キッチンラーメンのブログ -32ページ目

キッチンラーメンのブログ

思いつくまま、つれづれに

私の左耳には誰かが住み着いています。

今から5年以上前のあるときから左耳の中がザワザワ騒がしくなりました。

「何だこれは?」訳が分かりません。

少し静かになったかなと思うとまた騒がしくなる。騒がしい、鬱陶しいなと思っていても、しばらくすると静かに・・・。

そのうちに左耳の住人は右耳から入ってきた言葉を翻訳し始めました。右耳に聴こえている声に似てはいますが、少し違うトーンで繰り返すのです。

二重に聴こえるので、相手が言っていることを理解するのに疲れてしまいます。

電話での応対に支障があって困ります。左耳に受話器を当てて右手でメモを取る。長年そのスタイルでやって来ましたから、左耳が「利き耳」になっているんでしょうね。

でも左耳だと相手の声は聴こえても言葉に組み立てるのに時間がかかったり、言葉として認識出来ないこともあるので、今は仕方なく右耳に受話器を当てているのですが、違和感があってなかなか慣れません。

聴こえてくる音楽も妙にハモってオリジナルとは違ってしまう。ソロなのにデュエットやコーラス曲になってしまいます。

バックバンドなんか頼みもしていないのに、「キーン」とか「ボー」とか、あるときは普通なら静寂を表わす「シーン」という余計な伴奏つきで・・・。

「邪魔なんだよ!」と言ってもお構いなし。

大波小波はありますが、そんなことの繰り返しで現在に至っています。

もう出て行ってくれたのかな?と思える時期もありましたが、いまだに退去してくれずに私の左耳には誰かが居座って、私の日常生活を翻弄しています。

昨年末から年明けを経て、不法侵入者の迷惑な妨害行為はエスカレートの一途を辿り、一時期は左耳の聴力が限りなくゼロに近い状態に陥りました。

長い付き合いになりましたから、ある意味その住人との折り合いも着いていると言えるかもしれません。まあ、こんなものかと。別の表現を借りるとしたら「諦め」でしょうが。

このブログを書いている今も、ラジオから聴こえてくる音楽に勝手にハーモニーを付け、ニュースを伝えるアナウンサーの言葉を、いわゆる「ステレオタイプの宇宙人の声」で通訳することに余念のない左耳の住人さん。

鬱陶しい限りです!おせっかいにもほどがある!頼んでもいないのに・・・いい加減出て行ってくれないかなあ(ノ_・。)

私が抱える「突発性難聴」の症状を表現するとしたら、こんなところでしょうか?

全容を説明するのは難しくて、ごく一部の症状を表現しただけなので、すべて理解していただけるとは期待していませんが、少しは伝わったでしょうか?

こんな厄介な住人と生涯付き合っていかなければならないのかと考えると心が折れそうになりますが、「生きてるだけで丸儲け」精神で行くしかないかなと自分に言い聞かせている今日この頃です。

「突発性」と冠が付く病いは、要するに「原因不明」を言い換えただけのことだそうです。

ストレスも要因の一つと考えられると耳鼻科の医師から言われましたが、腰痛のときは整形外科医からも同じことを聞きました。内科や歯科医の口からも出たことがありますから、「ストレス」という単語は医者にとって便利な単語なのかもしれません。

患者が訊きたいのは、いかに「ストレス」を感じなくて済むのか、ということなのに医者は教えてくれません。

これに関しては、他のことは余計なことまで何かと翻訳してくれる左耳の住人も、黙して語らず。・・・この役立たずが!




ペタしてね

昨日の夕方、JR大阪環状線で起きたことです。

大阪に向かう電車に乗っていた私は、扉付近に立っていました。

電車が大阪駅の2つ手前の桜ノ宮駅に到着したときのこと。扉が開き、若い女性が電車を降りようとしているのが目の端に入りました。何か変な動きだなあと思う間もなく、その女性は前のめりにホームに倒れ込みました。

慌てて電車を降りて女性のもとに駆け寄った私と数人の乗客。彼女は意識を失っているようでした。

ホームに駅係員の姿はありません。この駅で降りる乗客はあまり多くなく、満員の車内とは対照的にホームには人影が疎(まば)ら。突然の事態に戸惑い彼女の周りに立ちすくむ私たち数人を残して電車の扉が閉まりました。まだ彼女の片足が車内にあるというのに・・・。

えっ?・・・車掌が駆け寄って来てくれるものと期待していた私には信じられない光景でした。何事もなかったかのように大勢の乗客を乗せた電車は目の前を通り過ぎて行ってしまいました。

その駅のホームは少しカーブしていて見通しが悪いので車掌には見えなかったのでしょうか?・・・ちょっと待ってよ!発車の合図は安全確認してからが前提でしょ!!

