2014/3/18 大阪交響楽団 第184回定期演奏会 | 音楽と競馬、思ったことを書いて行きます






3/21 追記

公演から3日経ってしまいました。前半のピアノ協奏曲のことは、もうあまり思い出せないですね・・・。とにかく覚えられるような旋律が無いからでしょうか。それでも、とても雰囲気の良い曲だったとは思いましたが。福間さんのピアノですが、この協奏曲のピアノパートが比較的平易に書かれている感じで、(譜面を観ながらの演奏ではありましたが)曲に共感しながら、明晰な音と解釈に依って、自己主張も十分に聞き取れました。とにかく音が澄んでいて、遠くまで音が明確に飛んで来ると言う感じでしょうか。それが最も印象的でした。弾く時の姿勢が良く、力任せに弾かないと言うことは大事なんだと思いました。そこまでしか思い出せない・・・。

後半のブラームスですが、今思い出しても、第2楽章までが特に素晴らしかったと言う感想は変わりませんね。これは、児玉さんの造ったテンポ設定に最大の要因があったように思います。第1楽章は、出だしのvnの音型からたっぷりの感情移入が聴こえて来まして、ここからしばらくの間2つのvnパートが織りなす対話は心に沁みました。終演後にコンマスの森下さんとお話させて頂いたんですが、この出だし以降しばらくの間の弓順には、この曲に対する森下さんの「信念」みたいなものが込められていまして、それは直接お話をお聴きする前=聴いた瞬間から既に私自身理解は出来ていたんですが、楽譜に書かれているデュナーミクを読めば読むほど、森下さんが指示される弓順は当然そうされるべきものであるでしょうし、実際にそこから生み出されるニュアンスは絶品で、そのように弾かないとブラームスが書いた意図が生かされないのではないか、そこまで思わされました。曲に対する適当な取組みによって、書かれた音符に向き合っていたら考え付かないこの部分の弓順、非常に重く考えさせられるものでした。音符ひとつひとつに込められる「気持ち」が、児玉さんが作られるこのゆっくり目のテンポにより十分に表現され、一歩一歩じっくり味わい深く進んで行くこの第1楽章、決して派手な効果は生んではいませんでしたが、この日のような演奏で心が満たされない聴衆は、ちょっとどうかしているのではないか・・・とまで思った程です。


例えば、65小節以降のvn群がオクターヴで弾かれる旋律、一糸乱れず一本の線のように見事な音程とニュアンスでこの旋律を弾き切っていましたし、また、楽章の80小節目以降の、ピツィカートではじかれるこの部分のニュアンスに、何も感じない聴衆は、この日の音楽をどうのこうのと語る資格が無い・・・そのくらいに繊細で丁寧な演奏だったのではないでしょうか。この楽章では至る所でこういう仕掛けが隠されながら、音楽が進んで行ったんですよね。第2楽章では、それが更に徹底されており、幾分管楽器に傷が見られたものの、この日最も素晴らしい音楽が聴かれた楽章だと感じました。朴訥と言うのが相応しいテンポから、とにかくニュアンスの徹底が端々に感じられた非常に心の籠った美しい演奏を聴かせて頂きました。

第3楽章以降は、テンポが速めに推移したこともあってか、全体的に演奏が少々荒くなってしまい、前半で聴かせて頂いたような味わい深さからは遠のいてしまったような印象でしょうか。決して悪い演奏では無かったんですが、上で書かせて頂いた「ニュアンス=味わい深さ」が後退して、「勢い」のようなものが優先されてしまっていたように聴こえたのは、個人的には少々残念でした。それでも、全曲を通して聴いてみて、私は非常に満足させて頂きました。「心を込めて演奏しよう」、そういう心意気を楽員の皆さんから感じたからです。一点だけ不満を言わせて頂けるのであれば、第3楽章の余韻が残り、会場に静寂が訪れた瞬間、音を立てて楽譜をめくった楽員さんがおられました。これは頂けませんし、聴衆にも指揮者にも楽員仲間にも失礼な行い、非常に残念、ガッカリしました。


「先入観」で音楽を聴いてしまってはダメなんですよね。大阪交響楽団だから・・・、○○交響楽団だから・・・、そういう先入観は音楽を聴く時には必要ありません。ブラームスの交響曲第4番と言う作品を聴きに行く訳ですからね。会場でお互いに「良い音楽」を生み出す・聴くための真剣勝負です。そして、わざわざ時間を作って伺い、そして支払った金額に見合う・それ以上の「何か」を頂けたのであれば、聴衆は奏者達に心からの感謝の意志を拍手と笑顔でお返しする、それが一期一会のライヴと言うものだと思います。この日の公演、伺って本当に良かったと、私は思っています。



3/18

今日は演奏時間も短いかもと言うことで、早く帰れるかと思っていたんですが、楽員さんと話しこんでしまったら、案の定、帰宅も遅くなってしまいました・・・。

後半のブラームス/交響曲第4番ですが、特に前半の2つの楽章は圧倒的に素晴らしい出来だったと思います。第3、4楽章は、管が乱れてしまいましたが(全体的に音程も良く無かったような・・・)、決して良く無かった訳でもありません。詳しくは明日(以降)書かせて頂きますが、一昔前のアプローチの仕方のような、いかにも内容の濃いドイツ音楽の演奏だったように思います。テンポは比較的遅めで、児玉さんが意図したであろう非常に落ち着いた曲造りが全体を支配し、作為的なテンポの変化は皆無、アクセントを強調気味、デュナーミクもかなり強弱を意識しながら、クレッシェンド・デクレッシェンドもくっきりはっきり明確に行われていました。(管楽器を意識的にストレートに大き目に吹かせ、弦に比べて音量的にも大きめに設定していましたね) それらがオケメンバーにも良く伝わり、見事に徹底されていました。今日はとりわけ弦楽器群が素晴らしかったですね。書かれている音価通りに目一杯に弾かれ、音楽に「隙間」を感じなかった一方で、力任せに弾くような場面は無く、フォルテはフォルテらしく、フォルテシモはフォルテシモらしくなどなど、とても楽譜に忠実に演奏されていたのには好感を持ちました。



第2楽章の88小節目以降1stvnがG線で弾く場所ですが、楽員の皆さんが弾く前から既にヴィブラートをかけ弾き出したのは、視覚的にも効果十分、心に沁みましたね。詳しくは明日(以降)書きます。


前半のゲッツのピアノ協奏曲、ヴィルトゥオーゾ的な華やかさが無く、旋律にもさほど魅力を感じない曲ではありましたが、それでも如何にも典型的なピアノ協奏曲といった趣の曲で、もっと聴かれても良い曲ではないでしょうか。ピアノを弾かれた福間さんは、非常に知的で明晰で、それが演奏にも良く反映されていたと感じました。礼儀正しく、そこここで彼の人柄の素晴らしさも垣間見させて頂きました。これも詳しくは明日(以降)書かせて頂きます。