音楽と競馬、思ったことを書いて行きます -21ページ目

冒頭・主題~第1変奏(C.A.E)

第2変奏(H.D.S-P)

第7変奏(Troyte.)

第9変奏(Nimrod)

第14変奏(E.D.U) 終曲

今は愛すべき名曲ですが、30年程前、大学生時代にエキストラで出演を安請け合いして,、本番ではロクにひけず大失敗した曲でもあります。この頃は、どんな曲でも弾けると言うような傲慢で生意気な大学生だったんですが、さすがにイギリス音楽には詳しく無かったんですよね。曲自体良く知らないし、しかも弾いてみて難しい・・・。いきなり「謎」を2回程の練習で本番に乗ると言うのは、どう考えても無謀でした。


主題はしみじみとした旋律で、これは「楽勝」と思ったんですが、第2変奏で大きく躓きました。こういう類のパッセージはそれまで弾いたことがありませんで、全く理解不能なまま終わってしまいました。今考えると、ポジショニングを丹念に繰り返し練習すれば、そう難しいことは無かったんですが・・・。

そして第7変奏。練習記号「28」からは最大の難所でしたが、これは今チャレンジしても全く弾けないと思います。とにかくテンポは速いですし、左手のポジションが取れても、右手の移弦との組み合わせで弾き切るには、アマテュアにとっては酷と言うものです・・・。

第10変奏は有名な「ニムロッド」。これは弾きながら感動で涙が出て来ましたね。エルガー→イギリス音楽に興味を持つきっかけになった曲です。そして終曲へと繋がって行きます。

これまで、エルガーは「威風堂々」やチェロ協奏曲をオーケストラで経験しましたし、「愛の挨拶」や「きまぐれ女」は独奏で良く弾いたものです。


この曲が、今までオケで弾いた中で最も難しい曲だったと思います。これに並ぶのが、スメタナの「モルダウ」の「激流」のあたりの部分、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲、そしてシベリウスの交響曲第2番の第3楽章でしょうか。これらもいずれ記事にしたいと思います。こんな時代もあったんですね・・・。本当に懐かしい思い出です。




3/23

昨日下に書かせて頂いたものですが、自分で読んでも良く理解出来ないので、あらためて書きなおしたいと思います。すみません。


フェドセーエフさんはもう80歳を超えるお歳になられたんですね。若いメンバー中心のオケとの絡みを楽しみに出かけましたが、期待が大きかった分、残念ながら少々期待外れでした。

