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わくわく夢クラブ

『わくわく夢クラブ』は、敗戦後60年の日本の現状の中で、お米を中心とした食に還る~食改善こそが個人の健康への道そして日本の再生への道と考え活動しています!

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下田はしっかりマクロビの世界でした。

 

 

小川先生は田んぼや畑をしていて、

食べるものはすべて自分が作ったものでした。

 

奥様の郁子さんは東急ストア内で自然食品店をしていました。

 

 

浅井さんは雑誌の編集者の仕事を止めて

家族で下田に移住、

農業をしてほとんど自給自足の生活をしていました。

 

 

村上光照さんは、

傍から見るとストイックな玄米菜食者に見えますが、

自分の欲しいものを欲しいだけ食べているだけだったようです。

 

農薬や添加物などを全く受け付けないお身体でした。

 

 

マクロビ実践にこれ以上の環境はないという場所でした。

 

 

この先生方が杉野さんと私を合わせるために

時間とエネルギーを割いて下さったのです。

 

 

そして揃って式根島に行ってくださった。

 

 

こんなこと今年だったか昨年だったか

下田に行く電車の中から

海を見ながら気づいたんです。

 

 

そうです!

あのセーターは杉野さんのセーターになりました。( ;∀;)

 

 

ちょっとっ信じられないような、

私の変わり方でした(^-^;

 

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今日は日曜日!

 

見てるともなく見ていた?テレビ!
『新婚さん!いらっしゃい』をしていた!

 

 

22歳と33歳11歳の年の差のある

カンボジアの青年と日本の女性!

 

幸せそうに見えた!

 

 

今ならもっと可能性があったのだろうか?

 

いや父の頭の中は外的環境が変わっても

そう変化はなかったかもしれない!

 

 

 

さて、私は下田の『ねばならない』の無い生活が

すっかり気にいってしまい

 

尊敬する先生方と過ごす時間は

とても貴重な時間に思えました。

 

 

守先生と杉野さんの冗談のやり取りがあまりに面白くて

こんな面白い人と過ごしたら一生楽しいのでは・・と

思ったことでした。

 

 

 

そしてなんとあのセーター!

編む相手が変わってしまったのです(^▽^;)

 

 

これは一大事でした(^_-)-☆

 

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さて、あの編み始めたセーターはどうなったのか?

 

もちろん編み続けていましたよ(^_-)-☆

 

しかし父親から冷静に発せられた言葉

『縁を切ってから、結婚しなさい』は

余りにも感情がなかったので、

それが私にも移ったかの用に、

 

感情的にならずに自分のことを考える事ができました。

そうすると、結婚の可能性はどんどん低くなっていきました!

 

 

 

運動手技を勉強し始めて、

私の日本での日常もどんどん忙しくなってきました。

私にとって、運動手技との出会いは

新しい世界との出会いでした。

 

 

マクロビの大森英桜先生以来、

私が尊敬し信頼できる先生に

何人にも出会うことになった

運動手技との出会いでした!

 

 

そして昨日お話ししていた仕組まれた式根島ツワーというのは、

 

ある人と私を合わせるための下田ツワーであり

さらに式根島ツワーだったというわけです。

 

 

ある人というのは下田に着いた時、

私を迎えに来てくれた杉野さんというおじさん?

いや青年でした!

 

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