『瘋癲老人日記』実話の物語 | 三匹の忠臣蔵

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文豪・谷崎潤一郎が、自身の私生活をもとに執筆した『瘋癲(ふうてん)老人日記』の映画化作品。
やってることはほぼ変態なんだが、これを谷崎潤一郎が書くと文豪・晩年の傑作と言われる不思議な作品。
監督はこれを読んで、面白いから売れると思って映画化したんだろうが、いかんせん強烈。
しかし、「老いと欲望」というテーマは、高齢化社会と言われる現代社会にも通ずるものがあると思う。

脳溢血で倒れて左半身が不自由な77歳の卯木督助(山村聰)は、性的な機能も喪失してしまい、生きる望みは息子・浄吉(川崎敬三)の嫁の颯子(若尾文子)と過ごす時間だけになっていた。

正妻(東山千栄子)や娘の陸子(丹阿弥谷津子)が何を言おうと聞く耳を持たず、督助は颯子のことしか頭にない。家族はそんな彼の瘋癲(ふうてん)ぶりに呆れ、諦め顔で見守るしかない。

颯子はそんな督助の異常な執着を利用して弄び、冷酷かつ、奔放に督助を掌の上で転がすが、精神の均衡を失った督助は既に正常な状態ではなくなり、彼女の言うがままになっていく。

颯子と息子の浄吉(川崎敬三)はお互いに別のパートナーがおり、夫婦関係はとっくの昔に破綻している。

完全に颯子の思いのままになった督助は、彼女の「足」に異常な執着をみせ、狂気の「仏足石」へとストーリーは進む。

 

 


 

 

山村聰が演じる、生々しいエゴと、老いすら凌ぐエロティシズムを、若尾文子がさらに加速させるブースターになってる。

増村保造監督の『赤い天使』でもそうだったが、エロっぽさと色っぽさの狭間をいく若尾文子の演技が凄い。
話は飛ぶがオム・ジウォンと雰囲気が似てると思う。

タイトルの「瘋癲(ふうてん)」とは、精神の均衡を失い正常な状態ではなくなること、またはその人や状態を指すらしいが、『男はつらいよ』のフーテンの寅のイメージとは違い、漢字にすると一気に退廃的な意味になるから不思議。

「さっちゃん、接吻して」と息子の嫁の「足」に異常な執着を見せ、蔑まれながらもひざまずき、翻弄されていく姿は、本来なら汚らしい老人なんだが、若尾文子の一見コミカルな語りが滑稽な姿に上書きする。

このような老人の歪んだ性癖をすべて見透かし、おねだりをして高級品を買わせ、自由自在に「踏みつけ」にしてコントロールする颯子の小悪魔っぷりが凄まじい。
本来なら颯子は下劣な悪魔なんだが、これが小悪魔に見えるところは監督の手腕と、演じる若尾文子の魅力なんだろうね。

死の恐怖に怯えながらも、自分の墓石の台座に「颯子の足型」を彫り、死んでもなお彼女に踏まれ続けたい。
もはやカオスで笑い話なんだが、これを真剣に考えながら魚拓を取る督助の姿はもはやホラー。

颯子のモデルは、谷崎の妻・松子の妹の、その息子の妻である渡辺千萬子さんという実在の女性で、谷崎は彼女に熱狂的な恋心を抱き、膨大な手紙を送り続けた。
その中には「私はアナタを少しでも余計美しくするのが唯一の生きがひです」という言葉が遺されている。

劇中で颯子が督助に高級な洋服や宝石、キャデラックなどを買わせるが、これもすべて実話らしい。

そして極めつけは「仏足石」。
墓として使われる石塔・五輪塔に仏足石を使いたいという。
仏足石とは、お釈迦の足跡を刻んだ石碑のことで、仏の足の裏には「千輻輪相」と呼ばれる吉祥の文様が刻まれているとされ、歩くたびに地上に下りてくる。
しかし足は地面につかないから虫たちは死ぬことはない。
だから督助は颯子の足型の下で永遠に眠りたいという。
この足型採取のシーンは、谷崎にとって「生涯忘れない歓喜」だったらしい。

そして忘れてはいけないのが、正妻と娘・陸子も督助のことより興味は金しかなく、金があるから相手にされるという現実。
さらに恐ろしいのは、谷崎の当時の本妻やその妹は、この千萬子さんとの妖しい関係を知り尽くしていて、「千万子さん、あの人を刺激してもっと我が儘を言ってちょうだい」と、作家のモチベーションのためにあえて煽っていたらしい。

だから、現代にも地続きの作品として映る。
そう考えると晩年の傑作と言われても異論はないな。

 

 

 

『瘋癲老人日記』実話の物語