最初にお断り致しますが、決してこの手の行為を推奨している訳ではありません。あくまで自己責任の上、自身の方法を残して置く為ですので、ご理解のほど、よろしくお願い致します。決して真似をして最悪スマホが「文鎮化」してしまう可能性もあるので自己責任でお願いします。

 

またこの手の方法等に関しては、各サイトをお調べいただければ、ある程度情報が得られます。私も十分参考にさせていただき、それを複合した結果をまとめてるだけなので、自己流です。

 

 

SIMフリー化に関しては、一部サイトで見かけたのですが、XT06HT・X06HTⅡは既にサポート等も終了してる為か?スマホを起動させても数日か数カ月後に「サービス終了」と画面表示?が出て、使えなくなるそうです。それを回避?刷るには、SIMフリー化し別のSIMで運用刷るか、アンドロイドOSを変更し、スマホの中身をまるごと交換刷ると言う事です。

 

手順ですが、スマホを電源OFFにし、スマホのボリュームボタン下と電源ボタンを同時押しでHBOOTを起動します。起動後、画面の切り替えは電源ボタンを交互に押すことで、青文字の「HBOOT」モードと赤文字「FASTBOOT」モードと切り替わります。青文字のHBOOTモードでは、スマホ本体を直に操作してリカバリー等を行なうもので、赤文字の「FASTBOOT」モードでは、パソコン側から、先の別のお話で触れた「adb shellコマンド・ライン」で「FASTBOOTコマンド」を使う為に必要になります。今回は赤文字のFASTBOOT状態にして、パソコンに接続します。*年の為、パソコンのデバイスマネージャーで「Android Phone」のスマホのドライバーが「Android Bootloader Interface」に成ってるか再確認してください。

 

次にSIMフリー化ソフト「HTC_Desire_Unlock_v0.9.5.exe」を起動し、自動的にインストールが開始され、途中でHBOOTをSIMフリー化ソフト側で起動させるので、スマホ側がそのまま放置します。

以下はその際のコマンド・ラインの動きになります。

 

 

 

HTC Desire SIM-Unlock Utility v0.9.5
                            by sieempi

No device found!
Please enable ADB and connect your phone to the computer!
Waiting for device!........................................................
.......

Found HTC Desire (Bravo) with serial number: HT04DPL03056!
Your phone will restart to hboot and then shortly reboot to Android.
Although this is a brick-free solution, do not disconnect the phone from th
computer during this procedure, nor navigate in hboot menu.
Error 13a: AdbReadEndpointSync returned error 31

Waiting for hboot!......................................................
*この時、HTBOOTが起動します。
Found device with serial number: HT04DPL03056


       Done! XD
       Everything seemed to have gone flawlessly so far.
       Now go paypal me a beer! ;)


FAQ, Disclaimer & Support: www.sieempi.eu

Runtime: 69.17 seconds!
<!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//IETF//DTD HTML 2.0//EN">
<html><head>
<title>400 Bad Request</title>
</head><body>
<h1>Bad Request</h1>
<p>Your browser sent a request that this server could not understand.<br />
</p>
</body></html>


Any key to exit...

そのままパソコン側で勝手にソフトが終了刷るので、実際にドコモ等のSIMを差して認識されればSIMフリー化の完成になります。*因みに昔使っていたEmobileのSIMを差したらちゃんと画面上に「Eモバイル」と表示出ました。


次はS-OFF化についてお伝え致します。

 

最初にお断り致しますが、決してこの手の行為を推奨している訳ではありません。あくまで自己責任の上、自身の方法を残して置く為ですので、ご理解のほど、よろしくお願い致します。決して真似をして最悪スマホが「文鎮化」してしまう可能性もあるので自己責任でお願いします。

 

またこの手の方法等に関しては、各サイトをお調べいただければ、ある程度情報が得られます。私も十分参考にさせていただき、それを複合した結果をまとめてるだけなので、自己流です。

 

手順ですが、最初にパソコン本体に「Android SDK」キットや「Android USB Driver」を事前にインストールし、「adb shellコマンド」が使える状態にします。また経験上「Windows 7」のOS環境下を推奨します。実際「Windows 10 32Bit」環境下で行いましたが、特定のソフトが起動しない、コマンド・プロンプトが受け付けない等、互換性が怪しい部分が自身の環境では有りました。