仕方なく駅の係員に連絡しようとインターホンなどの連絡手段を探しましたが何処にも見当たりません。普段降りることのない駅ですから、係員が詰めている場所もわからない状態。駅の出口はホームの両端にあるようです。8両編成?の前から3両目あたりに乗っていたので、付き添ってくれている人を残して、取りあえず距離が短いだろうと大阪方向に走りました。

大阪環状線は高架ですから、階段を下りなければなりません。30段以上はあったと思いますが、下りたところからまた階段を上がらなければならないようでした。見通しが利かない構造でその先に係員がいるかどうかも分からない状況。焦っていた私はUターンして今度はホームの逆方向に走りました。階段を駆け上がってホームで倒れ込んだままの女性と付き添っている同年輩の若い女性に声を掛けてから大阪駅と反対方向に走って階段を駆け下りる。

息が上がりそうになりましたが、駅員室を見つけて係員に状況を伝えました。白髪頭の係員男性の緩慢な動きにイライラしましたが、どうにか倒れている現場に連れて行きました。

女性は意識を取り戻して、付き添っていた女性とともに覚束ない足どりで出口に向かおうとしているところでした。どうやら付き添っていたのは倒れた女性の知人のようで、原因は貧血だろうとのことでした。

貧血ではないかなと私も思ってはいましたが、目の前で意識を失って反応がない人を見ると重篤な事態に陥ることも考えられるので体が動いてしまいました。

8両編成、1両当たりの長さが20mあるとして、全長160mの電車が停まるのですから、ホームの端から端までは160m以上あるということになります。

そのホームを1往復(ということは320m)プラス30段以上?の階段を2往復した私の方が息が上がり意識を失いそうでした(笑)

今回は大したことにならなくて良かったですが、無人のホームで緊急事態が発生した場合の駅の危機管理体制には不安を覚えました。

「緩慢な動きの」初老の駅員に訊ねたところ「お客さんから要請があれば救急車を呼びます」との何ともお寒い反応が返ってきました。

インターホンも設置されていないのに、どんな手段でその要請をせよというのか!
他に誰もいなかったらどうするのか?
たとえ誰かいたとしても1人しかいなかったら、倒れている人を置き去りにしてホームを走れというのか?

「意識を失いそうになっていた」私にはそれ以上突っ込む気力は残っていなかったので、そのままホームのベンチにへたり込んで、その駅員の後ろ姿を見送るしかありませんでした。

それにしてもJRさん!合理化でプラットホームの無人化は致し方ないとしても、危機管理対策は大丈夫ですか?鉄道会社にとって、乗客の安全第一が基本ではないのですか?

3日前の朝には京都府京田辺市のJR学研都市線の踏切で、電車の接近でいったん下りた遮断棒が突然上がり、複数の車両が踏切を渡った直後に再び遮断棒が下り、ほぼ同時に電車が通過するという、紙一重で大事故につながりかねない出来事があったと新聞で読んだばかり。

踏切の約150メートル手前でトラック2台、バイク2台が踏切を渡るのに気づいた運転士が非常ブレーキをかけたが、上がっていた4本の遮断棒のうち左右各1本が再び下りた時点で電車は踏切に到達し、先頭車両が約40メートル通過して停止したそうです。

踏切手前にある検知装置の誤信号によるもので、地中に埋設した絶縁ビニール製信号ケーブルがネズミにかじられショートしていたのが原因のようですが、現場は片側1車線の道路。幸い大事には至らなかったものの、危機一髪の事態を目撃した人は、電車が近づいているのに遮断棒が上がり車が通るのを見て、「大事故になった可能性がある」と声を震わせていたといいます。

JR西日本は「事態を重く受け止め、原因を徹底して調査し、再発防止に努めます」とコメントしたようですが、お決まりのコメントを何回聞かされたことでしょう。

8年前に乗客と運転士合わせて107名の犠牲者を出したJR福知山線での電車脱線事故の教訓が生かされているのか、甚だ疑問。大丈夫ですか?JRさん!


