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『その彼のために一歩を踏み出せるということは、お前が孤独ではないということだ』
就職がなかなか決まらず数打つうちの一つ、文藝の会社に就職が決まって早一年。
志もなく、勝手もわからないまま仕事をこなす中で同僚上司といい関係も築ける筈もなく、言葉が空に浮く日々を過ごしていた。そんな中社内で同期の人間がいじめを受けているという噂を耳にした。席が隣の彼の顔が浮かないことも、空気がどこかおかしいことは何と無く気づいていたが、自分にその矛先が向いていないことをいいことに、気づいていないふりをしていたことに、気づいていた。それを無視したのも自分だ。
社内にい続けることに耐えられなくなり、原稿の催促に作家の家を尋ねると、あと少しで書き上がるから待つように言われた。文机に向かう丸まった背中を前にいたたまれなく座を正していると、顔色が悪い、と作家が原稿から顔をあげることなく呟いた。独特の雰囲気に呑まれたのか訥々と自分の置かれている状況について話してしまい、らしくないことをしてしまったと顔をあげると、一切姿勢の変わらない作家がそう吐き捨てた。
「…でも自分はそんな強さもなくて」「強さとは後からくるものだ」「今からでも、遅くないのでしょうか」「いまが遅いと言うのなら、明日はもっと遅いだろうな」
手を止めないまま、自分に話しているか確かでないような空気を纏っていた。呆けていると「できた。」と原稿を突き出してきた。受け取って家を出る前に振り返るとこちらを見ることもなく何もない空に手をかざしていた。まるで猫を撫でるように。
いまは早く会社に戻って隣の彼に挨拶をしたい。ありがとうございますと言い残し作家の家を出た。
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皆さんこんにちは。
いつになっても、いくつになっても人の幸せを喜べるような人間でありたいと思うわけなのです。
特に自分のすきな人ならなおさら、嬉しい報告とかをしてもらえることが嬉しくて。
なんでそんなこと思ったかというと、逆の話のようだけど友達の悩み相談を聞いていて。
いやその友達も本気で悩んでたしなるべくその人の気持ちを慮りながら話を聞いてたんだけど。
個人的にはその人の気持ちに同調するのではなく一番かけてあげたらいい言葉を考えてるタイプなんです。
ひと段落してからふと人の幸せを願うことには自分の幸せも付随してくるもんだなと思ったんです。
人の幸福を、前進を、喜べるには自分に余裕がないと難しいと思うんですよ。
友達の悩みに肩を寄せながらそんなことを思っていました。
幸せだから願えるのか、願うことによって自分も幸せになるのか。
順番はさておいて、その幸せの循環には結果としては自分の中にもかけがえのないものが生まれていると思うんです。
言うなれば、「愛」。
…ちょっとクサすぎるか?笑
そう思ってしまうのもいろんな愛の形に日々触れているからなんでしょうね。
僕は幸せもんです。
エーステ間も無く開幕です。
愛の形、愛のすれ違いと渡し合いの話。
毎度凄まじいエーステの進化と多幸感。
それも監督からの愛のおかげです。
8年目にしてそれを実感してばかりの稽古期間でした。
早く監督と一緒にこの季節を過ごせるのが楽しみです。
精一杯頑張ります。
よろしくお願いしますね、監督。
春組に囲まれてるの図。
それでは今回はこの辺で。
ほなまた
