小説と未来 -80ページ目

新世界82-運命の幸雲 6

40過ぎの太った女にさえ嘘を付けない。


ニシキは絶不調に陥っていた。


何気ない街の何気ない住宅街に、左の男と呼ばれる男が住んでいる。ニシキはそこを訪れ、また失敗報告をする。どこかの小さな不動産やみたいな事務所のカウンターに座り、ニシキは首をうな垂れる。

「ごめんなさい。また一円も騙せませんでした」


カウンターの向こうで、左の男は鋭い目をしていた。

「悩ましいな。おまえを見つけたのは俺だ。俺はおまえが役に立つと思って雇った。半年前まではいい働きをしていた。いい仕事っぷりだった。嘘を付く事、そのためにしなくてはならない事、おまえは何でもできた。それはおまえが優れていたからじゃない。おまえが欠点だらけだったからだ。おまえの良い所は顔だけだ。後は何一ついい所がなかった。悪人に向いていた。それでよかったはずなのに、おまえは最近、自分に良い所を作ろうとしている。それは他人を気にしなかったおまえが、他人を意識し始めたからだ。悪人に向かなくなってきた。なぜそうなった?その理由が俺にはわからない」


夏になっていた。ニシキは沙希と会う事を止め、再び結婚詐欺を始めた。しかし失敗が続いた。

女を騙すのは簡単なはずだった。簡単にできるはずだったが、嘘を付いたり、女をその気にさせたりしようとすると、沙希の悲しむ顔が浮かんだ。瞬間、ニシキは自分がやっている事に幻滅した。そして我に返ったかのように自分を探そうとした。『これが俺じゃない』そう思えば、思うほど、ニシキは仕事ができなくなっていた。女を騙せなくなっていった。


ニシキは黙っている事しかできなかった。自分でもどうしていいかわからなかった。

左の男は立ち上がり、裏へ消えた。ニシキは帰るしかないと感じた。そしてもうここには二度と来ないだろうと感じていた。

立ち上がり、去ろうとすると、左の男は裏から再び姿を現した。

「おい、待てよ」

カウンターから出てきて、ニシキの肩を掴んだ。

そして封筒を渡した。


ニシキはそれがまた新しい仕事の相手が乗っている資料かと思い、受け取りを拒否した。

「すみません。今はできそうにありません」


「いや、こいつを取っておけ。そして、考えろ。もう一度だけ。答えを出すのはおまえだ」

左の男はそう言った。


仕方なく、ニシキはそれを受け取った。どことなく資料とは思えない。薄っぺらい紙の入った封筒に感じられた。それを受け取り、ニシキは左の男のいる事務所を出た。


封筒の中を確かめた。数十枚ほどはある一万円札が入っていた。何の事だか、ニシキにはわからなかった。わからなかったが、素直に受け取る事にした。


ニシキはその金がなぜ渡されたのか、後々になってもわからなかった。しかしそのお金には感謝している。ニシキはそのお金を基に新しい生活を始めることにした。当り前の何気ない生活をしようと考えてみた。


普通の生活を始めるのに、どうすればいいかは迷った。迷いに迷い、1ヵ月後、結局ニシキが選んだのは、沙希のいる場所だった。


新世界81-無職の暇人 18

2013年が始まっている。


僕は3月までに再就職しないと、生活できなくなる。

小さなアパートに家賃を払う事さえできなくなる。

毎日食べてゆくための食費もなくなる。少しは残るか?


だとしたら僕は家を失い暮らしてゆくのか?

ホームレス?就職難民。きっと僕は生きるのに疲れてしまった。

ハプリボポセリ医院もお金がなければ僕を助けてはくれないだろう。


さてこの不安をどう解消しよう。

青色のクマを探しに行こうか?

外は寒い。新成人のように元気にはなれない。僕は34歳のおっさんだ。


とりあえず、今日も『低人類』の歌を流す。


いやもう、飽きた。


仕事を探す。堅くつまらない言葉が並んでいる。見ているだけで気分が虚ろだ。


この際、ここを出てゆこうか?


僕には行く場所がない。知っているさ。

知っているさ。だからどうにでもなればいい。


ハナは何をしているだろう?ハナはどこで何をしているだろう?あの日、あの時から僕の人生は変わってしまった。変な夢を見るようになったんだ。変な事になってしまったんだ。このまま、夢のまま。夢は僕をどこへ連れ去ろうとしているのだろう?僕はまだその結論を知らない。


なんとなく、急ぎたい。だけど僕はどこへ急いで行けばいいのかわからない。この職なし社会の中で、僕はどこへ辿り着こうとしているだろう?



ええええええええええええええええええええーーーーーーーーーい


どうでもいいさ!


どうにでもなるさ!