*改めてWindows 10 32Bit環境下で上記作業が出来ました。

 実のところ、この作業自体手探りで初めた結果、その時のWindows 10の環境下でじっくり検証出来ない部分があるのと、

 試行錯誤を重ねた結果だと思うので、この辺は難しいところです。

 で、実際に成功した手順ですが、

 1adb-setup-1.4.3.exeインストール
 2jdk-8u144-windows-i586.exeインストール

 次にplatform-tools-latest-windows(解凍し中身を取り出す。)
 を新たなフォルダー「Android SDK」の場所にそのまま移動する。
 その後、ウインドウズボタン右クリック「ファイル名を指定して実行」内に
 「control sysdm.cpl」を入れて実行する。
 システムのプロパティが開くので、その中の詳細設定タブ→環境変数を開き
 システム環境変数内の「Path」を編集で開き、以下の項目を追加する。
 「C:\Android SDK\platform-tools」

 以下のコマンドを実行しスマホが再起動すればOK

 \Users\admin>adb shell
 root@bcm:/# reboot
 

 補足ですが、

 

 c:\Android SDK>adb shell
 shell@android:/ $ su
 root@android:/ # reboot recovery

 

 だと、リガバリーが起動します。

 

 

因みにubuntu等のLinuxにインストールする場合は、

javaとgradleが事前に必要になるので、

事前にインストールしておきます。

*パソコンをネット接続出来てる状態で作業してください。

以下のコマンドラインは全てネットからソフトをダウンロードするものです。
 

コマンドラインを開き、

 

  sudo apt-get install openjdk-8-jdk
  sudo apt install gradle

 

を順にインストールする。

 

インストールされたかそれぞれ確認する。

 

  java -version

 

openjdk version "1.8.0_181"
OpenJDK Runtime Environment (build 1.8.0_181-8u181-b13-0ubuntu0.18.04.1-b13)
OpenJDK Server VM (build 25.181-b13, mixed mode)
 

  gradle -version

 

Gradle 3.4.1
------------------------------------------------------------

Build time:   2012-12-21 00:00:00 UTC
Revision:     none

Groovy:       2.4.15
Ant:          Apache Ant(TM) version 1.10.3 compiled on July 19 2018
JVM:          1.8.0_181 (Oracle Corporation 25.181-b13)
OS:           Linux 4.15.0-34-generic i386

 

とそれぞれ表示されればOKです。

 

次に、android-tools-adbパッケージをインストール。

同じくコマンドラインに、

 

 sudo apt install android-tools-adb

 

インストール後、

 adb version


Android Debug Bridge version 1.0.36
Revision 1:7.0.0+r33-2

 

と表示されればOKです。

後の使い方はWindows側と同じです。

 

 

次にスマホ側で「設定-アプリケーション-開発-USBデバッグにチェックを入れる」を行い、スマホとパソコンを接続します。

パソコンに初めてスマホを接続するとドライバーのインストールが始まりますので、先にインストールしたAndroid USB Driverを当ててください。パソコンのデバイスマネージャー内の「Android Phone」のスマホのドライバーを「Android Bootloader Interface」に変更してください。

*これが「HTC」のドライバーのままですと、後に使う「adb shell」コマンドを使う際にスマホが認識出来ません。

 

スマホとパソコンが認識されたら「unrevoked3.32 reflash_package」をダウンロードし、パソコン側で起動させます。確認ボタンが出るので「OK」すると自動的に開始されます。しばらくすると数回ほどスマホが再起動するので、その後スマホ側で「HTBOOT」内のリカバリモードに入ったら、”reboot system now”を選択します。なお選択には光学ジョイスティックを使用します。スマホが起動し、アプリケーション内に「SuperUser」のアイコンが出来ればルート化は完了です。

 

次はSIMフリー化についてお伝え致します。

 

