悪と断じて分断を強化していないか? 映像’23 | ひらめさんのブログ

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メランコリー親和型鬱病者で理屈好きな私の思うところを綴ります。

流言飛語百年 | MBSドキュメンタリー 映像’23 | MBS 毎日放送

関東大震災における「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という流言飛語が、100年後の現在も改まっていないという”毎度お馴染みの悪を正すドキュメンタリー”である。

 

些か軽侮した表現になってしまったが、私だってそんな差別感情は好ましいものだとは思っていない。しかし、”差別は悪”と断じる論法によって”状況が好転することが無かった事実”こそ着眼すべきなのである。

 

検索してみると、この番組を制作した亘佐和子ディレクターや橋本佐与子プロデューサーは私より少し下の世代である。還暦の掃除夫である私よりは頭脳明晰なはずなのだが、脳科学の知見には触れることが無かったのだろうか。

 

オキシトシンがお盛んですね | ひらめさんのブログ (ameblo.jp)

以前に書いたことだが、幸せホルモンとして認知されているオキシトシンには反作用とでも呼ぶべき側面がある。オキシトシンは身内に対しては愛情を増す働きをするが、その関係を危うくさせる外部に対しては攻撃に転じさせるのだ。

 

この出典であるNHKスペシャル「ヒューマンエイジ」のテーマは「戦争」だった。そこでは、人間とは本能的に争ってしまうものなのだときちんと描かれていた。だが、当番組の亘氏や橋本氏にはこの認識が無く、「正しさ(それは自分たちの正しさでしかないのだが)」によって啓蒙できるという幻想を信じているように感じるのだ。

 

「流言飛語を放つ者に正しさなんて無い」と思っている人もいるかもしれない。だが、番組でも語られていた通り、戦前の日本に職を求めて来た朝鮮人によって、職を奪われた人たちがいて快く思えない根拠にはなっていたのだ(だからと言って虐殺にまで飛躍することはもちろん肯定できない)。アメリカをはじめとする移民問題と同じ問題なのである。

 

同様に、ヘイトスピーチをする当人には何らかの正当性があるはずなのである。そこをカウンセリングすることなく、法で取り締まることは法の権威を失墜させることにもなり感心しない。事実、マスメディアの権威の失墜にはこの側面があったではないか。

 

流言飛語を含む先入観や経験に基づく思考判断を心理学ではヒューリスティクスと呼ぶ。ここには認知バイアスによる偏見を含んではいるが、実生活においては圧倒的な利便性があってこれ抜きでは生活していけないものなのだ。

 

オキシトシンにしてもヒューリスティクスにしても人間が生きていく上で必要な機能である。それが間違っていようと修正することはかなり難しいものだ。”差別は悪だ”という判断だってそう思う人にとってのヒューリスティクスであり、論理的な正しさがある訳ではない。善悪二元論の中間に位置するもののどこに線を引くかなんて何の普遍性もありはしないのだ。

 

だからと言って「本能の全肯定をせよ」と言いたいのではない。そんなことをすれば、メランコリー親和型性格で秩序を愛する私にとっては今以上に生きづらい社会となる。そうではなくて、本能と、法を中心とする秩序とを出来るだけ無理なく沿わせるアイディアを語るべきなのだ。それにはまず、悪意と本能を区別するところから始めることになろう。

 

ところで、私は亘ディレクターや橋本プロデューサーを批判しているのだが、気を付けなければならないことがある。批判することで、彼女らを排除の線引きの向こう側に追いやってしまっては同じ過ちをすることになるからだ。批判はしても彼女らが飲める代替案を提示することが必要なのである。分断を是としないならばここは留意すべきことである。