叫び続ける。頭のおかしい人になる。


それは僕だ。僕はそうやって、それだけなんです。


新世界80-孤島の物語 15

真っ白な空が広がった。


ハナはいつものダイニングキッチンにいる。


テーブルを壁際に動かした。そしてそこに椅子も用意した。


一人そこに座って、日記を書く。


いつも何もない毎日だけど、いつも毎朝目が覚めて、いつも何かをして眠っているから、きっと今日もあったんだって、日記をただ付ける。



わたしはここにいて、


今日の空は白い雲がいっぱいあって、


でも心は澄んでいて、


そしたら野鳥の鳴き声がして、


窓辺を覗いたらたくさんの野鳥が地面を突いていました。


わたしは貴方の知らない今日をここに残します。


何も恥ずかしくないわたしをここに残します。


わたしはこの島で、今日も日記を書いてます。


今日はおいしいカフェラテを飲んでます。


昨日ユーカイスが海外から届いたっていう特別なコーヒー豆を持ってきてくれました。


ずっと使ってなかった古いコーヒーメーカーを使ったの。


島の向こうで買ってきた搾りたての新鮮な牛乳も一緒だったのだ。


わたしは作りたてのエスプレッソにお鍋で温めたミルクに注ぐ。


少し混ぜて、それを大好きなマグカップに移しました。


だからおいしいカフェラテが飲めました。


疲れた貴方に今度作ってあげるわ。



ずっと空は綺麗だ。ススキがゆらゆら揺れている。


毎日毎日過ぎてゆく。


ハナは一日中、ダイニングの窓辺で外を眺め続けていた。


一日は何気なく過ぎてゆく。


何気ない毎日に一工夫。日記になる出来事を作りましょう。


孤島の島の一人暮らしはまだまだ続く。


新世界79-夢世界 23

2022年の冬の夢は続く。


僕は暗い部屋の中にいる。とても怪しい場所だ。でもここは危険な場所じゃない。僕は闘う必要がない。なぜならここにいるのは仲間だけだ。


そうここはボスといわれる男がいる部屋。このじいさんのような男は皆から絶対的な信頼を得ている。



「俺は苦痛だ!」と、僕は言った。言ったというか、口が自然とその言葉を発していた。


この空間に対してじゃない。僕はボスの尋ねた質問にそう答えたのだ。


ボスは僕に尋ねた。

「多くの金を奪い手に入れるのは愉快なものだろ?偉そうな奴らが慌てて、俺らは優越感を得られる。君もそうだろ?」


「俺は苦痛だ!」

だから、僕はそう答えた。


ボスは意外性も感じずに頷いた。

「そうか。苦痛か。なら、こんな苦痛な事を続けるつもりか?それともこんな苦痛な事はもう辞めたいか?」


僕は息を詰まらせる。辞めてしまいたい気持ちはずっと持っている。本心のままに答えてしまえば、辞めようと答えられる。でも今度はさっきのように口から言葉は漏れてこない。


「苦痛な事を続けたくはないだろう?」

ボスは僕に答えを促してくる。


「世の中には、金に貪欲で、莫大な儲けを得る者もいるし、代々の資産を受け継いで、金を自由に遣いまくる奴もいる。あんたらがそういった奴らから金を奪い取っている事は知っている。決して貧乏人から金を奪い取るような真似はしない。だから俺らのやった事を世の中では愉快だと思っている奴もいる事もわかっている。確かにあんたらは最悪な連中じゃない。けど…」

けどの後は出てこなかった。僕は何を言いたかったのか、その結論がわかっていなかった。


「それが正義とは言えない。正義の味方ごっこじゃない。確かに俺らは生易しい集団じゃない。ただの強盗集団だ。俺らは金を奪い、利益を得て、それで暮らしている。君もその一人だ。これは明らかな犯罪だ。それも軽犯罪じゃない。相当な重犯罪だ。捕まったら終りだ。いつ捕まるかはわからない。それは恐ろしい。苦痛だ。苦痛だろう?」


僕は反論できない。あくどい仕事をしているから辞めたいという表立った正義心なんかじゃない。確かに僕はただ単に捕まりたくないから苦痛を感じ、辞めたいと考えているだけなのだろう。


「だから俺は今日、君をここへ呼んだ」


僕はうつむいていた顔を上げた。暗い部屋でボスの鋭い瞳だけがやけに光って見える。

ボスはこのまま僕をここから解放してくれるのだろう。と期待をする。


「君には大義名分が必要だ」ボスは僕の予想しない事を話し出した。「いいか。よく覚えておけ。人なんて誰だって臆病な者だ。誰だって苦痛からは逃げたい。俺も理由なく、ただ金持ちになりたいだけなら、もうこんな事はとっくに辞めていただろう。いや、最初からやってはいなかった。別の事をしていた事だろうよ。俺は最初、君にこの世界をぶっ潰すと言った。俺がやりたいのは自分が稼ぐためだけの行動じゃない。俺はこの世を揺り動かすようなでかい事をやるつもりだ。ただ強盗をしただけで、世の中は動くか?それだけじゃ弱い。君もそれだけの俺らに納得いっていないだろ?だから俺は君に俺らの大義名分を与える。俺らは奪った金を天からばら撒く。現代版ねずみ小僧だ。その時、世の中はどう動く?俺にもまだわからない。ただ、そうすれば世の中は何かが変わる気がする。君は苦痛だと言った。そう苦痛だ。辿り着くところのない繰り返しは苦痛にしかならない。でも俺らには成し遂げたい結論がある。

夢のような現実を成し遂げるんだ!そのために動く。

答えのあるその場所を目指せば、苦痛に耐え抜く事もできる!