今から10年ぐらい前にソフトバンクから最初のスマホとして販売されました。ディスプレイの違いで前期型と後期型に分かれており、前期型は「有機ELディスプレイ」が搭載され、その後サムスン電子から有機ELディスプレイの供給が困難に成った為に、後期型ではソニー製の通常の液晶パネルに変更し、名称も「XT06HTⅡ」と代えて販売された珍しい経緯があるスマホでした。一番の特徴?として後にも先にも、この端末のみ所謂「銀SIM」カードや「プリペイドSIM」カードが使える珍しい?スマホでした。(その後発売されるアンドロイドスマホは所謂「青SIM」カード専用で、他のSIMを挿しても動作しない仕様になりました。ただ「SIMロック解除」した場合は解りません。)また話が前後しますが、有機ELディスプレイは全てに置いて優れた性能を有するディスプレイで、最近では「iPhone X」で採用されたのは新しいところです。コストが掛るディスプレイ故に普及率はまだまだなのが現状です。

 

今更このスマホを取り上げたのは、某リサイクルショップでジャンク品で「1000円」で売られて居たので買ったんですね。丁度自身の携帯電話は銀SIMなので「SIMを差し替えて使えるのでは?」と考えたんです。実際携帯電話のバッテリーもへたって来たので「渡りに船」と思ったんです。で、ジャンク品で入手したんですが、バッテリーは充電出来てディスプレイもタッチ出来ました。ただ、そこはジャンク品、やっぱり不具合は有りました。なんと電源ボタンと中央の光学ジョイスティックボタン以外の物理ボタンが全て動作しないと言う結果でした。ただ私もこの端末に関して予備知識を以前から勉強し知識を蓄えていたので、なんとか復活しようと思い立ったんです。

 

作業の流れとしては、

ルート化→SIMフリー化→S-OFF化→カスタムROMのインストール→各種設定の変更→終了

       

になるのですが如何せん、何を刷るにもHTC独自のブート画面「HBOOT」に入る為には「ボリュームボタン下と電源ボタンを押す。」この作業が物理的に出来ないんですね。その後色々調べるうちになんとか出来る事が判明したので、ようやく全てのステップをクリア刷ることが出来ました。

 

 

なお、今後説明等で名前が上がる各種ツール関連は、個人でお調べいただき入手されればと思います。と言うのも明確な答えが出ない世界でもあり一歩間違えればスマホが起動すらしない「文鎮化」にも成りかねないので、決して「推奨」刷るでなく、あくまで「参考」としてと意味合いと、一番は当方の予備録的な意味合いですので、よろしくお願い致します。

 

次は、ファーストステップとして、ルート化についてお伝え致します。

 

マックを収集する傍ら、Windowsパソコンにも興味を抱き、幾つか収集する羽目に成った中で、一番のお気に入りのメーカーは「IBM」の「ThinkPad」シリーズでした。最初に手に入れたのは、通称「バタフライ」と呼ばれた「ThinkPad 701c」でした。

中古品を購入したのをキッカケに、「ThinkPad 535」や「ThinkPad 560」「ThinkPad 600」「ThinkPad 240」等買い漁りました。どのノートパソコンも特徴が有りましたが、その中で最後まで所持し続けたのもが、今回紹介する「ThinkPad 235」、別名「チャンドラ」になります。

 

 

チャンドラに関しては話が長く成るので、個々でお調べいただければと思います。この「ThinkPad 235」は実はIBM製であってIBM製じゃありません。日本IBMとリコーの折半で設立した会社「ライオスシステム」社から名前を「ThinkPad 235」として出した製品でした。なので、日本IBMで独自で設けていたノートパソコンの耐久テスト「トーチャーテスト」適応外製品でした。チャンドラの発売後の人気を見て日本IBMもその波に乗っかるほど、当時それだけの人気があった機種だったんですね。因みに日立からも色違いで発売されてました。

 

はい、色違いなだけで全て一緒です。

 

恐らく「HITACHI」のロゴを付けた「OEM製品」で販売されてたものです。性能に関しては発売時期に寄ってCPUやメモリー、HDDの容量構成が違うだけでまんま「ThinkPad 235」とほぼ同じと言ってもいいです。で、どちらも所持してました。

