音楽と競馬、思ったことを書いて行きます -22ページ目







6月までひと月に一回公演のプロジェクト。今日はその第1回目でした。


良かったのは、後半のシューマンの交響曲第4番。非常にロマンティックな曲ですが、下野さんの指揮はテンポを速めに設定し、部分部分のアクセントを強調、その結果非常にメリハリがあり、パワフルな側面が印象的でしたが、一方で、静かなところは非常に繊細に心を込めた指示によって、シューマンが描きたかった「若きロマン」を見事に表現されていましたね。若いメンバーの多いオケですが、演奏面でかなり充実した響きを生み出していて、下野さんの出される指示にも良く応えていたのではないでしょうか。曲がとても素敵に聴こえていましたし、このシューマンはなかなかのものだったと思います。好演でした。


一方、大きな期待をしていた前半のブラームスのピアノ協奏曲第1番、小山実稚恵さんがピアノソロを弾かれていましたが、その期待が大きすぎた分、残念な結果でした。下野さんと組んでのスケールの大きい「曲造り」は風格さえ感じ、さすがと言う印象でしたが、良かったのはここまでで、この日は、テクニック的にかなり「不調」と言った印象で、とにかくミスタッチが多く、いかにも傷が多すぎ、せっかく造り出そうとしていたの曲の造形が全く生かされず、曲が壊れてしまっていたように感じたのは残念でした。ソロの出だしから大きく弾き間違えてしまいましたし、第3楽章の副主題のあたりでも一瞬落ちてしまった・・・?と言うような場所までありました(1回目と2回目を弾き間違えた感じ)。小山さんのような素晴らしい実績のおありになるピアニストでも、一旦歯車が狂いだしてしまうと、こういうことになってしまわれるんでしょうか。第1楽章で頻繁に出て来る「トリル+後打音」というパターンでのトリルが短めで、音価通りに弾かれていないことが目立ち、音楽の流れが幾分窮屈にも感じましたが、そういう弾き方が癖なのか、でなければもしかして指でもケガをされておられたのでしょうか・・・。ソロの出だしの場所は、もちろんオケとの合わせは十分にされたんでしょうが、バック(特に「合いの手」を入れている管楽器)の音量やタイミングがお粗末(こういう曲は不慣れなんでしょうか・・・)で、それが小山さんにも波及してしまったのか、曲が終わるまで引きずってしまったと言うようにも見えましたが、まあそれも言い訳になってしまいますよね・・・。ブラームスにしては魅力に乏しい(と私が思う)緩徐楽章も、オケ側もどこか捉えどころのないような演奏で、聴いていてかなり退屈でした。このパートでは、下野さんの意図も良く見えなかったと言う感じですかね。感じ方は人それぞれでしょうが、こういう明らにミスの多い演奏に「ブラボ」が連発されるのも、どうかと思います。アーティストが好きでそうされているのかも知れませんが、「贔屓の引き倒し」「褒め殺し」と言う言葉もあります。本当に素晴らしいと感じたのであれば、それはそれで結構でしょうが、少なくとも私にはそう感じましたし、率直に感想を書かせて頂きました。加えて、この曲のカーテンコール時、ゲスト・コンマスの小森谷さんの所作ですが、ベテラン・コンマスとしては、ちょっと考えられないお粗末なものでした。ちょっと緊張感に欠けていたんじゃないでしょうか。これも残念でした。終演後のサイン会も盛大に行われたようですが、「素晴らしかった」「良かった」と言う皆さんからの賛辞を、小山さんはどのように思われながらサインを行っておられたでしょう・・・。きっと小山さんご本人が、この日の出来を最もよくわかっておられると思いますので、そう言った意味では、ちょっと気の毒にも思いますけどね・・・。

次回はピアノソロが替わりますので、こちらも「気分一新」して聴きに出かけたいものです。



もともとは朝日新聞の催し欄に出ていたことが、こちらに伺うきっかけだったんですが、法貴彩子さんを存じ上げていましたし、この滅多にない「世界初演」と言う珍しい編曲ものを聴けると言ううれしさも手伝って、聴きに伺いました。聴衆は50人程だったでしょうか。何年ぶりかにお会いする顔見知りの方も結構いまして、ビックリしました。皆さん、興味あるものが似ているんですね。