まずベートーヴェンの交響曲第4番ですが、テンポは比較的遅めの設定で、これだったらベートーヴェンのこの曲らしいアンサンブルがしやすいはずなんですが、その意図が生かされていませんでした。要因はいくつかあるんでしょうが、ひとつは楽員個々のアンサンブル能力に差があると言うこと、そして自分たちが演奏する曲の予習の強弱がある=十分に予習(音符はもちろん曲の背景なども含め)がなされていないまま舞台に乗っているメンバーがいるのではないかと言うことです。アマオケの多くは年2回の大きい舞台を中心に回していると言うこともあり、比較的時間に余裕があり、私でさえ曲の成り立ちや時代背景など(スタッカートや強弱記号の意味は時代毎に違いますし、そこは特に良く勉強しました)をそれなりに調べながら個人練習→パート練習→セクション練習→全体練習 と臨んで行く訳ですが、このクラスのプロオケともなれば、パート練習もセクション練習も無いまま本番の指揮者を迎えての練習に入るんだと思います。だからこそ、しっかりとした事前の予習は必要になって来るんですが、特に木管楽器群メンバーの中には明らかにこれらが不足している方がおられるのではないかと、このベートーヴェンで思わされました。後半のチャイコフスキーと明らかに吹き方が同じ方がおられますし・・・。もちろん吹く能力は高いんでしょう。けれど、オーディションも個々の能力が優先され、他のメンバーと合わせる能力までは考慮されていないんでしょうか。オケのメンバーになって徐々に成長して・・・と言うのはわかるんですが、私たちが聴きに行く演奏会はその日その時にしかないものであって、次回良ければ・・・と言うのは基本的には無いんですよね。メンバー自身在籍出来る期間が最大3年と言う中で、良い音楽とはと言う問いに対し常に向き合って行かなければならないはずですし、加えて、有名なゲストプレイヤーが横で吹いてくれるんですから、そこからいろんなものを吸収する機会に恵まれているのですし、せっかく同じプログラムで演奏する定期演奏会が3日間もあるんですから、短い機会であっても、その中で成長して行く姿は必要なはずですが、昨日聴かせて頂いた2日目のベートーヴェンの演奏からはそう言ったものが聴こえて来ませんでした。2日目だからこんなものかな・・・。そう聴こえてしまってはダメなんですよね。自己流で単に表面を整えて吹いて行って過ぎてしまえば良い・・・そんな感じがして残念です。クラリネットもオーボエもファゴットも「自己流」で、自信無さげで、音の処理が雑でミスが多い・・・。せっかくベートーヴェンの4番が演奏出来ると言うのに、全く深まりがないまま時間が経過して行ってしまったと言う感じでした。第4楽章の管楽器が吹く「ハイライト」の部分ももう一つでしたし。ティンパニも全く頂けません。音色もこの音楽に合っていませんし、とにかく叩くタイミングが遅いですよ。これでは音楽の腰が重くなり、前に進んで行きません。これから徐々に良くなって行くのでしょうが、現時点では全く回りと合っていませんし、アンサンブル能力と言う点でかなり劣ります。弦はこの曲では比較的良かったとは思いますが、音色を造る大事な部分での指示(ポジショニングなど→これはコンマスの責任)が徹底されていないような感じで、聴いていても全く「興」が乗って来ませんでした。フェドセーエフさんは、この曲についてはあまり細かい指示をされていないようにお見受けしましたが、オケ側に大きな問題があってはこういう結果も仕方ないでしょうかね。とにかくパート横断的な連関が弱く、しっくりと来ないベートーヴェンになってしまいました。


後半はチャイコフスキーの交響曲第4番。こちらも全体的にテンポは非常にゆったりと作られていて、じっくりとアンサンブルが出来る素地はあったかとは思いますが、相変わらず木管楽器群のトップは不安定で、小さいミスが積み重なって行ってしまいました。ティンパニの打点の遅さも相変わらずでしたし、この曲では弦楽器群もあれれと思う場所がだいぶ目立ちましたね。




聴いているだけだったら単純そうな曲ですが、とにかくこの曲の拍節感は独特で、実は非常に難解な曲なんですよね。案の定、この若いメンバーには手に負えない場面があちらこちらに出て来てしまいました。例えば、上の譜面は第1楽章の展開部後半から再現部まであたりの2ndvnのパート譜なんですが、257小節以降284小節ぐらいまでの、いわゆる「ヘミオラ」の音型を含む非常に難儀な場所がバラバラでした。前兆はあったんですが、特に272小節からの音型は個々が全くの「感覚」を頼りだけで弾いていたと言う感じで、これは酷かったですね。音量が大きい場所ですのでそう目立っていなかったのは不幸中の幸いではありましたが。こうなる原因のひとつとして、音符が書かれている構造を「総譜」と言う大きなくくりで以って俯瞰しながら臨むメンバーが少なかったからではないでしょうか。こういった場所が頻発していましたし、第2楽章の木管楽器がオブリガード風に音階を連続して吹く場所も、どれも不安定・音が出ていませんでしたし、バランスがとても悪かったように思います。第3楽章の中間部も同様で、木管楽器は相変わらず安定していなかったですね。第4楽章は非常に遅いテンポで始まりましたが、これが要因になったのか、あまり音楽的に起伏は感じず、音量的な側面からの変化に留まってしまっていた印象で、個人的には満足出来ない演奏に終始してしまいました。フェドセーエフさんらしさと言う点では、独特のテンポ設定と金管の鳴らし方に表れていたように思いますが、あまり細かいところに拘っておられた感じではありませんでしたし、聴いている限りは相性があまり良く無いように感じました。