何故これを買ったかと言いますと、当時「モバイルパソコン」を非常に物色した時期がありました。

東芝の「Libretto」だったりNECや富士通の小型ノートパソコン、海外メーカー等も視野に入れて探した時に、偶然チャンドラと呼ばれた小型のノートパソコンの存在を知りました。筐体サイズがコンパクトな割にPCカードスロットが「3枚刺し」出来る拡張性の高さ、小型故に各種ポートが排除される事多い中、VGAポートやシリアルポート等必要最小限のポート類が付いており、更に小型化されてもA4サイズのノートパソコンに引けを取らない性能の持って居た事に魅力を感じたんですね。

その後、日立のチャンドラから収集し始めて、IBM製のThinkPad 235を入手。しかもかなり珍しい「英語キーボード」モデルでした。(写真のものは日本語ですが、その後英語キーボードモデルに差し替えていました。)

専用のレザージャケットを付けて、当時NTTドコモの「P-in m@ster」を差して実際にモバイルしてました。性能は幾つかモデルがあり、MMX Pentium 266MHzのモデルで運用してました。メモリーもMAX160MB(当時ノートパソコン用の128MBのIDEのメモリーが高価でした。)にして、HDDも40GBでした。性能に関しては既に古いものでしたので、殆ど趣味の領域の使い方でしたね。ネットやメール、簡単なソフトを動かす程度しか出来ませんでしたので。ただデメリットもあり、筐体が「プラスチック」なんですね。これ。なので、落としたら割れます。またCPUファンも無いので、排熱も厳しい事もあります。それでも用途を絞れば、小型でステレオスピーカー対応で、各種ポート類完備、拡張性の高さ等、相殺出来る「ドリームマシン」だと思います。

最後は諸事情で手放しましたけど、魅力有ったノートパソコンでした。

 

「DEC」と聞いてピンと来る方は、恐らくIT業界人のみだと思います。正式名称は「Digital Equipment Corporation」略して「DEC」と呼ばれたコンピューター会社がかつて有りまして、ロゴマークは赤字で「d i g i t a l」でした。

そのデジタル社が一時期パソコンを製造販売していた時期が有りまして、そのノートパソコンがこれになります。なお、その後幾つかバリエーションを出した後、経営不振に陥り倒産、その後コンパックに買収されますが、そのコンパックさえも経営不振に陥り、現在のHPヒューレット・パッカードに買収されて消えた波瀾万丈な経緯があります。

 

写真のモデルは「DEC HiNOTE」でその数年後ぐらいに「DEC HiNOTE Urtra」と「DEC HiNOTE Urtra2」呼ばれる、厚みが薄く成ったモデルも発売されました。一応私はどちらも所持してまして、思い入れが有るのは「DEC HiNOTE Urtra2」の方でしたね。結構付属品やオプション品を買い漁った記憶がありますが、何故か写真を取って無かったんですね。非常に残念です。ですので、たまたま初代?モデルがあったので、紹介しました。

英語キーボードがカッコ良くて、打鍵感も悪くなかったのと、トラックボールが何気に使い勝手良かった記憶があります。性能に関しては486DX4/75MHzで液晶は確かSTN液晶だったと思います。買った時は完全に型落ちであり性能云々と言うよりデザイン優先で中古で安く買えた事が重要でしたね。使うと言うより「オモチャ」でしたから。

 

オールドマック収集で一番のお気に入りはこの「MacintoshSE/30」でした。写真はボケてますが、この筐体特有の日焼けが少ないものを探す事から始まり、程度のいいロジックボードや内蔵HDD、フロッピードライブ、キーボード、マウス、OS等を一式揃えるのはとても大変でした。それこそ暇を見つけては、秋葉原や某オークションサイトを終日探しての日々でした。この頃の中古市場は徐々に下火に成りつつ有り、段々出物が出なくなる一方でしたね。特にオールドマックに関してはそもそも玉数が少ない関係、特に一体型コンパクトマック(PlusやSE/30等)はレアアイテムになって値段が数倍に上がった事もあって入手はとても手間暇掛かりました。ただそれでもトータル10万円は掛からなかったと思います。運良く安く買えた事が多大にありました。以下はその時の写真になります。