演奏ですが、第6番の方が圧倒的に良かったです。合わせやすい曲調と言うのが大きいのでしょうが、それ以上にツェムリンスキーの編曲が奮っていました。マーラーの多彩なオーケストレーションを上手く4手のピアノ用に散らしていて、演奏効果が上がるように仕上げられていました。ツェムリンスキーはこうやってマーラーのオーケストレーションを研究しながら、自身の作品にうまく応用したのではないかと思わされます(それでも、第4楽章後半のテンポの速い場所は、さすがにピアノでは音楽が広がって行かずに、多少単調な譜面にならざるを得なかった感じですが・・・)。その編曲の上で、名手のお二人が鍵盤の上で火花を散らすが如く、約80分の間、微塵も身動きが出来ないような、そんな素晴らしい時間を過ごさせて頂きました。第1楽章の呈示部を繰り返されたのもGood!。特にこの曲では、低音域パートの法貴さんが非常にしっかりとしたピアノを弾かれることもあり、大井さんも弾きやすそうにお見受けしました。一方で、特に第4番で特に顕著でしたが、どうしても譜めくりが難しいですね。大井さんと法貴さんが望まれる譜めくりのタイミングとがそれぞれ異なっていて、加えて譜めくりされる方の所作がもうひとつだったので、譜めくりの度に演奏が停滞したり、めくり直したり、そして大きく間違えてしまったりと、興が冷めてしまう瞬間があったのは少々残念でした。また、第4番は曲が大人し目な分、ルバートする個所も多く、お二人の息が合わない個所が見られたのは、少々練習不足だったのかも知れません。それでもこういう挑戦的な試みに接することが出来、貴重な体験をさせて頂きました。2曲のアンコール、ショスタコーヴィチの第5番・最終楽章、「ルパン三世」のテーマ曲、これも火が出るようなすさまじさだったですね。特に法貴さん、この若いお歳での活動・レパートリーの広さは末恐ろしいですし、すでに名はよく知られた存在ですが、今後さらに日本を代表するピアノ弾き(特に近・現代曲の)として、名を轟かせる存在になると断言出来ます。今日は聴きに伺って、本当に良かったです。




20年以上前の昔に弾いたオケパートの譜面に、お疲れのところ、お二人のサインを頂きました。このシリーズで、また別なマーラーの曲、そしてもっとぶっ飛んだ珍しい曲をぜひ聴いてみたいですね。ありがとうございました。





今日の寺岡さんのプレトーク、良かったですね。楽員やナヴィゲーターとのやりとりになると「温い」感じになって面白くないんですが、今日のような焦点を絞った真剣なひとりトークに思わず聞き入りました。それにしても、今日は客入りが寂しかった・・・。だいたい半分ぐらいでしたかねえ。1,000席埋まっていたかどうかぐらい。


今日も帰りが遅くなりましたので、詳しくは明日書かせて頂きますが、歌劇「ノートル・ダム」からの音楽は、2曲目までが「◎」、二曲目の「ベートーヴェンの主題による協奏的変奏曲」は「△」、後半の交響曲第3番ですが、第3楽章まではとても楽しめたんですが、最終楽章は曲がつまらなかったので「○」ぐらいでしょうか。曲の評価印にオケの演奏も大筋で沿っていた感じでしょうか。全体的には良かったですし、ピアノのヒンターフーバーさんもとても良かったと思いますが、ピアノの曲自体があまり面白くなかったのは残念でした。交響曲の終演直前、フライング拍手が一発鳴りました。こういうのは嫌ですね・・・。曲を知らないのに、拍手するなって。




以下追記。
寺岡さんのプレトークですが、こういうプログラムでは、(曲に興味がある・なしに関わらず)わざわざ聴きに来た人でさえ興味が湧き難いのではないか、と言うことを考慮され行われたのではないでしょうか。寺岡さんのような高い意識を持った指揮者がこのような選曲をされると言うことに対し、心から敬意を表したいと思います。「名曲垂れ流し」で行われる「定期演奏会」の意義は芸術的に薄いですし、評価されない(されていない)作曲家の作品を演奏会で積極的に取り上げる見識の高さを評価して差し上げないとならないと思います。「音楽好き」を自称している方々も、低廉な料金で座席を提供されているんですから、もっと積極的に参加してもらいたいものです。