失敗しても失うものなど何もない、と言うような若い優秀な奏者達が集まっているのに、こんな素敵な舞台で冒険せず、恐々こじんまりと言うような演奏に終始する姿勢は残念です。巨匠を招いて指揮してもらうのも良いでしょうが、もっと勢いのある若い指揮者にバンバン鍛えてもらう方が、このオケには合っているように思いますね。在籍3年目のメンバーはあと三か月しかこのオケにいられないんです。いつまでも「次回こそ」「徐々に」と言うのは通用しないのではないかと思います。もっともっと弾く曲を事前に勉強して、そして大切にして、自信を持って舞台に立ってもらいたいものです。

それから、どんな演奏でも複数の「ブラボ」の声が客席で飛び交うんですが、何に対して言われているのか良く理解出来ないことがあります。勢いで叫んでいる感じもするんですが、是々非々で臨む姿勢も大切でしょうし、そうして行かないと、奏者達もそして聴衆達も育って行かないのではないでしょうか。何でも「ブラボ」は煩いですし、もう結構です。特に、先日小山実稚恵さんがソロを弾かれたブラームスのピアノ協奏曲第1番の時、あれは一体何に対して叫んでおられたんでしょう。実力者が弾くあれほどひどい演奏は滅多にないですし、その演奏に「ブラボ」を叫ぶ人は、恥ずかしい聴衆だと思います。あの「ブラボ」は本当に悪い冗談ですし、あの日の演奏は小山さんご本人が一番良くおわかりのはずです。聴衆のレヴェルが察せられますし、あまり調子に乗って叫ぶのはお止め頂きたいものです。

余談ですが、とある弦のメンバーの方と昨日やりとりをしたんですが、今回の定期については、特に管楽器とのコンビネーションが練習時からうまく行っておらず、それが昨日の演奏会にモロに出てしまっていたと言うことでした。練習の仕方やメンバー間のコミュニケーションにも問題があるんでしょうかね・・・。



せっかくフェドセーエフさんに書いて頂いたサインですが、演奏会そのものは少し残念な結果でした。



3/22

昨年の秋からこのオケを聴かせて頂くようになりましたが、フェドセーエフさんの指揮でお聴き出来るとは思ってもみませんでした。非常に大きい期待を持ちつつ、聴きに伺いました。残念ながら、思った程は良く無かったように思います。ただ、これは指揮者の責任では無く、楽員の技量・姿勢に拠る部分が大きいように思いましたが・・・。

木管楽器・どうした! と言いたくなるくらい単純なミスが目立ちましたね。特にオーボエのトップ、音符の吹き間違えやミスが多すぎました。曲が進むにつれ、うつむくような仕草が増えていたようにも見えましたし、フレーズの音の処理が非常に雑だったと言う印象。これでトップですか? 木管のほかのトップ奏者も似たり寄ったりで、弦楽器群に比べ、今日は全体的なレヴェルが低く感じました。楽屋には何時に入るんでしょうか。2日目・3日目はリハはないでしょうし、舞台に上がるまでの下準備が足りないのではないのかなとも思ったんですが、どうなんでしょうね。ティンパニもあまり感心しませんでした。叩くタイミングが少し遅いんじゃないかと思うんです。これは先日のブラームス/ピアノ協奏曲第1番の時も感じていたんですが、リズム楽器がこれでは音楽が重たくなってしまい、推進して行かないんですよね・・・。

フェドセーエフさんの指揮ですが、通常聴くよりは全体的に遅めのテンポだったですね。これが何を意図していたのかは良くわかりません。ベートーヴェンは何の変哲もない常識的な解釈・指示でしたね。チャイコフスキーは旋律楽器でないパートに重きを置く場面も多いように感じ、ホルン偏重と言う場面も見受けられました。ちょっと頭を整理して、明日もう一度追記したいと思います。






3/21 追記

公演から3日経ってしまいました。前半のピアノ協奏曲のことは、もうあまり思い出せないですね・・・。とにかく覚えられるような旋律が無いからでしょうか。それでも、とても雰囲気の良い曲だったとは思いましたが。福間さんのピアノですが、この協奏曲のピアノパートが比較的平易に書かれている感じで、(譜面を観ながらの演奏ではありましたが)曲に共感しながら、明晰な音と解釈に依って、自己主張も十分に聞き取れました。とにかく音が澄んでいて、遠くまで音が明確に飛んで来ると言う感じでしょうか。それが最も印象的でした。弾く時の姿勢が良く、力任せに弾かないと言うことは大事なんだと思いました。そこまでしか思い出せない・・・。