どうだ?まだ苦痛か?今ある現実から逃げ出したいか?」


「いつまで続く?」

と、僕はボスに尋ねていた。

本当は辞めてやろうと考えていた。このまま辞めてしまおうと考えていた。でもそう言えなかった。心の中から不思議なエネルギーが湧いてきた。心臓はバクバク言っていた。でもそれは恐怖からくるものではなかった。ウキウキしていた。ワクワクしていた。このじじいが言う話には叶えてみたいと感じさせる望みがあった。

望みが僕を動かそうとしていた。


「あと、20回。そのくらい成功したら、十分な金も溜まるだろうよ」

と、ボスは僕に言った。


ボスの瞳は光っていた。それは望みを叶えようとするものの輝く瞳と同じものだった。


僕は頷き、ボスに付いてゆくことを誓った。



2022年、僕は辞める事のできない夢を持った夢の中にいる。


新世界78-運命の幸雲 5

ニシキは自分が詐欺師である事を忘れていた。カウンセラーでさえなかった。


何度も何度も沙希はニシキの下を訪れた。


だからニシキは沙希の悩みを聞いた。そしてただ彼女が少しだけ元気になってくれることが嬉しくなっていた。


「ああ、なんか、今日もすっきりしました」

と、沙希はニシキに言った。


「いや、そうだね。だいぶ元気になったね」

と、ニシキは沙希に言い、持っていたカウンセラーの本を机の中に隠した。


2ヶ月ほどが経つ。何気ない日々が続いた。

それも今日で終わりだ。ニシキは沙希からのはした金では生活が成り立たない。そろそろ本格的な詐欺業務に戻らなければならない。


『金のない女から金を取っても仕方ない』

ニシキは心の中でそう呟く。沙希から金を取る事はむしろ心の痛む作業だ。ニシキは後悔している。こんなに心を痛める事になるとは想像もしていなかった。この結果が自分にとっても、沙希にとっても、何一つよくない結果を残している事を感じていた。


「今日で終りにしよう。もう君は十分に元気になっている。仕事は来年春まで続けられるね」

と、ニシキは沙希に伝える。

来年春までというのは今持っているクラスの担当を一年間最後まで見るという約束をニシキは沙希にさせたからだ。


「ええ、来年春まで続けます。でも、私は心配です。できればその日が来るまで、カウンセリングを続けてもらいたいのですが」

と、沙希はニシキにお願いする。


「でも、君はもう十分に元気だから大丈夫だよ。いつまでもカウンセリングに頼っても仕方ない。もっと話せる同僚や友人を作って、話すことが大切さ」


「そうですね。先生もお忙しいでしょうから、いつまでも私の泣き言を聞いている暇もありませんしね」


「いや、別に泣き言だなんて思ってないよ」

と、ニシキは本心から答える。


「ありがとうございます。先生はお優しいですね」

沙希はそう言って、財布から2万円を取り出す。


『優しい?僕が優しい?僕のどこが優しいのか?僕はただの詐欺師。君から今日も金を奪うだけの男だ』

ニシキには何も理解できない。心が痛い。とても沙希の言っている意味が理解できない。


「もういいよ」と、ニシキは言っていた。


「何がですか?」


「お金はもういいんだ。実は取りすぎていたんだ。前々から、だからもういいんだ」


「嘘は困ります。そんなわけありません。取りすぎだなんて事は」


「いや、嘘じゃないんだ。本当にそうなんだ」


沙希はニシキの瞳をじっと見つめていた。

「いえ、先生は嘘を付いています。本当はそうじゃないんですよね」


いつからか、沙希は気づいていた。うすうす感じていた。『この人はカウンセラーでも何でもない。きっとお金に困って嘘を付いて、私を騙しているのだろう』と。

それでも沙希は騙され続けた。なぜなら騙されているとは感じなかったからだ。カウンセラーではないけど、一緒にいて、いろいろと相談に乗ってくれるその男性を沙希は好んでいた。だから沙希はずっと騙されていても構わなかった。それが沙希にとっての幸せだった。


ニシキは何も言う事ができなかった。沙希が何を言いたいのかもニシキにはわからなかった。ただ素直に2万円を受け取った。それしかニシキにはできなかった。


これで終りだとただ感じていた。これで終るはずだった。ニシキと沙希の関係は詐欺師と騙される女の関係でしか成り立たないはずだと、ニシキは考えていたから、それが終る日、全てが終るはずだった。



でもどうしてニシキはもう一度、沙希に会いたいと思ったのだろう。


いや、それこそが素直な気持ちだったのだろう。


それこそがニシキの本心だったのだろう。