私が小学生の頃、学校で月1回程度映画鑑賞の時間がありました。学年単位あるいは低学年と高学年に分けて体育館で上映されるのです。私はこの時間を楽しみしていました。

暗幕で窓からの光を遮断して臨時の「映画館」が設営されるのですが、本格的な映画館と同じような暗闇の実現は不可能で、あちらこちから光の筋が射し込みます。その光の筋をよく見ると細かい塵が舞っているのが見えました。

典型的な入れ替え制。初回でなく2回目の上映の場合など、大勢の子どもたちがワイワイ騒ぎながら入れ替わった後ですから、埃が舞うのは必然。このとき誰もが光の筋を横切るときに息を止めていることに気が付きました。私も同じように息を止めて通り過ぎました。

しかし、光の筋が射し込んでいるところだけでなく、見えていない暗闇にも埃が舞っているはずだから、そこでだけ息を止めても無駄なことだと気付きました。見えないものの存在を具体的に意識した瞬間でした。それまでは何も考えず感じなかったのに・・・。軽いショックを受けたことを鮮明に覚えています。

今でも地下街の雑踏を歩くときなど思わず息を止めてしまいます。見えないだけで夥しい塵や埃が舞っているのは確実です。でも息を止め続けるのは不可能ですから、すぐに諦めざるを得ないのですが(笑)

作り立てが売りのベーカリーショップのパンなど、包装されずに剥き出しで店頭に並んでいる商品には、おそらくたっぷりと塵のパウダーが降りかかっていることでしょう。スーパーやデパ地下でも揚げたてのコロッケやフライドチキンなどがラッピングされずに並べられています。野菜や果物だったら水洗いすればいいのでしょうが、パンやコロッケはそうはいきません。大勢の人が行き来する場所に無防備に並んでいるパンやコロッケなどの食品類等々を目にすると、私は購買意欲が萎えてしまいます。

人通りの絶えない地下街のパン屋の店先で起きた突然の停電の事態。慌てず騒がず「お客さま大丈夫ですよ」威厳を保ちつつ備え付けの懐中電灯で商品を照らしたパン屋のご主人でしたが、懐中電灯と商品との間に伸びる光の帯の中で舞い踊る塵や埃の乱舞を客に見せる結果となって、威厳も余裕も何処かへ飛んでいってしいましたとさ、という笑い話のような事態も起きるかもしれません(笑)

見えないことでの安心は見えることで一気に不安へと転換してしまいます。

今問題になっている PM 2・5 と呼ばれる中国からの大気汚染物質も、目には見えない微小な粒子。黄砂や花粉より小さくインフルエンザウィルスよりは大きいサイズということですから、普通のマスクでは遮断効果は期待できないと専門家は言います。

目に見えない物質によって視界が遮られて景色が霞んでしまうのですから、日本でも相当大量に浮遊しているのでしょう。人体に有害な微粒子が体の奥深く侵入することを想像すると怖いです。不安です。

(環境省大気汚染物質広域監視システム『そらまめ君』のホームページをご紹介します。 ⇒ http://soramame.taiki.go.jp/ アクセスが集中していて繋がりにくいですが、一度ご覧になってみてください。)

大阪市立桜宮高校で起きた、体罰と呼ばれる教育現場での暴力が原因と考えられる高校生の自殺事件は、日本柔道界はじめ様々なスポーツ界の構造的問題として波及し拡がりつつあります。

これまで見えなかった問題がスポットライトを浴びたために見えたとも言えますが、臨時映画館としての体育館の塵のように、光が当たらないと見えないのをいいことにして、都合の悪いことは見なかったことにしてきたということではないでしょうか?