後半のブラームスですが、今思い出しても、第2楽章までが特に素晴らしかったと言う感想は変わりませんね。これは、児玉さんの造ったテンポ設定に最大の要因があったように思います。第1楽章は、出だしのvnの音型からたっぷりの感情移入が聴こえて来まして、ここからしばらくの間2つのvnパートが織りなす対話は心に沁みました。終演後にコンマスの森下さんとお話させて頂いたんですが、この出だし以降しばらくの間の弓順には、この曲に対する森下さんの「信念」みたいなものが込められていまして、それは直接お話をお聴きする前=聴いた瞬間から既に私自身理解は出来ていたんですが、楽譜に書かれているデュナーミクを読めば読むほど、森下さんが指示される弓順は当然そうされるべきものであるでしょうし、実際にそこから生み出されるニュアンスは絶品で、そのように弾かないとブラームスが書いた意図が生かされないのではないか、そこまで思わされました。曲に対する適当な取組みによって、書かれた音符に向き合っていたら考え付かないこの部分の弓順、非常に重く考えさせられるものでした。音符ひとつひとつに込められる「気持ち」が、児玉さんが作られるこのゆっくり目のテンポにより十分に表現され、一歩一歩じっくり味わい深く進んで行くこの第1楽章、決して派手な効果は生んではいませんでしたが、この日のような演奏で心が満たされない聴衆は、ちょっとどうかしているのではないか・・・とまで思った程です。


例えば、65小節以降のvn群がオクターヴで弾かれる旋律、一糸乱れず一本の線のように見事な音程とニュアンスでこの旋律を弾き切っていましたし、また、楽章の80小節目以降の、ピツィカートではじかれるこの部分のニュアンスに、何も感じない聴衆は、この日の音楽をどうのこうのと語る資格が無い・・・そのくらいに繊細で丁寧な演奏だったのではないでしょうか。この楽章では至る所でこういう仕掛けが隠されながら、音楽が進んで行ったんですよね。第2楽章では、それが更に徹底されており、幾分管楽器に傷が見られたものの、この日最も素晴らしい音楽が聴かれた楽章だと感じました。朴訥と言うのが相応しいテンポから、とにかくニュアンスの徹底が端々に感じられた非常に心の籠った美しい演奏を聴かせて頂きました。

第3楽章以降は、テンポが速めに推移したこともあってか、全体的に演奏が少々荒くなってしまい、前半で聴かせて頂いたような味わい深さからは遠のいてしまったような印象でしょうか。決して悪い演奏では無かったんですが、上で書かせて頂いた「ニュアンス=味わい深さ」が後退して、「勢い」のようなものが優先されてしまっていたように聴こえたのは、個人的には少々残念でした。それでも、全曲を通して聴いてみて、私は非常に満足させて頂きました。「心を込めて演奏しよう」、そういう心意気を楽員の皆さんから感じたからです。一点だけ不満を言わせて頂けるのであれば、第3楽章の余韻が残り、会場に静寂が訪れた瞬間、音を立てて楽譜をめくった楽員さんがおられました。これは頂けませんし、聴衆にも指揮者にも楽員仲間にも失礼な行い、非常に残念、ガッカリしました。


「先入観」で音楽を聴いてしまってはダメなんですよね。大阪交響楽団だから・・・、○○交響楽団だから・・・、そういう先入観は音楽を聴く時には必要ありません。ブラームスの交響曲第4番と言う作品を聴きに行く訳ですからね。会場でお互いに「良い音楽」を生み出す・聴くための真剣勝負です。そして、わざわざ時間を作って伺い、そして支払った金額に見合う・それ以上の「何か」を頂けたのであれば、聴衆は奏者達に心からの感謝の意志を拍手と笑顔でお返しする、それが一期一会のライヴと言うものだと思います。この日の公演、伺って本当に良かったと、私は思っています。



