年ほどで精気を回復、再び生物を勉強したいと国立大学を受験し今に至る。
言っておかねばならないのは、その後離婚の際に再び鬱になり引きこもった時には自分で理想の親を思い描いてその親が自分を育てる、ということを行ったことである。
この過程により、私は普通の人間に育てられたような凡庸な考えを捨て去ることができたと思っている。
また話がそれてしまった。
ともかく私の家庭は父の暴力により普通でない苦労を強いられた。そして兄妹の内私だけが父に反発したため最も激しく暴言暴力を浴びたのだ。
だが、これがポイントである。理不尽な抑圧にちゃんと反発したので私は曲がらず成長することができた。そして逃げずに自分の意見を父にぶつけて対話したことから20代の内に父を許すことができたのだ。
しかしこれは父のためではなく、自分のためである。心理学的に父を許せないことは自分の中の一部を許さないのと同じであると知っていたのだ。
恐らく兄妹たちは父をまだ許していない。ということは自分の中の一部を否定したままである。つまり潜在的に父の影響下に置かれたまま。
だがどうやったらこんな理不尽な人間を許すことができるだろうか?
父の生い立ちをたどったのである。父がどこで生まれどのように育ったのか。彼の立場になって想像してみたのだ。一体どういう経験をしたら彼のような暴力的な人間ができるのか。
父が生まれたのは第二次世界大戦終結の約一年前の1944年9月、満州。つまり乳飲み子で終戦を迎えている。
終戦のどさくさで満州に侵攻してきたソ連兵、加えてそれまで日本人に侵略されていた中国人や朝鮮人による略奪・暴行・虐殺、数々の言い表せぬ蛮行。でも彼らは少し前の被害者である。
終戦を他国の領土で迎えるという地獄の中を父母兄姉二人の6人で命からがら日本へ向かう。当時日本人が推定155万人も居たと言われるから大混乱だったろう。
ネットに出ているその頃の追憶記事などを読むと小さい子供は足手まといになるので兵隊に殺してもらった、圧死させた、等侵略で殺される前に自ら手にかけるという、想像を絶するような悲惨な状況に絶句する。
赤ん坊を侵略者から守るため口を覆ってやり過ごすことも日常的だったに違いない。乳飲み子の父からすれば急に息を塞がれ潜在意識に強烈な恐怖が焼きついたのだ。
※終戦時の満州からの引き上げについてリンク先1 リンク先2 を是非読んでみてください。
そして何とか帰国してからも戦後の貧困。無一文で帰国した一家は貧困と飢えに苦しみ両親は闇雲に働き、子供は本来親から与えられるべき愛情を満たされぬまま歪んだ精神を抱えて成長して行く・・・
殺戮の恐怖を潜在意識に植えこまれてはまともな人間には育たないだろう。こうして想像を絶するような経験をして生きて来たのだ、と理解したら父を許すことができた。
戦争は殺人を正当化してしまうのだ。その正当化された殺人が日常的に繰り返される中で幼少期を送った父を責められる訳がない。許すしかないのだ。そして戦争を・・・
そして私がこの世から戦争をなくそうと、やられてもやり返さないを貫いているのも少しは理解できるのではないか。
最後に。
前回冒頭で紹介した映画「LOOPER/ルーパ」のラストシーンがどうなるか。※以下ネタバレ。
主人公は復讐に燃える未来の自分を消すため今自分が死ぬ道を選ぶ。復讐の連鎖を止めるためである。
・・・繰り返される悲劇・・・終わらぬ復讐・・・俺が、変える。
やられてもやり返さない。「俺が変える、未来を」
父を思い出しながら、戦争が無くなる遥か遠い未来を夢見て。
最後に、かつて 父の他界に向けて書いた記事を一読してみてください。

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