私たちは、見えないことで安心もし、放射能やウィルスなど見えないことで不安を覚えます。見えないことで安心しているけれども、見えたら恐ろしいことが他にもいっぱいあることでしょう。見えないのを幸いに、暗黙の了解で存在しないことにしてきたことも多いのではないでしょうか?

「見えないこと」と「見ないこと」とは似て非なるもの。目の前にあるものも目を瞑れば見えなくなりますが、存在が消えるわけではないのは当然のこと。

「見なければならないもの」まで「見えなくする」ことで、一時的には不安や問題が解消できたように思うのは大間違い。ただ逃げているだけです。

見えないものや見えないことも意識して生きていくことは、しんどいことだと思いますが、逃げていては何も解決しません。

見えないことで安心するのか、それとも見えないことで不安を抱くのか?
見えざるものに如何に向き合うべきか、今、私たちに問われているのかもしれませんね。


ペタしてね

中国の大気汚染がとんでもなく酷い状況に陥っているようですね。

新聞やテレビの報道によると大気汚染が原因で既に数千人の死者が出ていると言います。しかし、この情報、どこまで信じていいのか、ちょっと悩んでしまいます。もっと少ないのかもしれませんし、多いのかもしれません。

この死者の数ですが、そもそも大気汚染を原因とする根拠がどんなものなのか?また、人口すら推定でしか把握できていない中国が、どのようにしてこの数字を把握したのだろうか?と私の頭の中には??マークがオンパレード。

大地震や災害などで多数の死者が出たときも、全人口から見たら大したことではないというような人命軽視発言が指導者と呼ばれる人物の口から発せられます。13億人を超える世界第1位の人口をかかえる中国にとって、国民は消耗品とでも位置付けられているのではないかと勘繰ってしまいます。

それはともかく、中国発の大気汚染物質が国境を越えて朝鮮半島から日本列島にまで到達するというのですから、もう他人事ではありません。私が住む関西地方には既に影響が出ているようですから迷惑千万と言わざるを得ません。ほんと、中国って国は・・・。

しかし、日本も偉そうなことは言えません。大気汚染公害の先駆者ですから・・・。

幼い頃、父に手を引かれて珍しく「お出かけ」したときのことでした。
工場の何本もの煙突から黒い煙がもくもくと立ち上っているのを見た私は父に尋ねました。
「あんなに煙が出たら一杯溜まって空が見えなくなってしまうんと違う?お日様が見えなくなったらどうしよう」
父は笑って
「子供やなあ。心配せんでもすぐに消えてしまうから大丈夫や」

「けど、どこに消えるの?大人になったらわかるのかなあ?」
口には出せず、小さい心に釈然としない思いが残りました。

私が大人になるのを待つことなく答えが出ました。残念ながら、子どもやなあと言われた私の懸念が当たりました。

大気汚染が大問題となり、公害という言葉が大きくクローズアップされたのです。

特に大阪は「煙の都」と称されるほどで、光化学スモッグが発生。光化学スモッグ情報が発令されると、学校でのプールの使用が中止されて、できるだけ外出も控えるようにと言われました。当然の結果として、工場地帯に近いところに住む人たちの中に呼吸器の不調を訴える人が続出しました。

「霧の都」と呼ばれたイギリスのロンドンと肩を並べたような錯覚に囚われ、変な優越感さえ味わっていた「煙の都」大阪は勿論のこと、日本中が現実に目を覚まさなければなりませんでした。

その後の排出規制などによって時間と費用はかかりましたが、現在の日本では比較的大気汚染は解消されたように思います。

高度経済成長期を迎えていた日本では避けては通れない道だったのかもしれませんが、環境や人命を犠牲にして産業・経済を優先したツケは大きかった。

一時期の韓国もそうでしたが、経済成長に躍起の現在の中国も歴史に学んでほしいものです。他国の歴史も真摯に、です。

昨日は仕事の関係で大阪市内に8時間ほど滞在しました。ほとんどは室内で過ごしたのですが、午後になって用事で外出し、1時間ほど外を歩きました。晴れているのに心なしか景色がかすんで見えましたが、後半頭が重くなってきたように感じ、鼻の奥に違和感を覚え始めました。