起動画面。

本来は漢字6.0.4が確かオリジナルの付属のOSだと思います。

それを漢字Talk7.5.3にしましたね。

理由はメニューバーから検索で「all about」のキーワードを入れるといわゆる「イースターエッグ」のお遊びとして「BreakOut」今で言う「アルカノイド」のゲームが画面の中央に出現し遊べるからです。イースターエッグについては他にも開発者写真が出たり、文字だけだったりで、アルカノイド系で実際に遊べるタイプは確かこの漢字Talk7.5.3だけだと思います。そんな理由だけですね。あとネット接続出来る機能もこのバージョンから出ないと簡単に使えないとかも確かあったと思います。

「モード32」のプラグインが懐かしいです。

このプラグインを入れないとメモリーの認識がデフォルトの16Bitまでしかシステムが認識できず、128MB挿していても32MBまでしか認識出来ません。なので最大128MBを認識させるための必要なプラグインだったと思います。

起動後のディスクトップ。

ここまでの起動で数分前後ですね。

 

 

このようにメモリーが「128MB」です。これだけあるとまあ快適だろうと思いますが、実際はシステムもソフトもさほど負荷がかかる時代でも無いので、正直ノーマル最大32MBでもなんとなります。まあこの辺は趣味の領域です。出来ることは何でもする感じですね。

しかしロジックボードのバージョンや前期型後期型等では、そもそも16MBのメモリー自体を認識出来ないロジックボードもあるので、私の所持してたこのモデルは奇跡的に認識出来た貴重なロジックボードでした。HDDは普通のSCSIの2GBでした。確か予備でも5GB等のHDD複数有りましたが、システムもソフトもそんなに大きく無いので逆に無駄に容量多いだけになります。

起動時エラー。

こういう遊び?がマックならではですね。

元日から三日間までに起動すると、こういう遊びがあります。

方法は簡単で日付を元日に変更刷るだけですので、変な話、

毎日あけましておめでとうございます出来ますwww。

非力ながらもネット接続出来たんですね。

因みにこの時のネット環境ですが、SCSIポート接続出来る外付けのLANBOXポートに、写真にありませんがバッファローの無線LANコンバータを接続して無線化して、ネット接続してました。

このSCSIポート接続出来る機器もかなりのレアアイテムでしたね。

これがないと一本しかない拡張スロットにLANボート挿すことしかLAN化出来ません。なのでネットワークをSCSI経由で強化し、尚且余った拡張スロットを別のスロットカードで更に強化出来る算段も出来ました。

あと表示されてるブラウザーは確か「ネットスケープ4.7」だったと思います。勿論この時はまだ「クローム」なんて存在しません。マックと言えばNetscapeの時代でした。ちなみに「iCab」も軽量でNetscapeと使い分けてました。

勿論白黒2階調しか表示出来ません。

まあ辛うじて何が表示されてるか判断出来る解像度ですね。

グーグルもちゃんとアクセス出来ました。

勿論日本語は問題ありません。

 

コンパクトマックの中では前回紹介しました「Macintosh Plus」に次いで最高のマックだったと思います。コンパクトマックでCPUが「68030/16MHz」でしかもコプロセッサ内蔵だったんです。(当時はコプロセッサは基本「オプション」の上に載せる場合、倍の値段しました。)繰り返しになりますが、特筆すべきは、メモリーがSE/30だけ非公式ながら128MBまで搭載出来た点ですね。(発売された当時は16MBのメモリーがまだ開発されておらず、8MBさえ高額な時代でした。公式では4MBを8枚指すことで最大32MBまでしか搭載出来ない事情がありました。なお、メモリースロットが8本有るのもこのSE30だけでした。)

後の基本的機能に付いては他のマックでも可能です。

デメリットを上げるなら、モノクロブラウン管モニターと拡張スロットが一つしか無い事ですね。たった一つの拡張スロットにCPUカードからLANカード、グラフィックカード等を差して、一時的に性能アップを刷ることでマシンの性能をカバーすることが出来ました。中でも特殊なグラフィックカードを差してブラウン管に若干の改造を加える事で、モノクロから256色表示可能なグレースケール仕様に出来ました。(と行っても256色のモノクロ表示であってカラーではありません、そもそもブラウン管がモノクロですから。)

とにかく色んな事が出来た上に、製品寿命も拡張カードー等指すことで伸ばすことが出来た、珍しいパソコンでしたね。

とても大切にしてましたが、止む終えない諸事情で手放しました。

 