さて、肝心の演奏ですが、出来の良い曲はやはり「弾き映え」もしますし、加えて演奏する側の意識も高いですから、それが聴く側にもそれなりに興味深く聴こえて来ます。冒頭の「ノートル・ダム」からの音楽ですが、この作曲家の特徴が良く表れた作品で、普段あまり聴かれない音響も特徴的と言うこともあり、「前奏曲」「間奏曲」は楽しめました。音の響きですが、マーラーに繋がるようなところも確かにありますが、基本的にはチェコ(スロヴァキア)独特の響きが聴こえて来ますよね。和音の重なり方にそれが顕著に聴き取れますし、出身の地方は少しずれますが、同じ時代を共有したマルティヌー(の音楽ももちろん聴いたはずですから)に共通するものも感じ取れ、重厚な良い曲のように思いました。ただ、最後に置かれた「謝肉祭の音楽」はあまり楽しめませんでした。作風が作為的・音符をこねくり回したような印象で、音楽的な成熟が感じられず、聴いていても多少しんどかったですし、演奏する側も音符を追いかけて行くのに必死で、「音楽作り」と言うところまでは行っていなかったように思います。それは作品の出来に原因の多くがあったとは思いますが。
2曲目の「ベートーヴェンの主題による協奏的変奏曲」、ピアノパートの音符が少なく、音が鳴ること自体の楽しさと言う点で少し物足りない音楽だったと思います。音響的には「ノートル・ダム」に共通する特徴を感じましたが、いわゆる「主題」が出て来るまでに時間がかかる変奏曲(ラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」の有名どころもありますが、この時代からこういう書き方の変奏曲が書かれていったんでしょうか)で、一体どういう曲なのか、当初その輪郭が見えてこなかったんですが、いざテーマが出て来てからも、ベートーヴェンのこのテーマそのものに魅力を感じないからなのかもしれませんが、延々と重ねられて行く変奏自体もマンネリ気味で、その音楽にあまり面白味を感じることは出来ませんでした。原曲のヴァイオリン・ソナタでヴァイオリンとピアノでカノン風に奏される音符を、1st・2ndvnの表・裏を使ってアルコとピツィカートで表していた等の書法的な工夫は見られましたが、そこまででしたかね・・・。ヒンターフーバーさんのピアノですが、非常に趣きのある音で、暗譜と言うこともあり、この曲に良く入り込んでおられたと思います。ただ曲そのものの魅力が欠けてしまっていましたので、そういう意味では多少気の毒な感じがしました。彼の実力を以っても、ここまでの曲でした。12月にはブラームスの2番の協奏曲を弾かれると言うことで、そちらに期待したいと思います。
さて、期待の大きかった後半の交響曲第3番。第1楽章は楽曲自体の構成が非常にしっかりとしていて、いかにも「交響曲の第1楽章」と言う重厚な雰囲気がありまして、大変興味深かったです。熱い指揮に導かれたオケ側も十分に曲に共感しながら気持ちをこめての演奏と言うのが感じられ、聴いている側にもそれが伝わって来ました。第2楽章もその流れを引き継いでいて、休憩前に演奏された「ベートーヴェンの主題~」よりも主題に魅力があることもあって、滔々と流れて行くシュミットらしい展開と独特の音響が心に届いて来ました。スケルツォ楽章も短い時間の中にいくつもの「ドラマ」を感じ、この楽章も面白かったですね。雰囲気はブルックナー5番のスケルツォ楽章を模した感じでしたが、音はマルティヌーっぽい感じ。こういうのもあるのかなと言う不思議な感じでした。最終楽章は何だか良くわからない音楽と言う感じで、序奏はほの暗く重たい主題が朗々と奏されましたが、主部に入るとガラっと雰囲気が変わり、音響的には独特のものを感じるものの、楽想自体に魅力が無く、同じようなパッセージを繰り返しながら、着地点をどのように迎えようかわからないまま終わってしまったと言う感じでしょうか。交響曲の最終楽章と言うのは、過去の大作曲家の作品を見ても難しいものなんですよね。策を弄してもなかなか聴く側にその真意や労が届いて来ない訳なんですが、この最終楽章もいろいろと工夫の跡は見られましたが、そこまででした。
それでも、こういう挑戦的なプログラムを重ねて行ってくれる大阪交響楽団の姿勢には頭が下がります。このような貴重な体験は滅多に出来ませんし、曲の評価も聴きに行かれた個々人がすれば良いことで、そういう材料を定期演奏会と言う場で提供して頂いたことに感謝しなければなりません。選曲をされた指揮の寺岡さんの見識・意識の高さに敬意を払うと同時に、大阪交響楽団の皆さんの健闘を称えたいと思います。

1ページ目 冒頭


練習記号D(フラット4つ)


練習記号G(フラット5つ)


練習記号Aa(シャープ3つ)


数年前、エキストラで弾いたこの曲ですが、もちろんピアノの演奏で聴く機会の方が多いですね。とにかく難しく、おひとりでこの曲を弾かれるピアニストのご苦労を身に沁みてわかった曲でもあります。

