柴犬 男の子 全員6歳

メモ柴犬ひなあおそら プロフィールの記事

 

 

父、犬を飼う~ 犬嫌いだった男が、柴犬3匹と暮らすに至った物語

 

 

「地震の記憶」


 私は結婚して子供ができましたが、その生活の中では犬を飼うような予感はまったくありませんでした。

 妻の実家には2匹の犬がいました。ですが私は犬にはなるべく近づかないように注意していました。ただそれだけでした。その犬の1匹が年老いて亡くなり妻の家族は大きな悲しみに襲われましたが、その頃の私には大きな感情の変化はありませんでした。
 娘は妻の実家で1匹になった犬とよく一緒に過ごしていました。その犬も年老いて亡くなっていきます。その当時の妻と娘の思いは同じで「犬を飼いたい」ということだったようです。ただその話題が上がっても私は犬嫌いを理由にずっと却下していました。





 娘の小学校の卒業式が近づいた3月11日、大地震がやってきます。あの揺れとその後の生活は多くの人の心になんらかの変化をもたらしたと思います。
 その日は電気の無くなった街を徒歩で家まで帰りました。見上げた夜空が本当にきれいだったことを今でも覚えています。あんなきれいな星空はみたことがありませんでした。多くの人が星空を見上げて同じように思ったことをあとから聞きました。長期間の停電のなか地震の規模や被害状況もあまりわからず数日を過ごします。

 4日後、停電復旧によって灯った電灯の明るさにあの星空と同じような感動を覚えました。そしてたくさんの映像をみました。あの津波の映像に衝撃を覚え、これが生中継されていたと知ったきの気持ちは何とも言えないものでした。



 

 話はさらにさかのぼりますが、私の実家は阪神大震災で震度6~7を記録した地域にありました。当時、私は東京で仕事をしていましたが地震の2日後実家に戻りました。電車で行けるところまで行き、あとは徒歩で家を目指すことにしました。崩れ落ちた高架橋や倒れたビルにショックをうけながら家へと向かいます。そこで被災地に向かう私とは逆方向に歩く大勢の人とすれ違いました。被災した自分の家をあとにして避難する人たちです。その人数の多さと疲れきった表情に不安をいだきながら私は一人、実家のある被災地へと歩いていきました。
 家の前で私は母親に再会します。その時泣き崩れた母親をよく覚えています。不安と恐怖から張りつめていたものがあったのだと思います。あの瞬間の恐怖や余震の恐怖を母親はたくさん話してくれました。私が共有できた恐怖は余震だけですがそれでも十分に恐ろしいもでした。「余震が来るときはすぐわかる。ゴウと音がする」と言っていた通り、その不気味な音のあとにやってくる地震。音を聞いただけで緊張が走り眠っていてもすぐに目が覚めました。身も心も休まることはありませんでした。





 私の中で記憶に残った二つの大地震。この地震の記憶が私の心に変化をもたらしたのかもしれません。


父が更新
 ペットと人の関わりは本当に難しいと思います。飼い主にとっては家族同然のペットも万人がそう思うわけではありません。災害時には大きな負担になることも飼い主は覚悟しなければなりません。先日、NHKプロフェッショナルという番組で犬の訓練士とまめ蔵という柴犬の話をみました。まめ蔵の鳴き声や噛みつきは一緒に生活することが困難と思わせるほどのものでした。訓練士は約1年かけてそれをやめさせましたが、一般人には出来ないことだと思います。どうすれば人も犬も幸せになれるのか考えさせられる番組でした。

 

父、犬を飼う3~約束ってなんだい?家族会議は終わりを告げる