室内に戻ってからも、風邪の引き始めとは少し違った違和感は消えることはありませんでした。

晴れていて夕焼けが美しいはずの時間帯に郊外の(と言っても大阪市からそれほど離れていませんが)自宅に戻りました。

中国からの大気汚染物質に起因するものであるならば、大阪市内と郊外とで違いはないのは当然で、私の住む町でも遠くが霞んでいてクリアーな夕空とは違うものでした。帰宅してすぐにいつもより念入りに「鼻うがい」をして少しスッキリした気分を取り戻すことが出来ました。

日が代わって、この文章を書いている今も、外の景色が霞んで見えます。いつもなら遠いけれどもくっきり見える六甲の山々も霞の向こうにぼやけています。決して曇りがちだからという天候のせいばかりとは思えません。確証はありませんが、やっぱり、中国の大気汚染物質が影響しているのでしょうか?

もう少ししたら、黄砂も飛んでくることでしょう。それに加えて花粉の季節もやって来ます。「複合汚染」という懐かしくも忌まわしい言葉が頭に浮かびます。

そろそろウォーキングに出たいのですが、今日はやめておこうかな?
中国の大気汚染は私の気持ちにまで影響を及ぼすのか、と霞んだ遠くの景色を焦点の定まらない眼でぼんやりと眺めています。


ペタしてね

体調は如何ですか?

挨拶代りに人からよく訊かれます。
どう答えたらいいのだろうか?ほんの一瞬ですが空白の時間が流れます。

たとえ挨拶代りの問い掛けだと分かっていても、(基本的には)生真面目な私としては真剣に受け取ってしまい返事に窮してしまうことがよくあります。

普段は軽口ばかり叩いている自分のことを棚に上げて、相手の軽口には少々過剰に反応してしまう傾向あり。勝手なものですね。軽く受け流せばよいことでも心のどこかに引っ掛かってしまうのですから質が悪い。

挨拶代りだなんて失礼な。こちらは真剣に訊いているんですよ。
多くの人はそう思われるでしょうね。そうですよね。決して挨拶代りに訊いておられる方ばかりではないと思っています。ごめんなさい。

ではなぜ答えるのに躊躇してしまうのでしょうか?

正直なところ、すこぶる快調という状況ではないからなんです。

「お陰さまで快調ですよ!」
軽く流せばいいのにと思いますが、それではやっぱり自分の心にわだかまりが残ってしまいます。

だからと言って、
「耳の具合が悪くてねぇ(ノ_・。)。ほら、突発性難聴の持病があることを前にお話ししたでしょう。その症状が最近また酷くなってきて弱ってるんですよ。体調は如何ですか?というあなたの声も二重に聴こえているんですよ。歌を聴いてもソロがデュエットに聴こえたりしてね。まあ、ハモって聴こえて面白いとも言えますけどね♪ははは」

こんなことを正直に言っても、そんな答えなんか期待していなかった相手を戸惑わせるだけ。

他人に自覚症状を説明することの難しさを思い知り、伝わらなかったことに対する無力感、徒労感を味わうことは、この病の誘因の1つであるストレスを生じさせるばかりですから、余程のことがない限り具体的に相手に説明する必要はないのだと、この歳になって悟りました。遅すぎ?(/ω\)

若い頃とは違って、徐々に思うように活動が出来なくなっていく我が身に愕然とします。脚が痛いだの、目が歯が耳が、と訴えるお年寄りを疎ましく感じて目をそむけてきた報いでしょうか?

今はおとなしくしてくれているようですが、腰にも爆弾を抱えていますし、記憶力も確実に衰えているの痛感しますから、先行きに不安を覚えます。

何といっても健康が一番だとつくづく思います。今まで味わえなかった痛みやツラさを経験できる喜び?なんて、知りたくもなかったです。

でも、現実を見据えて生きていくしかありません。

ずいぶん愚痴っぽいブログになってしまいました。お詫びします。

あっ、マイナス思考の文章の後に少しはプラス志向の味付けを(笑)
今年も1日平均1万歩を目標にしているウォーキングですが、昨日現在で1万歩台を維持していますのでご報告させて頂きます。さて、今日もそろそろ出かけなければ・・・。

では、誤字脱字がないかを視力の衰えと格闘しながら、パソコン画面で確認してからアップさせていただきましょう(笑)


ペタしてね