3/18

今日は演奏時間も短いかもと言うことで、早く帰れるかと思っていたんですが、楽員さんと話しこんでしまったら、案の定、帰宅も遅くなってしまいました・・・。

後半のブラームス/交響曲第4番ですが、特に前半の2つの楽章は圧倒的に素晴らしい出来だったと思います。第3、4楽章は、管が乱れてしまいましたが(全体的に音程も良く無かったような・・・)、決して良く無かった訳でもありません。詳しくは明日(以降)書かせて頂きますが、一昔前のアプローチの仕方のような、いかにも内容の濃いドイツ音楽の演奏だったように思います。テンポは比較的遅めで、児玉さんが意図したであろう非常に落ち着いた曲造りが全体を支配し、作為的なテンポの変化は皆無、アクセントを強調気味、デュナーミクもかなり強弱を意識しながら、クレッシェンド・デクレッシェンドもくっきりはっきり明確に行われていました。(管楽器を意識的にストレートに大き目に吹かせ、弦に比べて音量的にも大きめに設定していましたね) それらがオケメンバーにも良く伝わり、見事に徹底されていました。今日はとりわけ弦楽器群が素晴らしかったですね。書かれている音価通りに目一杯に弾かれ、音楽に「隙間」を感じなかった一方で、力任せに弾くような場面は無く、フォルテはフォルテらしく、フォルテシモはフォルテシモらしくなどなど、とても楽譜に忠実に演奏されていたのには好感を持ちました。



第2楽章の88小節目以降1stvnがG線で弾く場所ですが、楽員の皆さんが弾く前から既にヴィブラートをかけ弾き出したのは、視覚的にも効果十分、心に沁みましたね。詳しくは明日(以降)書きます。


前半のゲッツのピアノ協奏曲、ヴィルトゥオーゾ的な華やかさが無く、旋律にもさほど魅力を感じない曲ではありましたが、それでも如何にも典型的なピアノ協奏曲といった趣の曲で、もっと聴かれても良い曲ではないでしょうか。ピアノを弾かれた福間さんは、非常に知的で明晰で、それが演奏にも良く反映されていたと感じました。礼儀正しく、そこここで彼の人柄の素晴らしさも垣間見させて頂きました。これも詳しくは明日(以降)書かせて頂きます。

1stvn 第1楽章冒頭


2ndvn 第1楽章冒頭


1stvn 第2楽章


2ndvn 第2楽章


1stvn 第3楽章冒頭


1stvn 第3楽章最後


1stvn 第4楽章冒頭


30年以上アマオケでいろいろ弾いて来ましたが、最も多く弾いた曲は、ベートーヴェンの交響曲第9番になります。1stvn・2ndvn共に10回以上舞台に立ったでしょうか。それに次いでマーラーの交響曲第9番、そしてブラームスの交響曲第1番と第4番になるでしょうか。今日これから聴きに伺う大阪交響楽団定期演奏会の演目にも入っているこのブラームスの交響曲第4番、手元には1stvnの譜面が7冊、2ndvnの譜面は4冊ありますので、少なくともこの曲で11回は舞台に立ったことになります。アマテュアオケの人気曲でもあり、また、憧れの曲でもありますよね。

このブラームスの傑作ですが、冒頭の主題は「寄せて返す波みたい」とも形容されますが、人間の感情を音で巧みに表現していますよね。こういう書法がブラームスの大きな特徴でしょうし、聴く人を惹きつけるんだとも思います。ポルタメントを効かせやすいようにも書かれていて、どうしてもロマンティックになりがちなんですが、演奏の傾向もこう言う部分をどうするかで分かれて来ますよね。

第2楽章の練習記号"B"からは、この曲に於いて最もヴァイオリン群の聴かせどころになります。私の大好きなホ長調と言う調性で書かれているのがうれしいんですが、低弦のピツィカートに乗せて繰り広げられる「絡み合い」は、時に「エロティック」でもあります。こういう音楽が書けるってのが凄いなあと弾いていても感じます。