今の時代はスマホが完全に市民権を得ておりますが、それ以前は「PDA」と呼ばれる小型携帯端末の概念があり、多数のメーカーから様々なPDAが作られていました。

日本で有名なのはシャープの「ザウルス」で、

当時は「ビジネス手帳」のカテゴリーで日本で認知度はあったと思いますが、恐らくPDAのジャンルに含まれるかと思います。そのPDAの概念を最初に具現化したものが、アップルで開発された「Newton MessagePad」なんですね。

*写真がボケてるのは、ポラロイドカメラの写真をデジカメで接写したからです。

 

写真モデルは「Newton MessagePad 130」になりますが、筐体のデザイン変更、CPUやメモリーの仕様変更、製造時期で、幾つかのモデルが存在します。

最終モデルは「Newton MessagePad 2100」で、デザインはこのモデルとは大分違いますし、何より当時数十万円と高額だったので、結局売れずにそのまま消えてしまいました。

ちなみにこの最終モデルも偶然中古で入手する機会があり所持してました。これはこれで素晴らしく、PCカードスロットを2つ備えて居たので、モデムカードやメモリーカードを挿してネット接続だったり、多数のソフトを入れたりとある程度遊べました。

このMessagePad 130ですが、「バックライトモデル」と呼ばれたもので、緑色のバックライトが点灯出来たんですね。今でこそ「バックライト?なにそれ?」ですが、当時はバックライトを付けるのにも技術力が必要な時代でしたし、コストの関係で止む終えずバックライトを見送る事がありました。液晶をモノクロからカラーに刷るにも大変な時代だったんです。当時革新的だったのが、今までボタンを押す事で全ての動作を完了してたのが、このスタイラスペンが大変素晴らしい出来栄えでした。それこそメモ帳に物を書く感覚で、手書き入力を実現し自由に操作が出来た点と、「NewtonOS」と呼ばれるOSを解析刷ることで、一部の有志の方々が専用ソフトを作成し、使い勝手の幅が広がったんですね。これは地味に凄かった事でした。とは言え、当方にはプログラミングの技術も無いので、購入動機もシンプルに、アップル製品でデザインがカッコイイとか、当時PDAに興味があったと言うだけで、これでなにかしてやろうと言うことでは無かったですね。当時はこれと外付けのアナログモデムを繋げて、電話回線のモジュラージャックに差してダイヤルアップ経由でインターネットをして遊びましたね。今でも一部ネタで、iPhoneの「始祖・元祖」と言われたり、アップルの黎明期の黒歴史とも言われた波瀾万丈の端末だったと思います。

最初にパソコンを買ったのは、知り合いの方がアップルの「マッキントッシュ」を使っていたので、その影響でたまたま家の近所の中古パソコン店で「PowerBooK5300c」を買ったのが始まりでした。それから所謂「オールドマック」なる懐古趣味的な道にハマりまして、様々なマッキントッシュを安く秋葉原や某オークションサイトで買いまくった時代がありました。これから紹介刷るのは、その一部になります。

 

*写真がボケてるのは、ポラロイドカメラの写真をデジカメで接写したからです。

 

ピンぼけしてますが、「Macintosh 512K」になります。

確か「Macintosh Plus」のロジックボードを載せ替えて居たと思います。

因みに「512K」の意味はメモリーが文字通り「512キロバイト」なんですね。今の時代では「キロバイト」の単位も死語と化してると思います。で「Plus」になると「1MB」、ようやく「倍」に成ったんですね。発売当時の1MBは数十万円の時代ですからね。ただ私は全て中古品を買ってるので、それでも良い出物で数万円で買ってました。キーボードやマウスも別途揃えてましたね。1.44MBのフロッピーディスクにシステムや最小限のスクリーンセーバー入れて「水槽」と化してました。*因みにPlus以前のコンパクトマックのFDDは2種類有りまして「2D」は128K&512K、「2DD」はPlusにそれぞれ搭載されていました。ピンと来た方おられるかも知れませんが、所謂「ワープロ」のFDなんですね。認識できませんでした。2Dは400KB、2DDは800KBの容量しかありません。なので、その後登場する1.44MBが読めるFDDを載せ替える事で、フロッピーディスクの容量アップが出来たんですね。そこまで試行錯誤しないと、FDDだけでシステムやソフトを入れる事が不可能だったんです。

