画紋(gamon) -862ページ目

桜雲

本日のお題は、「桜雲」です。
実写の雲と、対照的に青海波紋を配した海面との構図です。

桜紋の歴史を調べていくと、古代日本において天皇を豊饒神と見なし、桜を神格化したことが見えてきます。
「公家で桜紋を使用した家は、一家もない」【日本の紋章・渡邊三男著】に記載されているように、公家では家紋としてなかなか使用されなかった桜紋は、公家と対抗し勢力を広げていった武家の台頭と共に、使われ始めます。
有名なのは、「細川桜」。肥後の細川幽斎が、室町幕府15代将軍の足利義昭より与えられたものです。三河の桜井松平氏が「桜井桜」。桜の華を使用した「花筏」は、豊臣秀吉の為に。
まだ見たことはありませんが、唐招提寺や西宮の神呪寺も桜紋を使用しているようです。
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光琳大陰桜

本日の画像は、「光琳大陰桜」です。
尾形光琳が作成した桜家紋の代表作です。
光琳が生きていた時代は、元禄時代。
江戸時代で最も桜が流行した時代でもありました。
町人の生活が質素から、華美になり町人文化が発展した時で、大阪歌舞伎・江戸歌舞伎・浮世草子・俳句・操り芝居・友禅・浮世絵が興隆した時代でもあります。

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華筏蒔絵

本日の画像は、「華筏蒔絵」です。
前回作成した画像は、華筏との家紋を白と水色でとりまとめを致しました。
今回は、原作に近づけて図案の構成を変えてみました。

華筏の作者は、太閤秀吉の蒔絵専門のお抱え職人だった「幸阿弥」だったと言われています。
秀吉の死後、北政所が亡き夫の冥福を祈るために京都東山に高台寺を建立しました。
ここに、生前使った様々な調度品や家具が納められています。
霊廟内の厨子と須弥壇は、桃山時代を代表する蒔絵と見なされ、高台寺蒔絵と呼ばれています。
「華筏」は、須弥壇の框にほどこされています。
桜の花びらは霊にたとえられるそうです。
秀吉の霊が落花となり、筏に乗り、川を下り、海の彼方の常世へ無事に着けるよう「幸阿弥」が、祈りを込めた家紋という説がございます。

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