第3楽章は技巧的に非常に難しく、アマは大概適当に弾くことになる楽章です。落ち着きなくガチャガチャなりやすい要因もそこにあるんでしょうね。音が飛びますし、とにかく難しい譜面です。第4楽章は厳格なパッサカリアの形式を採り、ブラームスが多少苦手としていた印象のある最終楽章を手堅くまとめているように思います。時に非常に難しい部分も出て来ますが、音楽的な充実感の中から、あっけないくらいあっと言う間に終結を迎えます。


今日の大阪交響楽団の演奏、発売されているCDの評価は散々ですが、今日は気合の入った素晴らしい演奏を期待しています。それでは聴きに出かけましょう。



若いデュオの演奏を聴きに出かけて来ました。どの曲もデュオでの演奏となると、非常にオーソドックスな音楽の造り方と言うように感じましたが、ソロパートを演奏する場所や、またソロで演奏する楽曲となると、途端に強い個性が顔を覗かせていて、面白かったですね。

松山さんのヴァイオリンですが、楽器の性質もあるのか、派手さはあまり感じない音色です。ちょっと鼻にかかったような、甘目の音と言う感じですかね。平易なポジショニングではなく、敢えてハイポジションで弾くことによって、自身音色に気を配っておられることが良くわかりましたが、もともとの音色からすると、まあそこまで神経質に徹底されなくても、十分魅力的に聴こえるのではとも思いましたけれど。逆にそれを多用するからなのか、かなり音程が怪しい個所が出て来てしまうんですよね。加えて、比較的簡単な音でも音程が明らかにおかしいところが目立ってしまいます。「ケアレス・ミス」と言えなくも無いんですが、それにしては出現頻度が高いので、今後のことを考えると「要注意」です。

一方の津田さん、この方は非常にセンスにあふれたピアノを弾かれます。あまり粘る感じではなく、テンポ的にはスタンダード。上手く言えませんが、良質な音楽が目の前をサラっとさりげなく通り過ぎて行く、そんな感じでしょうか。それも強い個性だと思いますけれど。ただ、ちょっとビックリしたのは、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ第2番の冒頭。ヴァイオリンが出て来るまでの4小節ですが、津田さんのピアノが非常にロマンティックで、あまり聴いたことの無いようなルバートが2回出現。実は、彼にはソロのショパンでは見せなかったこういう「音楽・心」が内包されていて、ブラームスと言う作曲家のこの作品でたまたま表面化したと言うことなのでしょうか。この部分は(良い意味で)ちょっとドキっとしまして、今後彼のブラームスをいろいろ聴いてみたいと言う思いを持ちました。それでも、ヴァイオリンが出て来る5小節以降は、比較的おとなしい感じで落ち着きましたが。演奏はそれぞれのソロ演奏が非常に良かったですね。逆に言うと、音楽的な資質がいくらか異なる若い音楽家の組み合わせ・特にデュオと言うのは、なかなか難しいものなのかなあとも思いました。ブラームス、R・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタは、ともに緩徐楽章が最も良かったように思います。テンポも比較的落ち着きますし、特に「唄心」はお二人とも似通ったものをお持ちのようで、しみじみとしたメロディーには心を打たれました。アンコールは3曲と大サーヴィス。特に「タイスの瞑想曲」は、松山さんの音楽的センス(特に節回し)が見事に表出した感性豊かな名演だったように思います。今日演奏された曲は、総じてそんなにシリアスな曲はありませんでしたし、次回はまた違った傾向の曲も聴いてみたいですね。


終演後のサイン会で、演奏されたブラームスのヴァイオリン・ソナタ第2番が含まれている楽譜に、サインを書いて頂きました。ほんの少しだけお話させて頂きましたが、当然年齢のこともあるのでしょうが、松山さんが「姉御肌」的な面を見せて下さいました。音楽的なリードも当然松山さんなんでしょうけど、上で書いたブラームスの冒頭のような例もあり、案外津田さんもそれなりに自由に主張されているのが興味深かったですね。「姉さん女房」的なこのデュオが、今後どう行った成長を見せてくれるか、楽しみです。お疲れのところ、ありがとうございました。