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わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

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彼は18歳でしたが、

アメリカで生活する方法を良く知っていました。

 

 

母親はナイジェリアの大学で教えていて、

兄と姉はイギリス、

父親のみがパキスタンという国際的な家族でした。

 

 

両親、特に母親をとても尊敬していました。

両親をとても大切に思っていました。

 

 

ほとんど仕送りはもらってなくて、

働いて自活していました。

 

日本の18歳とは

くらべものにならないくらい大人でした。

 

 

私は彼からアメリカで生活する方を学びました。

ソーシャルセキュリティーナンバーを取得し、

 

そのころまだ日本では使っていなかった、

クレジットカードも使い始めました。

 

クレジットカードがなければ、

レンタカーさえ借りられませんでした。

 

アメリカではクレジットで

信用を作る必要がありました。

 

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その頃サンフランシスコには、

何軒もの大きな日本食レストランがありました。

 

 

私はそのその一つで、働き始めました。

ワーキングビザを持っていたわけではありませんが、

そのことを問われることもなく、

採用してくれました。

 

 

私はサンフランシスコの町を車で仕事に出かけ、

夜遅くに帰ってくるという生活をすることになったのです。

 

 

私は国際免許証を持って行きましたが、

それは1年ほどで使えなくなり、

カリフォルニアの免許証を取りました。

 

 

実地試験で、

私はアメリカだから

早く走った方が受かるに違いないと思って、

 

がんばって早く走りました!

 

支障なく運転できたと思ったのに、

何と落っこちてしまったのです。

 

試験官に言われました!

『She  flies !』

 

はー!

 

2回目はゆっくり運転して合格しました(笑)

 

→次に続く

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さてサンフランシスコの第3章は

ダウンタウンのアパートから始まりました。

 

 

そう私はBradberry家の美しいお屋敷を出て、

彼のアパートに転がり込みました。

 

 

環境が一転し、

色んな人種がいる地域に住むことになったのです。

 

 

物騒な話は日常茶飯事でした。

夜、外を歩いている人の半数は拳銃を持っていると思え!

『金を出せ』と言われたら、即お金を出すこと!

命だけは助かる!

 

信号で止まっている車の中からバッグをうばわれた!

エレベーターの中で襲われた!

などなど・・・・・・、

 

とにかく『気をつけろ』ということだけは、きつく言われていました。

 

 

今思えば、無事でいられたことは有難いことでしたね!

恋という魔法は恐ろしいですよね!

なんでもさせてしまうのですから・・・・

 

→次に続く