後に大変レアな外付けのFDDポートに接続できる「20MBのHDD」を入手しそれにシステム入れて遊んでました。HDDで20MBですからねwww。発売された1984年はパソコン創世記ですから、何もかもが新しい時代だったんです。

 

次は「PowerBook100」になります。

*写真がボケてるのは、ポラロイドカメラの写真をデジカメで接写したからです。

 

勿論白黒の2階調表示しか出来ません。

全てが2色の色で何もかもを見る時代なんです。

これを当時の人達は真面目に大金払って購入し、仕事?等で利用してたんですから凄いと思いますよ。

まあ用途は今で言うOffice系ソフトだから可能でもあるんですね。

勿論私は完全コレクターとしてオモチャとして入手したので、オリジナルのOS入れて「上海」等のゲーム入れて遊んでました。

しかしこのPowerBook100は製造メーカーはなんと「ソニー」でして、ちゃんと「Made in JAPAN」製なんです。なので作りもしっかり?してましたね。プラスチック筐体ですけど。肝心の性能ですが、CPUはいわゆる68kモデルで、なんとファミコンと同系のCPUが使われていました。これはある意味有名な話ですね。ちなみたの製品では上記で紹介したPlusやSEも同じだと思います。

メモリーは最大で非公表で16MB、HDDはここからHDD搭載ですが、40MB等が乗っていましたね。

 

これからノート型マッキントッシュを中心に収集する時代になりましたね。

その第一弾で、買いました。

当時では貴重な16MBの増設メモリーを差して遊びました。

液晶は「STN液晶」なので、写りは良くないですが、当時のTFT液晶モデルの「PowerBook170」は90万円の値段でしたので、高嶺の花だったんですね。なので、お金が無い人は、グレードを下げてこの100や140&150を買ってた時代があったんですね。因みにこれも数万円で買いました。バッテリーは鉛蓄電池と言う当時はニッカド電池が主流でしたので、特殊なバッテリーを使用してました。

次の写真は当時所持してたその一部です。

*写真がボケてるのは、ポラロイドカメラの写真をデジカメで接写したからです。

 

左上から時計回りに、PowerBookDuo270c、PowerBook100、PowerBookDuo250、PowerBook5300cになります。

ノートパソコンだと所有してもディスクトップパソコンと違いかさ張らないので、ドンドン増えていきました。起動しないモデルは「ニコイチ」で、組合させて動くように再整備したり、液晶モニター交換したりと面白く遊ばせて貰いましたね。この時代は秋葉原の電気街や裏路地もジャンクパソコン全盛期だったので、活気が溢れていましたね。今では完全に様変わりしましたけど。


写真の日付からすると、今からもう21年前なんですね。

某アニメ&漫画に触発されて勢いで買ったバイクでした。

 

*写真がボケてるのは、ポラロイドカメラの写真をデジカメで接写したからです。

 

ホンダのモトコンポと言うコンパクトスクーターでした。

ほんと勢いで買ったので、スペック等も全く解らずでしたね。

確か中古のバイクショップで11万円で買ったと記憶してます。

買っては見たものの、スピードはまったく出ずドンドン車に追い越される始末で、実用的ではありませんでした。それもそのはずで、そもそもこのバイクは、ホンダ「シティー」の車載用バイクとして開発された経緯がありまして、実用的というより、趣向的なコンセプトのバイクだったので、デザインやスペック等はある意味しょうがないのかなと思いました。また中古車なので、年数経過も考えるとオーバーホールしないと厳しいかったと、今にしては思いますね。で、案の定と言いますか、最後はオイル漏れを起こして、そのまま廃車処分になりました。

 

続きましては、

 

*写真がボケてるのは、ポラロイドカメラの写真をデジカメで接写したからです。

 