元々の曲の由来には、メフィストがヴァイオリンを弾くと言うシーンから始まるのですから、ヴァイオリンの開放弦で弾くように書かれている冒頭は理解出来ますよね。それなのに、曲が進むに連れて出現する目まぐるしい転調を見ても、やはりピアノのために書かれた曲なんだなあと言うことを思わず意識させられます。練習記号Dでは変イ長調からイ長調の戻りで、また、練習記号Gは変ニ長調と、弦楽器がプレストで音階を弾くには至難な調性で書かれているのも、いかにもリストが書いたピアノ向けの曲だとあらためて思い知らされます。練習記号Aa以降は更にテンポも速くなりつつ、また、書かれている音量記号もめまぐるしく変化しまして、とても私のようなアマテュアが合わせられるような音符ではありませでしたが、ともかく必死で練習しました。もちろん、本番は「ダメダメ」でしたが・・・。それ以降、この曲をピアノの演奏でお聴きする機会に多く恵まれ、そして昨年の日本ピアノコンクールでは、桑早穂子さんの名演に巡り合えると言う幸運にも恵まれました。彼女のリサイタルが4月20日に開かれ、そこで最後にこの曲が弾かれるようになっています。お気に入りの彼女のピアノが聴きたくて、楽しみにしていた牧場見学の日程を短縮したぐらい、期待しているリサイタル、そこで弾かれるこの曲の「苦い」思い出を、今日は書かせて頂きました。

1stvn 第1楽章冒頭


2ndvn 第1楽章冒頭


1stvn 4ページ目 最初のヤマ場


1stvn 第1楽章285小節以降



2ndvn 第1楽章285小節以降


2ndvn 第2楽章冒頭


1stvn 第4楽章冒頭


1stvn 第4楽章最終ページ


2ndvn 第4楽章最終ページ

前回書かせて頂いたバルトーク/管弦楽のための協奏曲の2ndvnパートは、リズム面では1stvnにほぼ沿っていますが、2ndvnの弾く音程、それはいかにもバルトークの音楽を作り出している独特の和音を構成する重要な要素のひとつで、2つのパートを弾くことで、バルトークの「真髄」を肌で感じることが出来たと思っていますが、今回取り上げるマーラー/交響曲第9番における1stvn/2ndvnの役割の違いの大きさには驚かされました。これは実際に両方のパートをを弾いてみないとわからないものです。


この曲は、1stvn、2ndvn共に2回ずつ弾いています。最初は大学2回生の冬、一橋大学の講堂で2ndvnをたった5人で。翌年の秋に、井上道義さんの指揮・JMJのコンサートで1stvnの2プルト表と言う重責を担いました。そして同じ年の冬にもう一度一橋大学の講堂で1stvn、そして10年程前に所属していた芦屋交響楽団で、黒岩英臣さんの指揮で2ndvn。これで計4回。今まで弾いた曲では最も練習した曲だと思いますが、それでもまだまだ弾き足りませんね。

実際に使用したパート譜の一部を載せさせて頂きました。第1楽章も、第2楽章も、1stvnよりも前に2ndvnが非常に重要なテーマを弾きだします。そして第3楽章もそうです。2ndvn奏者の「不遇」さを逆手に取り、面白がるような譜面の書き方、如何にもマーラーらしいですね。

2ndvnが弾く第1楽章の冒頭のテーマ、これがあるからこそこの曲で2ndvnを弾きたいと思う場所ですね。緊張と自慢、ずっとD線と言う1本の弦だけを使い紡いでいくテーマ、一度弾いたら「やみつき」になります。一方、1stvnが弾く第1楽章の4ページ目(211小節目以降)、ここは最初のヤマ場になります。特に230小節あたりからは非常に難しく、難儀した記憶が蘇ります。調性がフラット5つと言うのも嫌らしいことこの上ありません。285小節以降のシャープ5つの場所は、1stvnと2ndvnが掛け合いのようになり、お互いの音型を縮めてみたり伸ばしてみたりしながら、307小節目の頂点へと向かうのですが、この小節での2つのパートの音型を見比べると非常に面白いですし、お互いがこうやって交差しながら弾くからこそそういう効果が上がるんだと言うことがわかる興味深い個所でもありました。

第2楽章の2ndvn、これも素晴らしいテーマです。この「トリッキーさ」がまたたまりません。出だしの1分間は「パート・ドソロ」になると言う非常に怖い場所。この曲では2ndvnと1stvnの腕が同等でないと、良い演奏にはなりませんね・・・。

第4楽章の冒頭から10小節まではG線のみで弾きました。アマテュアには非常に難しい場所ですが、音量・音色・アクセント・デュナーミク・アゴーギク・ポルタメント・装飾音符等々、マーラーの全ての要素がここに集約されています。熱い場所ですよね。そして、最終ページの「高み」へと続き、そして上りつめることになります。「H」の音を1stvnと2ndvnでタイミングを変えながら、弓を何度も返しつつ延々と弾き続けるこの個所は文字通りこの曲の頂点ですし、ここに辿りつくための作業をずっと続けて来ることになるんです。


今まで経験して来た曲の中でも、最も忘れられない曲=このマーラー/交響曲第9番、いつかまた弾いてみたいですし、また実演でも何度でも接して行きたい、私にとっての最高の音楽です。