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再びマリア・クレウザ (「詩人と毛布」)

ンバ・カンソンの歌姫マリア・クレウザの話題の続き。

ちなみにブラジルのサンバ・カンソンは、大衆性、情緒性という特徴から日本における歌謡曲のような存在と言える。

 

私がマリア・クレウザ推しになるきっかけとなったアルバム。「マリア・クレウーザ ベスト・コレクション」。

 

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2005-06-12
「ベスト・コレクション」/マリア・クレウーザ


 CD (RCA, 1987) 発売元:RCV(株)。1973~82年録音のアルバムの中から収録した日本での企画によるベスト版CD。

    1. TODOS SE TRANSFORMOU (みんな変ってしまった)
    2. ONDE ANDA VOCE (あなたは何処に)
    3. OUTRA VES BAHIA (もう一度バイーアへ)
    4. PARA FALAR A VERDADE (真実を話せたら)
    5. DE CONVERSA EM COWVERSA (けんか話)
    6. APERO (アペーロ)
    7. MADRUGADA (夜明けのサンバ)
    8. DIACHO DE DOR (恋の痛手)
    9. CAFE DA MANHA (カフェ・ダ・マニャン)
    10. FRENSI (フレネシ)
    11. A NOITE DO MEU BEM (あの人が来る夜)
    12. COM QUE ROUPA (踊りに行きましょう)
    13. SONHO MEU (ソーニョ・メウ)
    14. O POETA E O COBERTOR (詩人と毛布)
    15. ESCRAVO DA ALEGRIA (喜びの奴隷)
    16. LAMENTO (ラメント)
    17. LUS NEGRA/O SOL NASCERA (暗闇の中の私~日は昇る)
    18. A FELICIDADE (フェリシダージ) 

 どの曲も良いが、特に14曲目の「詩人と毛布」がこの上なく美しく、そして切ない。Webで検索してもほとんど引っ掛からないのが不思議なくらいだ。このCDのライナーから訳詞を引こう。

 

「詩人と毛布」 ANTONIO CARLOS e JOCAFI

とある詩人のすべての苦悩
かれは眠り 目を覚ます
魔法を解いてくれた乙女の前で
罪人であることを否定しながら
詩人と毛布のドラマ

欲望の回転木馬のうちに
解放者の腕にだかれて
不安もなくふるえていた
先祖たちの儀式の中で
彼女は勝ち誇って目を覚ました

王と女王 僧正 歩兵とこの王女の衛兵たち
われ鐘のような声をそろえて
吟遊詩人の死刑を叫んだ

王と女王 牢獄 どんなところにも失望が
でも彼女はおそれなかった
それだけの価値があったから
愛ゆえにやったことだから

 

 作詞作曲はANTONIO CARLOS & JOCAFI (アントニオ・カルロス&ジョカフィ)のコンビ。マリア・クレウーザは、1964年にアントニオ・カルロスと結婚している。この曲が何時作られたのかは確認できていないが、ANTONIO CARLOS & JOCAFIの"DEFINITIVAMENTE" (Rca, 1974)に収録されている。

 一方、このベスト・アルバムに収められた音源の録音は1980年。マリアの歌唱の切々とした雰囲気はただ事ではない。じつは、この年、詩人ヴィニシウス・ヂ・モラエスが死去している(彼はマリアと深い関係にあったとされている)。吟遊詩人という呼称は彼にこそ相応しい。そして、1981年頃、マリアとアントニオ・カルロスが離婚していることを考え合わせると、マリアはヴィニシウス・ヂ・モラエスを思い浮かべながらこの歌を唱ったのではないだろうか。 ...余談だが、マリアはこの後、長いスランプに陥ることになる。

 ところで、この歌詞の「詩人」や「王女」とは何の象徴だろうか? この詞の極度に隠喩的な表現の背景を理解するには、この頃のブラジルが軍事独裁政権の支配下にあったことを知る必要がある。1964年、アメリカ合衆国に後押しされた軍事クーデターによって、軍部が政権を樹立し、以後、軍事独裁政権は1985年まで21年間続いた。(*) 軍事政権は、高度経済成長を図る一方で、反政府的言論を徹底的に弾圧し、報道管制や検閲を行った。これに対抗するために、芸術家たちは抵抗の意志を巧妙な隠喩や象徴に隠して検閲をすり抜けたのだった。

 「詩人と毛布」の歌詞の具体的な内容は私には分からない。もしかすると、「吟遊詩人」とは、軍事政権に抵抗したカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルを指しているのかもしれない。そして、乙女(王女)とは、彼らがイギリスに亡命していたときも母国でトロピカリズモを担い続けたガル・コスタやマリア・ベターニア、それとも、裕福な家庭に生まれ育ち、後にクーデターに抗議し軍事政権を批判し続けた「ボサノヴァのミューズ」ナラ・レオンだろうか。他にもこの歌が隠喩するような出来事はいくつもあったことだろう。

(*)この時の、アメリカ政府高官(トマス・マン米州担当国務次官補)による「他国に合憲的政府を強制することは、かならずしも米国の安全保障にとって有益ではない」、「アメリカは、外交政策の面では、独裁政権と民主政府とを区別立てすることをやめなければならない」という声明(マン・ドクトリン)を忘れるべきではない。

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Youtube:

Maria Creuza - O Poeta e o Cobertor (Pseudo Video)

「詩人と毛布」(アルバム「ポエマ」より)

 

 

ヴィニシウス・ヂ・モライスは、ブラジルの外交官としての職務の傍ら、詩人としてボサノヴァ創始の立役者の一人となった。軍事クーデター後は重職から排斥され、さらに1969年には「アルコール依存症」という理由を付けられて免職された。

 

翌1970年のアルゼンチンのラ・フーサ・ナイトクラブでのライブの内容は、「En "La Fusa" Con Maria Creuza Y Toquinho」、「Grabado en Buenos Aires con Maria Creuza y Toquinho」、「Eu Sei Que Vou Te Amar」等、タイトルやメイン名義を変えて何度もリリースされた。ちなみに、この音源は、現場での録音がうまくいかなかったため、ブエノスアイレスのスタジオでレコーディングした音源にラ・フーサでのライヴ時の語りや拍手・歓声をミックスした疑似ライブだそうだ。

 

こういう古い音源がYouTubeのトピックチャンネルで聴けるようになっているのは便利だ。

 

Youtube:

Vinicius de Moraes - Samba Em Preludio (Live)

 
 

Vinicius de Moraes - A Felicidade (Live)

 
 
 
押し活の結果の一端。すぐに出せたCDのみ。
 
 
 

さて、今回の風景写真も前回同様イタリアの海岸リゾート。