こちらもメーカーはホンダで、「モンキーR」と言うバイクです。

モンキーとの違いはデザインと燃料タンクの容量(確か7L)だったと記憶してます。

本当は「モンキーRT」のアップハンドルがノーマルで装備されていて、車体の色がブルーだったのが欲しかったんですが、これを見た時既にアップハンドルに変更されていたので、丁度廃車したモトコンポの代わりに中古で見つけて買ったものです。しかも無謀にも某オークションサイトで写真数枚と文章だけで買ったものでした、それでも12万前後だったと思います。安い理由は確かノーマルハンドルが「アップハンドル」に変更されて多少カスタマイズ、人為的に手が入って居る事と、多少のサビ等が車体に出ており、「ジャンク扱い」の為価値が下がったと記憶してます。中古車選びの知識等が詳しく無かったので、これも勢いに任せて買ったんですね。確か神奈川県のバイクショップの出店物で、軽トラックの荷台に運ばれて家で荷受けされた記憶あります。買ったまでは良かったんですが、当時はギヤチェンジ車も乗ったこと無かったので、裏路地で練習しましたね。慣れるまで時間が掛かりました。実際に乗った印象はすこぶる良かったですね。ギヤチェンジの慣れも必要とは言え、アップハンドルのお陰で、長時間乗っても疲れませんし、モンキーだけに燃費もそこそこ良かったと思います。因みに50ccのノーマルです。

 

普通に問題なく乗ってましたが、買って数年後ですかね、

盗難に遭いまして、二度と戻ることはありませんでした。

ただ、エンジンやフレームにサビが多発してたので、このまま乗っていたとしてオーバーホールで別の同車種が買えてしまう状態でもあったので、逆に廃車の手間が省けたと思いました。*そう楽観的に考えないと、気持ちの整理が付かないのも正直ありましたね。

PEUGEOT マウンテンバイク

*写真がボケてるのは、ポラロイドカメラの写真をデジカメで接写したからです。

 

懐かしいです。確か最初に買ったマウンテンバイクだったんです。

それまでは普通にママチャリでしたから。

当時のアウトドア雑誌等でマウンテンバイクを見て触発されて勢いそのままに買ってしまった記憶あります。

正直マウンテンバイクのメーカーに拘りが無かったので、池袋の専門店で下見?をして、何故か「東急ハンズ」に行って、最終的にこれを決めたと思います。決めては至極簡単で、一点限りの在庫バーゲンセール品?だったのは覚えてます、値段も確か6万前後?だったと思います。*値段に関しては完璧にうろ覚えです。

 

で、買ってから色々と調べてプジョーの自転車だと知りました(当時車体のアルファベットに記載ありますが、年齢的に横文字が苦手でした。)、そのぐらい知識は無かったです。今にして思うと、このプジョーが当時まだ自転車をオリジナルで生産していた時代でして、しかも「MADE IN FRANCE」と今では大変貴重だと思います。(この頃はやたら西洋かぶれでしたね、舶来品が好きでした。)

 

今思えば、この頃のロードバイクは下火?で、後からマウンテンバイクが流行り出していて、高いモデルは、フロントフォークが「ロックショックス」や「RST」のサスペンションメーカーが付いた頃でした。部品としてもサスペンションは売られていて確か10万前後で高嶺の花だったです。マウンテンバイクは全般的に高かったと思います。写真ですが、黒のタイヤが確かタイオガ製で、緑のタイヤがミシュランを載せ替えてカスタムしたものです。と言っても、タイヤと泥除けを付けたぐらいでほぼノーマルでしたね。タイヤですが、アスファルト&オフロードも走れるように、表面はフラットで側面にスパイクが付いていたタイヤでした。泥除けはゼファールで、マウンテンバイク用をチョイスしてました。どちらも「フランス製」で揃えてました。マウンテンバイクですが、基本は街乗りとちょっとした遠出で使ってまして、別の記事で書きました、L.LBEANの自由が丘店はこれで行きましたね。

 

マウンテンバイクだけにとても頑丈で、色んな事して遊び満足でしたが、最後の別れは呆気ないものでした。何時ものように、家に帰る途中の夜道で走行中に、突然道路側面の暗闇の横から自転車が飛び出てきて追突し、2mぐらい前に顔からダイブして、フロントフォークやフロントタイヤがひしゃげて、フレームも歪み、私も顔に擦り傷&打撲で、自転車押して歩いて帰宅しました。当時はヘルメット被る習慣も無かったので、今にして思うと後遺症も無く良く助かったと思います。フレームはクロモリでしたが、購入金額と修理代が釣り合わないので、そのまま廃車処分に成りました。